ビジネス

シゴトにする「好き」、しない「好き」。

blogs.com
ちょっと刺激されて、唐突だけど
好きなこととシゴトの関係を書いてみたり。

■好きなことをシゴトにするしあわせ、
 しないしあわせ

好きなことをシゴトにできる。
それは、どれほどしあわせなことだろうか?

なのに、シゴトにしたとたん、好きだったことの
いろんな面が見てきて、イヤになっちゃうこと、
ありそうな気はする・・・あり「そう」なだけだけど。

実のところ、わたしも好きなものに
(直接的ではないにしろ)関係するシゴトを
しているのだけど、今のところそういう感覚はない。

好きなことから離れそうに思えて、
愕然としたときはあったけど・・・

逆に、近づきすぎないのがいいのかもしれないけど、
「自分が最も好きなものを、もう純粋に楽しめなくなる」
リスクを負ってでも、もっと近づきたいとすら、
思っているくらいだから。

一方で同じ好きなことでも、例えばウイスキー業界にとか、
物書きにってのは、今はダメかもしれない。

右往左往しつつも、今の軸になるモノが
ちゃんと活きている。活きているだけじゃなく、
ちゃんと太くなりつつあることを感じているから。

他の好きなことをここまで育てるには、
やっぱりすぐにはできない。

なんてったって、そろそろ10年経つわけだからね。
そんなすぐに代替が利くわけじゃない。

だったらあくまで素人として、
ウイスキーを楽しみたいし、blogは書いてるけど、
これでお金をもらおうとは思わない。
気楽に楽しんでいたい。

つい最近も、余市&宮城峡ヴィンテージの試飲会に行くんだー
という話をしていても、そんなに好きなら、
お酒の仕事をしたいと思わないんですか、
と訊かれて、思わないねと即答する自分がいる。

「好きなものをシゴトに”しない”」っていう
しあわせって、こういうことなんだと思うんだよね。

好きなもの・ことを仕事にする喜び、
そして、好きなもの・ことを仕事にしないしあわせ。

どっちのしあわせも楽しめるというのもまた、
しあわせのひとつのカタチだと思っている。

■錨があればこそ。

だけどもし、自分がこれが好きだと思うことに、
打ち込んだがゆえに好きだと
思えなくなった
としたら・・・

想像するだけで、愕然とした事態だ。
「好きなことから離れそうに思える」ことよりも、
もっと事態は、深刻かもしれない。

かつて、出会ったことば。キャリア・アンカー
アンカーとは、船につなげる錨のこと。

できること・できないこと、
したいこと・したくないこと、
評価されること・されないこと

これを的確に分析して、何に軸を下ろすかを
明確にする考え方だ。

キャリア・アンカーの考え方って、
個人的に重要だと思うのは・・・

単に好きとか嫌い、ではなくって、
自分の能力と外部の評価、
そして、自分の心理的報酬を分けて考えるところ。

そして、ここ(日経ビジネスオンライン要登録)でも
書かれているように、
定期的に見直して、その動きをちゃんと
捉えておかないといけないんだろう、と思っている。

ある意味、何でこんなところに異動するんだろう、
と思い悩んだときも、自らが下ろしている
錨(アンカー)を見直す機会だったのかもしれない。

あのとき、どうしたらプラスになるかを考えた。
よく考えたら、なんで?という異動だったけど、
自身の錨はハッキリしていた。

そう思うと、離れそうに見えてても、
視界から消えるような場所に流されていたわけではない。

大枠では、自分の居たい位置が
みえるところには残っているということに気づく。

むしろ、流された(異動した)ことで、
アンカーのコアとなる部分(What)を
違うところからで見ることができ、本来のやりたい何か
をする上で、思考に幅ができるんじゃないか。

自分が下ろした軸の本質と向きあうことで、
そう考えることができた。

|30歳以降の脳はつながりを発見する能力が非常に伸びる、
|30歳を超えるとワインが熟成するような落ち着きが出て、
|すでに構築したネットワークを密にする時期
|に入るということも書いてあります。

あのとき、こんな引用をしている。
30代からは、つながりを発見する能力が伸びると。

引用した当時は、具体的なイメージは思い描けず
そうなのかなぁと思ってたんだけど、
今のような考え方ができたのも、ある意味、
つながりを発見した成果なのかもしれない。

