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2016年3月

大坂城乾櫓・・・・追い求めて数年・・・

何も好き好んで、プロペラ機になんて乗ってるわけでは・・・
なんですが、どーしてもこのタイミングでしか、
あのL字型の大坂城乾櫓を見ることができなくてですね。

この日は青屋門から大坂城入城。
普段ここから入ることはないので、少し新鮮。

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青屋門を抜けた先の天守閣。
割とでか過ぎる天守閣の破風がアレだと思ってるので、
こういう望楼部だけがひょっこり出てるのは割と好み。

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ただちょっと城内を抜けて、乾櫓の外観を再確認。
意匠的には、徳川の城の櫓そのものなんですが、
やはり、あのL字型の姿には興味を惹かれます。

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大手前交差点の階段から撮るとなかなかいい感じ。
ということでちょっと遠回りして、大手門千貫櫓。

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・・・を撮ってると、はやま。(@hayama0327)さんに見つかる(笑)
どうもわたし後姿でもよくわかっちゃうみたいで・・
ポリタンク(@poly_tank)さんとも合流し、いざ櫓門へ。

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大手多聞はよく公開されているほうではありますが、
それでも飽きはしませんね。今は長期公開していますので、
また大阪寄るときに1回は行こうかねぇ。

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よく話するんですが、ここでバーカウンター設置して
枡形を眺めながら酒が飲めたらって思うんですよねぇ・・・
バー「枡形」・・・さすがに現存モノなんであきませんが(汗)

でも・・・よくない?(城+酒のひとでないとわからないか)

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もう何回撮ってんのよ!という感じですが、
何度来ても大体撮るスポットやアングルが同じ気がします(笑)

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千貫櫓との間の狭間もお決まりスポット。

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この日は霜降り(笑)のように波打つ雲が
空を覆っていました。

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千巻櫓に入ったら外せないココ。城好き大好きポジ。

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二階上がれたら、大阪に飛んで戻ってくるのになぁ。

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さて、乾櫓方面へ。やはり東西方面のいいですね、
大阪城天守閣。

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坤櫓跡からの大手。かなりの逆光なんですが、
こういうときはスマホのカメラは厳しいですよねぇ。
なかなか大手を好く捉えられるスポットかと。

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坤櫓跡、もう少し刈ってほしいな・・・(笑)

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さーて、やってまいりました、乾櫓。
まず入って思うのが、天井低っ・・・!!ってこと。

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天守になると圧倒的に天井が高いことと、
櫓でもその重要度や格式などで差がつけられていて
いるんだろうなーというのを実感。

これが一番櫓のときね。

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一番櫓は内部も漆喰仕立ての箇所が多かったですし。
乾櫓も二階は禁。上らせてくれぇぇ・・・・
とここでも往生際の悪い写真(笑)

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千貫櫓にもありましたが、懸魚を内部に飾るのは
大坂城の癖?なんかあるんですかね・・・

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あまり公開されていないせいか、床の仕上げがくっきり
と残っておりますねぇ。

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なかなか櫓内にいるとL字型というのはわかりにくいもので・・・
だからなんだと言う話ではありますが。

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自分で撮っといてなんですが・・・あ、怪しい・・(笑)

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以前公開されたときには、こちら側の扉が開いていたそうな?

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鯱瓦と葵紋の軒丸瓦。徹底して大坂城は裏葵なんですな。

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窓から顔を出すと、戦災で大きく石垣が損傷した箇所が
よく見えましたよ。ここが大きく抉れるように崩れましたが、
一見して積み直しとはとても思えないですよね。

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これが終戦直後の写真。痛々しい・・・

P1340548

他城で石垣修復をした結果、非常に無残な(適当な)
積み直しをして景観を損ねている城もありますけど、
これは本当にGood Job!な仕事ですね。

って、外を見ていると・・・あれ??

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あれれれれ??

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おおおおお?

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あれ、銅製の滴水瓦ですよね!
銅製のってあるんだ・・・
けっこうこのあとフォロワーさんの間でも話題に。

後付なのかどうかというのはありますが、
銅製というところ、また意匠がないというところから
実用的な樋の一部として据付されたのかな?
という感じがいたしました。ふむ。

一箇所だけではなく、いくつもあるようで・・・・
こういう発見できるのうれしいなぁ。

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よく見ると、L字型の付け根にも二層目、
初層目ともにあるやん!

