約1年前の高取城。
いえ、別に高取城キライな訳じゃないんです。
よかったんです・・が、あれよあれよといううちに、
記事が溜まって・・あれいつ行ったの?
といわんばかりの時間が経ってしまいました。
ということで、関西の城数寄の皆様始め数名と
なんとプライベートで城メグリストさんも
加えた豪華なメンバーでの城攻めとなりました!
最初は砂防公園周辺にぽつんと佇む火薬櫓。
高取城の建築遺構としては唯一のもの。
今ではキレイに補修されましたけど、
一時期の暘谷城の鬼門櫓にも似た漆喰がすべて
剥がれ落ちてしまった無残な姿。
史跡指定されていないのか、特に案内もなく、
今にも崩れそうでした。土壁が露出。
扉も当時のものでしょうか。
土壁すら穴が開いている箇所も。
かなり厳しい状態。
丸に龍剣に一の字は幕末の高取藩主、
植村家の家紋。城の櫓であることをはっきりと
思い知らせてくれるポイントですね。
このラッパは・・・・!?!?
さて、ここのわき道から高取城内へと入っていきます。
まずは二の門まで行かないと城域には
達しないのですが、意外と距離が・・・
ひゃぁぁぁ!早速第一怪しい人発見(笑)
櫓のあった砂防公園を含めた全体図。
けっこう歩くのがわかります。
ここから史跡エリア。
高取城址の碑。しかしまだまだ本格的な
城域は先のほうです。
七曲り。まだ城域外とはいえ城郭遺構の雰囲気
というか戦闘的な感じが早くも出てきます。
七曲り上から。黄色い城メグさんを激写(笑)
わかりやすく狙える位置ですね。
ここも狙い目かなぁ?
七曲りにも不自然な色がぽろぽろ。
これ中世城郭の頃にも石積みがあったのかな?
という気にさせてくれますね。
さてその先には石積付きの土橋。
もうすっかり城域ですやん・・という立派なもの。
もう石垣がちょいちょい顔を出し始め、
石垣好きはすでにヨダレが出始めるところ(笑)
猿石。ここまで来てようやく本格的な城内。
ここですな。
二の門石垣。ここを左折れする構造。
石垣にまぶした青海苔がいい感じ(こら)
二の門前の濠。山城に大規模な水濠って
けっこう珍しい気がします。脇に井戸の印もあるので
飲料水源にもなっていたんでしょうね?
水濠の前に聳える高石垣。山にあることを
除けばホントに平山城にありそうな
近世城郭って眺めですね。
ちょっとヤバイ石垣も。あまり幕末以降
手が入っていないていうことは石垣が完存している
ということでもありますが、自然崩落の可能性を
残しているところも覆いというコトですね。
二の門石垣上から。ここもいい攻撃が
できそうな感じですね。
二の門を進んでいくうちにもいろんな角度から
石垣を撮りたくなる・・・
石垣もすごいのですが、切立った切岸の高さにも
圧倒されますね・・・・!!
そこいらにこんな石垣がごろごろしていて、
近世城郭なのわかっているんですが、
もうどこを撮れば!みたいな感じ(笑)
そして、やっぱり石垣をボカす画も
撮りたくなるんですよね。
ヤバ門。もとい矢場門。
ああっ、すでに矢場門上に敵兵が!!
て、わたしも慌てて矢場門上に。
ひょー、これは狙える!
松ノ門前の石垣はちょっとアブナイっぽくて、
ネットがかかってました。
松ノ門。確かに石がごんごろ転がってきたんだろな
と思わせる雰囲気・・・・
ちょっと無粋な何か。
ネットがかかってる石垣上から
松ノ門枡形。左奥に門があって赤茶色の
あたりが進入経路。
このあたりからほとんど石垣に囲まれた空間に
なって参りますぞ。
宇陀門手前。
宇陀門の喰い違い。食い違いの真ん中に
櫓門を置いて枡形を形成。
かなりハッキリわかりやすい枡形ッスな。
千早門石垣。ここは勾配のない隅石だな。
ここを抜けると、大手門前。これまでと比べて
全然違う圧倒感。さすが大手門。
一旦脇道を逸れて、吉野口門方面へ。
ちょっと下から眺める大手門石垣もいいじゃない。
井戸が二つある水の手。
このあたりは急に中世城郭的な要素があって
また違う楽しみ方ができます。
いい竪堀ですこと・・・にや。
ちょいと雨がぽつぽつ・・・
石垣に囲まれた深井戸。
石垣は石垣で見所ではあるのですが・・・
これですこれ、登り石垣。いいねぇ☆
下側から。
ちょうどこの斜面の先には本丸があるようなので、
吉野口門と本丸を分断するようにあったのか・・・・
この時は見るのに夢中でそんな考察Nothing(笑)
けっこう崩れた感があるので、往時はもう少し
高かったのかもしれませんね。イイのが見れました!
