日本史

エッゲンベルグ城に隠された大坂城を追え!

基本的には、ちゃんと用があって帰った帰阪ですが、
折を見て出かけるのも忘れてはいません。

ちょうど、大阪城天守閣ではオーストリア・グラーツにある
エッゲンベルグ城内で発見された豊臣期大坂城の姿が
描かれた屏風が発見され、その複製が展示されていて。

P1130940

豊臣時代の大坂城が、とにかく気になるわたしは、
会期も迫ったこの時期に、何とか見に行ってきましたよ。

ちなみに、江戸時代以前は「大坂」、
明治以後を「大阪」と表記するのが正しいです。

玉造口から天守。天気が悪くて白ボケしてますね…

P1130865

大阪らしく銀杏がキレイに色づいていました。
銀杏は、大阪府の木。

P1130877

わたしが一番好きなアングルで撮ったのがコレ。
これは曇ってるのが難だけど、
ココが一番かっこよく撮れると思います。

P1130884

場所はココね。


大きな地図で見る

銀杏はキレイだったけど、その他の色づき具合は微妙。
終わってるような、そうでないような。

P1130886

シャチホコのほうが目立ってしょうがない(笑)

P1130893

来年寅年…というのと直接関係ないけど、
現天守の修復時に取り替えられた金箔の虎の像。
天守最上階下に飾られているアレ。迫力あります。

P1130921

肝心の屏風ですが、現地ではこんな感じで
屏風がバラバラ(!)になって、装飾のひとつとして、
はめ込まれているんだってさ…日本だとありえないけど。

P1130919

チラシから。左に見える高層建築が大坂城天守。
独立天守台ではなく、本丸隅に描かれていることからも、
豊臣期の天守と推測できる。

P1130937

デザインが全体的に白っぽく、鉛瓦の金沢城を
思い起こさせるよう。あと、破風の反りがかなりきついカーブで、
和風と言うよりも、中国風の建物のような印象。

右側は、本丸北側の一角。右下のきらびやかな廊下橋は、
現在もその名が残る極楽橋。その前の門にはシャチホコが乗る。
そういや、なぜか天守にはシャチホコなし。なんで?

かなり、今まで描かれてきた豊臣大阪城と異なり、
これはこれで興味深い感じ。案の定、図録をお買い上げ(笑)

この後、梅田にも寄って、阪急百貨店で
ウイスキーの量り売りでも…と思ったけど、
ボージョレ・ヌーボーに押されて、一時中止。

その間、ニシキタ(西宮北口)の西宮阪急で開催中
ということで、わざわざ西宮まで。
ま、阪急電車で20分程度だけども。

P1130958

西宮阪急は1周年。ということで、わたしは初。
わざわざ西宮の阪急に来ることないからなー…

駅からチョット歩くけど一本道。
もうイルミネーションの季節ですよね。

P1130960

さて、量り売りコーナーでは10種類のモルトを
100ml、200mlで販売中。いくつか試飲させてもらって、
これはっ!という2種類をチョイス。

・グレンリベット21年アーカイブ
・ラガヴーリン12年カスク

P1130961

色が濃いほうが、グレンリベット21年・アーカイブ。
まだ頂いていないので折を見て、じっくり頂く予定~

あともう1日の話は、このあと。

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武田信玄からの手紙。

こちらのblogで気になっていた冊子、
「武田信玄からの手紙」。

P1050556

山梨県立博物館監修の64ページの小冊子。
戦場、ライバル、家族、家臣の4つの側面から、
信玄自身が筆を執った書状を紹介。

「戦場」では彼の情報戦の巧妙さを感じ取れる。
自分の行動と逆の情報を流して油断させ、
その虚を突いて、一気に城を落としている。

一方で、神社に願文を捧げ、その戦況の吉凶を
占わせたといい、古くからの慣習も重んじていた、
と書いてあるんだけど、そうかな?と思った。

というのも、信玄自身がかなり信心深いこともあるけど、
その当時では、神託があれば末端の兵士まで、
神のご加護があると思って士気が上がっただろうし、
そういった活用法を見越して、
占いをしていたんじゃないかという気がするね。