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やっぱりこう見ると、樋の一部かな?
って思いますね。

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熊も撮りたくなる銅樋哉(笑)

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さて続いては焔硝蔵(えんしょうぐら)へ。
いわゆる火薬庫ですね。爆発物なので石垣で囲んだ
防爆仕様になっておりますぞよ。

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これで「へもい」を思い出すマナミスト

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どきどきどきどき・・・

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内部は石垣目地漆喰がキレイに施された空間。
演出の暖色光によってここもいいバー空間になりそうな予感(こら)

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なんだかモダンな感じさえしてくる・・・・
内部に施された漆喰だからキレイなままなんだろうか。

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扉は当たり前ですが、超厳重。

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隠れ家「えんしょうぐら」いいな・・・酒飲みたい。

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さてその外側には、空気口が設けられております。
北側が風雨による浸水が起きやすく、
穴前に石が立てかせてあります。ほほー、なかなか気づかないね。

南側。

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北側。

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この穴を必死で撮ろうとしている・・・熊的な人影・・・
あまりにも怪しすぎて、掲載は控えます(滝汗)

西の丸でしばしの撮影タイム。
東面はなかなかこういう映像撮れないので、
やっぱり西の丸が◎ですのぅ。

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飛行機見えたら構えちゃうよね。

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濠もいい感じ。

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本丸南の桜門下から続く空堀。ここを安全に降りて、
壕底を探検できるツアーとかないかなぁ・・・
底から見たいよね、この石垣。

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最後、千貫櫓と乾櫓をひと撮りして退城。

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豊臣時代の三之丸北石垣もせっかくなんで☆

P1130589

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お昼には上等カレーで!やはりカレーにはチーズな人。

P1130592

なぜか(笑)アヒル隊長撮影会に参加しつつ、
次の目的地、姫路に向かいまする・・・

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弘前城 before and after (2) 弘前城 after 曳屋

さて、弘前城追手門にしゅたり。

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天守曳屋の移動ルート。このときB~C地点。
この間でえっほえっほと引いていきます。

フォロワーさんのとおる(@negigobohooo11)さんと
ニアミスしていて、できたらはがき1枚で2人引けるので
タイミングが合ったら、と思ったんだけど・・・ざむねむ。

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天守のあった南東隅石垣には足組みとともに・・・
いつも見慣れない位置に天守が(笑)

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四ヶ月前と比較。

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ジャッキアップして持ち上げられた天守。

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天守があったのはあちら。このレールの上を少しずつ
動いてきたんですねぇ・・・

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鉄骨に載った天守、なかなか見れないお姿です。

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なかなか普段は(わたしのカメラの望遠じゃ)なかなか
見られない二層・三層の青海波文様も捕えました!

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というのはそこそこにして、いざ引かん!

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あの縄で引くんだなー!

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曳屋ロゴの入った専用記念軍手!
これで引きます!

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まさかの同じ回で、フォロワーさんの寺旅人(@TERATABIST)さん
も一緒だったりってハプニングに驚きながら、いざ。

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わかるわかる。まず撮りたいよね(笑)

P1130273

一回あたり15cm引くみたい。15cmって。
長い物差しの半分だろ?へっなんて思ってたんですよ。

なんのなんの・・・動かない・・・
ふぬぬぬぬぬぬぬ・・・ぐぁぁぁぁぁぁ・・・
とぉぉぉぉ・・・はぁぁぁぁぁ・・・

気分はスーパーサイヤ人なんですが、
400tもある天守はびくともしません・・・
ただアナウンスで、○cm動きましたとかって
言われるのでそれで動いているのを知る感じですね。

途中でなぜかウルトラマンが登場して鼓舞してくれるんですが…

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ウルトラマンの力って、わてらもらえるんですかのぅ(苦笑)
それなら、元気玉の寸劇したかった(ドラゴンボール好き)

ようやく目標の15cmに到達・・・へろへろ。
軍手もどろんどろんです。

P1130277

簡単なように見えて、かなりキツかった・・・
が、天守を引っ張るなんて(それも現存)そうそうないですし
めちゃんこいい経験になりましたよっ。

あ、あれで動いた距離見られるようになってんだ。
次の回は横からじーっと見て観察しよう☆

P1130286

たか丸くん撮影タイム。ヘルメット姿のたか丸くんはレア。
ミドリ十字じゃなくてミドリ卍なのも細かいとこにこだわってますな(笑)

P1130289

津軽情っ張り(じょっぱり)大太鼓。
これをどーんどーんどーんと打って、このリズムに合わせて、
縄を引いていきます。

P1130291

時は三代藩主信義の時代。江戸城年賀の式に登城し、
殿中諸侯控の間、金沢城のドでかい大太鼓の話題になったときのこと。

津軽ではそんなもんたいしたことない、もっとすげーのがある!
と大法螺吹き、調べてみようぜという話に慌てて
国許で作らせた・・・という意地っ張りなオハナシ。

これ、某仙台のDQN奥州筆頭もやりそうな(褒め言葉)
エピソードだなぁ、とくすくすくす。

さぁ、第二陣が始まりますよ!
がんばれー!

P1130299

逆に少し離れてみたほうがわずかでも進んでいる
というのがわかったりします。

P1130301

今回の戦利品は軍手のほか、曳屋証明書☆
あのレア版たか丸くんもデザイン。

Kimg1881

Kimg1880

さて、足早に弘前城を後にします。
また少し経ってから、石垣の様子を見にきたいなぁ。

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りんごはむはむして帰ります。一個ぽろんと落として
しまってぐやじい・・・昴林って品種。
あんまり出回らないみたいですね。

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弘前駅までに見つけたこんなもの・・・
「けんしんよう(青森県信用組合)」→「けんしん、よう」
→「謙信、よぅ!」あんた、謙信さんとどんな関係?
謙信公に馴れ馴れしいぞ!

