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倭城でないと!~平成の役~ 201【5】

さて、実質的に残っている最後の2015年ネタ。
えーっと・・・・2016年も10月が終わる・・・
ってことは、8割方終わっている・・・なのに2015年・・・
# 武田関連講演は2016年分とまとめようかと思っています

あまりの2016年記事の溜まり様に、茫然自失・・・
ですが、こつこつ記憶を手繰り寄せて書いていくしかありません。
やっぱり、こうなっても記録に残したいって気持ちが強いのでね。

ということで、2015年の6月末。ちょうど2015年城フェスの前日に
(2016年の城フェス@可児も終わったよなぁ・・・汗)
倭城のお話をば、カルカルにて拝聴の巻であります。

なんと、よく知るお二人がプレゼンされるというわけでね・・・
お一人はもうお世話によくなっているサイガさん(新津竜一氏)、
そして、こちらももうお世話になりまくりの夕里さん。

夕里さんとはじめてお会いしたのは、2012年岡山にて。

本当にあのときに、しみじみとお城が好きだったけど、
こうしてお城の話ができるなんて・・・と誰にも城好きを明かさずに
来たことを話してられたのが遠い記憶のように思えます。

そして、倭城を知り、あっという間にその魅力に魅せられて
韓国に住んでしまうという・・・割とわたしも行動力のあるほうだと
それなりには自負していましたが、度肝を抜かれましたよね。

そんな夕里さんがどうされてこられたのかを知るいい機会でした。
司会はカルカルといえば・・のテリー植田さんと
城郭研究家の本岡勇一さん。

プレゼン前半は夕里さん、後半は、同じく城郭研究されている
堀口健弐氏とサイガさん。かなり関西色の強い面々でございますな。

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■チョアヨ、倭城(好きです、倭城):夕里さん

姫路城的な滴水瓦。いや、再建されたとはいえ、
むしろこっちが本場だから姫路城の元になった・・・か?

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そもそも倭城とは?という話。会場の人は大体知ってる
ような気はしますけども、まぁ念のためって感じかな。

名高い西生浦(ソセンポ)城の登り石垣。
え?なんすかこれ?なテリーさんのコメントがおもしろいですね(笑)

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こちらを見なかったら、倭城にハマってなかったであろう、
と夕里さんに言わしめた登り石垣。ふむ、これは確かにすごい。

機張(キジャン)城本丸から。

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そんな夕里さん、一度見てこれはすごいと思ったら、
毎日見たい、毎日見るにはどうしたらいいか・・・住めばいい!
とド直球なお答え(笑)

仲間内でも「えええええ」なことですが、こうして
イベントで話されてもそのすごみが全く損なわれないインパクト。

ワーホリかぁ。もはやもうわたしには関係ないですが、
知ってればどこかに行ってたかなぁ・・・

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今しかない
文字しかないスライドなのに、なんですかこの衝撃(笑)

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わたしも割と好きだぁぁぁぁといえるもの、たくさんありますが
ここまで割り切って好きなもののために、
生活を変えられるパワーなかった…
お隣の甲府に住むのもなかなかだもんね、アタクシ。

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なんといいますか、石橋を叩いて叩き割りまではしないけど
ヒビ行かせる位はやりかねないわたしには、
ちょっと発想が・・・改めて、すごい(語彙力のなさ)

ということで、ワーホリ中韓国で倭城を案内する夕里さん。
知ってる人が好きで活躍している様子を拝見するのは
なんともうれしいものですよねぇ。

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韓国人でも比較的に日本に関心のある皆さん方も
多く参加されているみたいで。ほうほう。

ということで、一度も倭城に行かれたことのない(このときまでは?)
鎖国を続ける本岡さんへ開国を迫る黒船プレゼン・・・
列車とバスで行く、プサン2泊3日の旅。

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韓国の電車・バス。SuicaみたいなICカードがあるみたいで
バスは割とハングル読めなくても、割と何とかなるみたい。

電車は漢字や日本語のアナウンスもあったりするみたいだけど
ちょっと近くまでは行けないようですの。

最初は蔚山(ウルサン)城。
ただの公園になってるのですが、登り石垣。
当たり前のように佇むけども。

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ダイナミック。やっぱり日本の城だよなぁ。
しかも、このような石垣が海から見え、
近づく者に威圧感があったんでしょうなぁ。

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晩ご飯は、ティッコギ@プサン。
キムチも焼くと美味しいの!?

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翌日は西生浦(ソセンポ)城。知ってはいるけども
いいねぇ、いいねぇ。知らないと日本の城跡。

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こんな住めそうな石垣の上にお家があるあるトコも(笑)

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倭城に住むには、ここを攻略するしかない!?(笑)

機張(キジャン)に移動してかにかに。
かにが有名なんだそう。かに&かにチャーハン。
土塁っぽい?(笑)

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その後は、機張城。ここも登り石垣。

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天守台から。誰かだかわかる人にはわかる(笑)

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定番スポットらしい。

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サイガさんのお写真で横から。
補強のための追加石垣のようでっせ。

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続いて、機張邑城。城壁で囲んだある意味
中国の影響を受けた朝鮮の城。
日本だと同じく中国の影響が強いグスクに近いかな?

