すっかりblogというよりも…だけど。
2/1はblogをはじめた、というか、Webサイトから切り替えた日。
ちょうど20年になる。ただ、Twitterをはじめたのも揃え、
こちらは13年。Xなどという、いかがわしい名前になっても、
存在感としては、やはりTwitterの方が大きく、すっかり、
blogの記念日というより、Twitterの記念日になっている…が。
すっかり、blogという存在の影が薄くなり、
長文でアウトプットするなら、今やnoteなのだろうけど、
同じにプラットフォームに居続けられるという安心感。
niftyにはがんばってほしいものである。
変わっていくもの、新たに生まれるもの…とかく、
Webサービスとしてはそういうのが多い中で、
続いていくものというのは、大事にしたい。
Twitterが信用ならないので、代替として新しく始めてみたのも
たくさんあるけれど、Mastodonにしても、BlueSkyにしても、
タイッツーにしても、やはりそれぞれの世界が形成されていく。
たとえ、それらがFediverseとして連合したとしても、
それもまた独自の何かになっていくことだろう。
blogというプラットフォーム、当初はトラックバックといった
異なるblog記事間でつながれる仕組みはあったけど、すっかり廃れていて、
「つながる」という側面はほぼなく、逆につながらずに、
壁打ちに近い想いの吐き出しができる環境のひとつになっている。
そういう「つながる」のは、それこそSNSに持って行かれてるだろうから、
今更、blogにはなくていいのだけど、これからどう
生き残っていくのだろう、とボンヤリ考えてみる。
noteは有料コンテンツ化可能だったり、カネの匂いがするのが気になるけど、
それを除けば、盛り上がっているという以外に特筆すべきものを感じない。
SNSとは違う、思いの丈を思いっきり吐き出すもの、短文を大量に、ではなく
まとまった文章を表出させるものとして、どういう進化があり得るのだろう。
もちろん、地殻変動のような、大きな変化は求めていないのだけど、
ある種の伝統産業のような、昔ながらのやり方を頑固に…というものでもあるまい。
十年一昔、とは言うものの、あまりに世の中が変化しすぎて、
もはや10年じゃないよね、と考えて調べてみると、こんな記事がある。
ということを考えると、blogサービスはそれ以上であって、
ココログの開始は2003年12月で、ライブドアブログやはてなブログあたりも同じ年。
当時からこういうトレンドは結構みていたので、始めたのはかなり早かった。
それからblogがどう変遷してきたのか、あんまり正確に把握してきてはいないけど、
ある程度の小さな変化はあってほしい、でもサ終含む大きな変化は要らない…
という、わがままを抱きつつ、あと10年20年30年と書き続けていきたいな。
今年になって、BlueSkyは日記として利用してみているのだけど、
またそれとも違った、ある程度間隔を置いた振り返りをするツールとして、ね。
Twitter登場前は、今のTwitterみたいな時事ネタへの反応や、
旅の記録みたいなのも、全部blogだったから、位置づけが変わっていくのは、
SNSが割拠するこれからの影響を受けて、blogの位置づけもまだまだ変わるかもね。
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