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2015年3月

2014年棒道オフ(4) 獅子吼城

さて、獅子吼城。この日の(わたし的には)
メインディッシュのお城です。

P1030583

武田時代は烽火の重要拠点ではありましたが、
特に信玄公とのエピソードも伝わってないので、
山城に興味が向くまで、ずっと放置でしてね・・・

前半はこの3箇所がポイント。

Shishiku1

看板のあるところから細い道を進んでいきます。

P1030584

最初に見える竪壕。①の地点ですね。

P1030587

左手の土塁の先にも短い竪壕があるようですが、
なかなか見にくいようです。

P1030589

なんといっても、獅子吼城は石積がたくさん!
というのが見所ですね、②の地点の石積!

P1030592

比較的平らな石が多いようで、要害山城などとは
少し形状が違っている(平らな石もありましたが)ので、
このあたりで採れる石の特徴なのかもしれません。

この石積の下には大きな大きな竪壕が
ズドーンと落ちてます!

P1030602

P1030604

竪壕は深く深く続いていきます・・・

P1030609

P1030611

まださらに竪壕があります…冒険しがいはあるようですが
ここで本曲輪目指して上ります。③のあたりですな。

P1030614

P1030615

本曲輪に向かうまでの虎口。この先に…

P1030622

これね!虎口感わかるかなぁ・・・・

P1030624

④のところっすね。

Shishiku2

ココを受けると、ずっと本曲輪まで石積のコンボ!
見てて飽きないっす!うひょひょ。

P1030627

石積撮りまくりのご一行。

P1030628

やー、撮りがいありますもの。

P1030629

P1030633

木漏れ陽と石積。木漏れ陽の美しさを城で
見れるのは山城ならではですよね。

P1030637

こういう平たい石があると、長岩城を思い出しますね。

P1030635

石が散乱している様子を見ると、
往時はびっしりと石積だったのかなぁ…と
想像が広がりますよね。うむ…

P1030641

アチラが獅子吼城名物の石積でございま~す♡
(tantanさんのポーズが絶妙で・・・笑)

P1030648

石積にフォーカス当てて、ぼかすの巻。
特に山城だと遠近感ほしくなるので、
こういう撮り方が好み。

P1030654

まだまだ、きゃっきゃうふふしながら
石積撮影会が続きます!!

P1030658

P1030659

P1030665

さ、さすがにこの岩は持ってきたんじゃないよね…ね…!?

P1030668

そしていよいよ本曲輪。⑤の虎口。

P1030672

小さな祠。この石積は後世のものかな?

P1030674

さてその先、本曲輪から降りたところへ向かいますっ。

P1030679

て、ちょっとちょっと!なにこの石積!

P1030677

左見ても右向いてもダイナミックな石積ばかり…
登城口の平たい石とはずいぶん趣が違います!

P1030681

P1030682

中には大きな岩もあって石積といっていいのか…

P1030685

このあたり、採石場だったんじゃないかな?
という気もしてきました。

P1030686

さらにずんずん。上から見ると判らないんですが…

P1030687

こ、虎口が見える・・・!!

P1030690

ハートマークの葉をみつけて、戻ります。

P1030696

帰りはこの謎の遺構で盛り上がりましたよね・・・
井戸・・みたいだけど横穴がある・・なんじゃこりゃ?

P1030701

中には石積。

P1030703

横穴の先・・・・謎は深まるばかり。

P1030704

中にはコケが…ヒカリゴケ?と思いましたが、
どうやら違うようでした。

P1030706

謎の遺構を後にして、獅子吼城から離脱。

P1030709

お次は新府城・・・・の前に金精軒本店!
皆さま、生信玄餅をお買い求めに。前日の振る舞いが
効いたかな・・・(笑)

P1030711

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2014年棒道オフ(3) 谷戸城

さて、翌朝。急遽ご出陣あそばされたえりさん
(@eri_neve_cae)をお迎えして、谷戸城へとGo!

P1030453

縄張図。どの城でもこれくらいしっかりあると
いいんですけどねぇ。

P1030455

大手横壕。しっかりどどーんとあって最初から
迫力あって非常によろしい。

P1030461

反対側はちょっとイマイチな残り具合。むーん。

P1030464

とりあえず「ミズナラ」って書いてあったら
ドキッとするウイスキー好き。

P1030459

さて、城内に入って行きませう。

P1030460

ど、土塁・・低っ!

