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第83期「歴史文化教室」第5回 「武田信玄と信虎追放事件」①

続いては、8月に遡って・・・甲府での
山梨文化学園歴史文化教室の講座。
信虎追放事件についての講座でした。

信虎追放事件そのものだけというよりも、
信虎が甲斐を統一する過程、あるいは
元服直後の信虎の置かれた環境や
そこにまで至った経緯を更に二代遡って
学ぶことによって、自然と理解できたという
方が正しい・・・いやそうでないと理解できない
といった内容だったかと思います。

◆信虎家督相続まで◆

武田氏ほど一族・親子の内訌の多い家はない
というもの。

×第16代当主:信昌
  長子:信縄(のぶつな)
  次子:油川信恵(のぶさと・のぶよし)

○第17代当主:信縄
  長子:信直(後に信虎)
  次子:勝沼信友

×第18代当主:信直(信虎)
  長子:晴信
  次子:信繁

×第19代当主:晴信(信玄)
  長子:義信
  次子:勝頼

こうしてみますと、16代以降父と長子が
うまく行ったのは信縄・信直親子のみであって、
これも信縄が若死に(享年37)したことも
その理由かもしれません。

さて、武田家中興の祖・信昌ですが・・・
もう少し遡って理解を深めます。

上杉禅秀の乱に上杉方として13代信満が参戦して、
敗死して以降、幕府・鎌倉府それぞれの
誰を甲斐に国主につけるかという思いが衝突、
甲斐は内乱状態でした。

高野山から甲斐に戻った14代信重は信濃守護
小笠原政康の後援と守護代として付けられた跡部氏
の支援もあって甲斐国主の座に継ぐものの、
信重とその次代15代信守は、跡部氏の専横に苦しみます。

その跡部氏を排斥し(1465年)武田家の権力基盤を
再興したのが16代信昌でした。
信満敗死が1418年ですので、実に47年後。

しかし、信昌自身が今度は武田家の承継問題を
つくってしまいます。

第16代当主:信昌
  長子:信縄(のぶつな)
  次子:油川信恵(のぶさと・のぶよし)

長子である信縄は、一説に跡部氏の娘とされ、
武田家の外戚として権力を握るために
いわば押し付けられたという娘を母に持ち、
また、彼自身が病弱だったようなのです。

信恵は、山梨郡油川に拠り油川姓を名乗りますが
母は不明。その信恵に17代当主の座を譲ろうとし、
ここで再び武田家の跡目争いが勃発。

当時、有力国衆らが自立的な動きを顕在化させており、
それぞれが両武田家陣営に付いて争いを激化させます。

結局1498(明応7)年に和睦をし、信縄の当主が
認められます。この年の8月に中世最大とも言われる
明応大地震が発生したことが理由では?と。

実は、鎌倉大仏はかつて大仏殿があったそうで
その大地震で大仏殿が倒壊したらしいのです。
そのくらいものすごい破壊力だったそう。

この7年後、1505年信昌が没し(享年59)さらに
その2年後に体の弱かった信縄が没(享年37)
まだ信昌・信縄の和睦から間もなく、わだかまりも
あったであろう中で、若干14歳の少年信虎が
不安定な当主の座につくわけです。

最も信虎の生年は1494年が通説ですが、
最近は異説もあってもう少し後との考えもあるそう。
とすると、さらに若いことになります。

◆甲斐統一三十年戦争◆

信虎が置かれた状況を理解するには、
信虎を取り囲む勢力をいくつかのグループに
分けることととその階層構造を捉える必要があります。
ちなみに、信虎は初名信直で甲斐統一後に
信虎に改名しますが、ここでは信虎でまとめます。

①反信昌派の残党
 … 油川信恵・岩手縄美
②有力国人衆
 … a)郡内小山田氏、b)穴山氏、c)大井氏、D)栗原氏
③国外有力大名
 … A)後北条氏、B)今川氏、C)諏訪氏、D)扇谷上杉氏
④幕府と堀越公方

①~③の関係ですが、まず①と②のうちの小山田氏が
姻戚関係でつながっています。

また、②の各氏は③の大文字の同アルファベットの
周辺大名とも関係が深く連動して行動します。

この時期の当主は・・・
小山田氏は小山田弥三郎信隆から越中守信有、
穴山氏は穴山信懸入道道義から甲斐守信風、
北条氏は伊勢宗瑞最晩期から北条氏綱、
今川氏は氏親、氏輝から義元。

そして、④の幕府と堀越公方。ここをしっかりと
押さえないといけないでしょう。

【堀越公方と武田家】
前史として、武田家の内訌と幕府と堀越公方の関係から。
信昌と信縄が争っていた頃、堀越公方足利政知(義政弟)が
亡くなって、義政の後を継いで将軍になった
足利義視が没し、その後継に政知の子が選ばれます。
これが11代将軍・足利義澄。

