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約1年前の・・・宇陀松山城(1) 庚申山城・宇陀松山城前編

さて、またもや時間が開いてしまいましたが・・・・
高取城の翌日は、宇陀松山城(秋山城)を中心とした三城。

■庚申山城

まず最初は、宇陀松山城南に位置し、出城的な役割と
担ったと思われる庚申山城。

曲輪に向かう道・・・いわれないと分からない!

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庚申山城全景。ホント出城といえるくらいの規模。

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遺構としては、わりと少なめではありますが、
この南側から見上げた切岸状の曲輪の存在感は
すごいですね・・・・ほぅほぅ。

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二の丸下壕。

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上から。かなりの幅の広さです。
ちょっとこの規模の城には似合わぬくらいの幅の広さ。
置く側が城内側。

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逆に城内側から外側。

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二の丸?というのかわからないけど、
ここが一番削平されて曲輪らしいあたり。

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主曲輪につながる向かう途中の切岸。

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主曲輪は藪だらけ(笑)

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むしろその下に見える尾根上にできた曲輪群のほうが
主曲輪よりも見る価値がありそうな・・ただ、この日はスキップ。

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あれ、この切岸どのあたりやったっけ・・・・(汗)

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ということで、いい山城慣らしになりました。
続いては、宇陀松山の本城へ。

■宇陀松山城

宇陀松山城は宇陀松山まちづくりセンターの脇から、
進んでいきます。

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ここね。

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ずんずんずーん。

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この辺具合から城内って感じがしてきますのー。

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木々の奥にものすごい高さの土の壁が・・・!!

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鬱蒼とはしていますが、往時は凹凸地形もなく、
圧倒的な切岸が眼前に聳え、攻め入るものを圧倒したことでしょう…

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というこの土の壁を・・・登ります(笑)
誰一人ええっ、といわないのがいいところ。

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けっこうな急勾配を直登・・・

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出ました!グリッと抉れて落ち込んだ堀切。
通称アホか!の堀切(笑)

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浮かれてやったーポーズとっている城数寄が約1名。

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そしてこの堀切を下ってから、ずずずずっと直登再び!

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壕底から見ると圧倒的な高さに怯む・・・

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途中で振り返る・・・これでもけっこうな高さなんですけども。

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登りきってからみたら、底がこんなに遠い・・ひぇぇ。

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てことで、ひっひっふーといいながら登った先には、
きれいに刈られた大きな壕がぐるりと巡った魅力的な遺構が!

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宇陀松山城、戦国期は秋山氏の拠る秋山城と呼ばれ、
近世になって福島高晴(正則の弟)が入城した際に、石垣の城に
改修されて、名称も松山城と称するようになったとのこと。

このあと、石垣の城の破城痕が見られるのだけれども、
ここの部分は石がまるでなく、石垣化していなかったようにも
見受けられたのですが、実際どうなのでしょうね・・・

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壕底からの風景。これだけきれいになってると、
土の城もわかりやすくなるんだけどなぁ!

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この壕の奥から西側に回りこみ、脇の遺構を
西北から東北へと北側をぐるっと回って
確認しながら進んでいきます。

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恐るべき高さ・・・これは石垣の城に近い圧倒的存在感。

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しかし、これだけ鬱蒼とした感じがあっても、
遺構の残り具合がすばらしいよね。

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そして城側を振り返ると、高い切岸。

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さらに下方には曲輪が見える・・・!!

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複雑な遺構は中世感がものすごく滲み出てますね。

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まだまだ脇を進みます。

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見上げた先には、石垣の破城痕。
あれ天守台なんですよね。天守の見栄え、
すごかったでしょうなぁ・・・

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この竪堀は比較的わかりやすいほう。
ちょっと畝ってるようにもみえます。

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この先は二の丸下かな?

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二の丸下を探索する怪しい人影(笑)

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壕が複雑に交錯・・・

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壕底から撮られる(笑)でも集団で行くと、
このように大きさの比較対象ができていいのですよね。

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おお、このあたりの畝状竪堀群は視認しやすい。
ひゃほー!

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降りてみて。

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羊歯を刈ればかなりきれいに見えると思うんだけどなぁ。

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でも、さらに進むとわかりやすい畝状竪堀に遭遇(笑)

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その先のきれいに刈られた部分もある意味、畝状竪堀・・??
ちょっと埋まってしまっているのか、浅いですがね。

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しかし、この東側の畝状竪堀群、かなりの距離に渡って
仕掛けられています。これは見ごたえあるわ・・・!!

ということで、中世遺構を中心に見てきた前編ですが、
今度は近世の石垣の城の遺構、特に破城痕を中心に見ていきます!

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