P1030468

さすがにこれはカンタンに登れちゃいますな。
自然と土塁の上歩きモードに(笑)

P1030470

この低さ加減…いやはやどうしたものか。

P1030472

ここから下って空壕底をてくてくいきます。

P1030475

縄張図でいうとこのあたり。

Yatojo1

壕底っていってもまぁ浅いものです。
埋まっちゃったのか、それとも元からなのか?
こちらのほうが高低差わかりやすいかな?

P1030481

こうしてみると、実用性考えると、
埋まったんだろうなぁと思いますよね。流石に。

P1030485

を、アチラに竪壕の予感。

P1030489

ということで、北竪壕。

P1030490

ココですね。

Yatojo2

斜面を進むと新たな竪壕。南竪壕。

P1030494

Yatojo3

このまま南帯曲輪へと進みます。

P1030498

今では通路状に細い道があるだけのように
見えるのですが・・・

P1030502

少し掘ってみると、土質の差が歴然、と西股先生。
元は土塁があって、元々の南帯曲輪の地面の上に
土が被さってしまったようですね…ほぅ。

P1030500

竪壕もあるのですが、非常に見づらい・・・

P1030503

その先にももうひとつ。左に直角に折れています。

P1030508

見上げると、三の曲輪下土塁。

P1030511

直下には搦手口に向かう竪壕。これはきれいに
整備されていますが、やっぱり浅めではありますね。

P1030514

この部分。Y字になって見えますよね?

Yatojo4

ちょうど腰の位置くらいの深さ。

P1030516

Y字の根元に向かう壕がずどんと道路に落ちています。

P1030519

P1030524

意外と登るときにはそれなりの深さが
あるように見えますね。

P1030528

いずれにしても浅い竪壕でも、しっかり手入れが
されていると見ごたえあるもんですねぇ。

P1030530

さて、ぐるりと回って・・・

P1030534

四の曲輪に出ました。

P1030536

ここで登場するのが喰違虎口。いやいやいや…
あんさん、これ喰い違っとらんやんけ!

P1030539

どっちかの土塁、もちょっと飛び出そうよ…ねぇねぇ!(笑)

P1030547

縄張図上でも微妙な喰違。

Yatojo5

入ったところは内郭の帯曲輪。
お、この先の土塁高いぞ?おお?

P1030549

その先が事前にお伺いしていた不可解な薬研壕…
というところでした。土塁も高くて見ごたえはありますが、
外側の土塁が高く内郭部を見下ろせてしまうという…??

P1030553

一行の中には先ほどの微妙な喰違虎口と連動して、
食違虎口がしょぼいんじゃね?
と突撃してきたら壕に落ちる…説まで出る始末(笑)

ただ深さはかなりのものでV字型にグイッと
抉れていますね。

P1030555

この壕がニの曲輪・三の曲輪をぐるりと
取り巻いています。見所ですね!

P1030558

壕底に降りて外郭側の土塁を見上げると…
高いこと高いこと!

P1030560

これだけ見せられて、どっちが内郭でしょーか!
という引っ掛け問題つくれそう(笑)

P1030561

これ、搦手みたいにきれいにしたら
もっと見栄えよくなるだろうねぇ・・・

P1030564

一の曲輪へ。あまりここも技巧的な虎口ではないね。

P1030566

流石に一の曲輪の土塁はしっかりしてます。

P1030568

P1030571

P1030579

土塁上から。

P1030572

反対側の虎口も平虎口の様子。
なんだか足さばきがかわいい人がいますね(笑)

P1030577

印象的だったのは、西股先生のコメントで
「天正壬午の時期に鉄砲戦を想定して
 土塁下から鉄砲を撃つスタイルだったのでは」
ということですね。匍匐して鉄砲を構えるスタイル。

そうすると、土塁の低さも理解できる気がしますね。
なるほどぉ…北條軍の陣城的に使われた遺構
ということになるのでしょうかね。

ということで、谷戸城攻城完。
次は本日のメインディッシュ、獅子吼城ですぞー!