「ライバル」では、徳川家康に対する書状。
信玄の外交力の強さというか、駆け引きが上手いのが
わかる格好の資料。

「家族」では、けっこう有名な資料だけど、
北条氏政室となった娘・黄梅院の安産を祈願する願文。

解説文によれば、後年八王子に居した松姫
病気回復を祈願した願文もあるそうだ。

他に次男・龍宝が疱瘡(天然痘)に罹った際、
両目とも見えなくなったら、自分の右目を以って、
龍宝の右目と交換してほしい、と訴えている。

結果的に片目で失うに留まり、僧籍に入ったわけだが、
陣中から手紙を出し、甲府を空けている間、
さぞかし不自由なことだろうと気にかけている。

後に、武田家が滅亡した後も、龍宝は生き残り、
現代に信玄の血脈を伝えている。

信玄というと、父・信虎の追放や、
長男・義信との対立から家族に対する
冷たいイメージがあるかもしれないけど。

しかし、家族とはいえ、武田軍団の構成員であり、
政治的に処断するときは、冷酷に実行している。
泣いて馬謖を斬るようなものだろう。

しかし、そういういざこざがあったからこそ
かもしれないが、人一倍家族に対する情愛は深いもの
だったのだろうな、と思わせられる。

最後に「家臣」。

現代語訳の雰囲気によるのかもしれないけど、
すごく部下への心配りが細やか。

この時代の上下関係は、下剋上の世であって、
今の上司部下などとは程遠い厳しいもの。

つらいことはよくよく承知しているが、
辛いのはお前だけじゃないのも分かってくれ、などと
家臣の気持ちを汲もうとしているところに、
信玄の信玄たる真髄を見たような気がする。

短い内容だったけど、すごく良かった。

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京都という本質。

さて、城以外にも。

烏丸御池の京都文化博物館。
東京駅に似た建物。
博物館別館にして、旧日銀京都支店。
最近、この手の洋館が気になって仕方がない。

Kyotobunka

さて、博物館だが京都自体には、
ひとつひとつとても歴史がある建物や寺社は多いが、
体系的・総合的に京都を理解する施設として、
この文化博物館がある。

京都というと伝統文化の街のような
イメージがあると思うが、
実はそれだけではないということが
改めてよく分かった気がする。

京都は1,200年の歴史を持つ街。
しかも、常に歴史の表舞台であり続けたわけで、
幾重にも渡る歴史の荒波に揉まれてきている。

貴族の世から武士の世へと歴史の担い手の
大変化があったり、首都の座を東京へ明け渡したり。
また、火災や戦乱で街が焼失したことも数知れず。
そのたびに時代に対応して街がダイナミックに変化している。

特に首都東遷による京都人の落胆はすさまじく、
天皇に従い東京へと移っていく貴人も多かったようだが、
京の町衆は、かえってその進取の気性を刺激され、
近代京都を力強く作り上げていく。

そういや、京都の大企業で世界に名だたる企業も
少なくない。京セラ、村田製作所、ローム、任天堂など、
先端技術を駆使するメーカーが多い。

強い者や正しいものが勝つのではなく、
変化に対応できるものが勝つというのは、
ドーキンス博士が推察したように、
遺伝子の世界だけではなく、文化の世界でも
当てはまるのではということを、
なによりもよく示しているような気がする。

京都は、ただ古いものを守るだけではなく、
常に新しいものを生み出そうとし、
古いものも新しいものも大切にする欲張りな街。
そういうところが都市としての強さがあるんだろうなぁ、と。
しみじみそう思いましたね。

