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2017年・・・・もまた濃すぎて ~ 1/27 新府城 ~

ということで、また甲斐です。また・・・また甲斐か!
と真田丸家康ボイスが再生された方も多いでしょうけども(笑)

今回はもともとは行く予定にはしていなかったんですが、
積翠寺温泉・要害さんが閉館するというのを、
そのリミット1ヶ月くらい前に聞いたもので、すわ一大事!
ということで、何の予定もなく予約をつっこんだのでありました。

まー・・・とりあえず、新府城行っとく?とここ最近、
高まっている丸馬出への関心から、訪れることにしてみました。

とにかく気づいたことは、武田家が好んだ丸馬出を
存分に活かす構造になってるな!と改めて気づいたこと。

あくまで軍鑑ベースになってしまいますが、山本勘助→馬場信春、
と続く武田流城取が長篠以後もきちんと伝わってるんだ、
という気にさせてくれたことですね。

16年12月(まだ起こしてない)の諏訪原城の丸馬出講演会以来、
丸馬出ってこう使うのでは、というのが自分なりに捉えられて
きたように思うことも相まって、このタイミングに来たのがホントによかった。

ということで、じゃーん。丸馬出・三日月堀本体だけでなく、
その堀前の部分もかなりきれいに刈られているんです。

P1260750

P1260765

こうしてみると、堀前の部分が土橋状に見えるほど、
極めて限られたスペースしかないことがわかり、
大手筋から進入しようとすると、長く急な斜面を登りきって、
丸馬出が見えた途端、攻め手は行き場を失うわけです・・・

別角度から。

P1260773

前後2列にながーく馬出前に並ぶのがやっと、
ここで馬出から射撃を食らって斜面に転がろうものなら、
後続の兵にもダメージが出てしまいます。

上り切った直後を想定して、少し斜面を下って丸馬出を。
もともとかなりの大きさがありますが、下がってみると、
その存在感がさらに増しますね。。。どどーん!

P1260882

測量図に線を加えてみました。

0127

赤い線に沿って急な斜面が展開されていて、
緑色の部分が土橋上に見えた、馬出前のわずかな平地。
ここに降り立ってしまうと、射撃され放題ですので、
左右の虎口を狙う青いルートを直接攻めることになりそう。

ただ、それでも狭まっていますからそう一度には攻めかかれない・・・
東側の斜面からも上ってくることは可能ですが、
いずれにせよ、虎口で渋滞せざるを得ませんね。

逆にどちらかの虎口から逆襲されようものなら、
押し倒された自軍の兵が転がり落ちた下敷きになって、
自滅していきそうな勢いの構造。。。

その斜面について。

P1260753

P1260770

丸馬出下よりも、馬出土塁上から見た方が、
いいかもしれません。敵兵が上ってくるのが一目瞭然。
やもしたら、三日月堀前に上がる前に、
矢や鉄砲で一定数は撃退することができるかもしれません。

P1260796

P1260797

P1260799

そして、実際に斜面を降りてみました。割と降りれなくもなく
傾斜はキツイですが、上れなくはないです。

P1260845

ちょっと途中から大きな段差が。ここは当時からあったのかどうか。

P1260848

P1260851

一番下まで降りるとこんな風に見えます。

P1260863

さて、再度上がってきまして、いよいよ丸馬出に侵入。
きれいに刈られていることで、丸馬出の虎口に
据えられた枡形が明瞭に確認できます(①)

P1260762

斜めのラインに土塁が見えるあたりの奥が
枡形状になっているんです。これを丸馬出土塁の西端
から撮るとこのような感じに見えます(②)

P1260779

その奥、三の丸内からこの枡形を見るとこんな様子(③)
こちらには青で進入経路、赤で土塁を囲っておきました。

Photo

測量図でみると、それぞれの番号の撮影位置はこうなります。

Ppp

おそらく①の土塁には往時は塀など遮蔽物があったと思われ、
実際には③の方角から狙われることになるのでしょう。

丸馬出土塁は今では、かなり削られているのか、
低くなってしまっていますけども・・・

P1260783

さて、反対側、東の土塁端から東の虎口をみてみましょう。

P1260785

こちらも土塁上から。(①)

P1260792

内側(大手枡形土塁上)からの眺め(②)

P1260803

こちらも測量図をどうぞ。

Higasi

さて・・・丸馬出下をちょっと探索。この地点から、
右(東)に行くと国道と交わるのですが、
逆の西方面へ。七里岩の先端に向かうことになるはず。

P1260865

うわ・・・むり。むりむりむり。

P1260872

P1260875

この石積みは・・・後世のものか・・・?

