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江戸城寛永度天守復元調査報告書記念報告会。

比較的最近の話・・・ですが、認定NPO法人の
江戸城天守について、調査報告がまとまったとのことで、
その記念報告会に参加してきました。

P1160367

江戸城寛永度の天守については、史料が残っている
ということは判ってはいたものの、史料の研究は
突っ込んではされていなかったということで、
三浦研究室で1年かけて、調査されたとのことです。

三浦先生は、もうこの江戸城天守の報告書を研究者人生最後の
大仕事と位置づけ、精力的に研究なさったそうですよ!

■三浦先生記念講演■

今回も現天守台が、家光が寛永度天守が建った際に、
石垣が外から見た際に、多聞櫓の上に少し見えたのが
惜しいと嘆いたとされることを踏まえて、再建時には
1間低くつくられたエピソードも披露。
ただ、その記録ソースは言及されず・・・気になりますね・・

新たに研究を重ねて、できた復元図がコチラ!
南面と西面が披露されました。当日の資料から。

南面。

Edo1

西面。

Edo2

以前から解説いただいているように、黒チャン塗りの
銅板で覆われた漆黒の天守。これに金の装飾が加わって、
非常に締まった印象のある天守です。

従来のNPO法人復元図では、銅板葺の屋根が
緑で表現されていましたが、これは建築後数年ほど後の姿。
数年経つと、平均的に酸化していきキレイな緑青へと
姿を変えていくのだそうですね。

創建当初は今回の図案のように黒チャン(松脂と煤)
を塗っていたと考えられ、再建直後の様子を表現。

日光東照宮でも同様の彩色が用いられているそうですが
アチラではすこし黒漆も混ぜているのだそうです。

壁面にも銅板張・黒チャン塗の部分と白漆喰、
飾り金具には惜しみなく金が使われて、
金・黒・白のコントラストが見事ですね・・・

この再建案の基礎になったのは、
①江戸城御本丸御天守百分ノ一建地割(都立中央図書館蔵)
②御天守絵図(国立公文書館蔵)
の2点。

いずれも都立図書館Web、国立公文書館アーカイブで
デジタル公開されておりますよ。

江戸城御本丸御天守百分ノ一建地割
御天守絵図南面
御天守絵図西面

①は甲良家文書として甲良家(現在では断絶)から伝わったもの。
日光東照宮の創建・修繕に携わった大棟梁の家柄。

P1160372

他に豊臣時代~江戸時代初期に活躍した中井家と比べると、
中井家が京都・江戸・名古屋・大坂と広い範囲の
城郭・寺院の建築を担当しているのに対し、
甲良家はほぼ江戸城・日光東照宮に限られ、
その専門技術集団であったようです。

②は正徳年間に上がった再建計画のときに幕府に
提出された絵図。①の図面と比較することでピッタリと一致。
寛永度天守をそのままそっくり再建したことが
図面上からも判ったようで・・・!!

P1160374

さらに①では判らない外観意匠や窓の具体的な位置などを
ハッキリさせる貴重な図面。

実はこれ以外についても、江戸城天守として
伝わった図面はあるのですが、技術的な観点から
矛盾のあるものや、そもそも明治期に写されたものなど、
寛永度天守や寛永度そのままに再建しようとした
正徳度計画当時の一次史料とはいえないことが、調査で発覚。

さらに・・・①の図面に関する興味深い事実。
これ「百分ノ一建地割」とあるのですが、
実物に対して、1/○という縮尺をもって図面を起こすのは
江戸時代には無かった手法。おかしいなと調べると、
実は1/100ではなかったことが判ったんだそうです。

・・・中途半端な1/107だったそう。柱間が七尺と
図面にあるにもかかわらず、実際の図面は六分五厘(≒2.1cm)。
本来なら1/100ならば七分で描かないといけないところ。

さらにこれは寛永度天守の設計図ではあるものの、
実際に建った天守を実測していないであろうとも推測。
というのも、屋根の高さが一切書かれず、
屋根の勾配(角度)のみを記してあるのですね。

面白いのが、初層~五層で屋根の勾配が変えてあって、
上層に行くほどわずかに急角度にしてあるんですね!
見上げたときに、上に行くほど緩く見えるというのも関係?