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・・・てな、脳内寸劇を展開しながらてくてくてく・・・

さてこの日は、青森空港からなんと・・・伊丹まで。
なかなか公開されない大坂城乾櫓を見るために、
一路大阪まで。苦手なプロペラ機も我慢して乗ります・・・

P1130314

厚い雲に覆われていましたが、雲を抜けると夕陽の光が
幻想的に広がっておりました・・・

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てことで、翌日は大坂城へGo☆

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弘前城 before and after (2) 浪岡城

さて、9月。当選はがきを手に意気揚々と
曳屋をするために、舞い戻ってきたわ!(大河梅雪風)

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弘前駅でくすくすしちゃったのが、いつもよく見るよく
できてるなーと思う模型を使ったお手軽曳屋(笑)

P1130128

んな軽くねぇよってくらい、ひょいひょい引けましたが(笑)

こんなロゴまでできていて。姫路城もそうですが、
ブランディングというか、見せ方は弘前城は上手だなぁと思います。
工事を見せ場に変えるというところも似ていますよね。

P1130130

さて、曳屋は午後から。午前中は浪岡城。
浪岡城というと、北畠顕家の血を引く浪岡北畠氏の居城。
後に津軽藩を開く津軽為信がまだ大浦氏を名乗っていたころに、
攻め滅ぼされます。(ただ末裔は数氏残るそう)

P1130131

これがね、わりといいんですよね。
縄張り図はこちら。

P1130141

当時濠だった部分は湿地帯になっていて、
ここはその南側。その一部が細い道になっています。
左手の緑が西曲輪。

P1130136

西曲輪と内曲輪を結ぶ木橋。

P1130139

直接、どどど・・・と駆け上がってもいいのですが、
東手から曲輪に攻め入ることにいたします。

って、途中で見つけたこれなんだ・・・
なぜ食いかけのとうもろこしが大量に捨ててある・・・

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東端。ここを北に上がります。
往時はもちょっと曲輪が続いていたのかな?
道でぶった切ってしまってる感。

P1130146

大きな曲輪に出ました。ここが東曲輪。

P1130147

ここには模型がありました。これもわかりやすい。
外曲輪は道路が走り母屋もあるので、城としての残りは
あまりよくないのですが、東曲輪の一部と内曲輪、
西曲輪、猿楽曲輪、そして主郭に当たる北曲輪はほぼ完存。

P1130149

東曲輪から木橋を渡ります。縦長の馬出状の小さな曲輪。

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馬出状曲輪の先に東西に細長く伸びる帯曲輪の先端から。
なかなか技巧的にできているではありませんか。

P1130153

ちょっと壕は今では浅くなってしまっているようですが・・・
往時はあと2mは深かったようです。

P1130152

帯曲輪。このとき一瞬天気が悪くなって、
雨がパラパラッとしたんですが・・・

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この通り、しばらく雨宿りするとお陽さまが。

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北曲輪北側の壕。ここも浅くはなっているのでしょうが、
なかなかの規模と迫力で見ごたえ◎

P1130161

先ほどの馬出状曲輪も明るくなりました!

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振り向いて。左側が帯曲輪、壕を挟んで、
右手が北曲輪土塁。

P1130166

この壕がずーっとこの規模で続きます。

P1130167

北曲輪への虎口。馬出状の構造などは
技巧的に思えるのですが、虎口は平虎口なのですねぇ。

P1130168

とはいえ、少しクランクはしてあり真正面には土塁が。
それでもあまり強い防衛思想は感じません。

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北曲輪内部は屋敷跡と思われる区画で仕切ってあります。

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中には井戸跡があった?と思われる区画も。

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復元模型写真。やっぱり平虎口かなぁ。

P1130175

帯曲輪に面した北側の土塁内側。

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土塁上から。緑が多くてあまり深いように
見えませんけど、けっこうそれなりに深さはあるんですよ?

P1130177

不思議なのが外側に少し土塁が下がってるとこ。
なんでなんでしょうか。塀を立てる部分?

帯曲輪からその外側の外曲輪までを見通す。
さすがに帯曲輪では狙われ放題なので、二重に壕を巡らせた
構造と見るべきかもしれませんね。

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比較的新しい「浪岡城跡」の看板。

P1130185

さて、北曲輪の西側の虎口。ここはいい枡形を
していますよね☆

P1130188

さきほどの帯曲輪の北西隅が切れていて、
また西側に帯曲輪が続いています。

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その西側の帯曲輪に立って南を向くと・・・
さらにL字型に帯曲輪が曲がっていて、
その奥には内曲輪が潜んでおりますぞ!

