人生の着地をする準備。
前身のWebサイトを始めてから23年。
当時23歳だったということは、ちょうど人生の半分、
何らかの形で、思いの丈を吐き出し続けてきた、わけだ。
当時は思った道で、何かをを成そうとしていたことを思うと、
忸怩たる思いも残ってはいるが、その一方で、もはや
「その道で何かを成す」こと自体、今では意味が失われてしまったわけで。
つくづく目標の立て方がよくなかったなと思ったりもするが、結果論。
当時はそれ以外になかったかな。
それでも様々な好奇心は、時に自重しないといけないほどいくつも持ち続けて、
各々経験と知識をつけて楽しみ、それなりに忙しく過ごせていて、
思い描いた道から逸れた割には、一定のしあわせさを噛みしめられている。
先日、終活ノートの話題を目にして、ああ、必要だな…と切実に思えてきた。
人生の幕引きくらいは長い時間をかけて、しっかり準備して
悔いの残らないようにしないと、と。
ま、死ねば悔いもないわけだけれど、自己満足の一環として、ね。
自分の親の終活の見事さには、本当に頭が下がるのだけど、
それは人生60年を区切りとして、そこから逆に今に向かって目標を立てて、
その軸がブレることなく、変化に対応できる人であり、時代であり、
環境だったからこそ、とも思うわけで。
いや、今でもそういう決意の仕方をして、やり遂げる人も
中にはいるのかもしれないけど・・・
言い訳じみているが、自分が社会に出てからの
世の中に変化に即応しつつ、そのような計画的な生き方は、
ついぞ、することは叶わなかった…のだけど、
自分が大切に思うに至ったあれこれを手放す、そのあり方くらいは、
うまく着地させてみたいものである。
自分自身では、今そこまで年齢を重ねてきたと実感を強く持つような、
具体的な心身の変調はないし、大減量をしてからというもの、
からだへの関心がすごく高まっている。
ただ、人生の半ばを過ぎたなという感覚は、おぼろげながらであれ、
人生の着地点を意識することへとつながっていて、
これは両親と死別したことも相俟ってか、これまでにない感覚。
終活ノートのツイート投稿者の思いとしては、
老いも若きもいつ死ぬかはわからないということに
備えてのことで、それはそれで意味がある。
ただ、それだけでなく、なんというか、心身が明確に変わって老いる前の、
老いる準備として必要だな…と思ってたのはこれかもな、と。
人間関係や関心事の棚卸や、自分を形作ってきた結果としての、
「日光氏の文物」の行方だとか…いろんな後始末。
いわゆる遺言的なものの標準に加え、親がわたしに遺したときの
過程なんかも参考になるが、一連のツイートは参考になった。
今までから思い返してきたことだけでなく、こういうことも
事前に決めておかないとな…とたくさん気づきがある。
そして、これらを明確な、でも遠い先(と思っている)ターゲットを
意識しながら、カタチにしていく作業。
独り身で年を重ねるからこそ、特に早めに意識するのだろうだけど、
本当はDINKSでも、お子さんがいる家庭でも、
必要なことなんだろう…楽しんで生きて、じゃっ!あとはお好きに!
という人でない限り(これはこれでいそう)はね…
あと、、託す人探しかな。血のつながった家族でも、
人生のパートナーでも必ずしもない、後始末を託せる人。
多様な生き方が併存する今こそ、特に「託す人探し」は大事かも。
その人と関係性を維持し続けられるかも、わからないわけだが…
そう思っていても、結局完遂できずに終わってしまうかもしれないけど、
長い目でみて、できることをやってみよう。新たな楽しみでもある。
からだが思うようにならず、だるく苦しいながらも、
託せる人にすべて思うように託せられて、
安心した表情をしていた親父を思い出しながら。
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