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城フェス 2015・・・5!? 前編

さて、いよいよ最後。タイトルが紛らわしいですね、
2015ですよ!2015(笑)

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盛りだくさんの4時間オーバーの企画ですので、
(というのとズボラ根性もあって)二つに分けまする。

城ラマ・上田城。平山先生説とは異なって、
百間濠のある北東方向に天守相当の三階櫓がありますな。

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こちらはご存知、長篠城。
武田風に丸馬出が置かれている点が◎
長篠城を武田が改修した後ですね。

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こちらはある意味、武田の命運を決定付けた、
とも言える高天神城。

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城ラマおつくりの方が武田に関心が高い方なので
わりと武田にゆかりのあるお城が多いんですね。
ありがたや、ありがたや・・・

というわけで、城フェス始まりです。
かみゆ代表の滝沢氏に、中井均・加藤理文両先生、
そして城メグリスト・萩原さちこさんのいつもの(?)メンバー。

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(1)韮山城・天ヶ岳レポート
(2)中井先生・安土以前の石垣の城
(3)フォトコンテスト

の前半三本をまず。あまりに前のことなので、
記録とってる中から、個人的に気になること残しておきたい
という点に絞らざるを得ないのはご承知置き頂きたく…

(1)韮山城・天ヶ岳レポート

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韮山城を目の前に・・・山城は高ければいいってもんではない!
っていう話。領域を支配する範囲を見渡しうる一番低い山でいい
ということ、考えてみればそれが一番効率的ですわな。

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一国を支配する戦国大名レベルになると、徒歩1時間程度
国衆クラスであれば徒歩30分程度の比高と考えるのがよいと…
というと、韮山城であればこの程度が妥当と。

そこに豊臣軍が攻め込んでくるという事態になって、
初めてより高い裏山(天ヶ岳)を取り込む必要が出てきたのではと。

必要以上に高いと防御や領域監視はいいのでしょうけど、
やはり行き来が大変だったり、水の問題があったりと
いいことばかりではないですからね。必要に応じた適切なバランスで
城が築かれる対象になる山が決まっているのは、ナットクです。

10分~15分と縄張図を見ながら、検討する先生方。

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やっぱり、最低限縄張図をしっかり見ながら歩くってのは大事。
しかし、縄張り図を持っていっても、実質その場ではじめて見る
だったり、同行する方のコピーを当てにしているというのが
今までだったな・・と反省。

まぁ、数を行こうとするとどうしてもそうなるわけですけど、
事前に縄張図を見ながらある程度予習して、
どういう点を見たいのか?をハッキリさせて見に行きたいもんですな。

加藤先生がおっしゃっている看板をデジカメで撮って、
それを見ながら遺構を歩くっていうのは、わたしもよくやる
一番お手軽な方法ですよね。

とりあえず主曲輪に行ってみて、それから降っていくと
判りよいというのもなるほどなるほど。主曲輪に解説があったり
っていうことも多いですよね。

この三の丸権現曲輪に差し掛かる枡形虎口を目の前にして…

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何かを確認しに、どわぁぁぁぁと確認しに行かれる中井先生(笑)
それを見守る城メグさん。

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二の丸切岸。なんかすごいらしい。
やっぱり行かんとあかんよね。

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ここからより中枢部に入るという、仕切り的な機能が変わる
という意味もあったんじゃないかと。なるほどね・・・
躑躅が崎の表と裏(裏が少し高くなっている)を思い出します。

せせり立つなぁ・・・

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にこやかに登るおふたり。

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城山の上から景色を見て、街道や川、味方の城・敵の城の位置
などの立地条件を本曲輪から見るという楽しみ。

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これもある意味、予習が欠かせないなーと思いました。
というのも、本曲輪からこっち方面に何が見えるって解説が
仮にあったにせよ、街道や他の城がとかは充分にないことが多い・・・

だからこそ、自分の問題意識にしたがって、周りに何があるのか?
を調べていったほうが間違いなくいいんでしょうね。

左から右へ、韮山城籠城守備兵には山中城へ向かう豊臣の大軍が
見えたでしょうね・・なんて会話をしながらの城攻め、
そりゃぁ、楽しいですよねぃ。

豊臣側に土塁が盛られているってという話。
必要のないところには盛らないってことなんですけども…

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これは駿河丸子城で感じたことですね。
今川時代と武田時代では、仮想的の方向が違っていて、
結果的に防備の向きが違うんですよね。

もちろん土木量の違いもあるわけですが、
決して今川時代のほうには武田時代の大規模な
土塁や堀はないわけでして。

焔硝蔵があったのでは?とも目されている塩蔵。
土塁で万が一の爆発にも耐えられる構造。

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天ヶ岳。背後にあるより高い比高の城。

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こんな感じで本丸見下ろせちゃうんだなー。

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ふむふむ。知り合いの山城好きな人はほとんど
行ってられるのかもしれないですけど、魅力はよくわかりますね。