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かなり曲輪に囲まれ、集中攻撃受けそうな感じ!

右手には西曲輪、その手前には壕で防御。
ここもあと1~2mくらいはあるのでしょうね?

P1130193

さて、L字型の帯曲輪を進みます。

P1130196

手前に西曲輪への木橋、奥に内曲輪への木橋。
ここまでくるのに結構な複雑な経路を通ってきていますよね。
東側はちょっとわかりませんが、西側への警戒感を感じます。

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ちょうどL時になった付け根あたりから、北側を向いて。

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まずは西曲輪から侵入。

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背後からは内曲輪から狙われている感がすごいありますね。

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西曲輪虎口上から。虎口自体はそんな厳重な様子は
感じられないのですけど、この高低差と位置関係から狙えるのは
かなりいい城って感じはします。

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さて、向こう側の内曲輪へ。

P1130209

ここもかなり浅くはなってしまっていますが、
幅の広さは特筆です。

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内曲輪への木橋。枡形・・・と呼べるのかわかりませんが、
横長の細い通路の上に土塁をもって、新府城本丸の蔀の構造
のような雰囲気を持っていますよね。

P1130214

内曲輪はきれいに手入れされています。

P1130218

隣の猿楽曲輪とを隔てる壕。ちょっとここからは
いけそうにない感じですね。時間もそうはないので、
ちょっとこの先はあきらめて、浪岡城撤収です。

歴史的には、滅亡の地という点でしか語ることが
あまりない城ではありますが、遺構の残り具合も好いし、
土の平城という点で、城攻めも苦労しないですし、
なかなかいいお城だと思いました!

ちょっと早めに撤収したのは、この日も煮干ラーメンを
いただくため。へへへ。中華そば・八助さん。

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ここも濃ゆい!コクにぼし。煮干ラーメンうまぁ…

P1130223

さて、意気揚々と弘前城に向かいます!
ひっぱるぞー!おー!

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弘前城 before and after (1) before 曳屋

さて、1年とは行かないまでもこれもまた寝かして、
醗酵してそうな話題・・・弘前城天守曳屋。

昨年は城好きさんのなかでもそれなりに話題に
なったのではないでしょうか?

わたしも2度も弘前に行ってしまい、曳屋直前の天守の
床板を剥がした貴重な様子と曳屋そのものを体験するという
弘前のまさに「Before」と「After」を見てまいりました。

まぁ、ここのAfterの姿は数年後には貴重な「Before」
になるわけでしょうけどもね。

実はしばらく公開しているだろうと高を括っていたんですが、
つい直前まで行かれていたkuroさん(@s_walker38k)
5月のGWまで!ときいて飛んで行ったんですよね・・・

しゅたり、追手門。

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少し雨模様でした。

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しょぼーーん気味(笑)ですが、
まだ桜色の方が現役なところは、やはり北の地でありますね。

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弘前城、土塁のよさを知って改めて訪れて、
楽しいお城でもあるように思います。

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さて、天守前の下乗橋。お、堀が埋まっとる埋まっとる!
天守台の工事のため、一時的に堀が埋められるんですよね。

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あれか、埋まった堀の上を歩けるというのは・・・にやにや。

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でも、おかしいな人っ子一人いない・・・

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料金所でどこから濠底にいけるんですか?問い合わせると

おねーさん「もう終わってますよ」

Nooooooooooooooo!!!!!!!!!!!!!!!!

ねぇねぇ、このために東京からわっざわざきたんですよ?
ちょっとくらいいいじゃない?とみっともなく食い下がろうという邪気が
少しよぎりましたが、一応(ぇ)オトナなので泣く泣く諦め・・・
天守公開は10日まで、堀底歩きは6日までだったんですねぇ。

濠上から修繕される石垣を観察。
もう・・・見るからにアカン感じの石垣です。

P1090353

津山城とかすぐに思いつきますが、
こういう張り出した「アカン」石垣の城はたくさんありますが、
すぐに修繕!と動いてもらえるのはわずか。
それだけでも城の保全にとってはいいことではありますよね。

修繕されるのはこの箇所。

P1090352

この図面にあるように、もともとは天守のあった場所でなく、
築城後しばらくは土塁の箇所で、約80年後に石垣が築かれました。
この図面にも「石垣ノ築掛三十八間」と築く途中と記されています。

しかも、江戸初期に焼失した天守は南西隅であり、
そもそも天守が築かれる位置ではなかったわけなのですが・・
1811年、本丸南東隅の辰巳櫓を改修する名目で、
事実上の天守といえる規模の櫓に造り替えたわけですね。

このときにも、石垣の補修工事がされているのですが、
7~80年ほど経った明治中期に石垣が崩落。
1897年に石垣の補修工事が再度行われました。
その工事前の様子がこちら。

