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今治城 - 徳川の城の原型を求めて

さて、2015年の話を2016年上期にはほぼほぼ
書き終えられないことが確定してそうな今日この頃ですが…
姫路城、岡山城に続いては、今治城。

高松城や丸亀城を華麗にスルーしての今治城。
というのも、徳川の城展で徳川系城郭の特徴に興味があって
縄張りに関わった藤堂高虎の縄張りの原型を今治城に
見ることができるんじゃないかな?と思ったわけで。

・・・というのと、行ったのがかなり前で、
櫓群が再建されて以降は知らないのでそれもまた
行きたい気持ちが高ぶった要因ではあります。

搦手のある南側、山里櫓からぐるりと一周しましょう。

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えっと・・・どこからツッコミませう・・・

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朝お散歩でもしながら視力測ったりするので
しょうかねぇ・・・どうせ裸眼じゃ0.1もないわたしには
用無しではありますが(汗)

とにもかくにも気になるのは、この帯曲輪というのか
なんというのか本丸・二の丸石垣下の空間。

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こんなのあったら石垣登りやすくなっちゃうじゃん!
という人とあそこから外側に攻撃できんじゃん!といろいろな
想定ができるかもしれません。

東隅の御金櫓を見てみると、櫓からこの帯曲輪への
攻撃施設が見当たりません。このような帯曲輪のない一般的な
櫓下までビッチリ濠がある場合、舟等で櫓下まで到達することを
想定しているんだと思いますが、そうはなっていません。

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帯曲輪拡大。ちょうど人ふたりが立てるくらいの広さ。
竹束を準備するのはちょっとできるかどうか、
鉄砲を撃つには少し狭すぎる気がしますが、弓ならいける?

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堀幅は50~60m程度なので、鉄砲でも弓でも
殺傷できる範囲、帯曲輪には弓隊を配置し、
雨風の影響を強く受ける鉄砲隊は櫓から狭間越しに
射撃する・・・なんて使い方を想定していたのかもしれません。
事実、重層櫓間は多聞櫓で連結していたようですからね。

御金櫓の左側もずっと多聞櫓が続いていて、
上に鉄砲、下に弓で連射されるとなかなか近づけないでしょう…

しかし、破風のない櫓もなかなか素敵なもんです。
実用美というか、潔さがあってよいでさーね。

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これ二層目の下のデカイ狭間、大砲用だとかで・・・
窓がお目目に見えてなんだかかわいらしい様相ですが、
かなり凶悪な防御施設です(笑)

二の丸東端。左手に御金櫓、右手奥に鉄御門・武具櫓。

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鉄御門・武具櫓。鉄御門櫓門と武具櫓を連結する
多聞櫓だけがなぜか下見板が張られていて謎。

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鉄御門枡形の枡形をぐるりと取り囲む
奥の多聞櫓にも下見板が張ってありますね…

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一旦通り越して、武具櫓。そして奥に山里櫓再び。
武具櫓と山里櫓の間は土塀での連結。往時はどうだったか?

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武具櫓、山里櫓そして御金櫓、いずれも破風がないだけでなく、
非常に似た形をしていて、後の徳川の櫓にも連なりそうな
相似形をしているのも興味深いところ。

さて、鉄御門から二の丸内へ。

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多聞櫓の梁の部分が外に飛び出してますね。
ちょっとこれは、伊予松山城の野原櫓
思い出させます。こういうところも質実剛健て感じですかね?

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鉄御門櫓門。まぁ、どこの城でもそうですが、
門扉部分を鉄で覆ってると、鉄門(くろがねもん)といいますな。

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入った曲輪の南角、吹上神社のあるところが本丸、
その他の部分が二の丸で本丸部分が少し高い位置にある。

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鉄御門内側から。門を抜けると清々しい材のかほり…
というのは相変わらずの城郭建築香マニア(爆)

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やっぱり多聞櫓再建するのはキビシイのかな?
(土塀だったのかもしれませんけど)

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藤堂高虎像。あれ、こんな人だったっけ?