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2014年棒道オフ(2) 棒道歩き

お昼は、三分一湧水で・・・と思ってたんですが、
ものすごい行列・・コレはまずい!ということで、
ササっと調べて出てきたのが、料理工房「ふきはら」さん。

P1030263

建物好きなわたしは建物も魅力的だなーと思いましたぜ。

P1030265

サービスランチとはいえ、皆流されるように、
サービスステーキを注文。一気にステーキ売れちゃって
在庫大丈夫かな?と余計な心配をしてしまいました(笑)

P1030261

きれいな紅葉。そんな季節なんだよね・・・
今3月・・・ふははははは・・

P1030268

今回の踏破ルート。甲斐小泉駅から甲信国境まで。

Boumichi1

0:法性寺・小荒間番所跡
1:棒道橋
2:八ヶ岳エイジングセラー
3:火の見櫓跡
4:甲信国境(甲六川)
5:?
6:道の駅こぶちざわ

全長で8km程度、このあと道の駅から
小淵沢駅までも歩きましたので、
総トータルでは10kmくらいになりますかね?

せっかくなんで、三分一湧水も見ていきます。

P1030270

信玄公由来・・・といわれますが、実は
これ後付けらしいですね。ですが、後付けであっても
後付けさせたくなる信玄公の存在感を感じますね。

P1030272

0:法性寺・小荒間番所跡

さて、棒道歩きスタートです。
江戸時代の番所跡である小荒間番所跡。

P1030275

法性寺。お寺の由来はよく知りませんが、
甲斐のお寺はそこかしこに武田菱があって眼福です(笑)

P1030277

まだこのあたりは舗装路ではあります。

P1030285

亀甲積の石垣。いつの時代のものでしょうね…

P1030287

P1030288

石垣の上は削平地。お屋敷があってもおかしくない感じ。

P1030289

別荘ほしいよ別荘。

P1030290

この仏さまのところで左折。

P1030291

石標・・「右やま」ってざっくりすぎ(笑)

P1030292

左の諏訪方面を目指しますぜっ!

南のほうにはキレイな山の稜線。
先ほどの富士山といい、この山々といい美しい山並みを
見れたのも、このオフでの印象的な出来事でしたね。

P1030296

民家やソーラー台に石垣があると、これって
何かの跡?とかって思っちゃいますよね。

P1030297

P1030298

1:棒道橋

蚕の神様の脇を通り・・・

P1030300

少し進むと・・・

P1030302

棒道橋。ここを越えるといよいよ、
舗装していない戦国当時の印象が色濃く残る
棒道エリアに突入していきますよっ。

P1030306

きたぁーーーー!コレこそ求めていた棒道!
武田の軍勢を想像しながら歩きます・・うひゃひゃひゃ

P1030309

写真だけだとただのトレッキングの様子にしか
見えないですけども・・・

P1030317

右手に壕のような部分と土塁のような部分。
古道にはこういうのがつきものだそうですよ?
城数寄にもうれしいですね(笑)

P1030320

道標に武田菱!ひゃっはー☆

P1030325

2:八ヶ岳エイジングセラー

おそらくこのあたりがサントリーの
八ヶ岳エイジングセラー。

この建物そのものは違うかもしれませんが・・・
白州に置ききれない原酒はここで眠っているのです。
山崎にとっての近江エイジングセラーと同じ。

P1030327

たまたま太陽にカメラをかざして撮れた写真。
なんかいい感じ・・・光燦燦。

P1030329

さて、まだまだ進みますよっ。

P1030330

おお、ここも土塁と壕らしい部分がよくわかります。
ある程度山城に行って土の城を見て理解して
棒道にきてよかったなと思う次第。

P1030335

エイジングセラーを過ぎて、小淵沢カントリークラブの横を
通過するあたりになると、さらにハッキリみえてきます。
いやー、ちゃんと棒道を残してくれたんだなぁ・・

P1030341

幸いゴルフボールは飛んできませんでした(笑)

菱形だけど・・・むーん、どうなんだ?
という陶器製の道標。

P1030346

ホントはこれが正しい姿。なーるほど♪

P1030349

先ゆく皆様を武田軍の殿軍と見立てて、
しばし悦に浸るなど・・あぁ、置いてかないでっ(笑)

P1030351

3:火の見櫓跡

さて、火の見櫓跡まできました。
特に櫓台などがあるわけではないのですが・・・

P1030354

棒道コースはここで左折しているのですが、
まだまだ時間があるのでもう少し足を伸ばして、
甲信国境まで行ってみましょう。

またススキと太陽・・・なんか撮りたくなる画。

P1030359

八ヶ岳高原ラインと交差します。

P1030364

ここにも土塁~

P1030373

お、なにやら向こうに橋が見えてきました…!!

