かわいい
唐突ですが、、、わたしにとっては、「かわいい」って解りにくいんですよね。傾向的に男性のほうがそうだったりするかもしれませんが、単純にそうとも思えず、「かわいい」とは何かを科学的に(かつ手軽に)知りたい欲があったりします…ということで、ちょっとザザッと検索してあれこれ考えてみました。行動科学の観点から「かわいい」の研究をされている方がいるんですね。
こちらの記事も参考にはなるのですが、海外でも知られる「kawaii」との比較に重点が置かれているので、関心事とのズレがあります。とはいえ『「なんとなく分かるでしょう」で済ませてし』まえない、という意味では、根底では通じる部分はある気がして。「対象に近づいてそばにいたい」という、発言者の感覚を表しており、対象の性質ではない。『ある対象を「かわいい」と感じるかどうかは、その対象と自分との関係性によって変わる。だから、人それぞれであり、状況によっても異なる。』というのに、なるほどなあと一旦は納得。考えてみれば、そもそも「かわいい」に「愛す可し」と漢字が振られていること自体、発言者の心理状態を踏まえた漢字の当て方、といえるのかもしれないな。
とはいえ、この「かわいい」に対する分析、ちょっと異論もあります。仮に、対象に近づいてそばにいたいという発言者の感覚だとしても、個人的には、他人の「かわいい」との表現に違和感を持つほかない場合もたくさんあって。例えば、ここの実験で言及されている「女性の方が写真をよりかわいいと評価しましたが、行動成績の上昇に男女差はありませんでした」という結果は、男女間の(と言いきっていいかは慎重になりたいですが)「かわいい」観、「かわいい」と評するものというぼんやりとしたイメージ、「かわいい」という表現の親しみ具合、、、などいろいろな認識差が考えられます。
結構、象徴的だと思えるのは、女性は男性を評して「かわいい」ということもありますが、割と受け入れるのにわだかまりを感じる場合ないでしょうか。また受け入れたとしても、解らないけど、ポジティブな評価だからよく受け取っていこうというような、理解を保留にした受容という場合だってありえます。『女性は何でも気軽に「かわいい」と表現し』とあるのですけど、あくまで一般論で「かわいい」ということばを使い慣れている男性もいるはずなので、ここでは「かわいい」という表現のすれ違いは、何に起因するのか?という問いを立ててみたいと思います。
「なぜ戸惑うのかというと、かわいいのは赤ちゃんであったりペットであるという思い込みがあるからです。そこで、日本には“キモかわいい(creepy cute)”という言葉があるのだと説明しました」というくだりがありますが、これ結構重要なポイントに思えて。発言を受ける側が想定する「かわいい」範囲から逸脱した、発言者の「かわいい」に対する戸惑いは、「フクラガエルやカエルアンコウのような醜い動物をかわいいと感じるのはなぜか」に似た側面があるように思います。
つまり、本来「かわいい」と評する範囲は自由に定義されうるものの、文化的背景や成長過程における人間関係などでおおよそ規定され、そこから逸脱した「かわいい」には違和感を感じるのかなと。そりゃあ、どんな言葉であれ、その言葉が指し示す内容に差があれば、混乱しますよね。「かわいい」だけではないにせよ、結構、「かわいい」と言える範囲(想像できる範囲)には個人差、あるいは属する集団間の差があるにも関わらず、その差があることをあまり明示的に認識されていないのかもしれません。
ここからは想像ですけど、より多くの対象を「かわいい」と捉えられると捉えられる人のほうが、そうした異なる「かわいい」観に出くわしたとき、まあそういう「かわいい」もあるか、と柔軟に考えられるのではないかなと思ったりしますし、逆に「かわいい」というのはこういうものだと、なりうる対象の範囲が狭いと、そうした「かわいい」間の認識差に遭遇しても、なかなか受け止めがうまく行かず、自分の「かわいい」範囲を逸脱する「異次元のかわいい」評が、当惑や混乱、最悪不快感になりえることもある気がします。
そういう意味では、「かわいい」も暴力的になり得る側面もあって、「何でもかわいいとばかり言う」式の揶揄は、受け取る側に取っては、対象範囲は広すぎる言葉の使い方の圧力に対しての反撃という捉え方もできると思います。もちろん、「かわいい」が発言者の感情表現なので、あれもこれも「かわいい」こと自体は全然いいことで、揶揄するものでも何でもないのですけど。「かわいい」(だけでなく、どんなポジティブな言葉)も万能ではないということなのでしょうねえ。
…と考えてきますと、「かわいいとは多様であり、かわいいかどうかを最後に決めるのは自分である」としても(これは同意します)、「かわいい」観のコンフリクトがありうることは、考えに入れておいた方がいい気がします。「何に対してもかわいいと思えるようになったら、それはもう無敵」はちょっと言えないかなあ。「いいんだよ、乗り越えろよ!」も一つの解ではあるとは思いますが、やや乱暴な気もしていて。表現は悪いですが、硬直して「手垢にまみれた」イメージがある「かわいい」よりも、ニュートラルな…「自分に快い感情を生じさせ、近づきたくなり、関わりを持ちたくさせる対象にに抱く感情」を表現する言葉があってもいい気もします。ま、当面「かわいい」というしかないか。
尚、当人はこの「かわいい」観、従来よりはそれなりに広がった感覚はありますけれども、やっぱり「かわいい」にはちょっと身構えてしまうのです。
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