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2015年4月

南九州群郭式城郭を堪能する…①志布志城

さて、翌日。kaiさん(@mypace_kai)、
豪士さん(Gohshi77)、えりさん(@eri_neve_cae)を迎え、
志布志城・大隅高山城へ・・って言ってるのに、
鶴丸城集合なのは訳がありましてね。

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決して鹿児島医療センターの石垣にも、
弾痕があるんだ!とか言いにきたわけではないのです(笑)

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というか、鹿児島医療センターのほうに
石垣があること自体、これまで気づいてなかったという…

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さて、鶴丸城ですが、城内に建っている黎明館に
志布志城の模型があるからなんですね。
残念ながら撮影はできないので、しっかり凝視。

後で知ったのですが、志布志市埋蔵文化財センターにも
模型があるので、いつかこっちも見ておきたいもの。

さて、志布志城は志布志駅からは近く、
2km以内くらいで到着。そして志布志市埋蔵文化財センターは
駅から1km以内と至近・・・なのですが、
志布志に来るのがまず大変なんですよね・・・車ないと。

一度、飫肥城まで行ったことはありますが、
それも別府から九州に入って、杵築・臼杵・佐伯・延岡…
と18きっぷで巡って、さらにその先の飫肥まで来た時。

飫肥から志布志まで1時間半を往復・・・と考えると、
また次でいいやと思ってから、どれくらい
経ったでしょうねぇ。
やはり車を出してもらえる機会はありがたい!

さて、志布志城到着。

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ここから入っていきます。

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スタート地点はここ。

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いきなり、どぉぉぉぉんと切立つ高い土壁!
南九州的な(笑)お出迎えです。

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その脇を上がっていくと、「矢倉場」とある曲輪。
大手口のすぐ脇ということは、真っ先にここの弓矢を取って
攻撃にするための備えがあったのかもしれません。

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発掘調査で構造物の痕が多数発見されていて、
「矢倉場」という名称を思わせますね。

ここには城主だった新納氏の初代当主だった
新納時久の墓が残っています。島津家傍流で、
建武の頃に、足利尊氏と足利直義の対立が起こったときに、
直義側に付いた武将だそうですね。

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新納氏というと、猛将・新納忠元を輩出してますな。

さて、矢倉場をつっきって反対側に出ます。

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矢倉場の脇を壕が通ってますね。
そして今は小学校ですが、あちらが新納氏の居館跡。

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そしてその壕に沿って奥に向かっていきます。

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恒例の撮る人を撮るシリーズ(笑)

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壕底道をすすむあむ軍。

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このあたりっすね。

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やはりここも高さがすごいよね。

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これだけだとちょっと判りにくいけど、
曲輪に上るとすごさがより判るのよね・・・
相当な高さの土壁が迫った切通しのような感じ。

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別の切り口から。ちょっと引くと高低差
わかりにくいんですが…

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目立つ色の寺さんが映ってるの見ると、
あ、こんな深いんだ!って判りますよね(笑)

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しかしその先にはまだまだすごいものが・・・

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この狭さとこの高さ!

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そそり立つ土壁・・この迫力には土も石もない、
城としての共通点を感じますね・・!!

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振り返って撮った写真のほうが
迫力が伝わるかもしれない・・

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一同、なんじゃこりゃぁと圧倒されてますが、
まだ本丸下までしか進んでませんけど(笑)

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どうでもいいけど、写真を後から見返して、
四股踏んでるように見えちゃって爆笑!

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中ノ久尾を過ぎたあたりで、
左に曲がってみます。

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中ノ久尾とある曲輪の北側の二曲輪に
潜入してみます。

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ここが向かって東側右手にあるほうの曲輪。

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その先にはどんと行く手を阻まれますが…

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もちろんこれくらいの高低差はひょいと
通過していきますぜ!中段の曲輪に到達。
ここも櫓があってもおかしくない広い空間ですな。

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その先にも土塁的な感じ。ちょっとした仕切りという
感じでしょうかねぇ。

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この先はまた西の壕底が見えます。高い!