やはり、同じ好きでも、質が違うんだろうな、
と感じるわけ。知っている質が違うし、
視野・視角の多様さは、及ぶべくもない。

このようにずっと向き合ってきていることは、
そうそうすぐにできるものではない。

・・・という思考ができたのも、
こういうことが好きだと、漠然と大海原を
漂っているのではなく、そこにいる明確な理由となる
錨があったからこそ、だと思っている。

日経ビジネスオンラインの男性の例は、
好きな仕事それだけを見ていて、
その仕事の何が好きなのか、その仕事の中で
何を心理的な報酬として、求めているのかを
あまり考えなかったのではないか、という気がする。

■新たなに錨を下ろす海を探すことになったら

でも、将来今のアンカーがずっと、
今投げ入れている海で、使えるかどうかわからない。

自分の軸ははっきりしている。
でも、環境が変わって、
その海では「錨」の用を成さなくなったら。

キャリア・アンカーというのは、その人の人間性や価値観、
それまでの歴史など、そうそう変えられるものではない。
日々、振り返って錨をメンテナンスしていても、
環境が変われば、その錨の使う場所を変えなくてはならない。

そのときになって初めて、好きなことを
シゴトにしないしあわせのひとつを切り崩して、
そこに錨を下ろすのだと思う。

やはり、錨を下ろすには、わたしの場合、
関心があること(=好きなこと)であることが、
どうしても必要だ。

必ずしも、皆がそうではないと思うし、
こういう考え方を強制するつもりも毛頭ないけど、
興味のないところで、自分を活かせる・・とは
とても思えない。やはり、”What”派

シゴトといえるレベルとしての
モチベーションを維持することは無理だと思っている。

そのときに、好きなもの・ことがたくさんあると
自分にとってプラスなんだろうな、と思う。
思うというか、最近そう気づいた。

|もっと、好きなものが世の中に増えたら。
|好きなものは、もっと好きに。
|興味がなかったことにも、目を向けて。

|嫌いなものもせめて嫌いじゃないように、
|あわよくば、好きになれたら。

もともとよくばりなので、なるべく好きなことや
興味のあることが増えたほうが、
楽しいに違いないと思っていたのだけど、
シゴトとの関係からも、プラスになるのかな、
と思ったりしている。

・・・随分長くなってしまった。

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働くことの・・・Where。

ずいぶん前だけど、はたらくモチベーションに
なってるのは何だろう?
という問いを立てて、
記事を書いたのですがね。

最近、こういうはたらくってことへの問い、
ってのをしてないな・・と思ってて。

記事を書いてないのは、現状に満足しているからではなく。
むしろ、満足できない環境が長く続いてるから。
いつまで雌伏すればいいのか??
いいヒトには恵まれてると思うのですけどね。

心の奥底にある、Whatの心持ちは
捨ててはいない。

自分で言うのもなんだけど、このWhatという

 What=どんな仕事をするか

ということは、いつか戻りたいという想いとして、
自分の中に根付いている。自分の持ってるツナガリを
つかって働きかけをしたりもするしね。

で・・・今日書きたかったのは、
WhatやHowということではなくって、
それ以外の疑問詞。

Whatをどんな仕事をするか、
Howをいかにして課題を解決するか、
そして、Whoをだれと仕事をするか、と考えたとき。

最近、海外では働きたくないって新人が
多いんだよねぇ
という記事とリンクしてくる。

そして、日本は海外に目を向けなくなった、
若い人たちが内向きだっていうんだ。

この記事だけじゃなく、こういう話はよく聞く。
特にケータイから流行はじめたであろう「ガラパゴス」という
ことばに絡めて、海外への活力をなくした日本という
コンテキストで、語られるような。

でもさ。天下国家の話はまぁ、さておくとして
Whereって、どこでシゴトをするかって、
シゴトのモチベーションのCoreになるんだろうか?

