ビジネス

仕事における幸せの一端を検証してみる。

仕事において幸せな状態とはどんな状態か?
をあらわしたベン図が載ってる記事がありました。
誠 BizID。

●やりたいこと(What we want to do)
●できること(What we do well)
●稼げること(What we can be paid to do)

の3つが重なってくれると一番いいんですよね。

自分のやりたいと思うことをできる能力が備わり、
なおかつ、それを実行することでお金が貰え、
生活ができる…言うことナシ。

わたしの場合、4年前に仕事が大きく変わったのですが、
はじめの4年間は、

●「やりたい」し「稼げそう」だが「うまくできない」

という感じだったかも知れませんね。
正確に言うと、うまくできないというよりは、
確固たる実績を残せないというもどかしさがありました。

やりたいし、求められていることであるが故に
高くハードルを置いていたのかもしれないですけど、
結果としてついてこないと(少なくとも自分ではそう思っている)
思ってしまうのは、それはそれで鬱々とした想いが。

逆に変わってからの4年と数ヶ月(~現在)は、

●「稼げそう」だし「うまくできる」が「やりたくない」

という感じですね。このblogは2004年から書いていますが、
2005年あたりの記事を読み返してみると、
当時相当、絶望感に苛まれていたことを思い出します。

もうダメだこれは、と。この場から逃れたいと。

でも結局、やりたくないなりに、別の角度から見た
モチベーション維持を見つけられたり、
一応、同じビジネスを違う角度から見ていることになるので、
元の位置に戻ったら、アレができるな、コレもしたいな、
という視点・論点が出てきたのも事実。

そして、意外にも認めてもらえる結果につながったりね。
別に認められるために仕事してんじゃないけど、
自分でも確かにこれは、やったなという感覚はあります。

結局のところ、やりたいことをはじめからやっても
うまく行かないのかもな、と思っています。

元の位置に戻るかどうか分かりませんが、
別の角度で学んだことや、そこにいたからこそ
成長できたことを元の位置に戻ったときの強み!
としたいですね。

どうなるか分からないけどさ。

やっぱ、商売である以上、お客さんがみえるところで、
お客さんが何が欲しくて、何を考えているか、
分かりやすい、そして分からなくてはいけない、
そういうポジションで、仕事がしたいもの。

とりあえず、この数年は

|これは致命的な罠。稼ぐためにイヤイヤやっていると、
|自分のやっていることに愛着が持てず、情熱も失われる。

という罠にかからずにやってこれたけど、
この先も延々とこうだと…さすがに折れるかもな。

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立ち止まって、消費をもう一度考える。

消費とは、モノを買うとはどういうことか?
これはかつて大学で経済学に触れたときから
考え続けているテーマ。

最近は、消費の現場から遠ざかったこともあって、
腰を据えて考えたことが少なかったけど、
ほぼ日刊イトイ新聞で続けて、話題が出ていたので、
今改めて、想いの丈をつらつらと書いてみることにしたい。

●消費と真剣に向き合う覚悟がありますか?
(ダーリンコラム 5/18)

かつて、経済学を学んだときには、
消費そのものにスポットライトを当てることは、
ある種のタブーな雰囲気があったような気がする。

経済は消費、詰まるところは人間の欲求や必要から
スタートして成り立つものなのだけど。

一方で消費という行為ほど、「人間のつかみどころのなさ」を
体現したものはなく、経済学は消費を与件として、
正面から扱うことを避けてきたように思うし、
またその考え方は、今でも変わってないのではと思っている。

経営学の世界では、経済世界で向き合う対象として、
消費の分析を進めてきたけど、マーケット全体としては
消費は確かにあって、いかにそのパイをかっさらうかを
考えてきたのでは、と思っている。
専門的に学んでないので、その点は感覚論でしかないが。

イトイさんの文章にはクルマを例にとって、
クルマは売れないということはないだろう、
と思っていたのが、実はそうじゃないと分かってきた今こそ、
消費の重要性にもっと気づけるんじゃないか、
ということをコラムで書いているんだけどさ。

ものづくりの現場において、効率性や生産性への
執着は実にすさまじいものであるけれど、
その真剣さと比べると、消費の現場と向き合う立場にいると
そこまでの覚悟とパワーを持って、お客さんと向き合う
自信を持つことが、すごく難しいことのように思えて。