P1090348

かなり激しい崩落っぷり・・・このときも天守を曳屋して、
修繕したようなんですね。で。ほぼ120年経過した現在、
再度補修という現状。

もともと土塁で石垣化したのが遅い(元禄年間)のと、
大規模な補修工事がなされたのが幕末~明治、
ということを考えると、他の箇所と比べ石垣構築技術も
かなり失われてしまった時期の構築・修繕ではないのか?
という気がしています。

現に築城当時の他の箇所の石垣は(少しはあるのかもですが)
大規模に崩落したような話は耳にしませんし・・・

ともあれ、今回はしっかりとした伝統ある技術で、かつ
崩れにくい石垣を目指していただきたいものです。

・・・と考えながら、恨めしげに眺めるしかなかった・・・

P1090354

石垣工事にかける時間はなんと10年。
完成は2023年度を予定。今からでも後7年後。
そーとー先になりますねぇ・・・

判りやすい曳屋前後の様子(CG?)
でもこれを実際に見る人がここにいるわけですよ・・・(笑)

P1090343

さて、石垣はこれくらいにして天守。
もう今行ってもこの姿は拝むことはできません。

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最後の見納め!というのもあるのですが、ホントの目的は
床下の様子の確認。これ他天守でもなかなか例のない機会。
礎石の上にみな芯材がどーんと載るわけではないのね。

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芯柱が立ってるところももちろんありますよ。

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天守の南面・西面。剥がしてみると、ちょうど天守台の天端石。
この外は石落としになるわけですねぇ。

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そしてよーく観察すると、床板が二層になっています。

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保護の意味もあるのか、後世に二重化されているんですね。
元の床板には通気口のような部分も。

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芯材。

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そして補材もかなり入っているのが写真でよくわかります。

P1090389

天守床下から発見された石仏。石垣構築時の転用石か、
はたまた修理時に持ち込まれたものか判然としない。

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ちょうどこんな具合でここだけ別で床下を見せて
くださっていました。

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さて二階へ行くと、天守創建時の棟札。
御櫓新規御造営、とあり「御天守」でないことに注目したい。

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中心にある津軽監物親守は、喜多村(元北村)親守。
藩主から代々津軽姓を許された家柄のようです。

棟上までの経過を記した覚書。

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こちらは元禄年間の二の丸坤櫓を修復した棟札。
先ほどはえらく読みやすい楷書でしたが、
(読めないけど)こちらのほうがしっくり来ますね(笑)

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石垣の修復準備中。ひとつひとつこれから
石がはずされていくのでしょう。

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濠中の通路も完全に濠を覆ってるわけではないのな。

この日は岩木山がきれいに見えましたね。
山の頂に冠雪するのはやはり見栄えがいいですね。

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天守三階南側の漆喰剥がれ。せっかくだから、
天守そのものもしっかり整備してほしいすね。

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昔の大馬鹿どもの痕跡。昭和40~50年代が多いね。
古いので50年前のもあった。仮に当時20代くらいとして
今70代のじいさんばあさん?
いつまでも若気の至りが残って恥ずかしいですね(棒)

P1090422

P1090423

漆喰はまだやりようがあるけど、材に傷つけられたら
どうしようもないもんなぁ・・・

しばらく入れないかと思うと、こんな妙なアングルでも
撮ってみたくもなるものです。

P1090426

天守脇から、石垣修築予定現場。
津軽家の家紋があるところがなんだかいいねー。

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すでに裏籠石の一部は取り外されつつあるのかも?

P1090428

天守曳屋予定地は御日記蔵跡。

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本丸未申櫓跡。初代天守はこの位置にあったものの、
焼失後は新たに石垣が組まれて櫓が建てられた。

P1090433

本丸の北側から二の丸へ出てみます。
本丸北側石垣と濠。桜色のパウダーがちらほら。

P1090436

奥の本丸南側石垣から手前の北側石垣、
真ん中であまりにもわかりやすすぎる分断点。

P1090441

やはり城好き好みの石垣は強度もしっかりしているのかね。

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P1090444

一方、修復される石垣。今にも中から何か物の怪が
飛び出てきそうな雰囲気ですよ(怖)

P1090448

あああ・・・行きたかったなぁという気持ちを胸に、
(そして突撃はしてはならない・・・という理性を働かせつつ)
城内を後にします。

P1090452

さて、北門(亀甲門)から出てすぐのところにある
珈琲はなまる」さん。コーヒーがメインなのでしょうけど、
フォロワーさんのさとみんさん(@tonban13)
お勧めのアップルパイがあるんです☆

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アップルパイっこんなんでしたっけ?(笑)
と言っちゃいそうな、りんごがどーんどーんというのが魅力。
さすが、りんごの町弘前・・・

しかも、アップルパイを注文するときに、りんご何にします?
と銘柄を選べるんですよね。これひとりでは食べきれないけど、
複数注文して食べ比べるのもよさそう!