P1030376

4:甲信国境(甲六川)

橋をくぐるようにして棒道が続きます。

P1030378

小川が隔てる向こう側が信濃国。

P1030380

甲斐信濃の境!なんだか感無量。

P1030382

そっと置かれている?(放置されている?)
甲六川の標識。

P1030383

さてここでひと休み。わたしから皆様にオヤツを
お配りさせていただきました!生信玄餅!
普通の信玄餅と違い、ひとつひとつ袋になってて
その中に黒蜜投入すれば、テーブルなくても頂けますからね!

5:西股先生矢を放つの巻

そして帰りは別ルートでまず道の駅を目指します。
途中で弓のような枝を発見して、矢を放つ西股センセ…(笑)

P1030386

ぬ!何奴!(上方に敵を発見)

P1030385

ふんっ!(構える)

P1030388

やったか・・(討ち果たす)

P1030387

・・・とひとり劇場にさせていただきました(爆)

このあたりは特に紅葉がきれいだったんですよねー。
燃えるようなということばが相応しい真紅の葉。

P1030391

P10303943

一変して黄葉紅葉織り交ざるさまもまた好し。

P1030399

このあと、八ヶ岳ロングライディングそばを通り、
お馬さん観察。そういや信玄公祭りにも
小淵沢からお馬さんが来るんでしたよねー。

P1030401

ようやく舗装路に戻ってきました。
一応武田菱なんですが、菱感がアレで寺さんに
ご指摘されて初めて気づきました(汗)

P1030404

道の駅こぶちざわでは、ブルーベリーアイス。
酸味がいい感じで効いていました☆

P1030407

もともと検討していた小淵沢のホテルって、
道の駅併設だったんだ…と気づくなど。
このままホテル→宴会だったらラクだったのに・・・
などと思いながら、ひと休憩してから小淵沢駅まで。

小淵沢駅まで戻るまでもこれまたいい空の画の
撮りどころ満載・・いいね。

P1030408

夕暮れに差し掛かると空に向かって
カメラを構えたくなりますよね・・うん。

P1030414

薄くピンク色に色づく富士の山。
あな、美しや・・・

P1030416

稜線に沈みゆく夕陽、火山の溶岩が噴く如し。

P1030419

こちらの山もいい。ちょっとWindows XPの
デフォルトの壁紙を思い出しました(笑)

P1030426

小淵沢駅から小海線で一駅いって甲斐小泉まで
戻って駐車場に帰ります。小淵沢駅で
ちょうど紫色のグラデーションを楽しめました☆

P1030431

さて、このあと甲府に戻って宴会。
性懲りもなくはなの舞風林火山にて(笑)

P1030438

今度はどの部屋かなーと思っていたんですが、
九州のあむさんkuroさんをお迎えした時
同じ川中島合戦の間でした。またここか(笑)

ただのはなの舞・・・ではあるんですが、
そこかしこに(わたし的に)萌える要素がたくさんで…

トイレの扉。

P1030441

信玄公名言集とか!

P1030443

風・林・火・山それぞれの間にも
一度は入ってみたいものでありますねぇ。

P1030446

P1030445

P1030444

P1030447

こ、これは・・・尼崎市の市章にしかみえない!

P1030448

宴会後ホテルまでの道すがら。商店街のアーケードを
見上げるとそこに武田菱。
ふふっと笑いますね。ここもか!

P1030452

翌日は、谷戸城・獅子吼城・新府城へ。
獅子吼城はわたしも行きたかった城なのでわくわく!

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2014年棒道オフ(1) 起点若神子城

さて、なかなか手付かずだった棒道オフのレポート。
あぁ・・・もう10月だったのねん・・・
初めて企画したオフ会でしたが、なかなか好評いただけ、
よかったですね。参加者の皆様にも助けられました。

城数寄の皆様に加え、城郭研究家の西股総生先生まで
ご参加くださり、ありがたい次第です・・・

前日夜に甲斐入りしたわたし。お屋形さまに
行ってまいりますのご挨拶!

