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平成27年度武田家旧温会秋季研修 ⑤乾徳山恵林寺

さて、恵林寺です。
そりゃぁ、信玄公好きを公称するくらいですから
何度も足を運んだお寺さんではあります。

しかし、ご住職御自らのご案内で、
境内を回ることはそうそうあることではないでしょう。
この日は、ご住職の古川周賢老師の案内です。

釘隠し。気持ち、花菱を菱ひとつひとつを
ちりばめたように見えるのは気のせい?

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幕末から明治にかけて妙心寺の高僧である
越渓守謙(えっけいしゅけん)禅師の書いた
「快川道場」の揮毫です。

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臨済宗妙心寺派に属する恵林寺は、明治38年(1905年)に
家康再建の諸堂を焼失、その再建に当たって当時の住職
篴川元魯(てきせんげんろ)老師の師匠に当たる
越渓禅師の書が恵林寺には多いんだそうです。

その篴川禅師が恵林寺住職に就任される際の儀式に
際して、山岡鉄舟(鐵太郎)の書いた書も。

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鉄舟は、天龍寺管長たる滴水宜牧禅師から
印可状を与えられる関係で、滴水宜牧禅師にとともに
この恵林寺を訪れたのでしょう。

こちらは狩野派の一つ、駿河台狩野家二世の
狩野洞春の筆になる涅槃図。

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このお釈迦さま、ちょっと手が込んであって、
薄く金で裏から塗って、その上から描くことで
日の光に仄かに輝きを放つようになってるんですって!

そして臥床の四辺にあったという、
四双八本の沙羅樹。釈迦入滅後をとたんに枯れてしまった
という故事を表現するよう、緑が青々している樹と
白く枯れた樹が並んで描かれているのも興味深いです。

相当な名品、おそらく柳澤家の寄進ではないだろうか?
とのことでした。傷みが出てきたのでもう少し
したら修理に出すそうです。

武田菱の障子の向こうに見える恵林寺の庭。
ただもともとの夢窓疎石国師の庭園ではなく、
いわゆる江戸時代の大名庭園の様式に変わっていると。

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元は小さな庭だったはずとのことで、
伽藍の位置ももう少し今より前にあり、
大きくしていくために下げたのではないかとのこと。
庭園のどこから見るか?見え方の違いからの推測。

実際、信玄公・勝頼さんはじめ、柳澤家も
かなり手を入れているそうで、発掘調査をすれば
その時代の遺構が出てきたり?するのかもしれません。

また現代の伽藍はかなり底上げされて建っていて、
本当は排水が悪いんだそう。今はお庭になってるあたり
まで本堂があるとこんなに底上げしなくてもいいのでは?
というのも、ご住職の推察の理由の一つでした。ナルホド。

本堂の前のこの床の秘密。元来仏さまをお祀りするのは
本堂ではなく仏殿。ここではその仏殿の床である、
敷瓦を模したものなんだそうですよ。

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そこで仏さまに最大の敬意を払うための所作、
五体投地のための茣蓙があるわけです。

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ちょうど4月の信玄公忌法要でも、
ご住職がされておりました、あれです。

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あの掌を持ち上げる所作は、お釈迦さまの足を
持ち上げるように・・という意味なんだですね。ほぅ。

そして、法事が終わるとここで食事。
畳を敷いてお釈迦さまに後ろを見せないよう、
屏風を立てて、奥に住職が座るのだそう。

天蓋。本来は禅寺にはないものなんだけど、
再建後に廃仏の後で残った部品を組み合わせて
つくったものではないか?とのこと。

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そしてその奥。ここも素敵な武田菱の部屋。

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「拈華寶殿(ねんげほうでん)」の扁額。

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明治大火以前、二階建の法堂(はっとう)拈華寶殿が
あったそうですが再建ならず、昭和になってから
この間を「拈華寶殿」として、名を残したそう。

ちなみに「拈華」とは「拈華微笑」の故事に由来し、
大切な建物に付く名前だそうです。

実はここ、焼失前の明治天皇がお泊りになった
ところでもあるそう。大切な建物の名前をここに残そう
としたのも、むべなるかなという感じがします。

立派な釈迦如来像。これも柳澤家の寄進?

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さて、お外に。前から気になっていた以前の
でっかい武田菱が付いている鬼瓦。

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これ、てっきり家康再建時のものかと思っていたら、
そうではないそうで、こんなに反ってはなくて、
本堂自体ももっと小さいお堂だったそう。

火災で燃えて再建した際に恵林寺山(扇山)の絶壁を
イメージしてつくられたのだそう。

こちらは勅使門。その名の通り、勅使参向の際に
その出入りに使われる門。

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勅使といえど、仏の世界では下座というわけです。
ここで勅使門の位置でわかるお寺の位置づけを学びます。
妙心寺・大徳寺のような勅願寺では、勅使門が
真ん中に作られるのだそうですね。

京都五山・鎌倉五山は幕府の寺。
妙心寺・大徳寺のような勅願寺は天皇のための寺。
そして紫衣を与えるのは皇帝(=天皇)。
かの有名な紫衣事件の背景です。

この恵林寺は、以前は鎌倉五山円覚寺派から
信玄公が自らの菩提寺と定めた際に、
妙心寺派に変えているんですよね。
このあたりの信玄公の意図も詳しく知りたいなぁ。

いつも通ってるこの出っ張った部分、
勅使の厠なんだそう。そばに寄れないように
という防犯上の理由なんだろうなぁと。

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ある意味、信玄公の「山」と同じ
発想なのかもしれませんね。

