網走監獄。
網走・・・といえば、流氷と監獄。
そのイメージしかなかったんですけれども、
もうひとつのイメージ、網走監獄へ。
実は、以前一度だけ網走に来てはいるんですが
通過点でしかなかったので、網走駅しか
みていないのですよねぇ。
意外と距離がある監獄。いや、そりゃそうか、
市街地に刑務所ってやだもんね。
バスで向かって網走監獄到着です。
鏡橋。京都五条大橋の擬宝珠をモデルに
つくられたそうで、川面に我が身をを映し、襟を正し
心の垢を拭い落とす目的でわたるように、
とのことから、鏡橋と呼ばれたのだそうです。
ちゃんと撮ってないなー・・と思ったのですが、
ここの濠というか川というか、気持ち外側のほうが
土塁が高かったような気がしました。
通常、城だと外から内に入るのを防ぐわけですが、
ここは内から外に出るのを防ぐんだな・・と思ったのにっ。
煉瓦門。設置された明治期は創建時・焼失後再建時ともに
木造であったそうですが、大正期に煉瓦造に改築。
ずーんと聳える煉瓦門。
天井には一部木造部分が。焼失した材の一部とか?
見張られてる・・・(人形です)
向かいは面会に来た人の控え室かな?
高く見える壁もこれだけ雪が
降り積もったら低く感じます・・・
隣にある通用門。もとは別の場所にあったのを
移築したようですな。
さらに釧路地裁の旧網走支部法廷が移築復元。
内部にも入れます・・どきどき。
1890(明治23)年に裁判官の制服が
定められた際の法服。なんか黒魔術師みたい・・・
ファイガとかドレインとか唱えてきそう(錯乱)
法廷内。蝋人形で再現してあってなかなかリアル。
こちらは裁判官1名の単独法廷。窃盗事件などを
主に取り扱い、使用頻度も高い法廷。
コチラは重罪事件を取り扱う合議法廷。
味噌醤油蔵なんかもありました。食料の一部は
自給自足だったようです。
休泊所。中央道路開削時の仮の獄舎。
動く監獄といわれ・・寝床に丸太が置かれて、
ここをぶっ叩かれて起こされるのだとか。
・・・が、ひぃぃぃとなる面構えだったので自粛。
夏はこの先から二見が丘農場に行けて、
監獄食を食べられるようですが・・・真冬なので残念。
そして、いよいよ放射状の監獄へ。
こんな具合に初期は×印状に獄舎が建てられていましたが…
今では、180度半円形を描くように、
放射状に獄舎が並んでいます。
獄舎はキレイに手入れはされているのでしょうが、
古写真の様子そのままですね・・・
年代物の電話だぁ・・というのとボタンひとつ。
本部に直通なのかいね。
見上げたときの薄暗さが・・・
夜の不気味さを想像させますな。
監獄は密室にはなっていないんですね。
角材がナナメに伐られていて、
ちょうど向かいの監獄からは中が見えないような、
それでいて外界とはつながってる構造。
一部は入室も可。
トイレ?
備品表。唯一の楽しみが将棋と囲碁。
・・と思いきや、スポニチ?新聞もあり?
独居房。光があるだけまだましか・・・?
たまに囚人がいてビビります(笑)
第四舎二十四房。ここに収監された脱獄王が
ここでも脱獄したそう・・
扉の監視口を破壊したそうですが、ここから出るの?
よっぽど細いんだなと違う意味で感心・・・
あ、脱獄だー!ああやって廊下に出た囚人は、
屋根に上って天井を破壊して外に出たとか。ひえぇ。
食事の様子。簡素な一汁一菜。
暖房器具。これで廊下を暖めるわけですけど、
相当に寒い網走でしょ?これでもまだまだ寒いでしょうな。
新聞回覧って書いてある。やっぱり新聞は
配給があったんだね。
温度測定房・・・というのと壁が剥がされたように
なってるのは関係があるのか??
浴場。ここは古い湯屋のようなつくり。
ひとときの楽しみでもあり、また皮膚病の伝染を
防ぐ意味でも重要だったとか。
とはいえ、最初は毎日だったのが、ほどなくして
夏は5日に1回、冬は10日に1回程度になったとか・・
実際はキャパは一日15分ほどの入浴で200人程度、
1000人もいた囚人をまわしていくのは5日は掛かる、
という事情もあったみたい。
刺青刺青・・・こえぇえぇぇ。
背後ではしっかり監視されてます。
隠れてこそこそブツの受け渡しがないかとか。
この湯屋の天井の造りは湯気抜き。
明治大正期の銭湯に見られる様式だそう。
刑務所ってことを考えると、こういう装飾がちょっと
異質に思えてきます。
独立型独居房。ここに入れるのは特別な・・・
といっても悪い意味で特別な囚人。
規則違反すると入れられる、光のない独居房。
うわあぁぁ・・・これは気がおかしくなりそう・・・
実際入って扉を閉めてみましたが・・・
閉所恐怖症だったら即パニックになりそうです。
他にも木造の独居房が2房。
煉瓦造りがあるということは木造だとぶっ壊して
逃げた囚人でもいたのでしょうかね?
庁舎。明治期に見られる和洋折衷の様式。
けっこう好物な建築様式!
何度か替えられてきた鬼瓦などが内部で展示。
武田菱だぁ!と心の中で叫んでいたことは内緒。
(典型的な武田病発言)
面会所の再現。
こんな美人に苦労させて・・・
(幸薄げでげっそりした加藤あいみたいな?)
教誨堂。教誨とは教えを諭すということ、
つまり、囚人に対して倫理的な教科指導を行う場。
ほぅ・・そんな場所もあるんだ。
懸魚が立派だ!
ということで、ここで終了。
せっかくだから行っとく?程度だったのですが、
意外と楽しめてホクホクでありました。
最後、足を伸ばせそうなチャシとラスト流氷をば。
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