甲斐城攻めリベンジ2015!①白山城
さて、9月の半ば。二年前に九州勢を甲斐に
お招きしたのですけど、運悪く台風に遮られて
思うように山城にいけなかったリベンジマッチ!
九州からは、あむさん(@mapple88)、
関西からはしろうさぎさん(@sirousagi77)、
あんこさん(@orzank)関東からはばったびさん
(@jouku100)そしてわたしという軍勢。
最初は、白山城。武田家初代信義公の詰の城
といわれておりますが、遺構としては勝頼期あるいは
天正壬午の乱の徳川配下の武川衆の時期と目され、
鍋山城、鍋山砦というのが当時の名称のようです。
位置的にも釜無川を挟んで、新府城の
ほぼ真南4kmの地点に位置し、勝頼・家康期も
新府城の支城として機能したのでしょうかね。
白山神社の脇から進軍。白山神社は江戸初期頃の創建で
比較的新しい神社。武田菱はありますが、
縁としては後からつけられたモノっぽい。
ここから上がっていくのですが・・・
有名らしい畝状竪堀群はさほど明瞭ではなく、
畝状竪堀好きの満足を得られるかは微妙なところ。
こういうただ出さえ深さがない遺構が
枯れ枝置き場になってるのも、ダイナミックさに
欠ける所以なのか?ね?
むむぅ…
さて、先に進みます。
ここを左折れするとニノ曲輪。
二の曲輪からみた本曲輪土塁。
二の曲輪奥には、櫓台になりそうな
高台になってる曲輪があります。
二の曲輪下の細い通路を突破された場合、
二の曲輪自体は明瞭な虎口構造を持たないので、
この小さな曲輪から撃退するのでしょね。
ここも虎口構造はないので、あらかじめ兵を
据えておくのでしょうか。
二の曲輪高台と本曲輪の間隙。虎口構造は
やっぱりなくってここまできたら、
両脇から挟撃を食らうまで。
こんな感じで(笑)
この高台から尾根筋が続いていて、
堀切が続く先には腰曲輪群につながってるようです。
さて、二の曲輪から出て本曲輪方面。
本曲輪虎口は内枡形構造。
正面奥土塁。
虎口脇土塁上から虎口手前方面。
本曲輪土塁上から二の曲輪。むしろこれ、
一旦二の曲輪まで突破させて、高台と本曲輪から
殲滅する構造なんだろうかな?
本曲輪土塁上から内側。ぐるっと土塁で囲まれ、
それなりの大きさの曲輪。
この略図微妙だなぁ・・・・
本丸から搦め手方面へは北西の虎口を伝って、
本曲輪下の帯曲輪と合流する。
東側に伸びる帯曲輪方面。
本曲輪虎口と帯曲輪の合流地から
北曲輪に向かう土橋。これが見事でした。
疾走するしろうさぎさん(笑)
土橋手前の土塁端に石積の跡。
たまたま転がってるだけかもしれないけど、
土留めとして石積みがあったかも?
土橋の両脇を落ちる堀切。
堀切に下ってみて。
堀切に下ってみて土塁を見上げる。
ここかなりのおすすめスポットかも!
左手の土塁が本曲輪方面。
ここあまりに見事で、無意味に何枚も写真撮るなど(笑)
なので、北曲輪あまり見れてないというか・・・
本曲輪より南はいいので(笑)
北曲輪周りをまたじっくり観に来ようと思います!
戻りは帯曲輪を進軍。
本丸の土塁たっかい!
ここの竪堀はまだわかりやすいかな?
さて、この後は新府城です。
リベンジのはずが・・・・!!
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