初層=五寸四分勾配
二層=五寸五分勾配
三層=五寸六分勾配
四層=五寸七分勾配
五層=六寸五分勾配

五層が特に急角度になってるみたいですよ。

屋根の勾配と柱の幅から計算上、柱の高さが判るわけで
実際測ってないというのは、こういうことからわかると。

この計算によって、正確に判明したとのこと。
天守台から天守棟木までが144尺(43.63m)、
石垣下から入母屋屋根の大棟までが93尺5寸(68.63m)。

従来石垣含めて59mと言われていましたので、実際には
さらに高かったということになりますね。
ただ現在は天守台の下のほうは埋まってますけども。

そして、南面天守入り口に見える黒部分は総鉄板張。
現在ですと、坂下門の鉄板張のイメージですかね。

Edo1

また狭間のようにみえるのは、穴蔵の明かり取りだそう。
南に一箇所、北と東西に各二箇所。現在の天守台には
見えないのですが、天守を実際建てる際に
天守台に石を一段追加する計画だったと推測。

そして、穴蔵構造。現在見られる石の階段、
さらに六箇所、都合七箇所の石の階段が
あるはず・・・とのことですが、早く発掘してほしいです。

151115_0004_001

一階は七尺間で南北十八間・東西十六間。
もちろん史上最大、名古屋城大天守・徳川大坂城天守が
南北十七間・東西十五間で少し小さめ。

そしてすごいのが地階・一階の階段。
これまでは踊り場が一箇所のL字型と思われていたのが、
踊り場が二箇所のコの字型。さらにこれは二つ。

151115_00dfef

しかも二箇所あるうち、片方は御成階段だろうと思われ
勾配が緩いのだそう。さらに二回折れていることで、
傾斜は45度程度と木造天守の中では随一の人に優しい天守(笑)

五階でも八間・六間もあって、これがちょうど
高知城天守の一階と同じとか。でかい(笑)

通し柱の通し方も意外と必要最低限しかなくって、
耐震対策というよりも暴風対策ではないかとのお話でした。

そして天守台にかかる荷重の分散構造の妙。
一階と二階部分のみ石垣に荷重がかかるほかは、
穴蔵に敷かれた柱がすべて支えていることが図面から明瞭。

151115_0004_002

最後に、江戸城天守の非戦闘性。
破風には人が入って銃撃することもできないし、
石落としも狭間もないという・・・

天下泰平の象徴というのは、三浦先生のご持論ですが、
江戸城天守が唯一攻撃装置のない天守というのは、
城の位置づけという意味でもおもしろい。

戦闘性は確かにおもしろくて、ハマッたら
止められないある種の中毒性があるのだけれども。

信長の城から顕在化する政治的な「見せる城」が
極まったある種の到達点として、
とても興味深い江戸城天守なのでした。

最後に・・天守の屋根が一直線に並んでるんですよね。

Edo2

そう・・霊峰富士。富士山型に見えるのですよね。
層塔型ならではの美しさなんだろうな、と。

■共立女子大発表■

そして興味深いのが、共立女子大・家政学部
建築デザイン学科の皆さんの発表。
これ実際に天守が建ったら参考にすべき点
がたくさんあるなーと興味深く拝聴。

徳川葵の紋の真ん中に江戸城天守を据え、
江戸城天守に人が向かう意味も込めた
江戸城天守ロゴマークとフォントが素敵・・・

P1160379

ポスターも素敵だし、ロゴマーク入った
紙袋ほしいよね・・・!! 江戸城天守の焼印の入った
お饅頭・・・ほしいほしい!!

P1160384

値段は「おしろ」にかけて460円(笑)

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さてさて。具体的な報告書の発刊は来年早々。

原稿案を現地で拝見しましたが、信頼に足る史料が
上記2点のみである検証が丁寧。
しっかり読み込んでみたいですね。

また慶長度の天守台の一部が中之門に使われてるなど、
興味深いことがたくさん・・・待ち遠しいです。

しかし、この再建図面見れば見るほど惚れ惚れします。
かっこよすぎる・・・・!!!

ということで、今後も江戸城天守再建運動、
応援していきますし、活動を見守りたいと思います。
わたし自身も何かお役に立てれば・・とも思いますしね。

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