谷村城・勝山城。
さて、大月から向かったのは富士急行線。
何気に富士急線初めて乗った・・・
微妙な信玄公と富士山の合体キャラ(苦笑)
さて、谷村町(やむらまち)。
根が関西なのでついつい「たにむら」と読んじゃう。
時間が遅いので、ミュージアム都留は閉館。
勝山城の模型があるそうなんだけど。
谷村第一小学校になっている谷村城跡。
勝山城が詰めの城、谷村城が居館。
石垣はどうかねぇ・・・微妙。
小学校内にある谷村城跡の碑。
郡内小山田の拠点であった中津森館が焼失、
小山田越中守が1532年に居館を谷村に移し築いたそう。
小山田越中は、小山田信茂の祖父に当たる人物。
小山田氏というと例の一件から、岩殿山城のイメージが
強いのだけれども、甲府の躑躅が崎に相当する本拠は
ここなんですねぇ・・・(郡内小山田、不勉強)
1700年代初めまで谷村藩があったそうで、
その藩主の居城として使われましたが、以降天領化し、
谷村陣屋にその機能を移して廃城。
・・・ということで、その谷村陣屋跡。
今は甲府地裁・都留支部。フェンスで囲われてるのは
工事中なんでしょうかね?石垣は陣屋跡の石垣かも。
このあたりの桜、花びらの色が濃くって素敵。
そして・・・詰めの城・勝山城へ。
時間が遅かったし、雨がぽつりぽつりとしだしたんですが、
駆け足でどわわわわっと巡ってきました。
看板にあった縄張図。ええ縄張図やの。
川棚見張台から三の丸~二の丸~本丸下に
広がった内堀の入り口。この日は探索できず・・・
キレイに刈ったら迫力ありそうだよなぁ。
見張台脇をぐるっとな。
出っ張った先が見張台。このあたりはキレイに
されていますよ。見晴らしもGood。
たぶん内堀にもしゃもしゃするのをキレイにすると、
スカッと居館方面を見渡せるんだと思う!
さらに進んで帯曲輪方面。
帯曲輪下の土塁。ここまでキレイにされてるとは!
いい土塁じゃないですか。
ここで雨がぽつぽつし始めたので、
本丸方面に急行!
お手入れ行き届いてる感がしゅごい。
左向くと三の丸下。
右手には帯曲輪。
そんなところをダダダダッと駆け上がる。
振り返って。
左手に二の丸を見ながら・・・
本丸一直線。
本丸下の土塁に石垣。小山田時代かどうかは
さておき、織豊~藩政時代は総石垣だったかも?
と思わせるような石垣の根石部分。
この土塁も石垣だったのかな。むむ。
破城感は感じないけれども。
本丸には・・・小さな東照宮。
解説板。意外なことにこの勝山城は、
小山田ではなく、浅野時代に郡内に入った家老
浅野氏重によって築城されたのだとか。
てことは、小山田時代の詰めの城は
やっぱり岩殿山城なんでしょうかねぇ。ふむ。
そう考えると、勝山城は石垣の城だったのかな?
という気もしてきます。
この先大沢見張台跡。デカそうな竪壕が
あるんだけどなぁ。次回にお預け。
ここから降りていけそうなんだけど。
あちらがちょうど帯曲輪の上方あたりかな?
あちらが焔硝蔵跡。ここだけサクッと行こう。
本丸下北側の土塁。
よく見ると、ちょっと段々してる。
織豊期の高く積むにはちょっとシンドイから
二段・三段にしちゃうアレとか・・・まさか。
うーん、石垣の城に見えてきた(笑)
焔硝蔵跡。
さ、ゆっくりしたいけど・・けぇるぜ!
城らしいよね・・あまり技巧的ではないけど。
石ごーろごーろ。やはり石垣の城?
登る時は駆け上がって撮ってなかった。
枡形感にむふふ。
ちょっとだけ帯曲輪に寄り道。帯曲輪から見える
本丸北側焔硝蔵跡方面の土塁。ええ見栄えや☆
さて、大月からちょっと戻って山梨市で
ほうとうを頂いてから帰りますよ☆
ここのほうとうがうまい!とお気に入りの歩成さん。
この日は駅近のお食事処のほうへ。
このほうとう食べたら、甲府ではスキップするか
ってなるよねぇ・・・・
舞茸の天ぷらつけた。うしゃしゃしゃしゃ!!
こうして大満足の武田月間第一週が過ぎていきました…
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント