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人神(ひとがみ)信仰の諸相と信玄公の祭祀。

時系列に前後してばっかりなんですが、4/4に
武田家旧温会総会出させて頂いた際
に、
成城大学民俗学研究所の及川祥平さんの講演を
聴くことができましたので、その内容と個人的な気付きを。

ちょうど博士号を取られたばかりということで、
お年もわたしの弟くらいの年で、わ、わかい・・・・!!
というのが最初の印象なのですが(笑)
民俗学の文脈であまり信玄公の話題が出る事例を知らず、
ものすごく興味を持って、拝聴できました。

及川さんのご関心は、民俗学の観点から
信玄公亡き後の後代の人々が「武田信玄」という人間を
どう捉え、信玄公の歴史にどのような価値を
見出してきたのか?ということだそう。むむ…興味ある!

そのフィールドワークの一環として、武田家および
武田家家臣の末裔がその出自に誇りを持って構成する
武田家旧温会がとても関心のある対象なのだそうですね。

以降、本blogの慣例に従い、学術的文脈での記事になるので、
歴史上の人物はすべて敬称略とさせていただきます。

■人神(ひとがみ)信仰とは?
なかなか聴きなれないことばですが、要は宗教的施設で
現実の人物を敬礼・崇拝の対象とする宗教的行為を
学術的に定義したことば。

けっこうアジア特有かな?という印象をもっていたのですが、
考えてみえば、カトリックの聖人崇拝なんかも確かにそう。
洋の東西(他アフリカなどでもあるらしい)に超えて
共通して見られる信仰のあり方のようですね。

お隣中国だと、三国志好きのわたしは真っ先に関羽信仰を
思い浮かべてしまいます。

■日本におけるパターン

人神信仰ですが、いくつかのパターンがあるとのご指摘。
怨霊は確かに代表格ですよね。

(1)怨霊信仰
 … 例:菅原道真、平将門、崇徳院、山家公頼

災いが発生し、その原因として不遇の死を遂げた
死者の怨霊を想定。その怨霊を鎮めることで
災いの鎮静化を狙う過程で発生する信仰。

災害を起こす力の大きさを、祭祀で転じて幸せを
もたらす力とできるという信仰ともセット。
 
(2)現世利益
 … 例:ねずみ小僧

怨霊信仰も「喉元過ぎれば熱さを忘れ」てしまうために、
特定の「ご利益」をセットに信仰を継続させようとする試み。

怨霊信仰をすっ飛ばし、最初から現世利益を希求して
神格化されるケースも。

(3)権威権力の演出
  … 例:楠木正成、上杉謙信、豊臣秀吉、徳川家康

現世の高位の人物の非凡さを宗教上の高次な存在との
関連で説明すること。要はナントカの申し子とか
化身的な「現人神演出」ですな。

上杉謙信は言うに及ばずなんですが、武将よりも
高位の僧の誕生秘話によく見られるパターンなんですね。
(空海・親鸞の例がそうみたいです)

次のステップとして、その誕生秘話をモデルに自身が
優れた存在としての補完するストーリーとして作り出す・・・
という日輪受胎伝説(豊臣秀吉)や、仮託する
高位の存在が消え、権力者が自らが神そのものとなる
という、豊国大明神や東照大権現の例も。

(4)偉業・顕彰の手段
  … 例:武田信玄

基本は天皇中心に据える思想統制のなかで、
歴史人物の政治利用の一環で、天皇家に忠節を
誓った(とされる)人物を都合よく思想統制に
組み込んでいく・・というパターンが主流。

残念ながら、武田神社もこの流れと無縁とは言えませんが、
旧藩主・旧領主を祭る神社は、個人的にはちょっと明治政府の
思想統制とは離れて純粋に旧主を敬うという文脈のほうが
強いような気はしましたけれども。

武田神社がこの政府の思想統制の流れで捉えられうるのは、
明治天皇が信玄の敬神・崇仏の事跡に感銘し
保存金を出したこと(明治13年)
や民政の功績評価も
加わって、大正期に従三位が贈位されたという
天皇・政府との関連で武田神社創設に至るという
歴史的な経緯によるものでしょうね。

ただ、及川さんは少なくとも信玄に関しては、
突拍子もなく単純に民心掌握に信玄を利用したわけではなく
下地となった連綿と続く『信玄信仰』があった
と指摘されます。

■山梨県下の庶民伝説における「信玄公」

いろいろ個別の事例も興味深いのですが、以下の3パターンで
ご説明くださいました。

・奇跡を起す「信玄公」

割石峠八房梅の事例を出されていましたが、宗教的な高位の存在が信玄に置き換わる事例が
甲斐の伝説には多く見られるんだそうですね。

これをそれは信玄と関係ない!と言うのも野暮な話で、
確かに甲斐民衆の信玄の捉え方の一側面を
示すものであり、また、江戸時代以降も連綿と
信玄「信仰」が続いてきた傍証、
と見るほうが建設的だといえるでしょうね。

