2015年棒道踏査 … 湯川砦編~大門峠
さて、湯川砦周辺。砦に向かう前にお茶清水をば・・・
ここはお茶を点てる水を汲んだというトコ。
今となっては完全に否定されている信玄公像なのは
まぁ・・・深く触れないでおきましょう。
それでも信玄「公」なんだよね。
中の棒道沿いにあります。一応信玄棒道を辿る、
という観点から中の棒道は外していますけども。
流れのないところは淀んでいてアレでしたけども・・・
流れのあるところはきれいな澄んだ水。
ボトルに汲んで持って帰って、ウイスキー用の
チェイサーにしました(笑)
この透明度できれいさがわかっていただけるのでは!
さすがに煮沸したけど!
ということで、案内板へ。湯川砦は枡形城という
本丸に当たる部分と原の城という外郭に相当する
部分があったらしい。枡形城には丸馬出つき。
・・・ということで、湯川砦。眼前の高台になったところが
原の城一帯。先ほどの図によると実際の車道よりも
手前に土塁を割って、大手道があった・・の??
原の城。縄張りは正直ようわかんないんだけど・・・・
このへこんだあたりがどうも大手道らしい。
原の城東の壕。単独で見る分にはでけーすげーなんですけど、
自然地形のように見えなくもなくて、けっこう謎。
でも10mはありそうな壮大な壕ではあります。
ちなみに夏に行くと藪ってて規模感が
サッパリわかりません!(笑)
これ以外は特に障壁もなく・・・ちょっと城として
どうなんだろう・・・という気はしました。
あくまで駐屯地ということならまぁ、という気もしますが。
一応こちらのWeb(想像含む)ですと、
四方を大きな壕で囲まれた平地が広がる感じの様子。
ホント駐屯地という感じですねぇ。
川中島が最前線で北信濃を除く信濃全域を
手中に収めていた時期なら、堅固な城は不要なのかも。
そして、その先には枡形城。川と沢という
天然の堀に囲まれた地形の東側に堀と
丸馬出を備えて単郭の城へ。
奥に見えるのは朝倉山城。さすがにこのときはパス。
一度行ってはおきたい山城です。
このくいっと道が曲がったあたりが丸馬出?ぽい?
想像するしかないね・・・畑にしてしまうまでは
残っていたんだろうか、丸馬出。
砦の沢と呼ばれる南側の沢。沢という割には
わりと深い壕をなしていて、しっかり桝形城と原の城を
隔てて、守っている。
北側と東側の川縁もかなり急な断崖。
単郭の城としてはなかなかすごい壕ですよね。
ここが本陣だったんだろうなぁ・・・丸馬出があればもっと、
せめて壕部分がもう少し刈られていたら、
すごさがわかりやすいのに・・・
さて、前回の湯殿の坂まで一旦引き返して、
ここからは大門街道を進んでいきます。
道筋としては少し古道筋があるところ以外は、
国道152号線をひたすら北上します。
大門街道にはずっとこの信玄公印があります(笑)
これもあの信玄公像モチーフかな?
朝倉山城の入り口。塩沢城というのは
在地国衆の塩沢氏から取ったものでしょうな。
興味のない人にとってはただの車道・・・
だがこれも棒道の一部と考えると、感慨深いものなんです。
おっとー!数少ないランチやってるお店を発見!
ありがたやー・・・飲まず食わずにならずにすんだ☆
柏原交差点近くの「おさい家」さん。
ちょうどここから旧道に入る手前に当たります。
旧道といっても舗装はされておりますがね…
ただ、それでもなんとなく旧道を彷彿させる
ものがあるだけでもいいんです。すっかり古道マニアちっくに…(笑)
ちょっと振り返ると、山々の間に
大門街道が通じている感じがすごくよくわかりますね。
旧道を過ぎてまた車道に戻ると、音無川が
見えてくるんですが、川沿いの道がどうしても見つからない…
少し降りられそうなところはあったんですが、
川を渡るのか・・・みたいな。そんな準備はしていないので
泣く泣く諦めます・・割と流れも急でしたしね。
たしかに渡った先には道が通じているような気もしたんで、
いわゆる棒道っぽい道が連なってるのかもしれません。
夏に長靴を用意して来ないといけませんね。
ということで車道に上がって音無川沿いに歩きます。
音無川の看板。この近辺で軍議をして
なかなか意見がまとまらず、川の瀬音がうるさくて
なんと信玄公が「五月蝿い!鎮まれ!」と一喝すると、
瀬音がやんで軍議がまとまったとか…んなアホな(笑)
ということで「音無川」と呼ぶとか何とか。
まぁ、以前聞いた高僧が奇跡を起こす式の伝説が
甲斐では信玄公に仮託される、という話が
パッと思い浮かびますね。
この話ができうる点に信玄公の時間を越えた影響力を感じます。
で、その「うるさい!」の原因になったかもしれない?