P1030183

まず向かったのは、棒道の起点となる若神子城。
ここが武田軍の信濃侵攻の拠点となる城。
裏手の枡形っぽい?駐車場に乗り付けてしばし散策。

P1030184

帯曲輪っぽい遺構。とかく若神子城は遺構的には
ちょっとアレな感じは否めない・・

P1030186

妙にかわいい!と女性陣の黄色い声が上がった
薬研壕跡。ここは天正年間に北條軍が陣を敷いた城で
北條の遺構ですね。にしても浅いっすね~

P1030188

P1030189

こんなにされちゃって本曲輪なんてわかんないよねぃ…
と思っていたんですけど…

P1030190

実は尾根の先端のごく限られた部分が本曲輪だったんですね!
ということで、皆さんと一緒に遺構がありそうなところへ
ずんずんずんと進んでいきますぜ。

P1030210

本曲輪ってこの上の曲輪なんですね。ホント小さい。

P1030209

本曲輪から…ふむふむ。

P1030204

下の曲輪から先にはわずかに竪堀的な痕跡が
見て取れますね。ほんのわずか(笑)

P1030208

この部分が本曲輪の横を分断している空壕っぽい。

P1030199

逆側から。

P1030211

遺構ねーじゃん!と思ってたんですが、
あるんですね・・失敬失敬。

にしても、これが本曲輪ということは、
やはり烽火拠点という感じはしますね・・・・
特に北杜市あたりは烽火台跡は多いです。

さて、戻ってくるとこれまた美しい富士山が姿を…
これはなかなか狙って撮れないです☆

P1030214

あっぷー☆ マジで銭湯に描かれそうな、
日本人好みの富士山ですなぁ・・・はぁ(ため息)

P1030222

ただでは帰ってこない一行(笑)
よくありがちな山城攻城隊の一風景ですな。

P1030231

ちょうど、整備された曲輪の下方にあたるところを
ずんずんずん。

P1030227

おおおっ!石積みやないですか☆

P1030236

P1030241

意外と丸い石が多め。

P1030252

ズラッと並んでいる箇所もありましたが、
これは後世のものでは?というご意見もありましたね。
段々畑の跡とかそういう感じ?

P1030255

そして、駐車場の変なトコから帰ってくる一行(笑)

P1030257

さてこの後は棒道なのですが、少し寄り道して、
山本家屋敷と山本勘助墓。わたしは以前行っているので、
写真は撮りませんでしたが、皆様で手を合わせます…

西股先生にも墓参りできてうれしい!と
行っていただけて企画者としてはホクホクでした(笑)

脇からは八ヶ岳がきれいに見えてました。ふふ。
恒例の撮る人を撮る(笑)

P1030259

さて、このあとは舗装された(笑)棒道を移動して、
三分一湧水館に駐車して棒道らしい棒道を踏破しますぜ!

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大高重治写真展+竹鶴威お別れの会。

ニッカネタを二つ・・・まず最初は
あれは2/14、唯一のチャンス…ということで、
国立の大高重治氏の作品展。

P1060062

写真は撮れなそう?だったので(訊けば良かったんだけど)
撮ってはいませんが、かなりワクワクする内容。

1975年以前のラベルのかなりを手がけてられていて
興味深い内容でした。大日本果汁時代はエンブレムにも
「DAI NIPPON KA JU」って書かれてあったり、
第一号ウヰスキーの広告の原本や下絵にも出会えたり。

アップルワインの表紙に「祈武運長久」とあるあたり、
時代を感じたりね・・(ドラマと違いアップルワインは
当時まだつくってました)

あとKing Of Blendersの化粧箱に書いてあった
"tasteful whisky nurtured by the abundant experience"
という文言にもグッと来るものが。
政孝さんの誇りというか、自負が感じられますよね。

ニッカベルモットには緑屋根の余市蒸留所の絵が。
ニッカウヰスキーの会社名だったので、1952年以後。
屋根の意が変わったのはいつくらいなんでしょね?