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日本の石垣にはあまりない、カーブするところが
特徴ですかねぇ。ただ朝鮮式の城の石垣でも、
こんな鏡石のようなデッカイ石も使われているんだぁ。

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最後に、梁山(ヤンサン)城。以前少しだけ、
韓国の仕事に関わったときの担当者が梁(ヤン)さんだったので
ププッとしたのを思い出しましたよ(笑)

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この石垣いいよねぇ。麓の居館跡の石垣だそう。

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この辺、お墓多いらしいですね。
まぁ、夕里さん同様わたしもあまり気にしませんけど。

最後の韓国のお食事、デジクッパ。
とんこつにそうめん?みたいな感じだとか???

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■倭城の構造:堀口健弐氏

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最初にオッと思ったのは、いわゆる倭城が最初からできたわけでなく、
初期段階では、朝鮮の城を日本的に改修するというのも
あったんだということですね。邑城の中に日本的な石垣が残るところ。

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それでも、軍事的な必要性から、橋頭堡として
あるべき姿に進化していく、それがいわゆる倭城として知られる
日本の城の姿なんですね。ふむふむ。

西生浦(ソセンポ)城の縄張と日本時代の測量図。

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これ、やっぱり朝鮮の城はこんなところにできないわなぁと。
上陸地点としての拠点にするには、こういう位置に
城が必要なのがすごいわかるよね。ふむ。

一方朝鮮式の城にも、邑城と違った防衛意識のある城も。
盆山城の例。これ、どーみてもグスクの石垣ですよねぇ。
日本と違って、多段的に防備はなさそう。

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こちらは丹波・周山城。朝鮮出兵以前の織豊城郭に
見られる登り石垣。この頃から登り石垣が万里長城のような、
線で防御するものではなく、空間を囲い込むパーツとして、
意識されていたということができそうな例。

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これが朝鮮出兵という今までにない戦争のなかで、
橋頭堡形成に使える技術として発展したのでしょうな。

あと特に気になったのは、順天(スンチョン)城。

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現在は積み直されているそうですが、
少し前はこんな様子で天守台が、
当時の石垣が崩れながらも残存していたようで。

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天守台を少し引いて。左奥から手前に進み、
右に折れて、天守台下に到達する縄張りになっています。

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この上に建っていた天守が「征倭紀功図巻」という
史料に残されているようで・・・まさにこれ、層塔型天守。

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絵図、しかも外国の・・・だからというのはあって、
正確さはちょっとアレかもしれませんが、
天守の中層が膨れている南蛮造なのもポイント。

同じく城門。形状こそどこか中華風な感じがしますけど、
折れたところに櫓門を配するあたり、日本式の様子が
よく表現されていますな。この絵図で現地確認するのもいいか?

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南海城にも、天守の絵図が。ほんとに飾りじゃなく、
実戦用のパーツとして、見られていたからこそ
天守までキッチリつくられていたんだろうな。

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天守アップ。こちらは望楼型かもしれませんぞ?

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■地形を見れば倭城がわかる:サイガさん

サイガさんの地形論。よくよくお城に行く際にも
ご一緒させていただいて、お話いただいていますが、
こちらでもよくわかる築城の必然性についてお話いただきました。

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釜山城。母城と子城があって、サイガさんは
一体の城として捉えてられて、当時の海岸線に対して
拠点を確保するとともに、より高い山から攻め立てられることを
想定して、その手前の山に城を構えたというわけですね。

P1100417

梁山城。これも興味深い・・・
八千の兵を千五百で黒田官兵衛が撃退した城。

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梁山城周辺の航空写真を見ると・・・当時は、
西側には大河、東にも川があって、
北側に山手が延びているものの、梁山城周辺は
低地でおそらく湿地帯だったのではないかとのこと。

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ただオレンジの線の引いてあるところが微高地になっていて
梁山城を攻めるにはこのルートしかないだろうと想定。
実際に少し高くなっているのが、今でもわかるみたいです。

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ということで、改めて梁山城の縄張りを見ると、
このオレンジのラインから攻められることを想定した縄張りに。

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最後は、泗川城。島津義弘公の守った城ですな。

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ここでも地形から南北の低地に挟まれた台地の東から
攻め寄せることを想定した縄張りになってると。

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自然地形をうまく利用しながら、台地に通じる点に
土塁と濠で防御性能を向上させると・・・
実際の写真(2005年前後)を見ても、
高低差があるのがわかりやすいっ・・・

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というわけで、相変わらず地形でわかるお城の話には
1年半経って改めて確認してもおもしろいですなぁ・・・・

ネタを寝かしすぎて、新たに講演を聞いたような感じになりましたが、
基本的な倭城くらいは行ってもいいかなと改めて思いました。
今年は武田と真田丸で忙しかったし、2019年は甲府関連で
忙しくなると思うので、来年か再来年までには・・・

翌日は、城フェスのお話。くれぐれも2015年のお話なんで
お間違えのないように・・(苦笑)

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