さて、北東隅から濠端をてくてく。

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でまた、城内に入る。桜と抹茶のケーキ的な。
美味しそう・・・(笑)

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城内に唯一残る石橋・・・しらなんだ。
水がきれいよ。

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遠くに東門を眺める。

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最後にとびっきりの天守。ずいぶん先になるけど、
また「ここで」お目にかかる日が楽しみだぞ。

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チャームポイントの青海波文様。個人的によーく、
見てほしいポイントだったりする。

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しかし・・・南内門のこの隙間、往時はどうなっていたのか、
わりと気になっていますが、答えは知らない・・

P1090480

この後、新青森に出たんですが・・・まぁ何にもないこと。
スマホで調べて、こんな笑えない推測が出る始末。

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・・・うむ。確かに何もない。

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途方に暮れていたところ、青森出身の阿部さん(@abeshuhe1234567)
(上田真田まつり第四代目真田幸村公)から、
ここに美味しいにぼにぼ(煮干)ラーメンあるよ!と教えていただき!

Kimg0490

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こく煮干しうまかった!煮干し感満載。ホント焼き魚感、
魚のだしの旨みと香ばしさドドーンという感じ。
立川にもありますが、ここも近所にあったらリピるレベル。

次に煮干ラーメンとっとくかなぁと思っていただけに、
ものすごーくありがたかったですね!

さて、時は流れシルバーウィーク・・・・いよいよ、
この手で弘前城天守を動かすときがやってきます!

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約1年前の・・・宇陀松山城(2) 宇陀松山城後編・黒木西城

さて、宇陀松山城の続きでありんす。

■宇陀松山城

壕底からも見えた、あの石垣。天守台なんですね。
天守としては小ぶりそうな感じではありますが、
想像するに、壮観だったろうなぁ・・という印象。

P1060992

天守台下にはちょっとした凹み程度にしか見えない
堀がありますけど・・・破城時に埋められたんでしょうかねぇ。
これまでの遺構の壕がどこもザクッと抉れているだけに、
ちょっと違和感のある壕ではあります。

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大門。先ほどの畝状竪掘のあるあたりへ
正式に行く通路の門なんだろうね。
石垣は崩されていますが、しっかりと枡形は残存。

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礎石かな?近世に修築されたのなら、
大きな櫓門が建っていそうだよね・・・想像想像。

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で、門を抜けたところで天守どーんというわけか。

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というところで、さらに中世遺構に挑む人たち・・・・

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若干アヤシイ感じが染み出ていますが、ご容赦ください(笑)

南側は東隅の一部を除いてかなりきれいに整備されていて、
とても圧巻です。こういう刈ることさえすればいいのよ・・・!!

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皆さんのカメラの先には・・・

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石垣!この斜面も石垣が覆っていたのか・・??
(あるいは一定の部分を鉢巻状に築かれていたか)

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石垣談義のお二人(笑)

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しかしこういう残り方をしているということは、
この突き出し部分は石垣だったように思えてきますよねぇ。
そして某氏が熊に見えて仕方がないという(笑)

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石垣の残存は比較的斜面の上部。
どのあたりまで石垣だったんだろうなぁ・・・

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さて、本丸のほうにも行きますかね。
天守下をぐるっと回って、南側の階段から本丸に入ります。

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ここもしっかり枡形。高い石垣で囲まれていれば、
そうとうな強固な防御になったでしょう。

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本丸も総石垣だったか、鉢巻石垣だったか?
ただ寝石がちらほら確認できるので、総石垣かな?

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本丸下段から天守曲輪。天守曲輪隅に
櫓もあったかもしれませんね。

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ひょっとしたら全体が天守台で、この出っ張りは
天守付櫓ということもできるけど、そう考えると
ちょっと天守がでかすぎる気がする・・・

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下段の北西隅にはブルーシート。
石垣が崩れそうなんでしょうか。

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天守台から天守台下壕を見下ろす。
やっぱりちょっと壕の規模が小さい。
もちょっと、どどーんとあったでしょう!?

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南側を見下ろす。以前は先に見えている木々が、
曲輪の手前まで覆っていたらしく、相当な労力できれいに
してくださったんでしょうね。ありがたや。

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本丸西側下、御加番と呼ばれる曲輪。
ここもきれいになっていて・・・直下の壕はちと小ぶりねぇ。

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天守があったと思われる部分には、「白髯大明神」の碑。
本来は白「鬚」だと思われるのですが、なんとなくイメージで、
某城郭研究家の先生を思い出す・・・(笑)

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碑の裏手、北側の石垣。これがびっしり石垣とすると・・・
それこそ、竹田城や村上城、高取城・・といった石垣の壮大な
山城であったでしょうなぁ・・というのがよく想像できます。

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瓦も発見。やっぱしこう・・関が原以後の白っぽい感じで
本瓦葺の櫓と天守だったんだろうなぁ。

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そして本丸をくだり、雀門のほうから退城します。
さっきはスルーして北側に抜けましたが、この雀門が大手口。

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若干色は違いますが(笑)土嚢を石としてみれば、
往時の立派な大手口を想像することはできますね・・・