どんな仕事でもいい、だれともやっていきます、
とにかく海外で仕事させてくれ、と。

・・・これが、いるんだよね。そういう人。
けっこういるんだ。

ここだからいうけど、両極端なヒトが周りには多くて、
何で海外に行きたがらないの?絶対おもしろいのに!
というヒトと、海外なんて絶対ヤダと二分。

別に他人がどんなモチベーションで、
シゴトをしていても、別にいいんだけどさ。

自分はすっごい極論すると、Whereは手段。
自分が心血注いでやりたいWhatを続けるために、
舞台を海外にも求めることが必要なら、出ればいい。

でも、場所ありきって・・なんだか
自分的には考えられないなぁ・・・という感じ。

ピュアにWhatを求めたい。

よく喩えるのだけど、ホント、野球が好き。
選手にはなれないけど、
野球に対してなにか貢献したい、みたいな。
そういう一途さで、Whatを求めてる。

自分では生み出せないのだけど、
好きなものの業界にいて、なにか貢献したい。
微々たるものだけど、縁の下を持ってるっていうか。

ホントはね、こういう風に貢献したい、
こうこうこういう感じの・・・ってビジョンはあるんだけど、
まぁ、そこはオトナの世界ですから。
それがイヤなら、フリーでやる覚悟をしなくちゃ、だよね。

でも、どちらであれ、どのようにこなすか(How)、
どこでやるか(Where)、だれとするか(Who)は、
Whatのあとに出てくるものなんだよなぁ・・・

でもなぜ、Whereが大事なのか。
それは単純な好奇心のベクトルの違いという気がしてて。

プライオリティとしては、Whereは正直高くない。
むしろ、低い。それは、どこを最終ゴールに見据えるか、
の違いだと思うんだよね。そのゴールに近づくには、
ここにいるべきだ、というそういう判断。

マクロ的な視点で考えるなら・・・
仮に現実そうだとして、内向きになってる意識を
外国へより向ける動機付けを
どう導くかは必要かもしれないけど。

・・だから、わたしも他人さんに無理強いはしません。
あくまで、nikko81としての立ち位置がどうかってことで。

自分の中で大切にしている価値の中で、
自律心や好奇心に加えて、多様性ってのも大事にしたいから。

ということで、大きな目標でもないんだけど、
ここだけはブレずにいるつもり。でも、その立ち位置で、
大きなハンドルをもてるようになりたいな、と。

会社としては、こういう何をするかに
こだわるヤツって使いにくいと思うんだけどね(苦笑)

たまにはこんなつぶやきもいいかと。

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仕事における幸せの一端を検証してみる。

仕事において幸せな状態とはどんな状態か?
をあらわしたベン図が載ってる記事がありました。
誠 BizID。

●やりたいこと(What we want to do)
●できること(What we do well)
●稼げること(What we can be paid to do)

の3つが重なってくれると一番いいんですよね。

自分のやりたいと思うことをできる能力が備わり、
なおかつ、それを実行することでお金が貰え、
生活ができる…言うことナシ。

わたしの場合、4年前に仕事が大きく変わったのですが、
はじめの4年間は、

●「やりたい」し「稼げそう」だが「うまくできない」

という感じだったかも知れませんね。
正確に言うと、うまくできないというよりは、
確固たる実績を残せないというもどかしさがありました。

やりたいし、求められていることであるが故に
高くハードルを置いていたのかもしれないですけど、
結果としてついてこないと(少なくとも自分ではそう思っている)
思ってしまうのは、それはそれで鬱々とした想いが。

逆に変わってからの4年と数ヶ月(~現在)は、

●「稼げそう」だし「うまくできる」が「やりたくない」

という感じですね。このblogは2004年から書いていますが、
2005年あたりの記事を読み返してみると、
当時相当、絶望感に苛まれていたことを思い出します。

もうダメだこれは、と。この場から逃れたいと。

でも結局、やりたくないなりに、別の角度から見た
モチベーション維持を見つけられたり、
一応、同じビジネスを違う角度から見ていることになるので、
元の位置に戻ったら、アレができるな、コレもしたいな、
という視点・論点が出てきたのも事実。

そして、意外にも認めてもらえる結果につながったりね。
別に認められるために仕事してんじゃないけど、
自分でも確かにこれは、やったなという感覚はあります。

結局のところ、やりたいことをはじめからやっても
うまく行かないのかもな、と思っています。

元の位置に戻るかどうか分かりませんが、
別の角度で学んだことや、そこにいたからこそ
成長できたことを元の位置に戻ったときの強み!
としたいですね。

どうなるか分からないけどさ。

やっぱ、商売である以上、お客さんがみえるところで、
お客さんが何が欲しくて、何を考えているか、
分かりやすい、そして分からなくてはいけない、
そういうポジションで、仕事がしたいもの。

