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丸子城再び。

前回は、誓願寺側からひたすら駆け上がったので、
ひたすら曲輪にたどり着くのがしんどかった印象ですけど、
今回は大手道から行きます。

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丸子城鳥瞰図。横堀にせよ、丸馬出にせよ、
徹底して西側への警戒を企図して、
武田の改修が入っているのがわかりやすいですね。

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縄張図。こうしてみると、巧妙ということはなくって、
わかりやすく、でも意図した方角からは攻め難い
という感じのお城だなぁと思いますね。

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しかし、いわゆる丸馬出を多用するという、
判りやすい「武田流」ではないところは、
武田の城でよく出てくる馬場美濃守所縁ではなく、
山縣三郎兵衛所縁だからなのかもしれません。

さて・・大手口から見えるL字型の長大横堀の北東端。
やはりものすごい迫力です。

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北西端から横堀に沿って、曲輪上から。

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壕底に下りてみます。もちろん攻め寄せる敵を
壕底に落として・・というのもあろうかと思いますけども、
としての使い方もできる気がしてきました。

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しかし、9月ではまだまだ鬱蒼として踏破できない
山城も多いなか、丸子城はきれいに見ることができるのは
ありがたいこってすなぁ。

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コの字に囲まれた部分なんて、まさに銃撃拠点的な
張り出しのように思えますよねぇ。

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横堀の南の終着点、本丸と物見曲輪を分かつ壕。
ここから一旦、本曲輪に上がってみましょ。

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ということで、ここまではこういう流れ。
①のところがコの字になってるよーってとこね。

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本曲輪。今川時代は北曲輪が本曲輪だったそうで、
武田時代に移動。仮想敵と防衛思想の違い?

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本曲輪の東に段々で連なっている曲輪群。
ちょっと藪で阻まれてるけど、今川時代遺構なんでしょうな。

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東側の本曲輪土塁。どうしても西側と比べちゃうと、
見劣りするけど・・・まぁ、時代と必要性、土木力の差でしょうか。

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さて、再び東面の壕側へと下ります。
先ほど見た物見曲輪が壕の向こう側に見えます。

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しゅたっ!

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物見曲輪から。西側の壕の先に大鑪(おおだたら)曲輪、
その先にも壕が見えます。いわゆる「三日月壕」と
案内板に記されているように、この出曲輪を取り囲むように、
壕が巡らされているんですよね。

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ということで、再度壕底へGo。

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ここの円形の壕(敢えて三日月壕とは言わない)は
横堀もいいけどこちらもね!と言いたくなるくらい、
丸子城の二大見所のひとつだと思います。

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諏訪原城もそうですが、丸子城も何度行っても、
楽しめる城なんでしょうね。何度も行きたいっ。
次いつ来れるでしょう・・・

しかし、これだけの防備を誇りながら、家康の高天神侵攻の際には
防衛拠点にならず無血開城。

城単体で見ると、高天神城よりも丸子城のほうが
防備に優れている気がしますが、そこは地政学的に
高天神城が重要だったのでしょうねぇ。

丸子城を守備していたのは、屋代秀正(勝永)。
室賀満正の子で本家筋に当たる屋代家を継承、
そしてあの・・・「黙れ小童」室賀正武の兄貴であります。

このときすでに諏訪原城は徳川の手に落ち、
高天神城は孤立無援の離れ小島のような状況。

高天神城の補給拠点、小山城はまだ落ちてはいないにも関わらず、
なぜ屋代秀正は無血開城し、久能山城に撤収したのか。

駿河を押さえていたのは早くから徳川に通じていた穴山梅雪、
その梅雪の動向を知った上での撤収なのか・・・
などなどいろいろ考えたらキリがないですけれども。

高天神城から早々に撤収させて、小山城ないし、
丸子城あたりまで撤退して防衛していたら、どうだったろうな?
などとついつい考えたくなるスゴイ城ですね。

さて、このあとは武田水軍の拠点であった持舟城へ。

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