2017年・・・・もまた濃すぎて~1/7 甲府~上田~
さて、翌日早速甲府に出仕(笑)です。
武田神社、いつも必ず関西で正月を過ごすので、
三が日に来ることは適わないのですけれども
7日の時点でまだこの人だかり。
甲陽武能殿では人日の節供と白馬節会。
西曲輪の発掘現場。これは後日発掘現場を
見にまいりました。思わず、真田丸の昌幸みたいに、
『お、やっとるな』とか言ってしまうなど・・苦笑。
相変わらずの堀の深さに驚嘆してる最中に、
真田丸・昌幸
『わしゃそんなもん知らんぞ!御屋形様の御屋敷に
そんなもんあるはずがない!!』
…脳内昌幸ちょっと黙ってて!
天守台みえねーかなーと背伸びをしてみたり、
北虎口枡形や西曲輪南西端の整備の
すばらしさに改めて感動したり。
毎度見るポイントは、決まってきますねぇ。
新たに行ったところ、というと峰本八幡神社。
これ、石和から信虎が遷した府中八幡社の跡地に、
宮前町へ移転したあとに、祀られた八幡さま。
峰本自治会館の裏手の、会館の中にひっそりと佇む
小さなお社ですが、甲府城鎮守の八幡宮として
移転したあとも、この地にこだわって古府中村の村人が
八幡様をお祀りしているという事実が興味深くてですね。
ただ、明治になって相川小ができて、校舎の西側に遷り、
戦後すぐ、体育館の建設でまたその体育館の南側へ、
さらに昭和61年、体育館の老朽化のため、増改築がなされた際、
現地に遷ってきたそう。狭い中でもけっこう移転してるんです。
ということで、信玄公時代の府中八幡は相川小の敷地、
ということになりそうですね。
そのあとは、そのまま西に向かって真田源太左衛門尉の屋敷跡へ。
真田丸で出てきたおこうさん(清音院殿)も、
このあたりでお過ごしになったのでしょうねぇ。
続いて、香坂弾正、真田一徳斎屋敷跡へ。
真田一徳斎屋敷、一徳斎が没し(1574年)、
真田源太左衛門尉が当主となって、長篠で討死(1575年)
して、昌幸が継承とめまぐるしく真田家当主変わる中で、
どのようにつかわれていたんでしょうかね・・・
武藤昌幸としては、武藤家の屋敷が本貫地にはあると思いますが、
甲府詰めの屋敷としては・・・どちらかの屋敷を
拝領していたのでしょうかね。昌幸が元服、初陣して以降、
どこにいたのかは、よくわからないですかね・・・
さて、躑躅ヶ崎。もともと躑躅ヶ崎とは、屋形の東に、
半島状に突き出た端部分を呼びます。
この名称をとって、武田の御屋敷を躑躅ヶ崎館と
呼称させたのは柳澤吉保だともいい、
武田家がいた当時からの呼称ではないんですよね。
ちょっと先端が人工池造成で削られているようですが、
かなり屋敷に近いところまで伸びています。
藤井尚夫氏の躑躅が崎館鳥瞰図を見てみますと、これ自体は
徳川入府以降の想定図で、大手も丸馬出が破壊されて
石積になってるんですが、大手と躑躅ヶ崎の
位置関係はわかりやすいかなと思います。
この大手の部分に丸馬出があったそうで、
その規模と現存する屋敷の土塁の規模を考えて、
おそらく勝頼期、甲斐防衛を意識せざるを得なくなった時期に、
増築されたのではと考えられています。
躑躅ヶ崎、少し手前までは行くことはできるので、
上ってみました。躑躅ヶ崎そのものは通行止めでしたが・・・
躑躅ヶ崎からの屋形大手方面の眺め。
先ほどの鳥瞰図や丸馬出発掘の様子と合わせて脳内合成…
あの先に、丸馬出があったとしたら・・・ある程度の広さと
背後から監視、強襲できる躑躅ヶ崎を押さえた点に大手を持ってくる。
左右の虎口から出撃撤退を繰り返して翻弄、
躑躅が崎に伏兵を置いて背後を奇襲とか容易に思い付きます。
家臣屋敷が立ち並ぶ開けた南側には虎口をつくらなかった
意図がちょっとわかった気がしました。
さて、翌日はぶらりと上田。ちょうどドラマ館入館
100万人達成直後、くらいだったでしょうかね(笑)
終わり間際のドラマ館でしたが、秀吉、寧、茶々、
信繁の衣装が並んでる大坂城を模した居室、
釘隠が江戸城、名古屋城、二條城にそっくりで葵紋が
あって爆笑したりだとか・・・
ドラマで使われた上田城見取図を改めてよく見て、
鬼門の切り欠含め今の上田城跡と異なる縄張にちゃんと
してあるんだなぁ・・とか。感慨深く見てました。
大坂城への入城者一覧も、全部ちゃんと見たいよなぁ。
長宗我部土佐守盛親、織田左門頼長、
真田左衛門佐信繁、石川肥後守康勝、仙石豊前守秀範、
長岡与五郎興秋あたりまでは、確認できました。
千葉県で行われた真田丸の戦いのロケ、
堺信繁が上田市民扮する徳川軍に陣中見舞いしていて、
黒々とした徳川勢にただひとり赤備えの信繁が
記念写真撮ってて、これもかなりウケる・・・(笑)
最後に興味深いのが出演者の皆様のサイン。
草刈昌幸と吉田稲、カッチリした正統派の美しい字。
内野家康、わずかに崩しながらも、払いにクセがあるとこが
何とも味がある素敵で・・・
相変わらず黒木梅ちゃんの梅イラストかわゆすだし、
星野秀忠、真田め…(笑) って笑かしにかかってくるし・・・
近藤正信、印象に反したかわゆい字も印象的だし、
藤岡忠勝の奔放さに並ぶ小林全登のカオスサイン。
オフロスキーとか書いちゃてるよ!とか。楽しい。
あ、最後におこうさん。長野こう&吉田稲、
信幸の奥方様はどちらも素敵な字をしてらっしゃる。
信繁の奥方様は梅、春ともかわゆす系の字。
長澤きりはかわゆくもカッチリもしてる…これまた素敵。
字はある種の人柄、人となりを表すものといいますよね。
字を見ているだけで、いろいろ想像が広がります。
ということで、ドラマ館はこのくらいにして、
上田城と藩主屋敷をぶらぶら。
あ、もちろんこの武田菱スポットにも顔出しますよ(笑)
城内の真田神社もなかなか盛況。
この切欠は数少ない真田昌幸時代の遺構・・・とあるけど、
あの天正年間の図面を見ると、違うんじゃ・・と思ってしまうね。
こういう解説板があるから余計に。
堀がかちんこちん。さすがに真冬に攻城戦しないだろうけど、
水堀はこうなったら、むしろ機能殺がれるよなぁ。
でも、純粋に見て楽しむなら、真冬の凍ってる姿も素敵。
信之が関が原後に上田に戻って政務を取った藩主屋敷跡。
こちらもかちんこちん。
ということで、新年の甲府・上田はこんなところ。
といいつつ、翌々週に塩山で平山先生の講演聴きに来てたり、
さらに次の週は、積翠寺温泉要害さんのラストにきたり・・・
わりと山梨ばっかりです(苦笑)
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