一番、興味深かったのはスーパーニッカの皇室献上版。
宮中晩餐会で専用ラベルと言うのがあってですな…

初号スーパーニッカはコレなんですが

P1060158

緑色のラベルで、"guaranteed matured in wood"
とある部分に菊のデザインと皇室用を意味する
"By appointment to the imperial household"
という文言に変わっているんですね。

正面のラベルも"SUPER NIKKA WHISKY"ではなく
"SUPERIOR NIKKA WHISKY"なんです。

さらに下部に"BOTTLED SPECIALLY BY THE
NIKKA WHISKY DISTILLERY"とあり、
特別感が満載・・・竹鶴×池田(勇人首相)の
関係の賜物なんだろうなぁ。

宮中晩餐会てことは?昭和天皇も
お召し上がりになったのだろか?なんていろいろ
想像が膨らみますよね・・・

会場には、ご子息で写真家の大高明氏もいらして、
ちょっとお話をさせていただきました。
なんでもニッカにすらないものも多くて、
ニッカの社員の方が多く訪れたらしく、
ニッカ社内報にも載ったらしいですね(笑)

いや、それもですよ?
自分の会社の昔の資料が出てきて、そんなドッと
見に行くモンですか?わたしはちょっと・・

というところで、ニッカの社員の方が
たくさんいらしているのは、会社に対する思い入れの
強さの表れなのかなぁなんて思います。

逆に大高重治さんもニッカの仕事をできたことを
ことのほか誇りにされていたようで、逆に
政孝さんの死後、ニッカの仕事がなくなったことが
さびしかったようですね・・・

まだ整理していない資料があるそうなので、
第二弾・第三弾と期待したいところですね・・・!!

続いては、2/16 竹鶴威氏のお別れ会。
仕事の合間を縫ってなんとか帝国ホテルへ・・・・

P1060121

記帳して並んで通された先には、竹の姿がぼぅっと
浮かぶ中に威さんの遺影。写真を撮ってられる方も
(後からWebに上げっているのを見る限り)
いらしたようですがなぜか思いもつかず、
ずっと献花の列に並んでいました。

報知新聞の記事によれば、
手前のカーネーションは、ウイスキーの琥珀色を
イメージしており、さらに純白のコチョウラン、
スプレーマム、トルコキキョウで、大きく羽を広げる
鶴の姿が描かれていたそう。

鶴は・・?と思っていたんですけど、やはり
余市の竹鶴邸よろしく竹と鶴であしらうところは
健在だったのですね。なるほどなるほど。

そして、自分の番が来て菊の花を渡され献花して
手を合わせると、お会いしたかった
という思いが募ってきます。

やはり誰よりもそばで政孝さんを見てきて、
そのウイスキー造りの真髄を見てこられ、またご自身も
ウイスキーの苦難の時代を支えれこられたわけで・・

そもそも深くウイスキーに、ニッカに興味を
もったのが遅かった。

もう少し早く・・という気もしないではないけれど、
何に関心を持つか、それは一期一会、天の神様の為すこと。
今はこうして静かにご冥福をお祈りするほかありません。

ここを抜けた先には竹鶴孝太郎さんやニッカの中川社長が
いらした軽く一礼。竹鶴孝太郎さんには
初めてお目にかかりましたけれども
政孝さん威さんともどっしりされた方なので、
普通・・・な感じでちょっと驚きましたね(笑)

その先には立食パーティー形式。真っ先に目に留まったのが、
前チーフブレンダー・栃木工場長の久光哲司さん。
このblogにもセミナーの様子が何度も登場しますが、
ホントによくお話を伺ったブレンダーさんの一人ですね。

個人的にはなじみ深いのだけど、久光さんのほうから
気さくに声をかけてくださって、とてもうれしかったですね。
久し振りにお目にかかれて素直にうれしかったです。

マリッジをしている栃木工場は公開してないですからねぇ…
なかなかお会いする機会もないですから。
そして奥に威さんの写真がいろいろあることを伺い、
先へ進んでいきました。

あまり人物のお写真は上げないほうがいいかな?
という感じではあるので、お写真の感想をば・・・

ニッカに入社直前くらいの威さん。
なんとなくですが、朝ドラ「マッサン」に出てくる
森野一馬のような好青年という印象。
もうちょっとマジメな感じかいねぇ。

その頃の余市の様子をみると、奥にニッカの建物が
すぐ見えるくらい見通しがよくてびっくり。

出荷の様子。ドラマでは馬車で出荷してましたが
(確か実際も初期出荷のときは馬車だったはず)
こちらは戦後すぐくらいでしょうか、車に変わっていました。

威さん、動物好きだったらしいですね、
説明に「意外と」ってあったんですけど、
余計だろと思ったのはわたしだけ?(笑)

ピクニックするリタさんと威さんのお姿も
楽しげでいいですねぇ・・・政孝さんは???

