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去年の今頃はシリーズ(6) 名古屋城現場見学会2016

さて、ちょっと変わって名古屋城。ちょうど年明けすぐに、
名古屋城の見学会募集をやっていたので、参加してきました。
併せて、タウンミーティングもあったんですけども・・・

2017年になって今のゴタゴタ具合を考えると、
どれだけ汲んでもらえているのか?ということを考えると、
正直やって尾張・・・じゃない終わり、という感じは拭えません。

ということで、タウンミーティングは割愛して、前日の見学会を
記録に残しておこうかと思います。

P1170478

◆天守の現状◆

ポイントとして、56年経って老朽化した部分として、
挙げられるのは・・・

電気設備など
コンクリートそのもの(後40年)
被熱した石の脆弱化
石垣の孕み
天守の耐震性能

ということ。石垣に関しては、ケーソン基礎4本が別にあるため、
石垣そのものの保護とは別に天守は考えてよさそうということですが、
やはり、コンクリートの劣化とそれに起因する耐震性能。

ここでちょっと調べてみたのですが、コンクリートの劣化、
と一口に言ってみても、それがどうして起こるのか?ということ。
この現場見学会前の解説では、中性化と言われていました。

鉄筋コンクリートは、コンクリートは実はアルカリ性で、
セメントに含まれる水酸化カルシウムが高いアルカリ状態に保ち、
内部の鉄筋に不導体被膜という薄い酸化化合物の皮膜を
つくらせるのだそう。これで、酸化つまり錆を防止しているわけ。

ところが、空気中の二酸化炭素に反応して
炭酸カルシウムになってしまうことで、PHが中性に傾き、
防錆効果が無くなってしまう・・・というのが、「劣化」なんですな。
(参考:テクノクリート施工研究会Web

あと40年は持つだろうということでしたが、
名古屋城の現天守の非破壊再生は不可能なくらいに
進んでいるのでしょうか?改めてメモを振り返っていて、
その点、気になるところです。

あと気になった点と言えば、DVD上映では、
史実に忠実な再建が可能な、「唯一」のという表現が。
まぁ、名古屋城に適う天守は他にはないのだけども、実際。

また改めて振り返っておきたい文化庁の見解。
地元の自治体がどのような整備をするのかを決めるのが第一、
復元する場合は、材料等は同時代のものを使うなどが原則。
ただし、それ以外の可能性を排除するものではない、と。

名古屋城の場合は、史料が豊富なため、史実に忠実な
再建を目指すべきという見解が復元検討委員会で
総意となる可能性が極めて高い、とも。

ここで読み取れるのは、

・文化庁は復元に当たってイニシアチブは取らない
・原則は木造再建、ただし価値が認められる場合はその他の選択肢も
・木造再建以外の可能性を最初から排除はしない

ということ。何度か書いていますが、この文化庁が
イニチアチブを取らないという点は、非常に引っかかる点なのです。
この点については、後述。

ちなみに、インターネットで募集した意見(H25年)では、
500人の公募による名古屋市民の意見。

70%以上が現状維持、つまり現天守の維持を求める
意見が多かったとのこと。これはこれで意見として、
受け止めるべきでしょうが、

・文化庁の許可がないと、RC天守再建は不可
・解体せずに現RC天守を存続できる方法があるのか?

について、どれだけ理解されてるのでしょうかね?
当時から4年経ったわけですが、このアンケートに対して、
ちゃんと上記のフィードバックを名古屋市は市民にしたのでしょうか?
市議会でのどんな議論もあまり詳しくは説明されず・・・

40年もつといわれる現天守の耐震補強ですが、
そもそもどういう仕組みで補強するのか?
それによって、40年後はどうするのか?という点について、
議論が進んでいるとはいえず、結局市のごり押しが目立つだけ
といわざるを得ない、というのが改めて振り返った感想。

耐震補強後、40年後に木造建て替えよりも、
今やるべきだという調査結果ももっと議論されるべきだと思うんですが…

耐震改修しても40年程度はもつらしいけど、
それって問題の先送りでしかないんですよね。
木造再建を諦めるなら、名古屋城天守はいつなくなっても
もう諦めるくらいの覚悟を持ってるんでしょうか??