誤解を恐れずに言うと、効率性や生産性という概念は
すごくロジカルであって、数字できっちり「見える化」できる
ということが、目標に邁進する大きな推進力になるのだけど、
先ほど言った「人間のつかみどころのなさ」を
相手にしないといけない消費の現場は、
いつもどこか不安を抱えながら、辺りの様子を伺いつつ、
半ば自らが進む道が正しいんだと、何度も自分に
言い聞かせながら、一歩ずつ歩みを進めてきた、
どうも、そんな気がしてならない。

見えないダーツの的の中心を狙うより、
見えている的の中心を当てに行くほうが
どれだけ努力しやすいことか、想像できるだろう。

本当に消費って大切だよねと気づきすらしなかったヒトも
いるんだろうけど、大切だと分かっていても、
どう向き合っていいのか分からずに、
対峙する術が分かっているほうにからだを向けていた、
というヒトも多いんじゃないかと思う。

|「生産」が圧倒的に「消費」より重要なんだ
|というイメージは、変わってはこなかった

のではなくて、変えたくても怖くて変えられなかった。
得体の知れない「人間とは何か?」に
情熱を傾けることに怯え、避けていたからではないか?

|しかし、そこでこれまで注いできた情熱と、
|同じくらいの分量の情熱を、
|「人間は、どういうことがうれしいのか」
|「人間は、どういうものなのか」
|「人間が、いやだと思うのはどういうことなのか」
|というようなことを考えるのに、振りむけていったら、
|理論ばかりでない実感としての、
|消費の経済が見えてくるのではないだろうか。

というイトイさんの言うことは間違いなく正しいと思う。
正しいんだけど、その情熱を傾ける覚悟があるかどうか。

なにをどう考え、どうがんばればいいか分からなくて
途方にくれていた宿題に手をつけることはできるか?
問題はその壁に対峙する覚悟、そこなんだろう。

壁を登りきったヒトもいると思う。
登りかけているヒトもいるだろうし、
登る覚悟ができたというヒトもいるだろう。

でも、社会全体としては壁の前でまごまごしているような
わたしのようなヒトが多いんではないかと思うんだ。

情熱を傾けたいという思いはふつふつとあるのだけど、
その思いをぶつける術が見つからなくて、
不完全燃焼してここまで来たというのが、
考え続けてきたテーマに対するわたし自身についての
正直な感想、というところ。

●パシリをやめて話し合おう。
 (ダーリンコラム 5/11)

というところで、さらに1週前のダーリンコラムへ。

パシリ考、ということで社会全体がパシリになっていないか、
つまりは、情報の受け手の言うことを隅から隅まで聞き出し、
言われたことをしっかりと対応すぎていないか?
自ら、パシリになろうとしてないかと。

イトイさんも書いてますが、これかつて言われた
「お客様は神様です」的な考え方なんだと思うんですね。

「パシリ」的というか、「お客様は神様」的な発想には
ある重要な点があることに気づいた。

それは、ヒトとヒトの関係を簡略化させようとし、
上で書いたような「人間のつかみどころのなさ」を
本人たちの口から何をしてほしいかを言わせることで、
ある意味、効率性や生産性と向き合うのと似た感覚で、
ユーザーや顧客と向き合おうとしている、のでは?

しかし、マーケティングに少しでも携わったことがあるなら、
消費者が自分の口で話すことが、そのニーズのすべてには
決してなりえないということは、分かると思う。

以前、プロダクトアウトとマーケットインの話で、
顧客の言うことを聴きましょうというのが、
如何に危ういかと書いたことがあったけれども、
言ったことを素直にやるところには、決して感動は生まれない。

お客さんにアンケートをとる。お客さんのところに出向いて、
直接意見を聞いてみる。ユーザを集めて
意見を出し合ってもらう…等々。

そこに書いてあることをどれだけ愚直に実現するか。
これだったら、できた/できてないを
測ることはすごくやりやすいし、人間とは何かという小難しい、
そしてできることなら逃げたい宿題をやらずに済む。

「パシリ」という関係を例に出して説明するのはすごく
分かりやすいたとえだと思うんだけど、
言われたことを愚直にやる・してもらう関係って、
ごくごくミクロな個人個人の人間関係に
置き換えて考えてみれば、ホントにいい人間関係には
なりえ…ませんよね?