とりあえず、この数年は

|これは致命的な罠。稼ぐためにイヤイヤやっていると、
|自分のやっていることに愛着が持てず、情熱も失われる。

という罠にかからずにやってこれたけど、
この先も延々とこうだと…さすがに折れるかもな。

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立ち止まって、消費をもう一度考える。

消費とは、モノを買うとはどういうことか?
これはかつて大学で経済学に触れたときから
考え続けているテーマ。

最近は、消費の現場から遠ざかったこともあって、
腰を据えて考えたことが少なかったけど、
ほぼ日刊イトイ新聞で続けて、話題が出ていたので、
今改めて、想いの丈をつらつらと書いてみることにしたい。

●消費と真剣に向き合う覚悟がありますか?
(ダーリンコラム 5/18)

かつて、経済学を学んだときには、
消費そのものにスポットライトを当てることは、
ある種のタブーな雰囲気があったような気がする。

経済は消費、詰まるところは人間の欲求や必要から
スタートして成り立つものなのだけど。

一方で消費という行為ほど、「人間のつかみどころのなさ」を
体現したものはなく、経済学は消費を与件として、
正面から扱うことを避けてきたように思うし、
またその考え方は、今でも変わってないのではと思っている。

経営学の世界では、経済世界で向き合う対象として、
消費の分析を進めてきたけど、マーケット全体としては
消費は確かにあって、いかにそのパイをかっさらうかを
考えてきたのでは、と思っている。
専門的に学んでないので、その点は感覚論でしかないが。

イトイさんの文章にはクルマを例にとって、
クルマは売れないということはないだろう、
と思っていたのが、実はそうじゃないと分かってきた今こそ、
消費の重要性にもっと気づけるんじゃないか、
ということをコラムで書いているんだけどさ。

ものづくりの現場において、効率性や生産性への
執着は実にすさまじいものであるけれど、
その真剣さと比べると、消費の現場と向き合う立場にいると
そこまでの覚悟とパワーを持って、お客さんと向き合う
自信を持つことが、すごく難しいことのように思えて。

誤解を恐れずに言うと、効率性や生産性という概念は
すごくロジカルであって、数字できっちり「見える化」できる
ということが、目標に邁進する大きな推進力になるのだけど、
先ほど言った「人間のつかみどころのなさ」を
相手にしないといけない消費の現場は、
いつもどこか不安を抱えながら、辺りの様子を伺いつつ、
半ば自らが進む道が正しいんだと、何度も自分に
言い聞かせながら、一歩ずつ歩みを進めてきた、
どうも、そんな気がしてならない。

見えないダーツの的の中心を狙うより、
見えている的の中心を当てに行くほうが
どれだけ努力しやすいことか、想像できるだろう。

本当に消費って大切だよねと気づきすらしなかったヒトも
いるんだろうけど、大切だと分かっていても、
どう向き合っていいのか分からずに、
対峙する術が分かっているほうにからだを向けていた、
というヒトも多いんじゃないかと思う。

|「生産」が圧倒的に「消費」より重要なんだ
|というイメージは、変わってはこなかった

のではなくて、変えたくても怖くて変えられなかった。
得体の知れない「人間とは何か?」に
情熱を傾けることに怯え、避けていたからではないか?

|しかし、そこでこれまで注いできた情熱と、
|同じくらいの分量の情熱を、
|「人間は、どういうことがうれしいのか」
|「人間は、どういうものなのか」
|「人間が、いやだと思うのはどういうことなのか」
|というようなことを考えるのに、振りむけていったら、
|理論ばかりでない実感としての、
|消費の経済が見えてくるのではないだろうか。