以前より、城郭建築の再建が日本各地で起こっていることにつき、
各地がバラバラに再建運動を進める危険性を考えています。

つまり、単独でみれば数百億単位の財源があれば
再建可能ではあるものの、江戸城、名古屋城、小田原城はじめ、
図面や雛形など再建に足る史料が揃っている天守が
同時に再建が進むと、大径木の材が不足するのではないか?

そもそも、長い年月を経た大径木の材は数が限られ、
また当然ながら百年程度では、材はそこまで成長しません。
このジレンマをどう解決するか?は、中央の所轄官庁である
文化庁がイニシアチブを取るべきではないかと思うのです。

もう少し強い調子で言うならば、名古屋市民の判断だけで、
名古屋城の再建にGoを出していいのか、ということ。
それは、他の天守やその他歴史的建造物の木造再建を
妨げるかもしれないわけです。

わたしが最後に質問をさせていただきましたが、
他城でも再建計画が持ち上がっているが、
材料調達可能か?という質問に対し、40年先ではなく、
今やるべきだというのは、まさに今材料を確保しないと
材がなくなってしまうという、いわば早い者勝ちだということ。
極論すると、こういった材の先物取引も起こりかねないのでは…

外国材にするか、あるいはヒノキから材を変更するか?
という検討も他城郭と連係して考えるべきだろうと思うのです…

今やるべきでないだろう、まずが櫓からだ、
大手馬出の復元からだという意見もありますが、
やはり、早い者勝ちの材のために、天守からやるべき
というようにも聞こえました。

かえすがえすも、議論が深まっていない1年だったと思うと
残念でならないですね・・・・

◆現地見学・天守編◆

さ、気を取り直して、現地見学。
そういえば、あまり気にしてこなかったこの部分。

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これ、明かり取りなんですね。明かり取りというと、
江戸城寛永度天守にも、同様の部分が描かれていますが、
これくらいのビッグな天守になると、必要になってくるみたいで。

てっきり、江戸城天守がその戦闘性を失っていく中での
明かり取りなのかと思っていたのですが、ぜんぜん戦う気の
名古屋城であっても、明かり取りは必要なんだと。
明かり取りとはいえ、狭間としてつかえるもんねぇ。

天守台北側。ここの部分ってちょうど熱田台地の北端で
その先にある御深井丸は沼地だったんですって。
ということで、どうも北側の地盤が緩みがち…てことで、
宝暦年間に修理されてるんだけど、また石垣が孕んでる。

P1170490

そういえば、宝暦修理の際も石垣が落ち込み、
天守がこちら側に傾いてたわけで…
天守再建するにもこの石垣を積み直すのかどうか、
後記にも影響あって、議論の分かれるところかも。

ただ、ケーソン基礎があるとはいえ、石垣のためには
(全荷重を掛けるべきではないにせよ)天守の荷重
をある程度かけた方がいいんですよね。本来。

そんな崩れやすいからかどうか・・・天守台北側には、
この孕んだ石垣には危機を察知するある仕組みがあるとか!

P1170492

正解はこれ!瓶が石垣の間に挟まってます!

P1170493

割れやすい瓶を挟んでおくことで、わずかな石垣の動きを
察知しようとする仕組みなんだそうです。
アナログですが、効果ありそうですね。

ひとつじゃなく、いくつかありました。

P1170546

P1170547

手前の樋の上部がかつては企画されていた天守入口跡。

P1170495

わかります?拡大してみると・・・
そういやちょっと石垣の積み方が違うような・・・??

P1170496

名古屋城は築城過程で縄張図がけっこう変わるのですが、
初期の縄張図には、空堀内に櫓を建てて、
そこから大天守内に入るプラン
だったことがわかります。

1370978

さて、大天守台と小天守台をつなぐ橋台。
ここに汚れたようにみえる茶色の部分は、
焼夷弾(ナパーム弾)の跡ではないかといわれてるそう。

P1170500

小天守があるあたり。鵜の首からみた感じ。
どうもこのあたり、濃尾地震で石垣が崩れていて、
その際に積み直しをした跡。

P1170505

一方で大天守は濃尾地震で崩れていない・・・
ということを考えると、やはり上から(ある程度の)重石が
あったほうが、耐震には有利に働くのだなと感じますね。

本丸枡形の鏡石。大きな石の回りに小さい石を
並べるのを「笑い積み」というそうだが・・

P1170507

・・・ということで、天守はここまで。
続いて、御殿編。割と行かないことが多いんですが(汗)
今回はジックリと見学。

P1170509

奥が公開されたばかり?ということで、
新たに公開された部分と車寄部分とで
杮葺の屋根の色が違いますな。

P1170513

そういや、名古屋城の本丸御殿、奥がないんですって。
というのも、名古屋城ができて、すぐ大坂の陣に出陣、
そして勝った・・・ということで、将軍の上洛殿に
なってしまったので奥がないと。

まぁ、ずっと本丸そのものは尾張藩主は普段使わず、
わずかな藩主の見回りのときくらいにしか、
入らなかったといいますからね・・・

車寄からすぐの天井。そういえばここが一番略式・・・
すぐ格天井のほうに目が行くけども、天井にも格の差が
あると思うと、ここも興味深く見えますな。

P1170516

釘隠しマニア(笑)としては、かならず撮りますね。

P1170520

どうしても御殿のほうは、こう・・・
美術品鑑賞の感覚になりますね。

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そういや、柱が四角いのが当たり前に思えますが、
襖で部屋を仕切るようになってはじめて、
柱が四角くなるんですってね。

P1170525

そういや室町~戦国あたりの屋敷って、仕切られてなくて
円かった気がしないでもない・・・

名古屋城本丸御殿の復元で、けっこうポイント高いのは
襖絵がわからないところは、無理に描かないという点。

P1170528

一面、ただの金箔押というところも。

P1170529

むしろここまで来ると清清しいですが、
わからないものは勝手な想定で復元しないという
意思の表れと思え、好感持てますね。

上段の間。松の木がバックにあるところは、
江戸城、二条城と共通。ってことは、やはり将軍の居所
ということなんでしょうかねぇ。

P1170537

帳台構や違い棚も瓜二つ。やっぱし二条城が
ベースなんだろうなぁ。

P1170542

格天井からの折上格天井。天井にも格式が、
のわかりやすいところ。折上格天井は上段の間。
・・・ちなみに、江戸城には二重折上格天井がありました。

P1170544

ということで、わりとさっくりと御殿見学終了。
退出する頃には日も落ちかかり。

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昨年夏にもう対面所の公開されてるんですよね~
まだ行ってないけども(笑)このときはまだ1月だから・・・

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個人的に好きな西南隅櫓。なかなか公開しないんだよな…
ものすごく天守的な要素があって、興味深いのです。

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割と公開されてる東南隅櫓。御殿が完全公開になったら
ここからの天守+御殿の眺めはすばらしいだろうねぇ。

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夕陽を浴びる大天守が素敵。

P1170578

名古屋城正門前の門松。これ何気ないように見えて、
名古屋城の記録「金城温古録」を参考に
作られた名古屋城式門松だとさ!細かい!

P1170582

・・・また今年も、何かイベントありますかね?
耐震不安から入城を控えさせるような話もあったりと、
なんだかいいように向かってはいないようにも・・・

名古屋城大天守は、史料が最も豊富で
最も史実に近づける天守。
だからこそ、皆に歓迎されて木造再建ができるように、
機運を醸成する丁寧な運営手腕が求められると思うのです。

誰かのごり押しで精巧で忠実な天守が建っても、
そのごり押しが歴史にちゃんと残るのです。
せっかくすばらしい天守に、そんな汚点を残してどうするのか。
天守が再建と成るプロセスもまた歴史なのですよ?

名古屋市民でなくとも、その価値に深く感じ入る
城好きとして、いいように向かうことを祈念するばかりです。

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