追記
そういや、京都大学にも行ったのですが、
折田先生は撤去済みでした…orz

時計台はきれいに撮れましたが。

Kyotouni

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風林火山館。

今、大河ドラマは「功名が辻」だが、
来年は「風林火山」。

武田信玄の軍師・山本勘助が主人公、
ということで楽しみなのだが、
その撮影場所として、山梨県北杜市に
風林火山館なる施設がオープン、
というニュース。(富士の国やまなし観光ネット)

戦国時代の城郭を知る意味でも
興味深い施設になりそう。

歴史上の人物では、武田信玄に非常に
興味があるのだが、織田・豊臣の時代になったからこそ、
城郭建築の進歩があったのは確かで、
複雑な気持ちではあるのだが。

近いうちに行ってみよう。
JR小淵沢駅で小海線に乗り換え、
甲斐小泉駅から徒歩25分。

また、ドラマの放映にあわせて
風林火山博も開催予定。
2007年1月20日~2008年1月20日。
こちらは甲府駅前で。

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武田信玄という遺産。

昨日に続き、信玄ネタ。

歴史の興味のない人は、ツラいかも。
一応、ビジネスネタを締めてるんだけどね…

軽く信玄のことを知りたい人は、
こちらなんかいかがでしょうかね。

ちなみに、タイトルはこちらの文章から。
あまりに気に入ったので、タイトル名拝借しました。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

2007年の大河ドラマが「風林火山」に決まり、
功名が辻」に決まったときの高知のように、
甲府の至る所に、大河ドラマの話題が書かれてあった。

主人公は、伝説の軍師・山本勘助晴幸だが、
無論、武田信玄抜きには成り立たない。

よく鹿児島では、西郷隆盛の悪口は言えないとか、
丹波では同じく明智光秀の悪口はいえない、などというが、
山梨県における信玄に対する信仰に近い敬愛ぶりは、
それらの比ではない。

|とかく山梨県人の郷土歴史観は、
|武田氏滅亡と同時にそこで停止し、
|いきなり昭和の時代まで飛んでしまう
(以上、引用「新甲府城物語」)

とまで言われるわけであるから、
そのすごさが想像できようというものだ。

事実、地名やみやげ物など「武田」や
「信玄」を冠するものがあまりに多く、
信玄なくして山梨の観光は成り立たない。

だからこそ、信玄に頼りすぎている
歴史的資源をもう少しほかにも向けさせるべく、
甲府城天守閣の再建が必要、ということなのだろう。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

武田信玄その人に、わたしも含めて
多くの人がここまで引き付けられるのは、
なにも現代の人だけではない。

江戸時代に狂言や読物の題材として、広く庶民に紹介され、
旧武田家家臣の出世頭、柳沢吉保が敬愛し、
あれほど苦しめられた江戸幕府開祖・徳川家康
敵ながら師と仰ぎ、そしてなにより、
在世中から、家臣団・領民に信頼されていた。

楽に生活できるから、ではない。
家臣団は高いレベルの結果を求められ、
領民も軍役や徴税など、負担は大きい。

しかしそれでも、信頼されるのは、
甲斐国内に侵攻を許さず、結果にきちんと報い、
そしてなお、きっちりと気をかけてくれる。

そして彼らも進んで信玄のためを思い、
誠心誠意努力してくれる。

まさに信玄の魅力は人としての魅力であり、
そしてその人心掌握術は時空を超えて、
現代人の心までつかもうとしている、そういうことだ。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

よく戦国時代のひとが歴史に学ぶという文脈で
でてくるときには、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の
尾張三名傑を挙げて比較をすることが多いように思う。

現実問題、天下人となったのはこれらの人々だが、
こちらの文章にあるように、なにを結果として残したか、
ということが、現代を生きる鏡になるかと言えば、
どうもそうとも言い切れないようだ。

事実、信長にしても秀吉にしても、
旧い体制を打破し、新しい体制を打ち立てたが、
打ち立てるところで息絶えてしまった。

信玄は旧体制の代表みたいに、言われることがあるが、
その組織や仕事のあり方に対する哲学は、
後世まで受け継がれていく。

信長や秀吉は、何を残しただろう。
絢爛な天守閣を戴く近代城郭は確かに、彼らの遺産。
しかし、歴史上の結果やモノしての遺産は残っても、
彼らに学べるところが少ないと思ってしまう。