というイトイさんの言うことは間違いなく正しいと思う。
正しいんだけど、その情熱を傾ける覚悟があるかどうか。

なにをどう考え、どうがんばればいいか分からなくて
途方にくれていた宿題に手をつけることはできるか?
問題はその壁に対峙する覚悟、そこなんだろう。

壁を登りきったヒトもいると思う。
登りかけているヒトもいるだろうし、
登る覚悟ができたというヒトもいるだろう。

でも、社会全体としては壁の前でまごまごしているような
わたしのようなヒトが多いんではないかと思うんだ。

情熱を傾けたいという思いはふつふつとあるのだけど、
その思いをぶつける術が見つからなくて、
不完全燃焼してここまで来たというのが、
考え続けてきたテーマに対するわたし自身についての
正直な感想、というところ。

●パシリをやめて話し合おう。
 (ダーリンコラム 5/11)

というところで、さらに1週前のダーリンコラムへ。

パシリ考、ということで社会全体がパシリになっていないか、
つまりは、情報の受け手の言うことを隅から隅まで聞き出し、
言われたことをしっかりと対応すぎていないか?
自ら、パシリになろうとしてないかと。

イトイさんも書いてますが、これかつて言われた
「お客様は神様です」的な考え方なんだと思うんですね。

「パシリ」的というか、「お客様は神様」的な発想には
ある重要な点があることに気づいた。

それは、ヒトとヒトの関係を簡略化させようとし、
上で書いたような「人間のつかみどころのなさ」を
本人たちの口から何をしてほしいかを言わせることで、
ある意味、効率性や生産性と向き合うのと似た感覚で、
ユーザーや顧客と向き合おうとしている、のでは?

しかし、マーケティングに少しでも携わったことがあるなら、
消費者が自分の口で話すことが、そのニーズのすべてには
決してなりえないということは、分かると思う。

以前、プロダクトアウトとマーケットインの話で、
顧客の言うことを聴きましょうというのが、
如何に危ういかと書いたことがあったけれども、
言ったことを素直にやるところには、決して感動は生まれない。

お客さんにアンケートをとる。お客さんのところに出向いて、
直接意見を聞いてみる。ユーザを集めて
意見を出し合ってもらう…等々。

そこに書いてあることをどれだけ愚直に実現するか。
これだったら、できた/できてないを
測ることはすごくやりやすいし、人間とは何かという小難しい、
そしてできることなら逃げたい宿題をやらずに済む。

「パシリ」という関係を例に出して説明するのはすごく
分かりやすいたとえだと思うんだけど、
言われたことを愚直にやる・してもらう関係って、
ごくごくミクロな個人個人の人間関係に
置き換えて考えてみれば、ホントにいい人間関係には
なりえ…ませんよね?

詳細は割愛するけど、消費者がチカラを持ち始めた
といわれ始めた頃に経済学部生として、
卒論を書いたんだけども、買い手が表現力のアップを背景に
作り手や売り手と拮抗して、コミュニケーションを深めていく
可能性を書いたんだけど、なかなかうまくはいかないみたい。

相手の立場を理解したうえで、言いたいことを言いあい、
意見に違いがあれば喧嘩もし、その中で答えを紡ぎ出していく。
実際に直接担当者とユーザが話し合うだけじゃなく、
マーケットという舞台を通してだっていい。

そのためには、言われたコトではなく、
そのバックにあるヒトを識ろうとする覚悟を持つこと。

たぶんそういう関係のなかで生まれたモノは、
マーケットインとプロダクトアウトが
会話してできた貴重な結晶。

そういうものにヒトは惹かれるんだと思っている。

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信頼獲得ゲーム。

【考察】企業の組織改善より。

ちょっとコレは別記事にしたかったので、
切り離してみたんですけどね。

記事の中にある「ビジネスは信頼獲得ゲーム」
という捉えかた。これすごく、正しい気がします。

もちろん、ビジネスでは成果を出さないといけないし、
何に達成感を感じるかを見極め、モチベーションを
どう維持するかという、セルフコントロールも
同時にやってくわけですがね。

