武田家住宅。
今回、北陸に来たメインイベント!
とも言うべき、武田家住宅。
逍遥軒信綱(しょうようけんしんこう)、
つまり武人画家・武田刑部少輔信廉の末裔が住まった
とされる肝煎の邸宅です。
のっけから思いっきり吹いたのが、
重要文化財・武田家駐車場(笑)
駐車場が文化財なのかと・・・
低いですが石垣で囲われた邸宅。
三千坪ある大邸宅です。
さて、いよいよ参りますよ☆
解説。戦国期には一向一揆旗頭として活躍した
勝興寺が1795年に再建された際の余材で
建てられたそうで・・藩政期は前田家の援助も
あったらしい寺の余材を譲り受けるとは。
んでもって・・・瓦きたぁぁぁぁぁぁ!!!
武田菱!武田菱!
お屋敷にももちろん。武田菱。むは。
随所に武田菱が。このあたりは台所。
煙を逃がす工夫。福岡城の多聞櫓をちょっと思い出す。
あちらは鉄砲の砲煙逃がしだけど。
囲炉裏のあるここが団欒の場なのでしょう。
まだまだ寒い時期だったので、(多少煙いけど)
火の暖かさが沁みます。
舶来モノの時計。明治以降なのだろうが、
それでも武田家の一定の財力を彷彿とさせる遺品。
仏間。いまは横浜におられるという
ここの武田家の御当主、年末に仏間に手を合わせるために
ここにお戻りになるそうです。普段は仏間は閉じています。
昭和40年代までお住まいだったそうですが、
文化財指定されたあたりに横浜に移り住まわれているとか。
裏手のお庭。
ツバキが咲いています。
これは武田の紅ツバキといって、このあたりにしか
ない品種だそうです。赤備えの赤・・・??
井戸跡でしょうか。ちょこんとのった武田菱の瓦。
床の間に違い棚。
・・・にある釘隠しをわたしは
見逃しませんでしたよっ!菱形・・!!
さらに奥の部屋は「ざしき」。藩の役人の接待等に
用いられた部屋に、江戸時代から飾られていた
という武田二十四将図。
信玄公アップ。
別の信玄公像。あまり見ないかなり老年の印象。
武田信玄僧正永禄十ニ年 七月毘沙門堂舎開政月
一葱斎製
とあります。どういうご由緒なのか・・・
にしても、このくらいまでご存命だったらなぁ、
と思わずにいられません。
にしても、犬飼毅や山岡鉄舟、横山大観が武田君に…
と書や絵を描かせるとは…ということだそうで、
明治期の著名人との懇意だった明治期の
武田家当主さんが気になります。
こちらは山岡鉄舟と碁を打ったときに書いた書。
当時の当主武田清四郎について、
頑固者の清四郎とのことで、『清巌』と書いた書。
こちらは横山大観筆の「義経岩図」。
義経岩とは、義経一行が奥州平泉へ向かう途中、
にわか雨降り出したため、弁慶が岩を持ち上げて、
その陰で雨宿りをしたという伝説の岩。
降りた駅の「雨晴(あまはらし)」もそれが所以。
「為武田兄雅嘱」とあり、その懇意な関係が
想像できますね・・・実際明治36年に大観がこの部屋に
逗留していたそうな。なんだか豪放磊落な当時の
武田家当主を勝手に想像してしまいます(笑)
犬飼毅の書。こちらにも「為武田君」と。
湯殿。お部屋の割りには意外とお風呂小さい。
ふとしたところに武田菱を見つけられてうれしい(笑)
提灯入れ。提灯も武田菱らしいですが、
傷んでるので出せない・・・・ううぅ、見たい!
さて、信廉子孫が本願寺を頼って落ち延びたらしいという話。
本願寺と勝興寺が戦国期に深い関係があって、
武田家ともゆかりがあり、勝興寺本堂再建時の建材の話で、
逍遥軒信綱の子孫に説得力が・・と。うん。
本願寺と武田が姻戚にあるのは有名だけど、
Wikipediaには信廉の男子としては
夭折した武田信澄、麟岳、救山宗温とあって、
さぁ、信憑性はどうかなってわけですが。
麟岳禅師は信廉の息子の可能性は高い?そうで、
勝頼とともに最後まで戦っているそうなので、
ひょっとしたら、彼に息子が居たとか????
個人的には直接の証拠はないにせよ、
武田二十四将図と信玄公像を、一番大事な部屋に飾る家柄が
越中にあっただけでもうれしいと思うんです。
そして、前田家中にあって、肝煎としておおっぴらに
あの武田家の末裔はを名乗りにくかったみたい。
そんな越中にあってリスクのある家系を嘘で名乗るだろうか?
と考えると、直接の子孫かはさておき武田のゆかり、
だと考えるのが自然ではないかなぁ、と思うのです。
いつか、ここの武田家ご当主さまともお会いできたら
いいなぁ・・・・
少し邸宅の周りもうろうろ。
なんて読むんだろう。
お庭をてくてく。
武田家のお屋敷を少し引きで。
立派な石燈籠。
お散歩にちょうどいい感じ。
無理だと思うけど、ここに泊まれたらいいだろな。
囲炉裏でご飯いただいてさ。
やっぱり武田菱は癒されます(お前だけだ)
こんなところにも見つけてにやにや。
ぐるぐる何度も何度も見たなぁ・・・2時間は居たか?
武田家のお屋敷、楽しかったです☆
さて、この後は氷見に向かい阿尾城へ。
氷見、微妙にブリの時期を逃してて悔しかったんだよな…
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