矢穴に石がはめ込まれ、矢穴同士が上下に向き合ってる。
あんまし見ない光景かな?と。

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ここ、すごいおもろいんだ。石垣が土塁の内側に
残ってるんですよねぇ。これやっぱり、土塁が流れ出ちゃったりして、
わずかに残った石垣を覆いかぶさるようになってるんかね。

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ここも・・・隅石の一部が土に埋もれているよん。

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破城の結果、土が流出した結果織り成す情景。
これもまた『城の歴史』の一部なんだよなぁ。

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さて、この道を素直に下山。途中「秋山城」の文字が。
地元では秋山城と認識されてもいる様子。中世城郭としては、
秋山城と呼ぶのが正しいんでしょうね。

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こちらは宇陀松山城。

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ここまでくるとわかりますが、春日神社の境内にきます。
どどんと立派な春日門石垣。ただこの石垣は破城後に入城した
宇陀松山藩織田家陣屋時代の築造であるそうです。

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大和国宇陀郡三万石を賜ったのは、かの織田信雄。
嫡子であった信良は上野・小幡藩を立藩していたが、
一旦改易された信雄は、新たに宇陀松山の三万石を拝領。

次子であった高長がその遺領を引継ぎ、後に織田宗家を
幕府から認められ、国主級の扱いと従四位下の官位をもっていた。
この流れが柏原藩へ続き、嫡子信良の系統は天童藩に続きます。

・・・閑話休題。

手水場の横にいしがすぽぽぽぽーん(誰かわかるか?笑)
と無くなっている部分が・・・

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ホントに石一個分きれいになくなっとる・・・

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ここを除けばけっこう石垣好きには満足できるスポットかと。

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向かって右手の石垣はなぜかコケが多数・・

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側面側はそうでもないのにねぇ。

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その向かいにも民家ギリッギリのところまで石垣が。

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石に星型の割れた痕があるのがおもしろい☆

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さて、城外に出たところで少し城下町をぶーらぶら。

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魅力的な瓦があったらすぐに撮っちゃう癖。

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現存遺構である西口門。

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高麗門形式だけど、しっかりクランクしていて城として
雰囲気を出してる門でした。

で、あっ・・・!!というものを発見?
(何が「あっ!!!」かはご想像にお任せします、笑。)

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しかし、宇陀松山藩の城下町の雰囲気が残る町歩きも素敵。
これは城もよいけど、ここもぷらぷらできたのは収穫。

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こういう彫刻とか大好物でしてねぇ。

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無駄に桔梗紋に反応(もちろん明智じゃないよ!)

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織田木瓜。ようやく織田的なものに出会えました。
某菱形図形と違ってセンサー内から見逃しているのかも(笑)

P1070160

ここでお昼。外れのない無難なカレーをチョイス。
直がけタイプは割りと好きなほう。

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■黒木西城

さて、食後は黒木西城。とにかく・・・

畝状竪堀群!以上!

という潔い城(苦笑)

とにかく手っ取り早く、畝状竪掘り群とは何ぞや、
を知りたい向けにはうってつけの城と言えるでしょう・・・

この広い溜池(人工池かな?)の奥にあります。

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入って速攻畝状竪堀って、おい!早すぎ(笑)

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しかも、かなり(写真でも)わかりやすいと思います☆

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上から。ちょっと余計なの多いかなー。

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あ、これもいいな(自画自賛)

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少しあがって。

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ここをあがると小さな堀切が。

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かなり先ほどの畝状竪堀からは遠くなりましたが…

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この先にもまだまだお楽しみが・・・

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眼下にはいくつかの小さな曲輪が点在。

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ぶいっ!と手でVの字を作りたくなるような、
見事なVの字の堀切。すげー!

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渡った向こうから。ぐいぐい。

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そしてまだ別の畝状竪堀も!曲輪がちょっとわかりにくくて
パーツだけがごろごろ転がってる感じ(笑)

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さて、そんな中でも笑いを忘れない関西人の寸劇をどうぞ。

「ふぁいとーーーー!」

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「いっぱーーーーーーーつ!!!」

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いや、別に寸劇やろうとしてやってるわけではないのですが、
後から見返すと寸隙にしか見えなくて(笑)

堀切を撮る人を撮る人を撮る(遊んでばっかだ・・・)

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縄張りの妙と言う意味ではちょっと???ではありますが、
単純に遺構のビッグさ(規模だけでなくインパクトも)が楽しめる
純粋に楽しいお城だったなぁというのが正直な感想。

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ここの堀切も降りてみたら・・こんなに素敵。

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P1070264

・・・というわけで、2日間の大和山城の旅が終了。
そして約1年も放置していたblog更新も終了(爆笑)

山城って結構、一度行ったらいいかな・・・というところも
多いのですが、やはり皆さんお勧めの城はまた自分でもじっくり
もう一度行ってみたい!と思わせる城でした。

お世話になった皆さま、ありがとうございました。

・・・余談。帰りの京都駅まで城メグさんとずーっと、
電車の中でお話してたんですけどね。方言の話とか・・・
本人様はめっちゃ否定されるんですが、しぐさとか
めっちゃカワイイと思うんですよね・・・

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約1年前の・・・宇陀松山城(1) 庚申山城・宇陀松山城前編

さて、またもや時間が開いてしまいましたが・・・・
高取城の翌日は、宇陀松山城(秋山城)を中心とした三城。

■庚申山城

まず最初は、宇陀松山城南に位置し、出城的な役割と
担ったと思われる庚申山城。

曲輪に向かう道・・・いわれないと分からない!

