少しずつ、少しずつ。
頻繁に更新していた2015年頃までとちがい、blogの更新が
半ば儀式的になってきた昨今。それもまた自分にとっての、
新たなblogの意味かなぁ、と思いつつ大晦日の更新。
このような禍々しい状況にあって、2020年が
しあわせな年でした、と振り返ることのできる人は
極めて少数派だろう。
わたしも決してかけがえのない、最高の年でした!
というつもりもないのだけれど、かといって
それほど最悪な一年と呪うほどでもなかった、
というのが、率直な感想だったりする。
本当に本当に偶々すぎるのだけど、
よくこのコロナ禍がこのタイミングで来たな、
と、妙な安堵と覚えざるを得ない。
仕事に行き詰まり、精神を少し病んでいたとき。
両親を支えることが重荷になっていたとき。
最悪というなら、2017~19年の厄年の間の方が
よほど厳しかったわけで、この間に、もしも、
COVIDが襲来していたらと考えると、
ほんとうに恐ろしい。ただでは済んでいないだろう。
厄が明けた今年は、誰もが苦しい状況にありながら、
まだ、安らかに過ごせたなとしみじみする。
とはいえ、誰もが予想しない世の中へと変わっていくなかで、
自分自身の価値観の変化に気づいたり、
関わりのあるいろんな人の、普段は奥底に眠っている
価値観の表出に出くわし、驚いたりもする。
ひとつひとつの多様な変化が飛び交って、
これからどうなっていくのかが本当にわかりにくく、
深い霧に包まれたままだ。
大げさに言うと、新たな時代が突然始まり、
しかし「その時代とは何か」は徐々にしか見えず、
後になって振り返ってみたときに、はじめてわかるような、
端境期にいるんだなという思いを強くする。
昨年の今日に書いたことを改めて読んでみると、
身の回りのごくごく狭い世界で起きていた
激動の日々を過ごすだけで、精一杯だったんだな、
と改めて記憶によみがえっていく。
そして早くも、もはや遠い過去になってしまった
と思えてしまうほど、この1年は世界全体が激動の日々で
何が始まったのか具体的には表現しようもないが、
なんだか前に進んでいる、そんな気はする。
コロナ禍前には、「来たる変化をちょっと楽しみでいられる」
感覚もあったけれども、そこまで楽観視することはできない。
にしても、何かが前に進んでいる。
もやもやしつつも、言えるのはそんなところだろう。
まだまだ変化することに、振り回されるであろう、、、
そんな来たる令和三年。
武田信玄に関心がある人間としては、この先かけがえのない
数年が続いていくことを楽しみながら、一定の安定した
何らかの価値観を得られ、令和年間を充実した時代として、
過ごすことができるきっかけがつくれれば、いいな。
関わりある皆様方におかれては、本年もお世話になり、
ありがとうございました。来年も引き続きご贔屓
くださいますと幸いでございます。
令和三年、よい年になりますよう。
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