南九州群郭式城郭を堪能する…③清色城
さて翌日。ちょっと薩摩のほうに戻って、
薩摩川内の清色城に向かいます。入来院氏の居城。
東に居館部の入来麓、西の丘陵部に詰めの城の清色城、
という典型的な中世城郭の構造。
清色城は、1595年に入来院氏が移封されて廃城に。
入来麓は小学校に。
立派な土塁と濠でお城感満載の小学校。
周りの民家も武家屋敷。玄関が枡形虎口。ひょほ!
清色城の全貌。以前はこの看板なかったらしいですが、
非常に細かく描かれていて、ありがたい限り。
そしてまず見えてくるのが・・え?
あ、あれが壕底道だというのか・・・!!
掘りすぎ堀切・・・
本オフ会部隊長・あむさんにモデルになっていただきます。
この高さとこの幅の狭さがお分かりいただけるかと…
こんなん狙い撃ちし放題やん!すげぇ…
としか声の出ない一行。
数人がやっと並べるかどうかの幅。
そしてはるか頭上まで聳える曲輪・・・
あんなとこから石やら矢やら鉄砲やらが
降ってきたら、どないしようもないぜ・・・
内側から。やはり、ググッと狭まっていて、
ものすごいあって圧迫感がすごい。
さて、入ってみると城内は意外と広々とした空間。
北の広めの曲輪・松尾城から攻めます。
あの土塁の先から壕底のほうへ戻ります。
向かいは、松尾城の先端の小さな曲輪ですね。
さてここからぐるっと回って、西之城まで
壕底道を伝って向かいます。
おおっ、竪壕が連続してどんどん!
壕底道に達すると、やはりいつもの(笑)
感じがしますね。ただし迷路のように複雑怪奇なので、
かなり道に迷うと思いますね、往時なら。
こんな様子がどこもかしこもですからね・・・(笑)
だんだん曲輪の高さにも慣れてきます(笑)
そして西之城に着きました。このあたりは、
あまり刈られていない様子で、12月でもけっこう藪藪。
西之城から戻った一行を待っていたのは、
美しい木洩れ日。おおぅ…
なぜだか幻想的に思えてしまいますよね。
さて壕底道をぐるっと堪能する一行。
一応はところどころに案内があるのですが、
かなり迷いやすい構造。なんか同じようなところが
出てくるようで・・迷ってる間に討死ですな。
知覧城だけで満足してましたが、上には上が・・・
と思わざるを得ない群郭式城郭。
進入できない空壕。きれいにしてくれないかな・・
基本的に見所が同じタイプなので、感想が単調に
なっちゃうところがアレですけど。
一応、本丸にも足を踏み入れ。
誰を祀ってるのだろう・・・
もちろんこれくらいでも高低差は楽しめるんですけど、
往時を想像すると、もっとすごく眼前に
迫ってくるんだろうな…
さて、中ノ城へ。下って隣の曲輪が中ノ城。
空壕。
中ノ城。けっこうなスペースで
兵をたくさん駐屯させられそう。
さらに求聞持城へ。求聞持・・・というと、
虚空蔵菩薩を本尊として行う、記憶力増進のための修法。
とあります。何か仏教施設との関連があるのでしょうか?
けっこう堀切が急でロープが準備されてました。
中ノ城と求聞持城を分かつ空壕。
求聞持城は居館側へ細長く伸びていました。
なぜかきのこが気になって仕方がないわたし(笑)
求聞持城からさらに物見之段のある曲輪へ
続く土橋。けっこうキュッとしてていい感じです。
物見之段曲輪(仮称)。ここも長細い。
物見之段。ここから見えるのって、方角的に
居館部の南に当たるはずで低い位置にあるんですよね。
居館を見下ろしながら、何を物見するのか…と不思議。
さて、居館部の脇から退城。
近くのバザーで売っていたみかん酢を
帰り際にゲット。なかなか美味しかった・・・
薩摩川内ってみかんよくつくってるのな。
さて・・・続いては大隅山田城。
ここもまた規格外の城・・・
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