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そこであむさんがささっと虎口を下って、
壕底へ!普通ならわーいとしているようなところを
矢で射られて「うわぁぁぁぁ」となってるように
見えるのはご愛嬌ですな(笑)

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さて、わたしも下りましょう。
枡形にちゃんとなってるのがいいよねぇ。

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さてここからが西の壕底道、大空壕。

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人の大きさこれですからね・・・でかいでかい。

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曲輪を形成している土塁はちょっと茂ってて、
迫力はわかりませんけども・・・

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さて大ノ久尾方面に向かって進軍。

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いい加減、この高さの土塁に囲まれる
壕底道が普通になってくる感覚の麻痺(笑)

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あれが大ノ久尾の曲輪への道。平虎口?

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・・・の前に、竪壕見てからねっ。

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このまま、ひゅーーーーんと落ちてる勢い。

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さ、上がろ。

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大ノ久尾では、発掘調査をやってそうな雰囲気。
他と比べて相当広いので、馬場だったのかもしれないですし、
建物もあったかもしれないですが、調査でわかるといいですね。

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さて、ここでおっひるー♪
皆コンビニ飯をほおばって、即進軍の構え(笑)
西の壕底道を戻ってゆきます。

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本丸と中ノ久尾との壕底道。

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このあたりね。

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本丸側の迫力がまたすごいんだ。

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中ノ久尾の南側の高低差も堪能して。

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中ノ久尾南北を分断する壕を南側から。

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さて、遅ればせではありますが、本丸堪能せねば!

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本丸虎口まできたっ!

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こんな感じでステキに曲がってる虎口を過ぎて、
本丸まで到達します。ずっとスルーしててごめんね(笑)

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はーるばる、きたぜほんまるぅー♪

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おや、この土塁は櫓台でしょうかね?

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土塁の上には小さなほこら。

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本丸土塁からの高低差もなかなかのもの。
下から見上げた後に上から見下ろすと、
より立体的に把握できて楽しい。

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さらにその南側の本丸下段にも。

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いろんなものが発掘されてんだなぁ!
金具類や碁石、土師器とか。
居住空間を思わせる出土品ですねぇ。

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南側には志布志湾がよく見えます。
見張りの意味でも絶好の曲輪。

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さて、そろそろ下城しますかね。

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本丸登口跡って・・・ホントにこっち?
一直線ですやん(笑)

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さて、戻ってまいりました。最初の一城ですでに
濃密過ぎる城攻めになりました(笑)

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さて、続いては肝付氏の本城・高山城です。

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南九州群郭式城郭を堪能する…前入り編 - 鶴嶺神社・知覧城

さて、12月の鹿児島オフ会。
ようやくここにたどり着きましたねぇ・・・・
もう今日なんて、あっつ!あっつ!という陽気です。

さて今回も九州のお城旅を企画してくださったのは、
九州豊後大友家の城姫・あむさん(@mapple88)。
九州ではホントお世話になっております☆

このオフ会では、なかなか行けない大隅の城を中心に
「南九州らしい」城を堪能。なにせご先祖様ゆかりの
知覧城くらいしかまともに行ってないからね・・・

ただせっかくなら皆さんと知覧城も!ということで
前日入りして、知覧城にも寄ってきました。
同じく前入りされてるあんこさん(@orzank)、
寺さん(@TERATABIST)さんと4名体制。

・・・の前に鶴嶺神社!島津家の歴代当主を祭る神社。

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西南戦争の際に強奪に遭ったということで、
貴重な島津家の宝は一切ないのですが・・・

拝殿。あ、あれは・・・・!!

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島津十字と武田花菱の奇跡のコラボ…なわけない(笑)
先祖が島津家中、そしてわたしが武田家中にあって、
この図案は心に響かないわけはない・・

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誰ですか、神社の意匠として普通にあるじゃんとか
言ってるのは・・・野暮なことは言わないの!(笑)

今までのお守りを返納するのは、仙巌園の受付にて。
新しいお守りは、義弘公の陣中突破を思わせる
「島津の突破守」です!