詳細は割愛するけど、消費者がチカラを持ち始めた
といわれ始めた頃に経済学部生として、
卒論を書いたんだけども、買い手が表現力のアップを背景に
作り手や売り手と拮抗して、コミュニケーションを深めていく
可能性を書いたんだけど、なかなかうまくはいかないみたい。

相手の立場を理解したうえで、言いたいことを言いあい、
意見に違いがあれば喧嘩もし、その中で答えを紡ぎ出していく。
実際に直接担当者とユーザが話し合うだけじゃなく、
マーケットという舞台を通してだっていい。

そのためには、言われたコトではなく、
そのバックにあるヒトを識ろうとする覚悟を持つこと。

たぶんそういう関係のなかで生まれたモノは、
マーケットインとプロダクトアウトが
会話してできた貴重な結晶。

そういうものにヒトは惹かれるんだと思っている。

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信頼獲得ゲーム。

【考察】企業の組織改善より。

ちょっとコレは別記事にしたかったので、
切り離してみたんですけどね。

記事の中にある「ビジネスは信頼獲得ゲーム」
という捉えかた。これすごく、正しい気がします。

もちろん、ビジネスでは成果を出さないといけないし、
何に達成感を感じるかを見極め、モチベーションを
どう維持するかという、セルフコントロールも
同時にやってくわけですがね。

だけど、きちんと自律的に仕事と向き合えても、
信頼がないと、成果を挙げるために
どこかギスギス感じになっちゃいそうです。

ショコラ×シングルモルトのイベントでご一緒した
「YASの湘南生活」のYasさんも、
人として愛される」と書かれていましたが、

* 横浜ベイスターズの本拠地で
* 広島カープの選手に
* 広島ファンが
* ベイスターズ時代の応援歌で応援

された石井選手なんてのは、まさにファンとの
信頼関係の証なんでしょうな。

じゃぁ、信頼ってどういう風につくるの、
という話ですが、これはイトイさんとこの
ダーリンコラムがなるほどと思わせる内容。
「ほぼ日」の約束三原則

1.できるだけ約束をする。

2.できる約束だけをして、守る。

3.約束が守れなかったら全力で謝る。

これすごく含蓄が深いな、と。
わたしが思うに、重要なポイントが2つ。

まず、できるだけ約束をする=約束をし、それを守る
ということを繰り返すということ。

一度大きな局面で背水の陣を敷いて決死の覚悟で、
約束を果たすなんていうよりも、
依頼されたことを期限までにやる、
頼まれたらまずヤダと言わずにやって、
きっちり報告する、こういう繰り返しが、
文字通り、信頼ポイントを蓄積していくんだろう。

もうひとつは、できる約束をすること。
できない約束をされて、後でごめんなさいというのは、
かなり信頼関係を挫きますね。
だったら無理って言えよ、ってね。

こういうことができるようになりたいとか、
こういった仕事をしたいという仕事の中身の希望も
もちろん強く持ってるつもりですが、
まず、人との関係構築をしっかりしておきたいですね。

一緒に仕事をした人に、いい記憶を残せる自分でありたい、
と最近、意識するようになっています。

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いい生き方をするために。

さて、ちょっと仕事、というか人生というか、
生き方そのものにも関係しそうな、
ちょっと考えさせられる記事をいくつか。

●ONとOFF、分ける?分けない?
(Microsoft Regional Director のブログ)

難しい問題なぁ。
好きなことに直結するシゴトなら、
寝食忘れて没頭できそうだけどね。

ここで書かれているような、

|ONとOFFの区別をしない人の多くは、
|結局仕事が好きだからONとOFFを区別する必要がない

というのは、的を射ている気がします。

さらにわたしとしては、仕事が好きなら
無理してON/OFFを区別しなくていいし、
そんなでもなかったら、気持ちを切り替えるために、
ON/OFF区別したらいい。

いずれにしても区別するかしないかは、
各人次第ではないか、と思いますね。

●冷静と情熱のあいだ。(IT業界のマーケティングを問う)

江國香織と辻仁成の小説じゃないが、
確かにマーケティングは、冷静と情熱の間にあるのだろうな。
DIMEなど読んでて、ヒット商品の軌跡を追うと、
こういういい商品を出したい、だけじゃないことが分かるものね。

|お客さまや市場に対して熱く自社製品や
|サービスをプロモーションすることと、
|冷静に状況を分析する客観性、
|その2つを併せ持った人物は
|ますます貴重になっていくと思います。

まさしくこういう人間になりたいものです。

●幸せの感じ方。(けんじろう と コラボろう!)

なるほど、こういう考え方も大事かなぁ。
戦略的に幸せになるという感じ?

敵を知り、己を知れば百戦危うからず、ということと
幸せに向かって資源の選択と集中、ってことだよね?

楽しさ、夢、達成感は、たしかに自分にとって、
イメージしやすいこと、しかし幸せとは?