先ほども記したように、最終的に戦国に幕を引いた
徳川家康は、そもそも三河以来の徳川家臣団の結束が強く、
三方が原での敗北以来、信玄を師と仰ぎ、
武田家滅亡時には、いち早く甲斐・信濃に攻め込み、
旧武田家臣団を幕下に収めている。
(このときに柳沢吉保の先祖も召抱えられたのか)

こちらの文章にあるように、同じ尾張の名傑として
名前が挙がっていても、家康は信玄の影響を色濃く受け、
実質的な信玄イズムの後継者、と言えるのだろう。

息子勝頼は、凡庸な将ではなかったが、
父からの「信頼第一」の精神をあまり受け継ぐことなく、
武田家を滅亡させてしまう。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

…あの人と一緒に仕事をしたい。
…あの人が言うなら、いっちょやってみるか。
…あの人が来てから、仕事がしやすくなった。
…あの人だったら、仕事をまかしてみようか。
…あの人からなら、買ってもいいよ。

よく営業は、会社の名刺で勝負するのではなく、
自分の名前で勝負をしろ、というが、
信頼されることが、どれほど大きな力になるか。

営業だけではないと思う。
スタッフ部門であれなんであれ、
自分の仕事にかかわる人たちを気遣い、
仕事をしやすくし、信頼される。

自分は自分だけで動いているのではない。
競合他社だけではなく、自分を取り巻く同僚や
お客さんなどもすべて含めた、
より大きな意味での市場環境のなかで生きている。

自分の利益を追求するには、
自分を取り巻く環境を構成している
お客さんや同僚などの利益を図っていかないと、
自分は伸びていけないのだ。

いまでこそ、WIN-WINの関係といって、
自分の利益と他人の利益が両立する関係を
つくっていこうといっているが、
ことばこそ違え、時代を超えて通じる真理、だと思う。

早くからそれを理解していた、
武田信玄という「ビジネスパーソン」のことばで
この記事を締めくくろう。

「人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり。」
(甲陽軍鑑)

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え?同姓同名?

ちょっとネットサーフィンしていて。

三菱重工業の採用のページ。

えええっ?武田信玄さん?
ホントに?

あらら、すごいひとと同姓同名なのね。

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日付が変わる前にひとこと。

今日は、敗戦の日。

特に今年は、60年という節目の年だ。
60年というと、この年に生まれた赤ん坊が
還暦を迎える、というそういう年月だ。
人の一生の、とても長い時間が流れているのだ。

その間、不戦を訴えてきたはずの
日本の声は、どこへやら。
世界各地では、戦争の火種が
消えたためしはない。

むしろ、憎悪が憎悪を呼び、
反戦や平和という声は、平和な国でこそ、
表立って出てくるけれど、
ほんとうに必要なところでは、
無残にもかき消されてしまう。

どうして、戦争の悲惨さが
わからないんだろう、そう思う前に。

ミームの考え方を思い出してはどうだろうか。

文化の広がりを遺伝子に喩える、
というユニークなミームの考え方によれば、
メッセージのなかに、正しいとか美しいとか、
人が普通考えるプラスの価値が
含まれているからといって、
それがメッセージが拡散し、
増幅することにはつながらない。