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武田関係のお守りが多いわたしですけど、
島津もね・・・(笑)

ついでに、尚古集成館にも。
明らかに、フランキ砲目当て(笑)

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個人的には福昌寺の島津十字の入った瓦を見るに付け、
福昌寺の再建できないものかって思うんだよね。
鶴峰神社同様、福昌寺の寺宝も行方が
よくわからないみたいだが…

と思ったら、薩摩川内に再建されているらしい。
どんなお寺なのか、あまりWebに情報はないが・・・

さて、足早に鹿児島を去ります。
桜島もくもく。雲なのか噴煙なのか?

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そして向かったのは、知覧城。3度目かな?

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しかし、12月ですがけっこう生い茂ってますね・・
国指定史跡なので、定期的に刈っては
くださったんでしょうけど、草の生育すごいんだろうな。

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本丸虎口で狙撃!なんてのも山城の定番お遊び(笑)

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背景のぼかし方が上手くなれば、
山城での迫力ある(そして遺構のわかる)写真が
撮れるようになるんだろうなぁ。

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広い平面が続き、土塁が残る本丸。
この抜けた空間感、やはりきれいに刈られているからこそ。

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今城と本丸あたりの空壕。
この圧倒的な切立ち感が南九州城郭の楽しみ。
ですが、翌日以降もっとすごいのを見ることになるのです…

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本丸と蔵之城の間くらいにある枡形。
以前と比べて明らかに見にくくなってるねぇ。

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蔵之城西側に広がる枡形とその上の櫓台。

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櫓台方向から。

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前回は枡形感があまり感じられなかったのだけど、
山城はコンディションによって見える姿が変わってくる、
というのも、また楽しみの一つなのかもしれません。

城は高低差が基本と考えると、ここから見る景色の
意味もまた変わってこようというものです。

P1040546

この日はあまり深入りせず、今城を軽く。
知覧城で屈指のわたしのお気に入り、今城枡形です。

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今城、見はじめたくらいでぱらぱらきたんだよなぁ。

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土塁のこの部分が気になるわたし。
崩れた痕なのかなぁ。

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東ノ栫方面。行ったような気なっていましたが、
どうやら思い込みだったようです・・皆様すみません(爆)

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大手口からざっと伸びる道路。
これもある意味壕跡をなぞっているんだろうなぁ。

P1040563

この写真を撮ったあたりから、西ノ栫に行けそうな予感。
ただ、相当の藪こぎ覚悟でこないとなぁ。
周到な準備と藪を刈る武器もいるかもしれない。

そして、最後にチラッとある意味、大内壕とも言える
内郭を取り囲む壕へ。ちょっと湿地帯になってて、
そのまま突撃するのは危険な感じ。

P1040565

長靴にカッパ、そして藪刈り鎌に防水カメラ…
あたりがあるといいでしょうか。
ここきれいにしてくれたら、外郭の伊豆殿屋敷や
式部殿城、南ノ栫へも道が開けるのだが…

ということで、ここで鹿児島に戻ってきてオフ会前の
宴を催しますです!あむさんが手配してくれた
しろくまのお店がやってる居酒屋・天文館むじゃきさん

黒豚も美味しいけど、やっぱりきびなごだよなぁ…
これがやっぱり美味い。しろくまの焼酎もよかったな。

そして、2件目は…まさかのBAR魔の巣さん。
前回鹿児島のWhisky Loverひめ子さん(@malt_himeko)と
ご一緒したBARです。

こういうときにわたしの行ったBAR履歴が
役立つとはねー(笑)

ということで、いよいよ翌日からが本番です。

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供養としての記事。

今年もまた、4/10がやってきました。
あの日から8年が経とうとしています。

亡くなったのは6月らしいのですが、正確な日がわからない
ということで、最後にメッセージがあったらしい
誕生日の4/10に毎年、偲ぶようになりました。

過去に散々、思い出は語ってきたので、
改めて書くことはしないでおこうとは思うのですけど、
ふと毎年こうして書くことが、ある種の供養や法事のような、
感覚になっているなと思い至りました。

