2015年棒道踏査 … 甲六川~芹ヶ沢・湯川砦編(2)逸見道分岐~八ヶ岳美術館
さて、この緑ルートで参ります。
実はこれもある意味、棒道といえば棒道なんですよね。
あまりしっかりなぞってないので、逸れているかもしれないですが、
棒道には上の棒道・中の棒道・下の棒道とあって、
信玄公時代の上の棒道のほか、江戸時代諏訪藩が迂回させた
中の棒道とある程度、リンクしているルート。
中の棒道が戦国時代にあったかどうかははっきりしませんが、
高榮寺がそのルート上にあることを考えると、
上の棒道の支線として、宿舎である高榮寺とを結ぶルートに
なっていたのかもしれないね?と想像すると、割と棒道踏査の一環
ともいえるかもしれないなって思うわけですよ。
逸見道を進むと、右手にミニゴルフ場。
ここ、ヨドバシカメラの研修施設で一応一般にも
開放しているようです。紅葉がキレイ☆
なんでしょう・・廃寺跡?
成田山から不動明王を勧請したお不動さんが
あったのでしょうかね?
途中にある稗之底古村址の碑。
あまりに生計を立てるのがこんなんだったがゆえに、
放棄されてしまった地。文献にもわずかに見られるのみ。
幕末に著された「諏訪郡諸村並旧蹟年代記」に
引用される天正十八年の検地帳に出てくるそうですが、
戦国時代武田家の領国下での動きはわからないのだろうな…
さて、少しくねくねとしながらも、進んでいくと高榮寺。
なかなかの大きなお寺さんです。
立岸山高榮寺、創建は、永禄二(1559)年
信玄公によってとされています。第四次川中島合戦の二年前で、
ちょうど、剃髪して徳栄軒信玄と号した年。
信濃の大半をほぼ手中に収め、川中島四郡の
支配権確立に向けた時期。海津城に向かう
武田軍の宿営地として、また行軍前の戦勝祈願寺として
建立されたのかもしれませんな。
いつの時代の石垣かはわかりませんが、山門も
立派なもの。創建当時はどんな姿だったんだろう?
ここもそういう武田家との関わりを示す由来があるせいか、
掲げる紋も武田菱。ただここでは四つ花菱。
後年、柳澤氏が四つ花菱をつかっているのが知られてますが、
なぜここは四つ花菱なのか?人影は見ることはできませんでしたが、
一度、こちらの方にお尋ねしてみたいものですの。
古そうな灯籠ですが、残念ながら文字は判読できず・・・
他にも仏さまがたくさんおられたり。文字判読できる何かを
探してみるというのもいいかもしれません。
高榮寺の扁額。権大僧正祐英書とあります。
残念ながらどういう方かわからず・・・
本堂もそれなりの(ただ400年とかではなさげ)歴史が
ありそうで、どのような歴史を辿ったのか知りたいところです。
しかし、菱紋があればにやにやできるわたしには
格好の休憩スポットになりましたね(笑)
目敏く通常版花菱も発見。
さて、お寺の一角でお昼ご飯休憩を取ったら、
立場川の渡河地点に向かいます。
青い想定棒道ルートの最後の青点のトコ。
高榮寺のお隣の蔵に珍しい屋根飾り・・・
西股先生によると、この地方には割りと見られるとか。
こちらの蔵にも絵がたくさんあってたのしい。
こういう変化に富んだのがあると、蔵めぐりもしたくなります。
さて、ここからまた下見時の画像も交えながら。
キャンプ場への道から渡河想定地点に向かいます。
実は棒道が連なってくるのはかなり高い崖上からなんですよね。
向かって左手が立場川、諏訪方面で右手には
こうした切岸のような急な斜面。ゴルフ場から繋がってきてます。
立場川キャンプ場、下見のときはまだキャンプシーズン。
これ、写真撮るだけで金かかるんか・・・とおっかなびっくり。
ただ、一応事情を説明したらOKいただきました。
下見に来ましたと・・・(ただしキャンプの下見ではない。笑。)
渡河地点を説明する看板。
割と昔からありそうな感じですね。
おお、これは確かに大軍勢でも渡河できそうなところです。
にゃるほどにゃるほど。
もちろん、秋にも来ましたよ。
川を渡った向こう側の森は富士見町を離れ、原村に。
一度、川を渡る準備をして渡河地点を
向こう岸にもちょっと近づいてみたいものではあります。
秋口のそれほど寒くはなく、ある程度葉が落ちたくらいほうが
渡ってみるのにはいいかもしれませんね。
そしてこの渡河地点に来るまでのところなんですけど、
なかなかこれは判別しづらい。案内板らしきものはあるんですけど
字が潰れてもうなにがなんだか・・・・(笑)
辛うじて「信玄棒道」であろうことは読めるが、
その下が皆目わからない(笑)
キャンプ場をそのまま突っ切るのはNGの様子。
振り返って。たぶんキャンプ場内のこの道は棒道の一部
だと思うんだけどもな。
秋口に行ったときに、ココから先行けませんよ?