・・・怪しげな人影は気にしないでください(笑)
もういっちょ、迫力ある登り石垣どーーん!
この先には、中世城郭的に楽しめるスポット。
堀切に石垣という見所。中世城郭を近世城郭にしていく…
という過程が感じられる点ですね。
その先には赤土曲輪と呼ばれる土塁で囲まれた曲輪。
高取城って石垣の山城と思っていたので、
こういうところも残ってんのかーとビックリ!
そして弥勒堀切と呼ばれる最先端へ。
かなり深く抉れた堀切で中世城郭時代に
その用を主に果たしたんではないだろうか?
降りてみる。
これはすごい・・堀切だけでも見応えあるが
石垣もいい代物。自分ではなかなか来ないだろうから、
ここに連れて来てもらえただけでもありがたい!
さて・・・来た道を引き返し大手門前に戻ります。
往時の写真と復元CG。これ仮に現存していたとしても、
メンテが大変だろうなぁ。備中松山城もそうだろうけど。
大手門。右折れした奥に櫓門がありました。
しかしこの日は霧雨のお陰で、すごい濃霧。
ただこんな様子は選んで撮れるものではないので、
ありがたいですねぇ。霧と城跡って素敵。
そそり立つ大手門枡形石垣。
大手門を抜けると・・・三の丸。
大手門枡形石垣から進入経路を望む。
古写真によるとこのあたりは土塀で囲んでいた様子。
ここからの狭間で狙うわけですね・・・!!
さらに二の丸につながる十三間多聞櫓門。
ここの枡形も相当すごい。
あれは門の礎石かね!?
本丸方向にかなりの圧倒される高石垣。
この左右に二層の櫓が鎮座していた様子。
そして本丸に通じる十五間多聞櫓門。
ここを抜けて右手に太鼓櫓跡。
その向かいには・・・ものすごいデカイ
天守台。はわわわわ。
天守台下に「高取城址」の石碑。
反りがなく一直線な天守台。
小天守台下から天守台方面。
小天守台の奥は緩いカーブを描いている
本丸石垣。ここも中世の趣を残していますね。
小天守台。苔が毬藻みたい。
こちらの虎口から来ると比較的簡単に(クルマで)
天守台まで来れるらしいですよ?
さて、本丸へ。ついつい高石垣があると見上げちゃう。
天守下からその脇を通って、ここで半回転して
本丸方向へ。実際はこうやって中の様子は
見渡せずに土塀で囲まれていたであろうから、
さしずめU字型に出入りする枡形のようになっていたかも。
そのU時の先にもうひとつ通常の枡形。
この後も何度も折れてようやく本丸に到達。
本丸から天守台側面を。ど迫力。
本丸の周りはぐるっと多聞櫓で取り囲んでいた
感じがしますねー。
最後に最初に見た火薬櫓の跡。
三方を石垣に囲まれて頑丈に囲われていたみたい。
あの櫓自体にも何か防爆の仕掛けがあったのかな?
内側から。石垣に囲われていた部分だけに
保管していたのかあるいは・・・
さて、そろそろ下山のお時間。
あっ!と瓦を発見する一行。
意匠のある瓦を見つけるのってなかなかないかも!
さて、大満足の高取城。
翌日は庚申山城、そして宇陀松山城へ。
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 武田氏館西曲輪発掘調査現地見学会 + 桃と桜と信玄公 3/18(2017.06.03)
- 2017年・・・・もまた濃すぎて ~ 2/10-12 会津⑤ 御薬園・会津武家屋敷 with 絵ろうそく(2017.05.20)
- 2017年・・・・もまた濃すぎて ~ 2/10-12 会津④ 吹雪の会津若松を彷徨う(2017.05.06)
- 2017年・・・・もまた濃すぎて ~ 2/10-12 会津③ 鶴ヶ城縄張考察・・・武田と丸馬出を求めて(2017.05.06)
- 2017年・・・・もまた濃すぎて ~ 2/10-12 会津② 絵ろうそくまつり@鶴ヶ城~(2017.05.06)
コメント