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山本勘助墓初参詣~長篠合戦慰霊祭。

さて、慰霊祭が続きますが・・・7月の長篠。
昨年に続いて2回目の参加です。

前日には、長谷寺。ここ山本勘助の故郷なんですね。

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大々的に「山本勘助のふるさと」推しな感じ。

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山本勘助遺髪塚。四十過ぎて武田家に仕官の折り、
長い髪を切り落とし長谷寺の住職に
死した際に葬るように託し、後に川中島での
討死の知らせを知った住職が
勘助の言葉通りに葬ったというもの。

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もう故郷には帰らない決意だったのでしょうな…

そして、大河ドラマ「山本勘助」でも出てきた
摩利支天像が残っています。首飾りになっていたのは
大河オリジナルですが、実際に持っていたのは
確かなようでして。

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いつまで勘助が所持していたか?は二つ説があるみたいで、
看板には、武田家に仕官後に人手に渡るのを
避けるために住職に託したとありますが、
勘助が二十代から諸国放浪して、修行の際に持ち続け、
髪とともに甲斐に行く際に住職に託した説が有力とか。

ということで、普段は見れるのかわかりませんが
実際に見せていただけることになりました!

元々はこちらの古いお堂が摩利支天像を
安置するためのお堂だったそうで。

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菊花紋がその格式の高さを物語ります。

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今ではお隣の観世音菩薩像の堂のほうに
遷されております。この観音様も牛久保城主
牧野家守本尊という大変由緒のある像。

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で、摩利支天像はどちら・・・・???

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奥にある小さな厨子に安置されているのが、
その摩利支天像。4cm足らずの像なんですねぇ。

P1100712

小さすぎて写真に撮れないので、拡大写真を
写真に撮っておきました(笑)

まぁ持念仏ですから小さく持ち歩ける像なんでしょうけど、
よりその勘助ともにあるという演出のために、
首飾り型に大河ドラマでは変わったのでしょうね。

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住職筆の摩利支天像縁起。山本「晴幸」と
あるのがちょっとひっかかりますけども・・・・

P1100707

風林火山のポスター。ちょっともう懐かしく
なって来るくらい時間が経ちましたよね。

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さて、翌日。生憎の雨模様でしたが、
テントの下で慰霊祭に参加して、手を合わせてきました。
武田菱を背負った方の法螺貝の音で始まります。

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流れとしては昨年同等なのですが、雨模様のため
鉄砲演舞はございませんでした…

昨年もそうでしたが、読経する勝楽寺のご住職の脇で
銅鑼が登場するんですよね。

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この後信玄塚に参り、躑躅が崎のお水で清め、
少し諸将の塚を巡りました。

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なんだ昨年山縣さんの碑メッチャ探したのに
こんなところに案内があったんだと(笑)

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山縣さんに南無・・・

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連吾川に向かって山県陣中から徳川陣中を眺める。
あの鉄塔の辺りが徳川本陣処。すごい近いんだよね・・・

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帰り際に、この山県さんツナガリで、
山県昌景隊の先鋒を勤めた、辻家の御子孫様から、
彦根城博物館に井伊直政に対して
武田の戦い方を伝えた文書がある、なーんて情報をげと!
いつか読んでみなくちゃな…!!

ということで、無事にお参りをしてきました。
でも、これでサッサと東京に帰るわたしじゃありません(笑)
このあと、浜松と静岡によって帰りますよっ。

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