の手前に先ほど右手は切岸状で・・といった部分に
上がれる道を発見しました!複数人で行くと違いますな!
往時はどうだったかわかりませんが、今は一部崩れたのか、
木で橋を渡している箇所がいくつかありました。
上がったところ。割と急な坂を上って出たところは、
広いスペースになっていました。
手前のくぼみ部分が渡河地点に向けて下る坂、
高台の向こうに見える森が、渡河した先の原村の森。
ちょうどこのあたりは、ゴルフ場を過ぎて、
富士見高原の別荘が並ぶところでその裏手に当たります。
下見ルートの鉢巻道路沿いに行くと、別荘エリアに
入ってはいけるので(多少怪しいですが)ルート探索してみるのも
いいかもしれません・・・と次の課題ができました(笑)
にしても、もうちょい案内ほしいなぁ・・・(汗)
さて、鉢巻道路沿いを歩いて迂回して原村へ。
八ヶ岳美術館を目指します。(青ルート)
そして、立場川を渡河して上がってきた先の棒道を
逆向きに進んで渡河地点の向こう側の裏手に
出るようにして、棒道を歩いてみます。(赤ルート)
ただこれ、歩いてみてそう斜めに進んでいない
感覚ではあるのですけど、渡河想定地点からは
ちょっとズレている気がするんですよね・・・
ま、それはさておき原村です。
美術館の駐車場脇から棒道に入っていきます。
原村は(笑)わりと案内がしっかりしてて、
痕跡を追うのはなかなか難しい地点の割には、
わかりやすいですよね。ありがたい。
ここが棒道と交差するところ。右手に行くと、
先ほどの立場川の方面へ、左手に行くと大門街道方面。
もちろん右手のほうにまず進みます。
一応案内はあるので、道としての痕跡はかなり・・・
狭い範囲なのですが、まぁ迷うことはないでしょう。
実際このあたりは、諏訪大社の「神の森」だったわけで、
そこに棒道をブチ通したんですね(汗)
というわけか、あまりこれまでの棒道のような土塁などは
見当たらないのですよね。
ただ、しっかり道としては残ってはいます。
原村の皆様が道として整備して下さっているおかげでしょう。
もちろん、秋口のほうが歩きやすいは歩きやすいですが、
ここまで徒歩で来ると、相当時間は経っていますので
日没時間が気になってきますね。
ところどころに沢がありますので、注意!
途中で車道と交差するところ。ここでも標識あり。
この先行き止まり、とあるように渡河地点には
降りられないことになっています。
ずんずんずん。
ここで沢にしては大きな、小川・・くらいのところに
ぶつかります。この先いけるかな?
ちょっと夏場は茂りすぎてて、足場に不安があったので
下見ではココまでとしましたが、秋のオフ会では
もう少し先に進みましたよーん。えいっ(足場)
小川の先に渡ってみました。
この先はかなり整地されてしまっていて、
棒道としての痕跡は失われているような感じ。
少し東に向かって、渡河地点の浅瀬に近づいて
いろいろ探し回ったんですが、視界も悪くて川が見えません。
痕跡はやはり探せず・・・ただ東に向かう際に、
こうした土塁のような(たぶん自然地形)部分があって、
渡河してから、西に少し進んでから、先ほどきた
細い棒道を北に向かうように、進んでいったんだろうとは
実際の地形を見て感じはしました。
左手が立場川方面、この写真の右手には・・・
こんな感じで小さな丘のように迫ってきます。
ここを川沿いに西に進んだのかな?と。
いずれにしても、一度渡河して近づくなりしてみないと
ちょっとここの接続を考えるのは難しい感じ。
ここもこれからの踏査課題になりますか。
ということで、下見・オフ会ともにここまでで
2015年の棒道踏査一日目は終わりであります。
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