そのメッセージが人に受け入れられるかどうか、
その一点を以って、広がっていく。

残念ながら、テロを起こす人たちや
戦争が絶えない地域の人々の中では、
平和にしよう、戦争をやめよう
というメッセージが大きな力を
持ちえないのかもしれない。

今の現状が何より、そのことを
物語っている。念仏のように唱える平和。
無力。あまりにも無力。

どうしたら彼らに「不戦」を受け入れられる、
心の環境が整うのだろう。
何も考えてこなかったくせに、
そんな答えなんて、あるはずもなく。

そう考えると、非暴力・不服従の哲学を貫き、
インドを独立に導いた
マハトマ・ガンディーを思い出す。

暴力に依らず闘い、平和を勝ち取ること。
これを実践し、また人々の心に
非暴力の精神を広げることができた
ガンディーのすごさに、改めて感じ入る。

ミームの考え方を提唱した
リチャード・ドーキンス博士のことば。
ミームについてくわしい「ミーム学ブログ」から
転載してみます。

…盲信は一切を正当化できる。(中略)
ベイルートの路上で射殺する、
ベルファストの酒場に居るところを爆弾で吹きとばす。
何でもござれだ。愛国的、政治的盲信であろうが、
宗教的盲信であろうが上記の性質は
まったく同じである。

(R.Dawkins 「The Selfish Gene」より)

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第二次大戦の考え方。

いわずと知れた今日は、
広島原爆投下の日。
今年でちょうど60年だ。

でも、原爆を投下したアメリカ、
世界唯一の被爆国となった日本。

未だその歴史の認識には大きく
隔たりがあるようだ。

家電量販店のテレビコーナーでやっていた
アメリカ人への原爆についてのアンケート。

正確な数字は憶えていないけど、
半数以上のアメリカ人が、
より迅速に戦争を終結させて
アメリカの犠牲を減らしただけでなく、
結果的には(早く終結させたことで)
多くの日本人の命も救ったのだ、
と思っているらしい。

そう、原爆の正当化。いやはや。

日本は黙っているから、
問題にならないのかもしれないが、
あれだけ被害を受けてなお
恩着せがましいことを言われるのか。

でも、考えてみれば、
中国・台湾・朝鮮の人々との関係で言えば、
日本はアメリカの立場になるんだもんな。

いつまでも固執して、
現在の関係をこじらせるのはよくないが、
放置しすぎるのもどうなのか。

日本は加害国かつ被害国。
よくよく反省しつつも、
言うべきことは、言ったほうが
いいのかもしれない。

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金箔は野望の証し?

インフォシークのニュースから。

織田信長の配下として、
出世していく羽柴秀吉が
最初に城持ちになったのが、
滋賀県の長浜城。

その長浜城の鯱(しゃちほこ)は、
実は金鯱だった、という話。

織田家が天下人の威勢を示して、
使ったであろう金箔瓦をつかって、
織田家にかわって、天下を統一する
野望をアピールしたのでは、
という憶測でているようだ。

…実際に見てみたいな。金鯱。
大阪や名古屋だけに
使わせておくのはもったいない。
事実、岡山も金鯱だし。

でも、きわめてポピュラーなカラーリングの
復元長浜城に、金鯱が合うのか…微妙。

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今頃かもしれないけど…天下を取って欲しい武将。

ココログ&はてなダイアリーの「なんでも百選」の
トラックバック企画より。
# 今頃かよ、という話もあるが(笑)

まずは、「こいつに天下を獲らせたい! 日本の戦国武将百選」。

なんだ、つまんねー回答だと言われようが、
nikko81的には武田信玄閣下に天下を取って欲しかった。

確かに信長に比べれば、
旧来の体制の中で考える人間だったかもしれない。

しかし、今でも県民に尊敬される生きかた、
いいと思うんだよな。
上司だったら、確実についていきたいと思うし。
そんな武将が創る時代を見てみたかったなぁ。

もちろん、戦国武将だ。
冷酷なところもあるけどさ。

お次は、中国史。有名な三国志ね。
こいつに天下を獲らせたい! 三国志の武将百選

うーん。好きな武将は関羽なんだけど。
でも、天下を取らせ…たくはないな。
そういうタイプじゃないし。

諸葛亮に天下を取って欲しいかな。
司馬懿に打ち勝ち、曹魏を倒して欲しい。
まー、あんなにクソマジメだと
長生きはできんかもしれんけどさ。

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