だけど、きちんと自律的に仕事と向き合えても、
信頼がないと、成果を挙げるために
どこかギスギス感じになっちゃいそうです。

ショコラ×シングルモルトのイベントでご一緒した
「YASの湘南生活」のYasさんも、
人として愛される」と書かれていましたが、

* 横浜ベイスターズの本拠地で
* 広島カープの選手に
* 広島ファンが
* ベイスターズ時代の応援歌で応援

された石井選手なんてのは、まさにファンとの
信頼関係の証なんでしょうな。

じゃぁ、信頼ってどういう風につくるの、
という話ですが、これはイトイさんとこの
ダーリンコラムがなるほどと思わせる内容。
「ほぼ日」の約束三原則

1.できるだけ約束をする。

2.できる約束だけをして、守る。

3.約束が守れなかったら全力で謝る。

これすごく含蓄が深いな、と。
わたしが思うに、重要なポイントが2つ。

まず、できるだけ約束をする=約束をし、それを守る
ということを繰り返すということ。

一度大きな局面で背水の陣を敷いて決死の覚悟で、
約束を果たすなんていうよりも、
依頼されたことを期限までにやる、
頼まれたらまずヤダと言わずにやって、
きっちり報告する、こういう繰り返しが、
文字通り、信頼ポイントを蓄積していくんだろう。

もうひとつは、できる約束をすること。
できない約束をされて、後でごめんなさいというのは、
かなり信頼関係を挫きますね。
だったら無理って言えよ、ってね。

こういうことができるようになりたいとか、
こういった仕事をしたいという仕事の中身の希望も
もちろん強く持ってるつもりですが、
まず、人との関係構築をしっかりしておきたいですね。

一緒に仕事をした人に、いい記憶を残せる自分でありたい、
と最近、意識するようになっています。

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いい生き方をするために。

さて、ちょっと仕事、というか人生というか、
生き方そのものにも関係しそうな、
ちょっと考えさせられる記事をいくつか。

●ONとOFF、分ける?分けない?
(Microsoft Regional Director のブログ)

難しい問題なぁ。
好きなことに直結するシゴトなら、
寝食忘れて没頭できそうだけどね。

ここで書かれているような、

|ONとOFFの区別をしない人の多くは、
|結局仕事が好きだからONとOFFを区別する必要がない

というのは、的を射ている気がします。

さらにわたしとしては、仕事が好きなら
無理してON/OFFを区別しなくていいし、
そんなでもなかったら、気持ちを切り替えるために、
ON/OFF区別したらいい。

いずれにしても区別するかしないかは、
各人次第ではないか、と思いますね。

●冷静と情熱のあいだ。(IT業界のマーケティングを問う)

江國香織と辻仁成の小説じゃないが、
確かにマーケティングは、冷静と情熱の間にあるのだろうな。
DIMEなど読んでて、ヒット商品の軌跡を追うと、
こういういい商品を出したい、だけじゃないことが分かるものね。

|お客さまや市場に対して熱く自社製品や
|サービスをプロモーションすることと、
|冷静に状況を分析する客観性、
|その2つを併せ持った人物は
|ますます貴重になっていくと思います。

まさしくこういう人間になりたいものです。

●幸せの感じ方。(けんじろう と コラボろう!)

なるほど、こういう考え方も大事かなぁ。
戦略的に幸せになるという感じ?

敵を知り、己を知れば百戦危うからず、ということと
幸せに向かって資源の選択と集中、ってことだよね?

楽しさ、夢、達成感は、たしかに自分にとって、
イメージしやすいこと、しかし幸せとは?

そういや、幸せってなんだっけ?

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縦と横。

以前書いた、「What or How?」に通じる
記事かなと思い、ピックアップ。
@IT自分戦略研究所、から。

Whatと表現したものを「縦」、
Howと表現したものを「横」と表現すると、
かなり似た議論になるのではないか。

つまるところ、みなさんWhatで考えがちで、
Whatも重要だし、どれがないと仕事にならないけど、
Howも大事ではあるよ、と。

何をやるかではなく、課題に対してどう構えるか
ということは、なかなか他業種の人と比較するのは難しいし、
また、そういう機会もなかなかないもんなぁ。

いまのHow的な強みを知ることは大切ではあるな。
かならずしも、その強みを最大限に生かす仕事が
いいというわけではないが(やはりWhatとの関係がまず1番)。

とはいえ、現状を正確に分かった上で、判断するのと
そうではないのと比べると、ずいぶん違った結果になるだろう。

さて、

|自分の「縦」が通用しないような世界で時間を過ごしてみること

こういった場はどこにあるのかな。
異業種交流会とか?

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パワーブロガーは購買エージェントになりうるか?

