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去年の今頃はシリーズ(2) 妙心寺玉鳳院@2016年

さて、正月に続き、去年の今頃はシリーズ(笑)
今ちょうど、甲府と上田に来てまったりしておりますが、
昨年は・・・名古屋城の見学会と京都へ。

今まで、京の冬の旅というJRの企画には
あまり惹かれてこなかったので、これに合わせて、
京都に出かけるってことは、あまりなかったように思うんですけど、
ふと目に付いたのが、玉鳳院。

いつもこの時期に公開されているわけでもないようで、
これはチャンスということで、このためだけに京都へ。

P1170600

ちなみに、今年は維新150年ということで、
幕末維新にゆかりのあるお寺が中心のようです。

妙心寺というのは、武田家とも縁の深い京の寺院で、
恵林寺を信玄公が再興し、菩提所に定めた際に
円覚寺派から妙心寺派になったんですね。

ということで、妙心寺とのツナガリは即ち、
信玄公とのツナガリの始まりということでもあるわけです。

仏殿を抜けて、玉鳳院に向かいます。

P1170602

法堂の角を右に曲がります。

P1170603

唐破風の門、向唐門。

P1170608

こちら、平唐門。
開山堂前の門じゃ珍しい正面(桁側)ではなく、
向かって左右、つまり妻側に唐破風があるんですよね。

P1170621

後小松帝時代の御所の門だそう。
後小松帝というと、南北朝末北朝の最後の天皇で、
神話時代も含めて、ちょうど第100代天皇。

ということは、応仁の乱などの度重なる大火にも
耐えてきたものすごく貴重な門ってことだ。。。!!

さ、貴重な内部に入らせていただきます。
よ、よめにゃい・・・

P1170609

玉鳳院。こちらは明暦2(1656)年の再建。

P1170611

とりあえず、花菱センサーが引っかかりました(笑)

P1170612

そして・・・・信玄公、勝頼公、信勝公、典厩信豊殿の
供養塔にお参りをいたします。撮禁なので、写真はありません。

まず、信玄公ですが御自ら妙心寺派とお定めになったこともあり、
御遺骨の一部が妙心寺にも分骨されてるそうで、
この供養塔は、いわゆる御骨のある墓所といえるかもしれません。

また、同時に高野山にも分骨なされているそうですが、
高野山の過去帳、および高野山信玄公供養塔の御戒名とも
一致していて、「恵林寺殿機山玄公大居士」とありました。

お参りしたときは、「法性院殿機山玄公大居士」という、
甲府市岩窪の火葬塚にある戒名を思い出したので、あれれ・・・
と思っていたのですが、「恵林寺殿」が正しいのですね。

ということで、あの岩窪の石棺は怪しいとか何とか・・・
ま、あれはあれで地元で長く弔われてきた供養塔ですからね。

そして、勝頼公。当時妙心寺五十八世の南化玄興師は、
恵林寺の快川国師はじめ、武田家に縁のある高僧と親交が深く、
また、信玄公と同じく勝頼公の御代にも続いていた様子。

京で、勝頼公の御首が晒されたと知るや、信長に嘆願して貰い受け、
妙心寺に葬ったとされるわけです。南化玄興師は信長からも、
信用を得ていたそうなので、首を貰い受けられたとか。

というわけで、ここにはいわゆるいずれの皆様もその御遺体が
お眠りになっている墓所、ということになるのでしょう。

特に、勝頼公は真田丸でちょうど大きな反響と関心を呼び、
勝頼公復権元年になろうとしていた時期。
勝頼公はどのように、この趨勢を黄泉からお感じになっているでしょう?

少し気になったのは、仁科薩摩守信盛の供養塔はないんですよね。
仁科殿はどちらでお眠りなのでしょうか・・・

戒名は次のとおり。

武田信玄公:恵林寺殿機山玄公大居士
武田勝頼公:法泉寺殿玉山龍公大居士
武田信勝公:春山花公居士
武田信豊殿:英叟知雄居士

信豊殿の戒名が特に気になりました。
英叟知雄、勝頼に特に近しく、頼りにされていた副将。
父の古典厩信繁と比べると、どこか影が薄いようにも思いますが、
その勇猛ぶりが想像できる文字が並んでいますね。

ちなみに、信玄公の供養塔のみハッキリと年号を
読み取ることができました。

『天正元年四月十二日』とあります。当時は元号が替わったら
バックデートして年全体がかわるのかな?本来は、元亀四年なのに、
と思っていたのですが、後に丸島和洋先生から、
「未来年号」という概念があるよ、と教えていただきました。

つまり、明らかな偽作の場合だけでなく、「未来年号は比較的
近接した時期に、過去を回想して遡った日付で書かれた場合」に
おき得るということが、服部英雄氏のWebで言及がありました。

信玄公の本葬儀を経て、妙心寺に分骨ということであれば
三回忌の頃ですから、このケースに当てはまりそうですね。
そんな発見もあったお参りでありました。

そして、普通はまずこちらに関心が行くのでしょうけど、
織田信長・信忠供養塔もあるんですよね。
何の因果か・・・とも思いますが、南化玄興師と信長の関係を
考えれば、等しく関係の深かった人物を葬るということなのでしょう。
死ねばみな等しい・・・のでしょうな。

今年はだめですが、また玉鳳院の公開があれば、
今後はぜひ継続的に行くようにしたいと思った次第であります。

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