日本の民間信仰では死者・祖先に対する追善供養のことを
特に供養と呼ぶとありますが、原義は供物を
真心から捧げることだそう。

この場合の供物とは何か…個人的な死生観ですが、
やはり記憶なんだろうなと思うんです。
あの時こうだったね、ああだったねと思い出しながら。

人が完全に死んでしまう、無に帰してしまうのは、
肉体が滅んだとき…ではなく、忘れられて
しまったときなのかもしれません。

その意味で、歴史上の有名人物は姿や形、その歴史すら
変化しながら、長いときを生きているともいえます。

彼女は当時、今よりもずっとずっと狭いネットの世界の中で
知る人はそれなりに多く、また影響度あったのだと思います。

インターネットで人間関係が作られる時代の
亡くなった方との関係のあり方に想いを馳せる日。

あのときの経験は、わたしのなかで確実に
かげがえのない「伝説」となっていっています。

何事も最初にいい経験をしておくのが大事だといいますが、
わたしのその後のインターネットでの人付き合いのあり方を
規定しているといっても過言ではないくらい。

姉さん、ホントにありがとう。
ウイスキーで献杯。

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2014年棒道オフ(5) 馬場美濃屋敷跡~新府城

さて、お昼は道の駅・はくしゅうにて。
ここってば、馬場美濃どののお屋敷なんですよ…!!

にくどんどん。

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ごはんの後はてくてく歩いて馬場美濃屋敷跡の碑へ。
しかし大人数で保育園の一角を覗いている集団・・
怪しいよね(笑)

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ホントなら教来石民部時代の屋敷跡も行きたかったが
ちょっと時間的な制約で断念…白州蒸留所と合わせて
行ってみたいなぁ。うむ。

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さて、新府城。雨がぱらぱら…なので、
メインディッシュの大手門に急行!

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なんだか伐りだした木がたくさん・・・
伐って整備していただけるのはありがたいのだけど、
なんとか城外に出してほしいなぁ。

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もちょっと片付けてほしいよなぁ、
せっかくの枡形がわかりにくいねぇ。
刈ってくれるのはありがたいんですけどね。

ちょっと草が多めで丸馬出感も薄めかな。
冬に行かないといけないかね。

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を、壕が濠になっとるやんけ。

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三日月「濠」を想像。水堀好き。
近世城郭に残った三日月壕は三日月濠になって
いったのだろうかね。

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西股先生に教えられて気づく丸馬出につながる
もうひとつの枡形。

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なかなか気づきにくいがそういえばそう見えるな…
図面で見るとこんな感じやね。

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三の丸あたりで雨がぽつぽつ・・・・
東西三の丸を仕切る土塁。

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二の丸下馬出をざくっと横切ってしまう道。
ほんとにもう・・・もったいない。

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道を無視して、本来の虎口から入るのが城数寄よね。
右折れの虎口。

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右に曲がってグルッと左周りで馬出に行く感じ。

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二の丸。

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シトミの拵えとかがまったく壊れているのも
もったいないよなぁ・・・

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そして本丸。長篠から改葬された武田の将兵に南無…

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比較的新しい部将クラスの碑。

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勝頼さんにも手を合わせます。南無…
韮崎で慕われてる勝頼さん。

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ぽつぽつはしますが、せっかくなんで搦手のほうまで
攻めきりましょう!このあたりも土塁好し。

P1030779

大手もいいけど搦手の枡形もきれいで
よいとおもうのですー!岡田氏看板に持って頂いて(笑)

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・・・さて、これでようやく棒道・甲斐城オフおしまい。
初めての企画で至らないこともあり、かなり皆さんに
お助けいただきましたが、まずまず…かな?

今年もまた棒道の信濃編をやりたいなーと画策。
また関心ある方に集まっていただきたいですね…
参加してくださった方々、ありがとうございましたぁ☆

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