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庚申山城全景。ホント出城といえるくらいの規模。

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遺構としては、わりと少なめではありますが、
この南側から見上げた切岸状の曲輪の存在感は
すごいですね・・・・ほぅほぅ。

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二の丸下壕。

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上から。かなりの幅の広さです。
ちょっとこの規模の城には似合わぬくらいの幅の広さ。
置く側が城内側。

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逆に城内側から外側。

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二の丸?というのかわからないけど、
ここが一番削平されて曲輪らしいあたり。

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主曲輪につながる向かう途中の切岸。

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主曲輪は藪だらけ(笑)

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むしろその下に見える尾根上にできた曲輪群のほうが
主曲輪よりも見る価値がありそうな・・ただ、この日はスキップ。

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あれ、この切岸どのあたりやったっけ・・・・(汗)

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ということで、いい山城慣らしになりました。
続いては、宇陀松山の本城へ。

■宇陀松山城

宇陀松山城は宇陀松山まちづくりセンターの脇から、
進んでいきます。

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ここね。

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ずんずんずーん。

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この辺具合から城内って感じがしてきますのー。

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木々の奥にものすごい高さの土の壁が・・・!!

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鬱蒼とはしていますが、往時は凹凸地形もなく、
圧倒的な切岸が眼前に聳え、攻め入るものを圧倒したことでしょう…

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というこの土の壁を・・・登ります(笑)
誰一人ええっ、といわないのがいいところ。

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けっこうな急勾配を直登・・・

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出ました!グリッと抉れて落ち込んだ堀切。
通称アホか!の堀切(笑)

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浮かれてやったーポーズとっている城数寄が約1名。

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そしてこの堀切を下ってから、ずずずずっと直登再び!

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壕底から見ると圧倒的な高さに怯む・・・

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途中で振り返る・・・これでもけっこうな高さなんですけども。

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登りきってからみたら、底がこんなに遠い・・ひぇぇ。

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てことで、ひっひっふーといいながら登った先には、
きれいに刈られた大きな壕がぐるりと巡った魅力的な遺構が!

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宇陀松山城、戦国期は秋山氏の拠る秋山城と呼ばれ、
近世になって福島高晴(正則の弟)が入城した際に、石垣の城に
改修されて、名称も松山城と称するようになったとのこと。

このあと、石垣の城の破城痕が見られるのだけれども、
ここの部分は石がまるでなく、石垣化していなかったようにも
見受けられたのですが、実際どうなのでしょうね・・・

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壕底からの風景。これだけきれいになってると、
土の城もわかりやすくなるんだけどなぁ!

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この壕の奥から西側に回りこみ、脇の遺構を
西北から東北へと北側をぐるっと回って
確認しながら進んでいきます。

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恐るべき高さ・・・これは石垣の城に近い圧倒的存在感。

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しかし、これだけ鬱蒼とした感じがあっても、
遺構の残り具合がすばらしいよね。

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そして城側を振り返ると、高い切岸。

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さらに下方には曲輪が見える・・・!!

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複雑な遺構は中世感がものすごく滲み出てますね。

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まだまだ脇を進みます。

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見上げた先には、石垣の破城痕。
あれ天守台なんですよね。天守の見栄え、
すごかったでしょうなぁ・・・

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この竪堀は比較的わかりやすいほう。
ちょっと畝ってるようにもみえます。

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この先は二の丸下かな?

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二の丸下を探索する怪しい人影(笑)

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壕が複雑に交錯・・・

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壕底から撮られる(笑)でも集団で行くと、
このように大きさの比較対象ができていいのですよね。

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おお、このあたりの畝状竪堀群は視認しやすい。
ひゃほー!

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降りてみて。

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羊歯を刈ればかなりきれいに見えると思うんだけどなぁ。

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でも、さらに進むとわかりやすい畝状竪堀に遭遇(笑)

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その先のきれいに刈られた部分もある意味、畝状竪堀・・??
ちょっと埋まってしまっているのか、浅いですがね。

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しかし、この東側の畝状竪堀群、かなりの距離に渡って
仕掛けられています。これは見ごたえあるわ・・・!!

ということで、中世遺構を中心に見てきた前編ですが、
今度は近世の石垣の城の遺構、特に破城痕を中心に見ていきます!

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