そういや、幸せってなんだっけ?

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縦と横。

以前書いた、「What or How?」に通じる
記事かなと思い、ピックアップ。
@IT自分戦略研究所、から。

Whatと表現したものを「縦」、
Howと表現したものを「横」と表現すると、
かなり似た議論になるのではないか。

つまるところ、みなさんWhatで考えがちで、
Whatも重要だし、どれがないと仕事にならないけど、
Howも大事ではあるよ、と。

何をやるかではなく、課題に対してどう構えるか
ということは、なかなか他業種の人と比較するのは難しいし、
また、そういう機会もなかなかないもんなぁ。

いまのHow的な強みを知ることは大切ではあるな。
かならずしも、その強みを最大限に生かす仕事が
いいというわけではないが(やはりWhatとの関係がまず1番)。

とはいえ、現状を正確に分かった上で、判断するのと
そうではないのと比べると、ずいぶん違った結果になるだろう。

さて、

|自分の「縦」が通用しないような世界で時間を過ごしてみること

こういった場はどこにあるのかな。
異業種交流会とか?

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パワーブロガーは購買エージェントになりうるか?

以前書いたような消費者側に立った
消費選択をサポートする購買エージェント論

今回、その担い手をパワーブロガーとして
論じている記事を読んでみた。

要は、完全に消費者の側に立った購買エージェントは
プロ並みの知識と情報力をもったパワーブロガーだ、
というのがその要旨だと思うのだが。

パワーブロガーの影響力の強さというのは、
もちろん同意するのだが、やはり運営基盤の脆さ、
という点はあるのではないだろうか。

完全にボランティアというか、いわゆる企業活動として
やってはいないわけだから、個人的な理由で、
いつ止めないといけなくなるか分からないし。

|生産者でも消費者でもない新しい生き方

をどう支えていくのかという点が重要かと。

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What or How?

すっごい長い記事です。あしからず。

何度も何度も読んで考えていたんだけれども。
「好きを貫く」ことと企業で働くこと。

この元記事については、いろいろ賛否両論があって、
この条件に当てはまってるから大企業向きとか、
それは違うんじゃないかと。

だけど、殊自分の身の上を考えると、
自分のできることとできないことと
目指すべきところは何なんだを考えるとき、
いい示唆を与えてくれている。

やっぱり、自分の仕事を楽しむ基本は、

 What=どんな仕事をするか

であって、

 How=どのように課題を解決するか

ではない。だからこそ、仕事が変わったときに
あれこれ逡巡していたわけだ。

しかし、入社時にはなかった(わからなかった)ことが
クリアになってきたのも確かである。

それは、与えられた環境とルールの中で
目標を目指す(ここでいうHow的環境)ということに
一定の耐性があるという発見と、
自分の中で依拠できるバックボーンが付きつつある、
というレベルアップの2点だ。

まず、Howへの耐性。

企業に入るに当たって、何がしたいんだという
Whatから入っていったために、
これはやりたかったことではない
という環境の変化は、かなり動揺するできごとだった。

しかし、やってもいないのにそこから逃げるのは
癪に障るということで、受け入れることにしたわけだが、
なんだかんだといって、結局できてはいる。

むしろ、全然畑違いからやってきたのに、
「~な割りには」というより、
「むしろこっちのほうが」というムードになってきて、
それはそれで辟易するくらいに。

一番重要なことは、こんなのは本位じゃないだ!
と評価されているのに、妙に突っ張ったりとか、
かといって、無気力になり続けたりするわけでもなく
(一時的にはあるし、結構頻繁になるが)、
一方で完全に染まりきっているわけでもない、
というすごく器用な状態を続けられていることだ。

これは、結構な発見だった。
耐えられるだろうけど、どうやってそのストレスを
処理するのだろうかと思っていたんだけど、
なんか適当に飄々とストレスをスルーしているような。

ちょっと本筋から脱線するが、
こうしてうまく立ち回れているからいいものの、
今思えば、How的環境は多くの企業で
活動の基本であるような気がしていて、
就職活動に当たって、「好きを見つける」ことが
本当に大切なことなんだろうか、と思う。

むしろ、好きがあるからこそ、悩んでしまうような。
やりたいことはないんだったら、どんな課題かはさておき、
与えられた課題を解決するようなゲームを好きになれ、と言うほうが、
就職活動のアドバイスになるんじゃないだろうか。
(ある意味、受験勉強はHowを磨くためにあるのか?)