最初からココに作っておけばよかった?のかもだけど、
最初は必要がなく、豊臣軍が迫って初めてという流れも興味深い。

(2)中井先生・安土以前の石垣の城

ひたすら写真だけを眺めるだけの講演でしたが、
それでも非常におもしろい内容でした。(改めて聴き直しても)

長年、安土城が最初の石垣の城といわれ、いや観音寺城が先
いやいや信長だってその前にも・・というところですが、
もっと広範囲、16世紀前半(1500年代前半)あたりから
石垣の城が見られまっせという話ですね。

■松本平周辺■
ひとつの地域が、松本平周辺。
虚空蔵山城、一説に滋野一族の会田氏の城とも。

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鏡石のような大き目の石に、顎出といわれる
少し突き出たような構造をもってます。

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こちらは林小城、守護小笠原氏の城。

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ちょっと調べがつかないのだけど・・・
はぎはら城なる城。段築して二段構造にしてます。

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山家(やまべ)城。ここも4m程度の石垣・・・
というか、石壁。ここまでで共通なのはいずれもほぼ垂直で、
いわゆる切岸の垂直さをより追求した結果であり、
後世の石垣の上に構造物を形成するものではないという点。

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これって、他の周辺地域には伝わらないんですね・・
特にこのあたりは武田が制圧していくわけで、
もし武田が価値を見出していたとするならば、吸収していてもいいはず。

しかし、勝頼期末期の要害山城・熊城修築や
おそらく同時期であろう躑躅が崎館の土塁増強で土留めとして
石積みは使われていますが、切岸の代用としての用例は
武田領国にはないと思われますね・・・

もう一度確認は要りますが、中井先生のいうような、
切岸を重要視する考え方は、武田にはなかったのかもしれません。

■近江■

続いては近江。まずは観音寺城。

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矢穴がある!ということは、見れば判るんですが、
石を割るという発想が武士ではなく、寺の発想というご指摘。

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五輪塔や石仏をつくる過程で、石材加工技術が蓄積され、
どうもそのお寺の関係者が技術指導してそうだということなんだとか。
一方、20年後の安土城には矢穴はない・・・
こういうところから、石材加工の伝播経路を辿るのも楽しそうです。

麓の伝御屋形。守護六角氏の屋形跡とされています。
普段は鬱蒼としているそうで・・・??

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隅石。近世の算木積ではない未熟さが興味をそそります。

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文献によると、1556年。ちょうど信玄公が信濃攻略に邁進すべく
甲相駿三国同盟を結んだあたりでしょうか。

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この辺の矢穴はすごいな、二回も石を割ってますぞ。
同じく六角氏の三雲城。

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こちらも算木積が未熟。加工はできても、
積み方ってのは、試行錯誤だったんでしょうかねぇ。

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小谷城山王丸石垣。この辺が浅井のよう。

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信長の野望をやってると、近江は南北別になってましたが、
石垣技術も南近江とは違い、同時代比較すると、
未熟なんですね・・こういう比較と気づきはなかなか素人だけ
ではできず、ありがたいご指摘です。

チョット飛んで、播磨へ。

■播磨~安芸~九州■

赤松氏の置塩城。垂直に土塁の代替としての石垣
という意味で、先ほどの松本平周辺との共通性を感じますね。

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こちらは・・・行きたいと思いながらずっと
行っていないままの吉田郡山城。

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どうも総石垣であったようですが、島原の乱後に
大規模な城破があったよう。

佐賀・勝尾城。段築して二段に築かれた石垣。
ここも建物を建てるのではなく、バリケードとしての城壁
としての役割なんでしょうかね。

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加工せずに石を使ってどう、城に生かすか?
を考えたとき、地域性はあまりなくて互いに繋がりはなくとも、
同じような結論に達するのかもしれません。
扁平な石を選んで、というのも松本と共通してるしね。

これはわたしも行った、長岩城の登り石垣。

P1100574

石積櫓。

P1100576

自分がオフ会に参加したときは、ずいぶんと珍しい積み方、
石の選び方だと思ったものですが、実は同年代と目される石垣遺構で
比較すると、割と共通しているのかも。

城ではないのですが、周防大内氏の凌雲寺。
ここの石塁をご紹介いただきました。観音寺城の門にソックリ!

P1100578

垂直な感じ。お寺ですから何も理由がなければ、
塀のように垂直に立てますよね。それが、何らかの過程で、
山城の防備に使えるやん!と築きがあったのでしょうか!?

ということで、1年半後に見返しても(爆)
ちゃんと自分にとってのメモとして、残しとくべきだー!
と思える貴重なお話でしたっ。

さて、後半に続く。

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