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第83期「歴史文化教室」第5回 「武田信玄と信虎追放事件」④

さて、非常に面白かったこの講演ですが、
本論から脱線した項目もおもしろかった…

(脱線1)油川信恵と穴山信君
穴山信君は長らく「あなやまのぶきみ」と
呼ばれていましたが、臨済寺の僧で甲斐生まれの
鉄山宗鈍が残した「鉄山集」に「ノブタダ」と
ルビが振ってあったのだそう。

この鉄山集、仏前で個人の徳を称える香語が
延々と記録されているそうなんですが、
たまたま鉄山集の写真を見てられたときに、
穴山梅雪とその家臣の項にあったんだそう・・・

これ、先日拝読した「穴山武田氏」の時には
ご存じなくて、出版されている「鉄山集」には、
そのルビまでは収録されていなかったとか。

原本を当たる大切さ・・・ですが、
素人的には古文書や古書を読み解く難しさを
目の当たりにした気がいたしました。

・・・ということで、油川信恵についても、
のぶさと・のぶよしと二つ説があって、
読み方は確定していないそうです。
人の名前の読み方は難しい・・・

(脱線2)親子の官途受領の引き継がれ方

信昌は刑部少輔(ぎょうぶのしょう)、
信縄も官途不明、信虎は左京大夫後に陸奥守。

信虎は、当時の強敵北条右京大夫氏綱に
対抗する意味もあって、より格上の左京大夫への
補任を室町幕府に対し申請し認められています。

なぜ「左京大夫」なのか、そしてなぜ幕府への申請が
認められたのかを考えると、信虎の幕府における
存在感と中央での評判が見えてくる気がしますよね。

ちなみに信玄は、足利義晴から「晴」の字の偏諱を
受けて晴信として元服する際に、左京大夫を称し
その官途を受け継いでいます。

しかし、後に大膳大夫に遷任。これは父との決別
という意味のほか、幕府に近しい若狭武田家当主が
歴代名乗った官途であり、中央を睨んだ選択
といえるのかもしれません。

一方、勝頼は私称ではありますが「大膳大夫」を
名乗っていますから、少なくとも対外的には
「正当なる信玄の後継者」をアピールする狙いが
あったのではないかと思いますね。

名乗る官途受領で見える親子の人間関係が
わかっておもしろいですね。

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