信玄が出家して(形式上は)権大僧正だったとはうえ、
高僧の位置が統治者に置き変わるというのは、興味深いです。
統治手段のひとつとして、宗教政策にも重点を
置いていた名残とも捉えられるかもしれないですね。

・木を植える「信玄公」

寺社の樹木の「お手植え率:の高い信玄ですが、
これも寺社がその歴史性や格式を説くための材料として、
信玄を持ち出している(事実はさておき)ということからも、
やはり、ある種の宗教的な存在としての
「武田信玄」像が浮かんできます。

ただ、奇跡にしてもお手植えにしても、なぜ宗教的な
位置づけを得るに至ったかについて、
詳しく知りたくなりました。今すぐ判るのかはさておき。

・信玄起源神話

歴史学的には関連のない俗説も多いが、とにかくなんでも
信玄に絡めたがる・・・のが甲斐国・山梨県の特徴
というのは、わたしですら感じるところ(笑)

ですが、関連を持ち出そうとする心性に注目したいですよね。
江戸時代の甲州三法(甲州枡・甲州金・大小切税法)を
定めたのが信玄であるというのも、史実かどうかというと…

ただ、廃止を目論む幕府に対して民衆の反論ロジックは

「信玄公が定めたものだから!!」

存続決定後に法要が盛大化するという現象が
文献史料から確認できるですってね!

宗教・文化専門紙「中外日報」に掲載されている
先ほどもリンクつけた及川さんの記事では、
「信玄公忌一国本願記録」と「甲斐国見聞日記」の例が
上がっていて、その「信玄信仰」の強さを肌身で
感じるとともに、武田牢人たちにとっての信玄、
というまた別の側面も見えるのです。

仕官叶わず、あるいは自ら進んで帰農してはいるけれど、
名字帯刀を認められ、武田家家臣の末裔たる由緒を
誇りにしていた武田牢人たちが、「信玄の法要に積極的に
関わることで末裔者たることを示し、また関わることを
名誉としていた」というくだりです。

何がそこまで、彼らに誇りを持たせるのか?
武田信玄にこれだけ関心を持ってきたわたしでさえ、
そう思わせられるほどの連綿たる敬愛の心。

先日、恵林寺蔵の武田信玄百回忌奉加帳の件で、
グダグダと書きましたが(苦笑)
これよく見ると、牢人していても金一封を献ずる
遺臣たちがいるんですよね・・・

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苦しいであろう家計から寄付をしたであろう
彼らの想いとどこかつながるものを感じてしまいます。

なぜ「武田信玄」はにここまで連綿と彼らの心の中に
生き続けられるのか?ということや、江戸時代の旧武田遺臣を
抱えた諸藩士・旗本で捉え方に相違・相似があったのか?
ということが今すごく関心の高いことなのもので、

新たに江戸時代の甲斐の農民(帰農層含む)の
信玄の捉え方についてのこの日のお話はすごくビビッドに
わたしに響いてきました。

いずれにしても、甲斐の歴史における「武田信玄」の
その圧倒的な存在感とその息の長さには、
舌を巻くしかありません。

■人神信仰の今日的課題

最後に、こんなことも。

人神信仰、その時代の思想状況や歴史認識を如実に反映し
いわゆる「都合よく利用されうる」ものであるというご指摘。

いわばそれは、その時代を代表するある種の価値観による
「善」の達成・遂行ために利用されるということであって、
天皇中心の政治思想だったり、軍国主義の礼賛だったり。
現代的な問題で言えば、経済主義や観光主義になるのでしょう。

思想や経済ではなく、郷土への愛情や矜持を
育む手段として生かしていけないか?ということを
今日的課題として挙げられていました。

ですが、わたしは山梨にも武田家にも、
本質的なゆかりがありませんが、ものすごく関心を
引かれ続けています。それは何か。

抽象的に言うと・・・人が結合力を発揮し、それが
何百年にもわたってその記憶が受け継がれている
仕組みとプロセス。そこをしっかり理解したい。

直接的に経緯がつながるわけではないですが、
子孫の皆様で構成される「武田家旧温会」のような組織体が
他ならぬ武田家だからこそ、成立するような気がして。

江戸時代の武田遺臣の話を知れば知るほど、
どうしても「武田家旧温会」につながってくる
ような・・・・気がするんですよね。

さて、通常モードに。改めて戦国当時についても
もっと知りたい気持ちはありますが、
「江戸時代の武田信玄」にまつわるエピソードも
もっとたくさん知って、自分なりに理解を整理できたら
と想うのでした。

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