このとき、幕府公認の堀越公方次代として、
政知の子で義澄同母弟の潤童子がいましたが、
政知から素行不良で廃嫡されていた異母兄の茶々丸が
これを不服とし、潤童子とその母円満院を殺害。
実力で堀越公方となってしまいました。

そこで、将軍の母と弟を殺害した謀反人として、
今川氏親・伊勢宗瑞に追討され1493年に宗瑞に敗北、
一旦伊豆大島に逃れながらも、武田信縄のもとに
逃げ込んできました。

というのも、今川氏親・伊勢宗瑞を味方に引き入れて
いた信昌ですから、信昌と対決していた信縄に
逃げ込むというのも素直にうなずけます。

こうして、信縄・信虎は大国今川家と新興勢力の
伊勢宗瑞、そして北条家を敵に回すことになるのです。

さぁ、そんな中周り中敵だらけのハードすぎる
戦いが始まるのです・・・!!!

ROUND 1 VS 油川信恵・小山田信隆
(1508年~1510年)

さて、信虎が家督を継いだ翌年1508年、
早速油川信恵が襲い掛かってきますが、
いきなり撃破して信恵以下討死、油川一族もろとも
叩き潰します・・・ひえぇぇ。

ただ、信虎に与した油川一族もいて、
後に油川夫人を出す系統。
江戸期も旗本として残っていくそうですが、
諱は信友とも信守とも言われ、よくわからないっぽい。

そして2ヵ月後には郡内の小山田弥太郎信隆が
侵攻してきますがこれも撃退、弥太郎討死。

さらに勢いに乗って翌年秋に郡内に侵攻、
更に翌年1510年に討死した弥太郎の子、
越中守信有と和睦(実質的には従属同盟)成立。

・・・強すぎませんか、のっけから。
初陣で相手の大将以下有力な部将を討死させるとは
すさまじい戦ヤロウです(笑)

ROUND 2 VS 大井信達・今川氏親
(1513年~1518年)

もちろん、信虎の戦上手もあるのでしょうが、
信虎にも数少ない味方がいました。穴山信懸です。
信縄時代から一貫して武田方を支援した人物。

華々しい信恵撃破には、信懸の支援も有効に
効いたのでしょうか。

今川氏輝とは先に記したように幕府からの足利茶々丸
追討の命令があった関係から、その茶々丸を
匿った信縄そして信虎とは敵対関係にあったわけで、
今川から侵攻を受ける可能性はたぶんにあったはず。

しかし、武田の一族(宗家14代信重の孫)であり、
かつ今川とも縁が深い信懸が緩衝役となって
今川を食い止めていたわけですね。

しかし、その信懸が小山田との和睦が成った
三年後に子息清五郎に殺害され、さらに清五郎は
兄弟の穴山信風(信綱)に殺害され、
ショッキングな当主交代劇がありました。
その直後、今川軍が甲州に進軍してきたのです。

おそらく穴山家中で親武田派と親今川派の対立があり、
今川軍の甲州侵攻を阻む親武田派の信懸が
親今川派から暗殺されたのではないかということですね。

今川軍に呼応して南巨摩の大井信達が反旗。
信虎は大井氏館を囲むが敗北、逆に万力まで攻め込まれ
ここでも敗北して、恵林寺に逃げ込むまでに。

今川軍は勝山城(と言っても都留の勝山城ではなく、
甲斐国八代郡、つまり甲府市上曾根の元油川氏の城)
を占領しますが、次第に孤立化。

小山田軍が補給線上の都留郡の今川軍が籠もる
吉田城を攻撃、個別に小山田と今川が和睦したことを
契機に連歌師宗長を仲介役に和睦が成立。
これで勝山城の今川軍が撤兵し、危機は去りました。

・・・ということでここいら一旦切りましょうかね。

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コメント

初めまして。こちらを拝見し、色々と詳しい様子が感じられました。実は、訳あって川窪信實について調べております。太郎義信事件に関する事も関連しており、ご教授いただければ幸いと思い書き込みさせていただだきました。
もし、可能であればメールでもいただければと思います。よろしくお願いいたします。

投稿: テンカライダー | 2016.06.21 18:10

nikko81です。

●テンカライダーさん

お越しいただき、ありがとうございます。
詳しい・・・かどうかはわかりませんが、
最近武田家勉強熱が高まっております。

河窪信実のどのようなことについてでしょう。
わたしの知っている範囲内で
お教えできることがあるかもしれません。
(ただ、特段信実に詳しいわけでは・・・)

投稿: nikko81 | 2016.06.26 00:50

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