そして、武田不動尊に拝謁。今日は特別ということで、
間近でお不動様にご対面させて頂きました。

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このお不動さまの建物自体は特に意識を
していなかったんですが、信玄公御廟として建てられた
というのを初めて知った次第です。
ここに信玄公御位牌もあることにも気付かず。

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しかも、奥の信玄公墓と同じく
武田ゆかりの皆様の御寄付で建立されたのです。

ご住職のお話によると・・比叡山焼き討ちの際
天台座主親町天皇の皇弟である覚恕法親王が
信玄公を頼って甲斐に逃れますが、匿われた際に
信玄公に権大僧正を与えています。

通説には、三十歳過ぎの頃に仏師康清を招き、
彫らせたことになっていますが、ご住職は
比叡山焼き討ち後の、信玄公最晩年期とお考えのよう。

権大僧正の位を授かった記念に自らの大僧正としての
僧形の寿像を彫らせる予定が、予定が変わって
不動明王になったのではないかと・・・
しかもこの不動明王、胸毛があるんです。

通常、不動明王は憤怒の激しい形相ではありますが、
体つきは幼く表現されるそうですが、胸毛があるんです。
これまさしく信玄公の生き写しだからでは???

すでに得度して剃髪しているわけなので、
通説の三十歳過ぎの頃ではなく、再晩年期とするなら、
胸毛を像の胸毛に塗りこんだということになりましょうか。
それとも成慶院信玄公像のように、髪があったのでしょうか?

しかも、信忠の恵林寺焼き討ちで失われたのではないか
と言われていたのですが、どうもそうでもないらしく。
造り方の時代などからは戦国時代と比定されているみたい。

さらにお尻の部分に穴があって、漆が入ってるそう。
近々内部をCTスキャンにかけるそうです。
新しい発見があるといいな・・・・!!

ともかく通例、墓前に御霊屋を置きその御霊屋に
生前の像の安置し拝礼するわけですが、
それに倣うと、まさにその生前の像=武田不動
ということにもなるわけで、百回忌の際に
墓と御霊屋を武田旧臣の浄財で再建したというのも、
武田不動こそ信玄公の生き写しという認識を
当時の住職、あるいは旧臣がもっていたのかも。

そして、信玄公墓にもお参りします。

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さて、お参りを済ませた後は、信玄公宝物館。
以前から、墓石を建てる際の寄附一覧である
武田信玄百回忌奉加帳に興味が出てきていたんですが、
信玄公霊廟の寄付記録もあるんだ、と見つけてからは
そちらばかり見て、後ほとんど見れないほど(笑)

さらに百五十回忌に合わせて修繕する際にも
寄付を募ってる様子でこちらも記録があるんですよね。
墓石のための寄付もそうだけど、寄付された方
お一人お一人お名前を確認したい・・・

展示されてあった信玄公廟の寄附の記録には、
以下の方のお名前が。

川窪新十郎、川窪七郎右衛門、川窪與左衛門
川窪三左衛門、土屋民部少輔、土屋但馬守、
内藤帯刀、内藤左京亮、遠山主殿頭、奥平大膳正、
真田右衛門佐、真田伊賀守、三枝摂津守…など。

このうち、川窪姓の方は川窪信実の末裔の方でしょうし、
土屋民部少輔は土屋利直(土屋昌恒孫、久留里藩二代藩主)、
土屋但馬守は同じく昌恒孫の数直(土浦藩初代藩主)かな。
真田伊賀守は、沼田の真田信俊(信利)。

沼田藩の事情を考えると、真田信利がこんなとこにも
金使ってたのね…というのは微妙な感じもしますけど(笑)

百五十回忌の修理字に名前が見えるのは、
武田刑部、武田与佐衛門、武田織部、真田弾正忠、
内藤備後守、保科弾正忠、朝比奈新十郎など。

保科弾正忠は、上総飯野藩五代藩主保科正寿?
真田弾正忠は松代藩四大藩主・真田信弘かも。
しかし、信玄公ゆかりの寄付帳に武田の三弾正の子孫が
また弾正忠を名乗って名前を連ねてるんですね・・・!!

武田与佐衛門、武田織部は詳細不明ですが、
武田刑部とは、逍遥軒信綱と関係あったり?なんて
思ってしまいます。

いやー、これ詳しく公開してくれたら楽しいだろうな…
というところで、今回の研修終わりです。
見学できたものもすばらしいものがたくさんですし、
お会いする方々にもお見知りおきいただいて、
話が弾んだこともうれしいことでありました。

和渕武田ゆかりの方とも再会できましたし。
この方が仙台市博物館に武田家文書を寄託されてるそう。
一度専門家に詳しく読み解いてもらいましょうよ!
って、提案してみたりだとか(笑)
たぶん放置してても、仙台市博物館が注目はしなさそう。

それから、龍宝系統が武田宗家だけではなく、
信興弟の家系があるらしく現宗家祖母方がこれに当たるだとか
また龍宝長男信道弟の家系も聞いたことがあるとの話も。

まだまだいろんな末裔の皆様がいらっしゃるのでは…
とワクワクしてしまいますね!

そういえば、今に家を残してくださった龍宝さまの
菩提寺である入明寺って行ったことないや。
南甲府駅すぐそば。行ってみないとね!

龍宝さまは、生来温厚で一門の和づくりに
腐心されたと聞き及びますが、詳しいお人柄が
判るといいのですけどね・・・

今回の旅に当たっては、旧温会事務局の皆様には
心から感謝申し上げます。有難うございました!

ここまで、二日目④~⑤の様子は、武田家旧温会
公式Web
でもどうぞ!

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