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去年の今頃はシリーズ(3) 武田家宿坊・持明院/櫻池院、真田家宿坊・蓮華定院

さて、例によって時系列は前後しますけども・・・
流れで高野山話。以前から行きたかった高野山宿坊。

江戸時代に統合されてしまいましたが、武田家の宿坊であった
引導院と統合した持明院に泊まったのが昨年2月。

◆持明院◆

持明院というと、勝頼・信勝・北条夫人寿像や、
武田晴信寿像の保有元
としても知られておりますが、
檀家は何も武田家独占というわけでもなく、
伊達家や京極家とも檀家関係を結んでいます。

高野山までの道すがら、南海電車の真田丸仕様車を発見。
もっとも後に乗ることになるのですが・・・それはまた後の話。

P1170660

高野下からケーブルカー、ひいてはバスでゆらゆら~っと。
着きました。持明院。

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いきなり間違えて、勝手口から入ろうとした不届き者は
わたくしであります・・・・申し訳ありません。

宿坊の堂宇は、明治期の大火の後の再建ではありますが、
立派な風格のあるもの。

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P1170697

そして、花菱センサー発動(笑)
あちらこちらに花菱があります・・・・火災で史料に乏しく、
ハッキリしたことはわかりにくいようですが、武田家由来でしょうね。

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湯飲みにも・・・尤も、花菱だけではなく、
京極家の四つ目結も描かれてあるんですが、
写真に撮ってないという(笑)

P1170666

お夕飯。精進料理と聞くと、さぞかし味気のない…
とかって想像してましたが、とんでもない!

P1170667

高野豆腐はさすが、鍋物の出汁が最高。
お出汁をうまく使った料理はありがたいですね・・・

お風呂では外国人の方と遭遇。この日だけか・・と思ったら
けっこう外国人の方が多いらしく、持明院でも
お一人英語に堪能な方がおられるようでしてね。

確かに日本的なものの体験にはなりますよねぇ。
って、日本人にとってもなかなか体験できないことですけど。

ま、消灯も早いわけですが、ツイ廃しなければ(笑)
特にほかにやることもなく、本を持ち込んで
本を読み込むのもいいかもしれませんよ。

このときは、高野山の武田家宿坊に関するコラムを
読んだりしてましたかねぇ・・・

翌朝。お勤めに参加します。けっこうわたしギリで、
お堂に向かったんですが、しまった・・・・!!

P1170672

というのも、暗い向こうにかすかにご位牌が見えましてね・・・
しまったぁぁぁぁ、ご位牌拝見する時間ねぇぇぇぇぇ!!

まもなくお勤め開始。あぁ・・・
まぁ、また泊まりに来ればいいんだと思い直し、
手を合わせます。般若心経の部分がわかるのがうれしい。

この日は特別に護摩祈祷をされてる日だったので、
合わせて拝見させていただきました。

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朝ごはん前にうろうろしていると、
とあるお部屋に、浅井長政像と市像(たぶん複製)を発見。
持明院、この両像もお持ちだったんですね。

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ほかなんかないかな~とうろうろしてますと!
金物の水差しに花菱発見!これ・・・なんかゆかりあるか!?

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引導院には勝頼遺品が奉納されたとあるから、
その中のひとつじゃないかなーなんて想像。

ということで、短い時間ではありましたが、
なかなか堪能できました。ご位牌の件だけでなく、
写経の申し込みを忘れていたのが心残り。
次回は絶対忘れないように・・・!!

こちらのお札もまた・・・(花菱に目が行く)

P1170815

◆成慶院◆

ということで、翌朝持明院を出てテクテク・・・
と向かったのは、櫻池院。
櫻池院自体は、武田と関係は本来はないのですが、
明治以降、武田家のもうひとつの宿坊・成慶院を
こちらが管理されているのです。

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こちらには割菱が配されていますね。
櫻池院と武田家の所縁の新しさゆえでしょうか。

成慶院の碑もあります。「武田信玄公菩提所」

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成慶院も、もちろん武田専属ではなくって、
信濃や上総・下総あたりと師檀関係を結んでいる様子。
他に目立つところでは、会津藩(保科・松平氏)、
大和郡山藩(柳澤氏)あたりとも関係があって、
このあたりは武田所縁というところに、関心が向きますね(笑)

とはいえ、お泊りしないと中は詳しく入れないので、
やはりここも機を改めて、来ないといけませんな。

P1170710

P1170711

成慶院はこんな感じ・・・えらく現代的な、
見たところ鉄筋コンクリート造です。
往時の建物は焼失でもしたのでしょうか・・・・

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とはいえ、甲斐国供養帳や信玄公ゆかりの文物や
ご位牌は残されてますので、うまく難を逃れたのでしょうか。

続いて、蓮華定院。ここも有名になりましたかね、
真田家と師檀契約を結ぶ宿坊。

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P1170721

とはいえ、泊まっているわけではないので、
信之・信政の供養塔にだけ、手を合わせに行こうかと。

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真田丸では、描写が省かれましたが、
第二次上田合戦・関が原合戦後、昌幸・信繁一行は、
まずこの蓮華定院に入ったのだそうですね。

裏手にある供養塔。向かって右手が信之。

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左手が信政。

P1170726

まわりは梵字で守られております。

P1170727

特に、信幸供養塔の刻印が興味深いんですよ。

奉為信州埴科郡松城之城主
従五位下前真田伊豆守
滋野朝臣信公道諱
大鋒院殿徹巖一當大居士
一周忌追善也

大施主真田右衛門殿爲祖父造建之
□萬治二歳巳亥十月十七日

そう・・・信幸、と関が原以前の諱で記されてるんです。
尤も、一度「信之」にしてからわずかな期間「信幸」に
戻した時期はあるそうなのですが、これは信之死後に、
後を継いだ孫で、信政の子である幸道が建てているのです。

が。

幸道は当時2歳。改名時期はわかっていませんが、
元服後、当初の諱は信房だったともいいます。

とすると、幸道本人の意思ではなく、誰か後見する立場、
もしくは家老クラスの指示によるものと考えるのが自然でしょう。
なぜ「幸」の字にしたのか、後に幸道と改名し、
後に続く、通字が「信」から「幸」に戻っていくことと関連するかも?

ちなみに、信政のほうはこうあります。

奉爲信州埴科郡松城之城主
前真田内記従五位下
滋野朝臣信政公道諱
圓陽院殿威良一中大居士
一周忌追福也

大壇主□子真田右衛門殿造立之
□萬治二歳次巳亥二月五日

なかなか興味深いですね。こういう謎を解けなくとも、
見つけるだけでもなんだかわくわくする、それもまた歴史の楽しみ。

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