blog開始14周年 … 『空白』が示すもの
さて、2017年末に記事を書いて丸々1ヶ月何も書かず、
2018年が過ぎています。
2/1はblogを始めた日、そしてTwitterに初Postをした日。
12月末に2017年を怒涛のように振り返りましたけど、
その時々にかけがえのない体験をしてきているにも関わらず、
振り返ることができない、記録に残せないことが、
大きなストレスとなってのしかかっています。
もちろん、日ごろの仕事のストレスも、家族のことも、
あまりにも何もかもがうまくいかな過ぎて、
ただただ、刹那的に楽しいことを探し、消費しているよう・・・
もっと噛み締めていたいことを、背に腹は代えられず、
使い捨て消費をしているような気がして、それがただただ哀しい。
でも、いつか振り返ってちゃんと暖めなおせると信じて。
blogを書く意味について、折に触れ書いてきたつもりなのですが、
昨年のこの日でもやはり、その再確認をしていました。
そして、自分史のなかの「一次史料」としてのblog、
という位置づけを見出したのでした。
あれから、もうそろそろ地獄に足を踏み入れるであろうと、
怯えながら、それでも前向きにいようとしたあの日から1年経って、
今眼前にあるのは、blogに向き合えていない事実。
もし、blogが「一次史料」なのだとしたら、その一次史料の、
ある時期ごっそりと欠損していることは、あとで振り返ったときに、
意味を持つのだろうなぁ、などと思ってみたりしています。
今はもう、生き延びて行くのがやっと、一次史料の欠片に
なるであろうTweetを残していくことでやっと。
本当に、そのときそのとき楽しいと思える時間をつくるのがやっと。
思ったよりはるかに地獄の底は深く、どこまで深く潜っていくのか
見当もつかないですけど、ある時期までは、出来事や感じた記録を
お休みして、ある意味本来のblogとしての使い方に近い、
ひたすら思いの丈を書きなぐる(実際昨年9月からはそう)ように
してみてもいいのかもしれませんよね。
投稿と投稿の間の空白が示すもの。
やはり、文章を書く、アウトプットを出すにはしんどい。
でも、何か書きたい衝動は吐き出したい。
特に区切りの日には何か書きたい。
今の自分は、余裕ないですが、
将来何かの気づきになればいいな、ということで、
しばらくはこんなスタイルにしようかと思います。
15年目のはじまりを迎えて、のリフレッシュ。
blogramに参加してます。
ボタンを押してもらえるとうれしいですぅ。
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