好きがある人は、それを追求するのか、諦めるのか。
好きがなかったらて、企業で生きる資質を磨け、と。

必ずしも、「好き」を基準に仕事をする人ばかりではない。
ここでいうHow的環境自体が好きというばかりではなく、
好きは仕事以外で追求するとか、仕事は生活のため、
というのも立派に働く理由なんだし。

閑話休題。

2点目のバックボーンについてだが。

新人がすぐにWhatを追求することは、
少なくとも大学卒業以前に大した社会経験のない
自分にとってみれば、無理があったのかもということだ。

そう、裏づけがないのだ。

こうしたい、ああしたいと言っても、
それには裏づけ、論拠が必要だ。
必ず他者への説得がついて回るからだ。

残念ながら自分が見えているところだけで
事業は成り立っていなくて、
異なる利害関係の調整や事業の全体像の関係が
分かっていなくちゃいけない。

…自信を持って発言し、提案する。

そのためには、ある事業を(望むか望まないかに関わらず)
多角的に見ることは必須条件であり、
今の環境を多角的な視点で見ることが
できるようになるために上手く活用できているかな、と。

こういうことがいつか読んだ本に書いてあった、

 好きなことをするためには、
 好きではないことをしないといけないように
 世の中はできている

ということなのかもしれない。

さて、この2点の重要な獲得があったとはいえ、
やはり思考回路の原則はWhatの追求である。

ここで重要なことは、こういうことではないだろうか?

◆働く基準をどこに設定するのか

(1)一貫して好きな分野に携われる道を探る

興味関心がある「好き」な分野で、
こうありたい、こうしたいというWhatを追求するのか。

(2)How環境への完全適応(宗旨替え?)

与えられた職場環境で如何にパフォーマンスを挙げるか?
という目標とルールが明確な「How」というゲームに
のめりこんで「好き」にしていくのか。

(3)開き直り

仕事は生活のためと割り切るか。

もちろん、わたしは(1)に身を置きたい。
安易に本質をWhat型をHow型には変えたくない。

当初の想定外である、今の環境に身を置くことで、
Whatへの追求は、職場環境が変わっても、
見失わないスタミナがあるかどうか、
またHow的な環境への適応能力はどうか、については
ひとまずの検証結果は、得られているように思うし、
別の観点の知識を踏まえて、やりたいことはこうあるべきだ、
という思考もできるかも、という新たな武器もできつつある。

また、そういやWhatかHowかで議論したが、
Whoという視点はまったくなかったか。

というか、その点はすごくドライで、
どんなに頼れる人がいても、ずっとその人と仕事はできないし、
だからこそ見習うところは、今見習いたいし、
その人がいなくなっても、出会ったことを自分の血肉にしたい。
誰かについていく、という考え方はしない。

そして、Whatを追いかけられる可能性がある限りは、
安易に事を運ばないようにしたい、というのが今の実感。

|大企業でWhatを貫くのは無理
(GoTheDistance)

今のポジションは、引き返せないような最果ての地ではないし、
たぶん最後まで貫くのは無理かもしれないけど、
今のステージでWhatを実現できる瞬間は体験したい。

まぁ、なんと言っても、どういう理由で働くんだ、
ということについて常に意識すること、
そして、今の環境を去るにしても、居続けるにしても、
明確に「選択する」ことだ。
なんとなく過ごすのが一番いけない。

他人からみればズルズルと
居続けているように見えているとしても、
それが自分の選択した結果であればいい。

それこそがただひとり立ちする「自立」ではなく、
あのときに大切だと感じた、「自律」の精神そのものなのだから。

◆参考記事◆
Go The Distance『大企業で働くということ』
http://d.hatena.ne.jp/gothedistance/20070503/1178198680

My Life Between Silicon Valley and Japan
『「好きを貫く」ことと大企業への就職』
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070402

My Life Between Silicon Valley and Japan
『自らの傾向や「向き不向き」に向き合うこと』
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070403/

Good-bye, My Halfway Life. :-) 荒野の直球ストレート
『自分の好きなことの追求、向き不向きと向かい合うこと、
 そして大企業で働くということ』
http://d.hatena.ne.jp/amring/20070404

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ここのところゆっくりできないなぁ…

というのは、仕事の内容が変わるため。
職種という意味では、変わらないのだけれど、
担当する分野が変わるということで。
月の最初に聞いていたんだけど、
もうそろそろ引継ぎを始めていかないと。

