武田水軍ここにあり・・・持舟城(と駿府城)
さて、ちずさんとお別れして、持舟城。
今は、用宗駅の裏手に当たりますね・・・
武田水軍の拠点だった「持舟」城、
いつから持舟と呼ばれていたのか・・少なくとも、
今川氏時代から城はあったようですし、
持舟とは、そもそも湊を意味する言葉だったそうなので、
武田水軍が拠点を置いた「から」持舟というわけではなさげ。
そして、「もちふね」 → 「もちむね」ということで、
持舟城の名が転じて、現在の用宗になったのだとか。
舗装はされちゃってますが、城に通じる道だったのですかね?
ここから城山に上がっていきます。けっこう海岸線からは
奥まったところまで来た感じ。往時の「湊」ラインは
現在よりもっと手前だったのでしょうか。
ずんずん進みます・・・が、防御遺構的なものは…
このあたりには石積が見られますが、
それなりに時間の経過は感じられますけど、
やはり谷積感があって、そんなには古くない感じがします。
・・でそのまま本丸へどん。あ、あれ・・・
以前は、廃寺があったそうですが、
キレイさっぱり取り壊されておりました。
実はこのとき、大きな荷物を持っていたので、
あまりフットワーク軽く動けなかったのですけども、
上がってきた道の脇に虎口、堀切の先にも虎口、
大雲寺のほうに搦手。こちらのほうにも行ってみたかった…
本丸の北側に腰曲輪があるそう・・ですが、
かなりの藪。冬場に来るにしてもかなりの覚悟が要りそう。
西側には大堀切。壕底になにやらお社が見えます。
持舟城址の碑。どうでもいいけど、
割と好きなフォント(笑)
堂宇なき今の廃寺跡の痕跡である燈籠。
今思えば何が書いてあったか、詳しく見ればよかった。
ここから大堀切の壕底へと下って行けそう。
ということで壕底。右手が本曲輪、左手が二の曲輪。
奥には先ほどのお社・・・フェンスで囲われてるけど。
振り向いて。今度は左手が本曲輪ね。
二の曲輪は順当に上がれそうなところがなく、
直登!ずさずさずさっ!
あんまり遺構といえそうなのは無いねー。
ひたすら果樹園状態でしたん。
フェンスが荒らされてるのが気になる・・・
レールみたいなのは獲れたみかんを運ぶためかな?
本曲輪を降りて、下から回り込むと壕の南端が。
こっから出られたんじゃないか(笑)
この道を進むと搦手、お寺さんのほうに行くのだろうねぇ。
ちょっと今回はパスしましたけども。
というのも、先に真っ黒い雲が・・一雨くるぞこれは。
といいながらも、金木犀撮ったりとか。
いやー、好きなんですよ。香りも花も・・・・
JRの線路をまたいで、駅方面へ。
なにやら由緒のありそうな・・・??
城山烈士供養塔とあります。
持舟城略記。今川時代は関口親長が城代。
家康の最初の妻、築山殿の父。
武田方が接収して後は、水軍拠点ということもあって、
水軍の一翼を率いた向井正重も守備。
1579(天正七)年に持舟城は徳川の攻撃で落城、
その際に正重は討死。1580(天正八)年には
再び武田が奪還するも、1582(天正十)年に落城、
守将・朝比奈信置は撤退。
後に、向井正重の次男・正綱は生き延び徳川家に仕え、
御召船奉行として活躍。この正綱から数えて
四代後の向井正興が、長崎奉行として勤番する際に、
先祖の討死した地を訪れて、本曲輪に観音像を建てたとか。
あの廃寺はその縁なのかもしれませんね・・・
廃寺にはなったものの、観音像は麓の大雲寺に安置。
どんな想いだったのでしょうね、ご子孫。
ちなみに、向井氏は水軍だけに水練に長けていたようで、
会津藩(というか保科氏高遠藩)の水練は
向井流だったというのが頭をよぎります。
「武田」でいろんなことがつながるんだよなぁ・・・
さて、そんなこんなで用宗駅から駿府駅・・・
ちゃうちゃう、静岡駅へ。ちょうど昨年は家康公四百年祭。
久能山東照宮の碑もおめかししちゃって(笑)
葵紋がどどん。
竹千代くんもえーもん着させてもらってたようです(笑)
さて、せっかくなんで駿府城にも。家康公四百年祭、
ちょっと顔を出してきました。東御門、巽櫓。
お決まりの枡形アングル。
空には朧月。
ちょっとくら覗いてみると、おもしろそうなビアカクテル。
静岡麦酒×蜜柑のビアカクテル『駿府の太陽』
家康さんゆかりの食材ってことで、お手植えみかんから
なんでしょうねぇ。うんうんいける。
ここで一句・・・
「大御所の 御城に見ゆる 朧月 蜜柑の麦酒 心にぞ沁む」
ひねりなし・・・(笑)
続いて静岡麦酒×山葵の組み合わせ、
『御紋の一撃』山葵かなり効いててうまい!意外とアリ。
しかし、『御紋の一撃』って・・・必殺技みたいな(笑)
さて、城内うろちょろしていると、家康さんの
府内戦紙風味というか、ねぷた風味というか・・・なのが。
家康さんが好きな「一富士二鷹三茄子」ですな。
茄子はよい・・・茄子はよいぞ!
そしてなんだか駿府城天守まで再建!
ちょっとスリムで江戸城チックな感じ。
なかなか悪くありませんの。
坤櫓。このときはまだ未訪問・・・今年行くことになりますが
それはまだ先の話(真田丸風)
復元枡形から・・・ここも後でしっかり回ります。
外に回って・・・逆さ坤櫓。
向かいのビルに反射するのもなんだかおもしろい。
徳川の櫓としては、ものすごく標準的。
てことで、名古屋城や二条城の諸櫓も大いに
参考にされているようですの。
できたてほやほやのケーキみたい(笑)
逆向きから逆さ坤櫓。
逆さ櫓、逆さ天守って好き。
最後に四百年祭カラーマンホで締め。
いやぁ・・・3月から書き始めてようやく6月に書き終わるって
どんな旅ですかあんた、という感じですね(汗)
途中途中、いろんな方に出会いながら、
城攻めできるしあわせを感じる全国横断城攻めの旅ですた。
さて、次は久々に(というかこれも今更感満載)の
ウイスキーネタ行きましょうかねぇ。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント