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去年の今頃はシリーズ(4) 徳川家霊台・奥の院信玄公・勝頼公・馬場美濃守供養塔

さて、徳川家霊台にも。てか、高野山にあるんだ、
というくらいのうっすい印象でごめんなさい・・・

入ってすぐ枡形虎口でびっくり。そいや、日光東照宮や、
久能山東照宮でもこういう枡形の部分があったかなぁ・・・・

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家康廟。瑞鳳殿や大鋒寺の信之廟に割りと近い、
江戸時代初期の霊廟建築の標準的なスタイルに思えます。

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色は褪せるがままの状態というのも廟としては
けっこう珍しかったりしませんかね。

葵紋も初期の葉の茎が長いタイプ。
高野山ですから、一度も焼失することなく、
また部材が交換されることもなく、ずっとあるのでしょう。

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隣は秀忠廟。江戸は空襲で焼失したし、
日光には家光つくってくれないし(笑)・・・
何気に貴重かも秀忠廟。

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戻り道で差し掛かって、「井」の字を発見。
井伊家縁なのでしょうね、福智院。

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そして、お昼。あんまり実は食べるところがないんだな、
と知ったわけですが、こんな暖簾見ると、
入らないといけないですよね?ね?ね?

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が、天皇陛下がご参詣される際にお食事を供される
ほどの高級店でびっくり!バッテラでやっとでした・・・
おいしいですけどね!武田菱ありますけどね(違)

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さて、奥の院までの道。いろんな歴史上有名な武将たち、
江戸時代の藩主などの墓が立ち並びます。

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立花宗茂供養塔。 形式は先の真田信幸と同じですね。

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拡大。割と読みやすい宗茂さんです。

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筑之後州柳川城主前飛州太守
従四位源宗茂公追□也
奉爲大圓院殿松隠宗茂大居士
成三菩提也
嗣子立花左近将監従四位下
源忠茂朝臣建立之

だいたい文言はみな共通の形式をとるもんなんでしょうね。
しかし、このペースで見ていると、いつまで経っても
先に進めないではないかぁ!ということでペースアップ。

最上家親供養塔。最上氏は彼だけだったような。
やはり大名格でないと、供養塔建立は難しいのか・・・

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家信造立之、とあって家信って誰よ?と思ったら、
義俊の初名が家信だったそうで。「家」を避けたのかなぁ。

島津家供養塔。このあたりは江戸時代半ばから幕末あたり。

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島津重年。「薩隅日三國主兼領琉球國」にビビる。
「領琉球國」って堂々と書いちゃうんだと・・・

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小田原北條氏。どれどれ・・・

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弘化というと幕末の元号。ということはこれは、
大阪狭山の狭山北條氏・・・
河州狭山舘北條相模守氏久 爲父氏喬建立之とあります。

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拡大。

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しかし、氏喬は最終的には遠江守になっていて、
氏喬も、これを建てた氏久も最初の任官が相模守、
ということになにやら感慨深く思ったりするわけです。

そして、狭山北條氏とは書かず、あくまで小田原北條氏。
「小田原」北條氏と敢えて書いた意図はわかりませんけども、
プライドみたいなものを感じたりしますよね。勝手ですけど。

そして・・・久方ぶりの、わが御屋形様と勝頼公。
まずは御屋形様。恵林寺殿俗名武田信玄とハッキリ読めます。

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天正元癸酉年四月十二日逝去
天正乙亥年三月六日建立

とあります。

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乙亥年とは天正三年、長篠合戦の直前ということになりますが、
実は、これ成慶院の『武田家過去帳』における建立日が合致。
この日、『武田家過去帳』によれば、山縣昌景が高野山を
訪れていることがわかっているんですよね!
まさしく当時に建てられた供養塔なんでしょうね・・・

さらに、高野山にも分骨されているということから考えると、
実際に、この供養塔に御骨が埋葬されていて、
いわゆる墓といってもいいのかもしれませんね・・・・

そして、妙心寺供養塔と同様、天正元年四月十二日であり
ここでも「未来年号」がつかわれている点にも注目。

続いて勝頼公。こちらも俗名勝頼、
法泉院殿、としっかり判読することが可能。

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残念ながら、建立日と没年の確認は失念・・・・
妙心寺の首塚から分骨されたりしているのか、
そもそも建立の経緯は・・というのも気になります。

ま、このときは御屋形様のことが知れたことで
いっぱいいっぱいだったのですがね(笑)
また宿坊にも泊まりたいので、そのときもう一度確認します(汗)

さて、まだ重要なお方が残っております・・・
信翁乾忠大居士、さてだーれだ!

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馬場美濃守なんです!信翁乾忠大居士、
信州真木嶋城主 馬場美濃守信房とあります。
これも、甲州日牌帳と戒名が一致。

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甲州真木嶋城主 馬場美濃守源信房
天正三乙亥・・・後は読めないです。
しかし、真木嶋城は牧ノ島城で信州だと思うのですが、
どうしても甲州と読めるんですよね・・・

左右には、子息と思われる人物。
右手には、蓮華院照山慈源大居士、
馬場民部少輔信忠とあります。信州於深師死、
という部分はよくわかりません・・・深志城にて討死、
と伝えているのかもしれません。

左手には、知門院紹勇躰生居士、
馬場左近房義とあります。民部少輔の弟でしょうか。

丸島和洋先生の「甲陽雑記 ー ○高野山調査・冬の陣(1)
では、この両名はまだよく誰だか判明していない様子。

その他、榊原康政・本多忠勝・島津家久(忠恒)らの
供養塔を見て回りました。

興味深かったのが、遠州掛川北條家・・・どこそれ?

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どうも、これ北条氏重といい、北条綱成の子氏勝に
保科正直の四男だった氏重が養子入りして、
玉縄北條氏を継いでいたのだそうです・・・

碑文。

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遠州懸川城主北條出羽守
平朝臣氏重公後室造立之
證心院殿自安□
妙體大□逆修
杦原耆伯守息女
寄萬治二己亥夭七月□日

どうも万治元(1658)年に氏重が没しているので、
時期的にはいいのですが、「逆修」の意味するところと、
「氏重公後室造立之」という関係がちょっと不明。
逆修であるならば、生前供養なので時期的に合わないので…

ということで、高野山はこれにて終了。
なかなか得がたい経験と情報をたっぷりいただけましたな。

おまけ。なんばまで戻ってくると、階段が真田丸。
けっこう早くに無くなってしまったようなので、
撮っといたのは貴重かも。ふふふ。

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