以前書いたような消費者側に立った
消費選択をサポートする購買エージェント論

今回、その担い手をパワーブロガーとして
論じている記事を読んでみた。

要は、完全に消費者の側に立った購買エージェントは
プロ並みの知識と情報力をもったパワーブロガーだ、
というのがその要旨だと思うのだが。

パワーブロガーの影響力の強さというのは、
もちろん同意するのだが、やはり運営基盤の脆さ、
という点はあるのではないだろうか。

完全にボランティアというか、いわゆる企業活動として
やってはいないわけだから、個人的な理由で、
いつ止めないといけなくなるか分からないし。

|生産者でも消費者でもない新しい生き方

をどう支えていくのかという点が重要かと。

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What or How?

すっごい長い記事です。あしからず。

何度も何度も読んで考えていたんだけれども。
「好きを貫く」ことと企業で働くこと。

この元記事については、いろいろ賛否両論があって、
この条件に当てはまってるから大企業向きとか、
それは違うんじゃないかと。

だけど、殊自分の身の上を考えると、
自分のできることとできないことと
目指すべきところは何なんだを考えるとき、
いい示唆を与えてくれている。

やっぱり、自分の仕事を楽しむ基本は、

 What=どんな仕事をするか

であって、

 How=どのように課題を解決するか

ではない。だからこそ、仕事が変わったときに
あれこれ逡巡していたわけだ。

しかし、入社時にはなかった(わからなかった)ことが
クリアになってきたのも確かである。

それは、与えられた環境とルールの中で
目標を目指す(ここでいうHow的環境)ということに
一定の耐性があるという発見と、
自分の中で依拠できるバックボーンが付きつつある、
というレベルアップの2点だ。

まず、Howへの耐性。

企業に入るに当たって、何がしたいんだという
Whatから入っていったために、
これはやりたかったことではない
という環境の変化は、かなり動揺するできごとだった。

しかし、やってもいないのにそこから逃げるのは
癪に障るということで、受け入れることにしたわけだが、
なんだかんだといって、結局できてはいる。

むしろ、全然畑違いからやってきたのに、
「~な割りには」というより、
「むしろこっちのほうが」というムードになってきて、
それはそれで辟易するくらいに。

一番重要なことは、こんなのは本位じゃないだ!
と評価されているのに、妙に突っ張ったりとか、
かといって、無気力になり続けたりするわけでもなく
(一時的にはあるし、結構頻繁になるが)、
一方で完全に染まりきっているわけでもない、
というすごく器用な状態を続けられていることだ。

これは、結構な発見だった。
耐えられるだろうけど、どうやってそのストレスを
処理するのだろうかと思っていたんだけど、
なんか適当に飄々とストレスをスルーしているような。

ちょっと本筋から脱線するが、
こうしてうまく立ち回れているからいいものの、
今思えば、How的環境は多くの企業で
活動の基本であるような気がしていて、
就職活動に当たって、「好きを見つける」ことが
本当に大切なことなんだろうか、と思う。

むしろ、好きがあるからこそ、悩んでしまうような。
やりたいことはないんだったら、どんな課題かはさておき、
与えられた課題を解決するようなゲームを好きになれ、と言うほうが、
就職活動のアドバイスになるんじゃないだろうか。
(ある意味、受験勉強はHowを磨くためにあるのか?)

好きがある人は、それを追求するのか、諦めるのか。
好きがなかったらて、企業で生きる資質を磨け、と。

必ずしも、「好き」を基準に仕事をする人ばかりではない。
ここでいうHow的環境自体が好きというばかりではなく、
好きは仕事以外で追求するとか、仕事は生活のため、
というのも立派に働く理由なんだし。

閑話休題。

2点目のバックボーンについてだが。

新人がすぐにWhatを追求することは、
少なくとも大学卒業以前に大した社会経験のない
自分にとってみれば、無理があったのかもということだ。

そう、裏づけがないのだ。

こうしたい、ああしたいと言っても、
それには裏づけ、論拠が必要だ。
必ず他者への説得がついて回るからだ。

残念ながら自分が見えているところだけで
事業は成り立っていなくて、
異なる利害関係の調整や事業の全体像の関係が
分かっていなくちゃいけない。

…自信を持って発言し、提案する。

そのためには、ある事業を(望むか望まないかに関わらず)
多角的に見ることは必須条件であり、
今の環境を多角的な視点で見ることが
できるようになるために上手く活用できているかな、と。

こういうことがいつか読んだ本に書いてあった、

 好きなことをするためには、
 好きではないことをしないといけないように
 世の中はできている

ということなのかもしれない。

さて、この2点の重要な獲得があったとはいえ、
やはり思考回路の原則はWhatの追求である。

ここで重要なことは、こういうことではないだろうか?