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鉄御門裏手。あれ内側に狭間ってどゆこと・・・??
門を突破されて二の丸まで踏み込まれても、
攻撃しようということかいな??

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山里櫓脇の搦手門。

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ここも梁が外から確認できます!

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山里櫓櫓台。上部の石垣が比較的新しく、
積み直しでしょうかね。

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こんな感じで門からすぐに階段があって、
どうやって守るの?と思っちゃいがちですけども。

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復元天守から見るとわかりますが、
この階段下りたスペースが枡形の役目を
することになるんでしょうね。

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今は石橋になっていますが、往時は木橋で
切り落として封鎖することもできたようです。

舟着場。これがあるなら、今治城も舟遊び
やったらいいのに・・・(石垣間近で撮りたいw)

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さ、天守に・・・(あんま興味ないけど)
(てか、破風なし層塔型にしてくれ)

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明らかに後付感満載の石垣。
現天守の1/4の平面積の北隅櫓跡ですから、
天守を支える石垣を後で足したのでしょう。

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山里櫓を上から。ここは土塀だったのか、
多聞だったのか・・・多聞でぐるっと囲んでいてほしいなぁ。

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鉄御門。枡形がよく見えてホクホク。

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本丸跡。発掘調査してほしいなぁ・・・だめだろうけど。

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武具櫓~山里櫓の土塀から、お約束の狭間ショット。

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さて、時間があまりないけど、鉄御門内をば。
やはりまだまだキレイで香りもフレッシュ。

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梁がつるんつるんですね・・・頬摺りしたいくらい(マテ)

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内に漆喰壁があるところがなかなかいいですね。

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帯曲輪・・こうして真上から見ると、
まぁまぁ広さはあるように思えるよね。弓くらいは放てそう。

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鉄御門への通路。わーい狙い放題☆

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鉄御門模型。

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あれあれ?ちょっと梁にヒビが来てるなぁ…
大丈夫かな?乾燥足りてなかったのかね。

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キレイな梁もあるんだけどなぁ。

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さて、そろそろ出ないといけない時間。
また鉄御門から退城。あ、奥にでかい石があった!

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鉄御門出るときに気づいた高麗門跡。
徳川の城の原型とはいえ、この頃はまだ
高麗門+枡形虎口+櫓門という、三点セットは
なかったのかなと思ったら、あるじゃないか!

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西側の濠越しに今治城見ながら駅まで。
ここ塀だったのかなぁ・・江戸時代のある時期には土塀に
改変されててもおかしくはないけど、元は多聞櫓だった感じが
すごいしますよね。

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しかし、今治城、滞在時間は2時間だったんですが、
もう少し欲しかったですね。

方形の曲輪、相似形かつ実用性重視櫓、高石垣に広い濠、
明確な四角形を成す桝形と多聞櫓と櫓門、高麗門で覆う防御。
今に残る関ヶ原直後からの徳川の城らしさが凝縮。

徳川の城展を見た直後なだけに、というのもありますが、
ものすごく徳川色を感じます。ただ、高虎が何故あのような一貫した
築城思想をもちえたのか、家康が何故積極採用に踏み切ったか、
というところが今度は詳しく知りたくなりますね。

一方、徳川の城展で感じたもうひとつ感じた
帯曲輪や馬出の多用ってところは、あまり今治城には感じず。
いわゆる徳川の城の「帯曲輪」と、ここで便宜的に「帯曲輪」と
表現した石垣下の空間はまた別物に思えますし。

ひょっとしたらですけど、その辺の源流は武田にあったり
しないかなーと思う武田脳なわたしでした(爆)

さて、ここからは松山を経由、伊予松山城を
ガチスルーして(笑)アンパンマン特急・宇和海にて・・・

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復元木造天守では現在最高峰といえる大洲城天守。
もうかなりお久しぶりで、四国行くときには万難排して
行きたいと思ったんですよー!ということで、一旦切ります(笑)

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