去年の今頃はシリーズ(5) 西宮鷲林寺・信玄公墓
さて、その勢いで神戸まで。串カツ日光なるお店を
見つけたらそりゃ行きたくなりますわな(笑)
日光が神戸串カツ日光でチーズミルフィーユカツ。
串カツ屋さんらしい。安くて美味い。アリアリ。
さて、目的は・・・鷲林寺。絶対うそやん!と思うのですが、
「信玄公墓」なる石塔があるということで・・・
西宮駅から阪神バス乗車、「鷲林寺」下車 徒歩20分という、
わりと行くのに面倒なところなのですが(笑)
割と山手で山城でもありそうなところをずんずんと進んでいくと。
小さなお堂。往時は伽藍があったようですが、
織田の兵火で焼失して以降、再建されることなく
長く放置され、最近になって再興され始めたとか・・・
そしてその向かって右手に石塔群。
ひときわ目立つ七重石塔が信玄公墓・・?
どうも創建年代は鎌倉時代に比定されているらしく、
その点からも信玄公の生きた時代との関連は考えにくいですね。
鷲林寺は淳和天皇の天長10(833)年、
弘法大師が開基の寺。荒木村重の叛乱とその討伐に
来襲した織田軍の兵火で本尊などを除き、伽藍など焼失。
・・・ということも、あまり武田との関連を考えにくい。
しかし、地元には、
鷲林寺近くに住む人の話によると、七重塔の下には信玄の遺髪や爪が納められていると子どもの頃に祖父から聞いていたそうです。その大昔からの言い伝えが現在まで伝わり「武田信玄の墓」と言われている
という伝承が残されているらしく、また鷲林寺にある
お墓には、花菱紋のお家や武田姓の方までいらっしゃいました。
住職のお作りになっているWebの解説によると、
当山麓の鷲林寺村には甲斐姓が多い。これについて、戦国時代、信玄公の末もしくは家来が当地に逃げ延びて寺の周りに集落を構えた。そして鷲林寺境内にあった七重石塔を信玄公墓として崇拝したという説。
というものがあるそうなのですね。得度をこの寺で得た・・・
というのはさすがにないでしょうけど、尼崎の善念寺のように、
武田勝親が逃れてきたような話もあるわけです。
東にだけでなく、西のほうにも遺臣が逃れてきて、
この一体に集落を構え、精神的支柱として元ある石塔を
信玄公墓として、祈りをささげた・・・とは理解のできる話。
いずれにしても、西宮で『信玄公』なる敬称が
見られるのは興味深いと思うんですよね。うん。
さて、お寺さんのお参りもせねば。
かわゆすぎる「ようおまいり」。
現拝殿は昭和5年落慶とのこと。わりと最近ってホント。
「鷲」林寺だけに・・・??
この塔は立派だーすごいな!
ちょっと小さなお寺には、違和感のあるくらい。
このお不動さん、織田の兵火から逃れた像なのかな。
どうだろうか・・・・にしても、不動明王が安置されてるだけで、
どうしても武田的な何かを連想したくなる(笑)
ということで、まぁわざわざなかなか行かんだろう、
という武田史跡のご紹介でした(笑)
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