供養としての記事。
今年もまた、4/10がやってきました。
あの日から8年が経とうとしています。
亡くなったのは6月らしいのですが、正確な日がわからない
ということで、最後にメッセージがあったらしい
誕生日の4/10に毎年、偲ぶようになりました。
過去に散々、思い出は語ってきたので、
改めて書くことはしないでおこうとは思うのですけど、
ふと毎年こうして書くことが、ある種の供養や法事のような、
感覚になっているなと思い至りました。
日本の民間信仰では死者・祖先に対する追善供養のことを
特に供養と呼ぶとありますが、原義は供物を
真心から捧げることだそう。
この場合の供物とは何か…個人的な死生観ですが、
やはり記憶なんだろうなと思うんです。
あの時こうだったね、ああだったねと思い出しながら。
人が完全に死んでしまう、無に帰してしまうのは、
肉体が滅んだとき…ではなく、忘れられて
しまったときなのかもしれません。
その意味で、歴史上の有名人物は姿や形、その歴史すら
変化しながら、長いときを生きているともいえます。
彼女は当時、今よりもずっとずっと狭いネットの世界の中で
知る人はそれなりに多く、また影響度あったのだと思います。
インターネットで人間関係が作られる時代の
亡くなった方との関係のあり方に想いを馳せる日。
あのときの経験は、わたしのなかで確実に
かげがえのない「伝説」となっていっています。
何事も最初にいい経験をしておくのが大事だといいますが、
わたしのその後のインターネットでの人付き合いのあり方を
規定しているといっても過言ではないくらい。
姉さん、ホントにありがとう。
ウイスキーで献杯。
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