音無の滝です。確かにちょろちょろ・・・信玄公の一喝が
まだ影響している!?(笑)
ここまでくればもう・・・白樺湖です。
湖自体は当時はありません(人造湖)が、
景観上はなかなかよろしい(天気は・・・)
湖のそばに「古屋敷」なる場所があり・・なになに?
信玄公の軍勢の宿営地で?1691年の幕府への口上書に
『武田信玄御時代に両角右近なる人物が
茶屋を建てた屋敷跡がある』ですとーーーー!!
湯川砦が宿営地だとしたら、現代人のワタシでさえ、
半日もすれば歩けるわけで、宿営地つくるかねぇ・・・という感じは
正直あるのですが、まぁそこはそれで。
てか、両角姓ににやりとしますよね。ふひひ。
もうひとつ、信玄公スポットとしては「御座岩」
またしても例の信玄公像ですけども。
遠巻きに。岩の上に信玄公、
その下々に重臣方が・・なんて想像中。
こんな感じの岩です。うーん…信玄公、
ココの座ったのならけっこう大変じゃないのかな…
せっかくなので座ってみます(笑)
信玄公目線。
まぁ・・・火のないところに煙は立たないといいますが、
御座岩ひとつとっても、そんな話が生まれるというところに
関心がいきますねぇ。
さて、湖から逸れて大門街道を先にまだ進みます。
長和町に入りまーす。
この長和町、もとは長門町と和田村でその一字を
とって長和町なんですけど、その長門町も
「長久保」と「大門」の一時をとったみたいで・・・
つまりは元の地名を辿ると、「長久保(長窪)」。
この地にあった長窪城こそ、大井貞隆が守る城で
落城後は晴信時代初期の北信濃に進出拠点になります。
まぁ今回はそんなところまではいけませんが・・・
で、ちょっと歩くと峠の頂点。ここが大門峠です。
あとはひたすら下り下り。
この日は実はウイスキービアキャンプ2015をやっていて
それにかけて、棒道歩きを計画したんですよね。
大門街道の大門追分までが街道の到達地点、
そこから会場の「ブランシュたかやまスキーリゾート」まで
てくてくてく・・・会場到着!32000歩歩いた後の
ビールと美味だれ焼き鳥はうまい!
もちろんウイスキーも有料試飲があれこれ・・・
感想はメモってないので、飲むに任せるのみです(笑)
おおお!はじめて見た竹鶴21年マデイラフィニッシュ!
これ海外にしか出てないからなかなか
お目にかからないのですよね・・・もちろんいただき!
んが・・・正直、ポートウッドフィニッシュのほうが
うまいかなぁ・・・という印象。一度飲めてとりあえずはよかった。
キャンプファイヤー。見るのいつ振りくらいだろう…
またここから歩いて帰ったのですが、
まぁ疲れて突っ伏して寝ましたよね(笑)
翌日は生憎お天気に恵まれず、
二日連続でウイスキービアフェスに参加。
そして帰りのバスで大門街道を車で通過・・・
あぁ、ここを歩き通したかったということで
最初は歩くつもりだったんですよね。
会場だと雨はなんとかもちそうだったので・・・
が!途中で雨降ってきてずぶ濡れになるし、
バスは通過したのに素通りするし・・・
(手を上げなかったから・・って日本でそんなバスあるか!?)
ようやく「長門温泉やすらぎの湯」にたどり着いて
ひとっ風呂浴びてさっぱりして、なんとか上田に到着・・・
という散々な一日でした!いつかリベンジしなくては…!!
というわけで、ようやく2015年の棒道踏査が終了。
これちょうど1年前くらいだよなぁ・・・汗。
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