とはいうものの、自分だけでは
なかなか進められず、困ったもの。

引き継ぐほうは、なんか未だにピンと来てないし、
英語力をちょっと使いそうな環境で…どきどき。

関連部門からも、どゆことこれ、みたいなクレーム。
いやいや、いきなり言われても、知らんがな。
最初は言われたとおりにやるしかないんだし。

引き継がせるほうも、相手が忙しくほぼノータッチ。
関連部門から、担当変更など困ると懇願もされ。
信頼してくれているのは、とてもうれしいのだけれど。

人一人がいなくなったからって、
仕事が回らないようであれば、
それはマネージャの責任なんだけどな。

なーんか、いろいろ心配だ。

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会話する「商品力」

とても興味深いエントリ
(経営者倶楽部)

新しさの価値の下落は、
従来と違うというフレコミへの
信頼感の低下にある、と。
言ってることが信用ならぬ、と。

そう、それはよく感じる。

新しいものを次から次へと
出していかなくてはいかない時代。
根本的な新しさがあるわけでもないのに、
「新しい」といわねばならぬ、
市場の矛盾がそこにある。

他社と差を出し、しかも短期間に出さねば、
という目先のことで頭がいっぱいで、
新しいという価値が磨耗させているような。

自分に目が向いていない人たちに、
何か面白いことがあるかもと、
どうして期待することができようか。
企業と消費者の関係だって同じだ。

よくお客様の意見を大切にする、
ということでマーケットインの考え方ではないとダメだ、
といわれるが、その考え方は危ういと思っている。

もちろん、作り手のエゴという面があったからこそ、
マーケットインの発想が出てきたわけだが、
いわれたこと(消費者の声)だけを反映した、
いわば、市場の言いなりの商品には感動はない。

それは、消費者のメッセージと
コミュニケーションしていないから。

言われたことをそのままやるだけ、
ということを人と人との関係に置き換えればいい。
そこにコミュニケーションがあるといえるか?

いわれたことをそのまま、ではなく
言われたこと以上に、あるいはアレンジして、
見せてほしい、それが消費者の声だ。
少なくとも、わたしはそういうことを
考えられたモノがほしい。

マーケットインとプロダクトアウト、
どっちが正しい、どっちが間違いではなく、
マーケットインとプロダクトアウトが、
会話しあえる市場、それが健全なんだろう。

記事では、感動することができる
想像をかきたてられる商品とは、
まず、つくりての豊かな想像力でつくられたものでは、
というくだりが最後のほうにある。

それは、とりもなおさず、
「各メーカーの思想や価値観が前面に出た」商品
であり、わたしたちはこう思っている、
あなた方はどうですか、という会話の姿勢がある
商品のことである、とわたしは思うのだが…
いかがだろうか。

…興味深い話だと思ったら、
昔おもしろいなぁ、と思った本「消費の正解」の
著者の一人でした。だからか。

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可処分時間のマネジメント。

Itmedia内のシリアルイノベーション
というブログから。

記事の中にあった「可処分時間」という
ことばに惹かれて読んでみる。

経済学や経営学の分野で、可処分所得
というのはよく聞くことばである。

いわゆる、手取り収入のことであり、
税金やら社会保険料やら、
あれこれ差っぴかれた後に、
自分の口座に残る金額のこと。

これを原資としていろいろ消費活動に
振り分けていくのだけれど。

消費活動には、お金だけじゃ進まないことがある。
そう、時間も必要なのだ。

残業しまくって稼いだとしても、
結局、使う時間がなければ、使われない。

そういう意味で、消費という活動に割ける時間
ということも考えなくちゃいけない、
と思っていたんだけれども、
やはり同じことを考えている人はいるもんなんだ。

どうしてもやらなくてはいけないこと、
自分の興味のあることや好きなこと、
にどうしても時間を費やすもの。

ということは、まず興味を持ってもらわないといけないし、
他に興味を持っていることと競争して、
他よりももっと時間を費やしてもらわないといけない。

ある種、消費者の心の中に占めるシェアである
マインドシェアとも関係が深いのかも。

個人的には、エンターテイメントの領域だけではなく、
その日1日のなかでどんなものに関心を持って、
人々は暮らしているかということが知りたい。

消費者の視点から言うと、可処分時間のうち、
どういうことに一番時間をとられているのか、
でも本当は、どういうことに時間を使いたいのか、
というタイムマネジメントが必要なはず。

以前書いた「購買エージェント」というひとは、
こういうタイムマネジメントをするひとに対して、
適切な結果だけほしいモノについて、
きっちりとアドバイスする仕事、なのだろうな。

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