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2022.09.09

WAGAMI NO OWARI

物騒なタイトルだが、「そういう欲」にとりつかれたというわけではない。
とりあえず、ご安心いただきたい。

40代も半ば。ちょっと所感が変わってきているな、
という印象があったので、blogの前身となる、
Webサイトに文章をあげはじめた
この、重陽の節句に書き残しておきたい。

年齢というよりは、両親の他界とコロナ禍による生活の変化によるものか…
終活を考えねばな、という気になっている。
そう、「我が身の終わり」を意識して、そこから逆算して
どう歩んでいくのかということだ。

・一旦これまでの価値観は横に措き、今これから何をしたいのか。
・自分の持つもののうち、何を誰に伝え、残していくのか。あるいは残さないのか。

そんなことを大事に考えながら、過ごしていくのがいいのかな、という感覚。

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減量もしたことだし、フィジカル面では、実はあまり老いを感じることはない。
いつもどこかに痛みを抱えていたりもないし、体力の劇的な衰えもない。
血液検査の結果も比較的良好。まだまだ酒やうまいものも、楽しめそうだ。

食べる量が…という話はあるが、それは年齢による代謝の問題で、
感覚的な老化感とは、また別の話である。

白髪は増えたが、特に髪が薄くもならず、なぜか肌つやもいい。
このあたりは、温泉のおかげなのか、よくわからない。

メンタル面はといえば、一時期のメンタルが疲弊し、それがフィジカルの
不調にまでつながって、軽い(?)鬱状態を経験していた頃から比べると、
メンタルの調子も実にいい。まさに、甲府効果といってもいい。

だから、老いたと感じるから、終活せねばと「受動的に」考えるのではない。

跡を濁さずにその日を迎えることを目標に、限られた残り時間を横目に、
自身の欲と正直に、どういう欲も否定せず、向き合ってみる。

そのことで、仕事を通じた成果を励みに生きていく価値観の行き止まりから
脱却して、日々の指針のようなものがつくれるかもしれない
という気になってきた、というわけだ。

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亡くなる数年前から、仕事の悩みやつらさを話したときに、
親父がアドバイスしてくれていた「第二の人生を考えよ」というのを思い出す。

やり手の技術屋として、社内で高い評価を受けていたものの、
自分の意思で仕事を決めきりたいと、脱サラ・自営業に投じたわけだが、
そういう自らの身の振り方を踏まえ、根本的に今までと違った
過ごし方を考えてみてはどうだ、ということだった。

もちろん、それは想定としては、転職を促すものではあったに違いなく、
そういう検討もしてないではない。

しかし、今やもう、仕事を通じて、仕事を起点に、自分の生き方を規定する
ということに対して、もういいかな、という感じで。

「コロナ禍による生活の変化」の最たるものは、甲府への本拠地の移転である。
甲府という地に決められたこと自体、生まれや仕事に依拠しない、
純粋に、楽しく過ごすことの為に決めたわけだ。

テレワーク化という恩恵はあるものの、「今何が本当にしたいのか」に忠実に、
そして迅速に行動に移せた結果でもある。

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とにかく(男性としては)かなりおしゃべりな部類の親父なのだが、
大学生の終わり頃か、社会人になりたての頃か、
60歳にどうなってるかを考えて、今の歩み方を考えろとよく言っていた。

ほんと…「よく」というレベルではない。「耳にたこができる」という表現ですら、
物足りないくらいの頻度と熱量で語っていた。

しかし、1960年前半頃の20歳と、1990年後半~2000年頃の20歳とでは、
あまりにも状況が違いすぎるのである。わたしには結果的にできなかった。

そうして、長期の見通しが立てて、その結果かどうかか、成功できた人も、
わたしの年代でもたくさんいるのだろう。

とはいえ、どういう職に就いて、どういう成果を得たいか、それについての
自分なりの見通しを明確に持っているだけ、わたしは自分でまだマシだと思っていた。

そこから約20年。

この娑婆世界、思うようにいくことなどまずないとはいえ、あまりに予想もしない、
多様なキャリアの積み重ねとスキルアップ、そして年を経るごとに、
おもしろくなくなっていく方向に、悪化していく業界の環境。
自分も世の中も、思い描いた変化の範囲を超えて、
全然違った様相になってしまっている。

60歳時点を思い描いて、軌道修正をしようとしていれば、
その計画通りではないにせよ、うまくいったのだろうか?
その時もそうだし、今でもわからない。

ただ、ようやく45歳から60歳を思い描くということは、できてはいないが
できそうな気にはなってきた、あるいはできる環境になった
という気持ちが芽生えている。
それを、「早めの終活」と表現してもいいのではないか。

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改めて思うのは、その対象には移ろいや揺らぎはあるものの、
何であれ、自分の関心に向き合って生きたい、という気持ちは
ずっと持ち続けてきたなということ。
逆に言えば、関心の無いものは全く手を出す気にならない。

そして、決してその欲をヘルシーに満たせてきたわけではなく、この15年ほど、
ずっとこの向き合おうとして、届かないもどかしさを感じてきて、
5年前ほどにその鬱積が爆発しまい、心が病んでしまったのだろう。

ある時期から、Twitterのプロフを「溢れる好奇心と知識欲で生きるツイ廃」と
変えたのだけど、城や武田信玄、ウイスキー…などなどの個別の案件で、
自分の本質を語れないな、と感じたからだ。

「関心のあることについて、知りたい」

おそらく、これがわたしの本質的な性質だろう。

関心のない/薄い事柄、これまでやらなかったあれやこれやを思い出してみても、
やる機会があれば、避けはしなかっただろうが、ないならないでいい。
自分から求めるくらいなら、もっと自分の関心のあるものに寄り添いたい。

極めて自分勝手ではあるけれども、たぶんどれだけ過去に遡っても、
また何度過去に遡ろうとも、変わらないだろうなという、変な確信がある。

再び、こういう仕事をしたい、働き方をしたいと気持ちがシフトするかもしれない。
それは、そのときの自分の関心にフィットしていさえしていればいい。

たまたま、条件が整って決めた甲府に移ったことが、突破口になって、
ようやくこれからは、自分をだまさず、素直に過ごせるように、
気持ちと想いの整理が付きつつあるのかもしれないな。

※甲府にきたのもあるし(1年以上経つが)富士山にテンプレ変えてみた。

 

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