P1260876

場所はこの辺り。もう絶壁具合がすごいですね。
こちらは防御考える必要性なさそう。

Muscreenshot_20170127

ということで、丸馬出の位置とそこに到る傾斜と馬出前の
狭いスペースで撃退する絶妙な構造、両虎口前に
枡形を配備しつつ、最終防衛ラインにさらにもうひとつ
奥に枡形を配備、という徹底振りがわかりました。

ということなら、大手スルーしちゃえば?と思っちゃったんですよね。
だって強固だもん・・・ということでこれ。

大手方面に兵を進めた場合をまず考えますと・・・
あ、赤い点が丸馬出地点。赤く囲った五角形が新府城、
赤い丸はとなりの丸山という丘です。

Mumu

南から進軍してくると、青いエリアに軍が固まると思いますが、
大手丸馬出をスルーしてしまうと、丸山と城の間の道を
抜けて搦め手に回ることになります(①)。
現在の藤武神社参道階段は、もちろん当時はありません。

この道、現在は七里岩ラインとして車道が通っていますが、
けっこうな悪路なんですよね。車道の脇をみるとわかりますが、
湿地帯と小川が流れている間を進むことになり、
なおかつ、狭まっていて城と小高い丘に囲まれるという
非常に危険なルートなんです。

・・・となると、この丸山(どうも付城はなかったっぽい)にも
伏兵を置かれる可能性を考えると、大軍をこの一本道の悪路に
通すというのは、あまり得策ではないのだろうな、と思いました。
②の丸馬出を突破するしかない・・・

あとは、そもそも七里岩を降りずにそのまま新府城の背後に
迫るという手もあります。実際、諏訪方面から進むと、
七里岩と地続きですからね。

ただ、ここに立ちふさがるのが能見城。どこまでが武田のものか、
どこまでが天正壬午の乱のものか、意見は分かれるようですけれど、
何らかの防御施設はあったであろうと思われます。

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ま、いずれにしても、丸馬出という点に絞って考えると、
うまい具合に、丸馬出から攻め寄せざるをえない工夫がされていて、
しかも、丸馬出の逆襲機能をうまく引き出すよう、
地形をうまく使っているんだな・・・と思うわけですよ。

今回斜面のチカラを思い知ったこともあって、
丸馬出を使った城の最高峰のひとつ、と言えるんだろう、
とひとりナットクしていました。

最初に戻って、これ・・・もはや武田にあって、
築城の名手と言われた馬場信春はこの世にない
天正9年に築城が始まっているわけです。
これほどまでに見事に丸馬出を使いこなす
縄張りを誰が設計したのか・・・

従来まで、真田昌幸の縄張りとされていましたが、実は
根拠とされる文書が、西上野郡代として支配下にある地域に
勝頼の上意を受けて、昌幸が動員令を出しているに過ぎない、
ということで、この文書を根拠にした昌幸縄張り説は
現在では否定されています。

ということは???

解らないとしか言いようがないのですけども、
手がかりがあるとすれば、このような城の縄張を設計できるのは
武田軍がどのように戦争をするのかという、軍事機密を
熟知した重臣クラスでないとおそらく無理ではないでしょうか。

とすると、やはり真田昌幸、それに曾根昌世(後述)
あたりが絡んでいた可能性があるのかな、と想像します。
あるいは、馬場信春と姻戚関係にある加津野昌春、
つまり、真田信尹も絡んでいたという想像は、やりすぎでしょうか?

新府城と真田信尹の関係というと、隠岐殿遺跡が挙げられます。
確実に真田信尹の屋敷とはいえないまでも、
かなり蓋然性が高い、と最近言われていますよね。
それはすなわち、勝頼に近い存在だった証でもあります。
(御一門衆の多くは甲府から屋敷を移さなかった)

そして、真田信尹は後に会津に向かい、蒲生氏郷のもとに
仕官していることがわかっています。そして、もうひとり
会津に向かった武田遺臣こそ、曾根昌世。

彼は、蒲生氏郷からその縄張を任されたと新編会津風土記に
出てくるのだそう。真田信尹もその縄張りに関与した可能性、
特に義父、馬場信春からその術の一端でも学んでいたとしたら…?

真田の昌幸・信尹兄弟や昌幸・昌世の信玄公の両眼コンビが
新府城の築城に携わっていたら、と想像は膨らみますね。
いやいや楽しい、楽しい。

という気持ちを胸に、お宿へ。

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