◆働く基準をどこに設定するのか

(1)一貫して好きな分野に携われる道を探る

興味関心がある「好き」な分野で、
こうありたい、こうしたいというWhatを追求するのか。

(2)How環境への完全適応(宗旨替え?)

与えられた職場環境で如何にパフォーマンスを挙げるか?
という目標とルールが明確な「How」というゲームに
のめりこんで「好き」にしていくのか。

(3)開き直り

仕事は生活のためと割り切るか。

もちろん、わたしは(1)に身を置きたい。
安易に本質をWhat型をHow型には変えたくない。

当初の想定外である、今の環境に身を置くことで、
Whatへの追求は、職場環境が変わっても、
見失わないスタミナがあるかどうか、
またHow的な環境への適応能力はどうか、については
ひとまずの検証結果は、得られているように思うし、
別の観点の知識を踏まえて、やりたいことはこうあるべきだ、
という思考もできるかも、という新たな武器もできつつある。

また、そういやWhatかHowかで議論したが、
Whoという視点はまったくなかったか。

というか、その点はすごくドライで、
どんなに頼れる人がいても、ずっとその人と仕事はできないし、
だからこそ見習うところは、今見習いたいし、
その人がいなくなっても、出会ったことを自分の血肉にしたい。
誰かについていく、という考え方はしない。

そして、Whatを追いかけられる可能性がある限りは、
安易に事を運ばないようにしたい、というのが今の実感。

|大企業でWhatを貫くのは無理
(GoTheDistance)

今のポジションは、引き返せないような最果ての地ではないし、
たぶん最後まで貫くのは無理かもしれないけど、
今のステージでWhatを実現できる瞬間は体験したい。

まぁ、なんと言っても、どういう理由で働くんだ、
ということについて常に意識すること、
そして、今の環境を去るにしても、居続けるにしても、
明確に「選択する」ことだ。
なんとなく過ごすのが一番いけない。

他人からみればズルズルと
居続けているように見えているとしても、
それが自分の選択した結果であればいい。

それこそがただひとり立ちする「自立」ではなく、
あのときに大切だと感じた、「自律」の精神そのものなのだから。

◆参考記事◆
Go The Distance『大企業で働くということ』
http://d.hatena.ne.jp/gothedistance/20070503/1178198680

My Life Between Silicon Valley and Japan
『「好きを貫く」ことと大企業への就職』
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070402

My Life Between Silicon Valley and Japan
『自らの傾向や「向き不向き」に向き合うこと』
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070403/

Good-bye, My Halfway Life. :-) 荒野の直球ストレート
『自分の好きなことの追求、向き不向きと向かい合うこと、
 そして大企業で働くということ』
http://d.hatena.ne.jp/amring/20070404

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ここのところゆっくりできないなぁ…

というのは、仕事の内容が変わるため。
職種という意味では、変わらないのだけれど、
担当する分野が変わるということで。
月の最初に聞いていたんだけど、
もうそろそろ引継ぎを始めていかないと。

とはいうものの、自分だけでは
なかなか進められず、困ったもの。

引き継ぐほうは、なんか未だにピンと来てないし、
英語力をちょっと使いそうな環境で…どきどき。

関連部門からも、どゆことこれ、みたいなクレーム。
いやいや、いきなり言われても、知らんがな。
最初は言われたとおりにやるしかないんだし。

引き継がせるほうも、相手が忙しくほぼノータッチ。
関連部門から、担当変更など困ると懇願もされ。
信頼してくれているのは、とてもうれしいのだけれど。

人一人がいなくなったからって、
仕事が回らないようであれば、
それはマネージャの責任なんだけどな。

なーんか、いろいろ心配だ。

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