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城フェス 2015・・・5!? 後編 武田の城?徳川の城?

さて、後半戦・・・の前にブレイクがてらに
フォトコンテストなんていうのもありましたねぇ。

奥月さんはじめ、知ってる皆さんの写真がノミネート。

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個人的にこれいいなぁ。なかなか高松城は再建難しいだろうし、
やりたい気持ちはよくわかりますなぁ。

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撮るでぇとやる気むき出しな城メグさん@熊本城も素敵(笑)

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夕暮れ×天守って、やっぱり鉄板ですね!

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雪の竹田城。わたしもみたことがない・・・
でも、もう怖くて竹田城行けないよなぁ・・・

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フォロワーさん・しんさんの竹田城のお写真。
娘さんと竹田城の一枚。グランプリに輝きました!
超超今更ですが、おめでとうございます(笑)

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竹田城、12月に初めて行ったきりなので、
このような新緑の竹田城みたことないよなぁ・・・あぁ。

・・・ということで、フォトコンの後は、
レポート・高天神城と小笠山砦と加藤先生の講演
「徳川の城・武田の城」という内容。

(1) レポート・高天神城と小笠山砦

小笠山砦とは、武田の高天神城を落とすための
徳川城砦群の代表的な陣城だとか。
高天神城は行っておりますが、小笠山砦は未訪問。

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小笠山砦からみた高天神城。目と鼻の先ですの。

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位置関係。高天神城も北側に向かって、
U字に曲輪が開いているのに対して、
小笠山砦も南側に鶴翼の陣。

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縄張図。高天神城の北に位置し、
南側に対して、鶴翼の陣を構えるような印象を受けます。

P1100624

そして、中井先生の解説にあるように、
曲輪がほとんどなく、横堀・堀切を多用して、
武田方からの反撃を遮断することにのみ特化した塹壕的な。

このあたりは特殊な礫層で、高い断崖絶壁でも崩れないそう。
なので、土の城をつくるうえではかなり有利な地質なんですねぇ。
(敵味方両方に、だけど)

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ぐるっと伸びる横堀。

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エッジの効いた土橋。いいねこれ!

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しかし、すごい崖・・・次、高天神城行くことがあったら、
拠ってみたいですね・・って拠ってどうする(笑)

高天神城。

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中井先生が、「別城一郭」という表現をされていましたが、
元々は本丸のある東側のみで、武田が入ることで
井戸曲輪以西の尾根も城に取り込んだのではないか?と
いう見解を出されておられました。

確かに西の曲輪は、ぐるっと西側に濠が配されていて、
丸子城のような感じは受けますし、尾根を切断した堀切は
ダイナミック・・・である一方、東側はわりと単純な感じはしますもの。

本丸で土器?を確認する中井先生。
後ろで顔出しで遊んどる・・・という加藤先生とのdisりあいは
聞いてて楽しいです(笑)

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大河内政局捕らえらたといわれる石窟ですが、
岩盤の崩落を気に調査すると、その伝承通り遺構が
見つかったそうで。。意外と伝承馬鹿にできないよ?という話。

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結局、伝承が伝承のままなのは、証明ができないからであって、
嘘だ、間違っているというわけではないのですよね。

火のないところに煙は立たない・・・式の考え方で、
確かではないにしても、何かにシグナルかも?というようには
考えるようにしたいものですね。

西の曲輪の横堀。防御の意味だけでなく、
テリトリー意識の発露として、ここまでが城郭だいう
線引きでもあるかも、ということでおもしろい。

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尾根を遮断した堀切。

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(2) 徳川の城・武田の城

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てことで、徳川と武田の城@駿河・遠江の話。
というか、丸馬出の武田から徳川への系譜のお話、
といったほうがいいかもしれません。

常々、加藤先生はいわゆる丸馬出=武田ではないよ!
ということで、諏訪原城はじめ徳川が入った以降に、
大規模な丸馬出を建造していると比定される城も多いのです。

駿河田中城。外郭に4つ、内郭に2つの丸馬出が
あったわけですが、どうも徳川ではないか?と言われてると。
この様子は江戸時代の田中城の再現。

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駿河丸子城。大鑪(おおだたら)曲輪が丸馬出、
その他いくつか丸馬出、と言えなくもない箇所があります。

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大きすぎる・凝りすぎているという点から、
中井先生・加藤先生は天正十年以降、小牧長久手に
備えた徳川の防備という捉え方をされているようです。ふむ。

ただ、具体的な発掘などは行われていない、
ということですから、確定的とまではいえないようですなぁ。

にしても、横堀の途中あるいは終端に丸馬出がある
というのがちょっと丸馬出というのは、
形状は同じでもちょっと使い道が違うように思うんですよね。

同じ、横堀の途中にという意味で共通するのが
遠江犬居城。

P1100653

横堀の途中に丸馬出状の小さな曲輪が
確かに確認できます。

小長谷城。北側の曲輪は完全に破壊されてしまって
いるのですが、残存している部分に丸馬出が
重ねて配置されているのがわかります。

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破壊された部分ですが、こちらのblogによりますと、
昭和10年当時の「小長井城略圖」に
小学校となった北側の東側に弧状の堀が描かれているようです。

つまり、本曲輪の左右(南北)対称的に、
重ねた丸馬出が設置されてあったと推測できそうです。

そして、丸馬出といえば!の諏訪原城。

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諏訪原城は発掘調査がされているそうなのですが、
本曲輪では、武田期の焼けた遺構面と徳川期の遺構面が出てるとか。

そしてその焼けた武田期の面を整地して、徳川期に曲輪を
整備しているのですが、おもしろいことに徳川期の虎口土塁の下
からも武田期の遺構面が出ているのだそう!

じゃ、この土塁って徳川期とするならば、どこから
土を持ってきた?と考えると徳川期に大きく壕を掘っている
という風に考えるのが自然というわけです。

なるほど・・・諏訪原城の丸馬出は徳川というのは
可能性が高いことがよくわかります。

規模の比較。
高天神城の横堀と諏訪原城の横壕比較。

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同じく丸馬出、確実に武田と言える興国寺城の丸馬出と
徳川と推察される諏訪原城の丸馬出。

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確かに規模の大きさは一目瞭然ですよね・・・

いずれにしても、なんでもかんでも武田武田と言い張るよりも、
武田的なモノが伝わってることの方に価値を感じたい、
という思いがお話を聞いていて強まってきました。

武田から徳川に変遷していくなかで、丸馬出が
どう伝えられていくのか。形状は同じでも使われ方はどうか?
徳川時代に発展的に変貌していくのでは?などと
考えると、興味は尽きませんね。

また、近日加藤先生の丸馬出のお話を
ちょうど聞くことになっているので、その意味でも
1年半前のイベントですが、非常によい振り返りになりました。
(いい感じの言い訳)

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