今回かっこいいなぁ!と思った政孝さん。
信玄公そっくりな印象だったんですよね(笑)

こちらがその似ている信玄公。最近では違うと
されているほうの肖像画ですけどね(笑)

Shingen00

こちらは西部警察(笑)を想起した
威さん社長時代のお写真だったり、ゴルフで会心のショット
だったのであろういい笑顔も心に残る一枚でした。

昨年従五位に叙位されたそうですね。
政孝さんが従四位ですから、政孝親父
(威さんはそう表現されてます)の影を踏まず、
ということでしょうか。

そしていろいろ写真を眺めていると、
ブレンダーズバーの常連の方や見知った方々が
次々と姿を現す会場(笑)
佐藤元マスターブレンダーにもご挨拶できました。

この後の打ち合わせまで時間がないのでここで
たくさん頂く。特に寿司美味しかった!

印象的だったのは、場の雰囲気は決して
悲しみに沈んではなくて、威さんとゆかりのあった
人々が集い、思い思いの話を咲かせていた
ように思えたこと。

お別れ会というスタイルは初めてだったけど、
こういう会もよいもんだなと思いましたし、
何よりこういうニッカファンにもオープンな
スタイルにしてくださった竹鶴家の皆様と
ニッカウヰスキーの皆様に改めて感謝したいですね。

直接はご挨拶できなかったのですが、
競合でもあるベンチャーウイスキーの肥土社長が
いらしたらしいってのも、気になる話でした。

ある意味、現代の「マッサン」ともいえる肥土さん。
いろいろ親交があったんでしょうね。
政孝さんはどんな風に思われるでしょうかね?

企業のトップの葬儀にファンも集い、しかも社員さんや
関係者と同じくその場で故人を想う場。
勝手にニッカは一蓮托生だなと思ったりしながら、
その場を後にするわたしなのでした。

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『世界一の巨城、江戸城を知る』

さて、間が開きましたが・・・・
まだまだ古いネタが残っているのですけど、こちらから。
認定NPO法人・江戸城天守を再建する会
イベント企画の江戸城セミナー

ちょくちょくお世話になっている黒田涼さんのお話です。

といっても、天守の話だけでなくって、
縄張りとその他の建物の話もバランスよくいただけ、
改めてよい復習になったなぁという感じです。

これくらいにわたしの江戸城について、プレゼンを
できるようになりたいなぁと想った次第。

興味を持っていただいたのんさん(‏@non1168)とも
一緒に拝聴しましたよ。
# のんさんありがとうございました。

構成としては、①縄張り、②城郭建築、③江戸城築城の歴史、
④現代への意義、という内容で個人的にもバランスがよいのと
なにより現代につながる江戸城の価値を語ってくださってる
というのがいいなぁという所感です。

①縄張り

大まかなところではもちろん押さえてはいるのですけど、
細かいところで興味深いデータがあって興味深かったですね。

面積比でいくと大名屋敷で4割、旗本屋敷で3割、
寺町で1割5分、町人地域で1割5分、でも人口比でみると
武士:町人=1:1だったとか細かいところで興味深いデータ。

そりゃぁ、町人の町は押し込められるよなぁ…と。
火事になったら燃えまくりなのも理解できます(汗)

確かに外濠は「の」の字を描くようなカタチはしていますが、
「カタツムリの城」という呼び方は初めて聞きました。

内濠は周囲が約8km。皇居ランナーの皆さんが走るのは
北の丸を除く5km部分でちょうど5kmになることも
皇居の周りを走る理由のひとつなのだそうです。

内郭(本丸・二の丸・三の丸・西の丸・西の丸下・吹上)は
東西に1.8km、南北に2.3km、濠含みで2.3km2。
ここまででほぼ1610年代で縄張りとしては完成を見ますが、
それでも20年掛かってるんですよねぇ。

一方外郭は面積はその8倍以上16km2にもなるそうで。
周囲は16km、東西5.5km、南北4km。一度飯田橋から、
浜御殿まで歩き通しましたが、そりゃぁ疲れるはずですね。

②城郭建築

お次は、城郭建築群。わたしの城好きの原点です☆
さすがに天守は何度も講演を聴いているので、
ほとんど知っていることばかりでしたが、
御殿の広さの情報にびっくりしたかなぁ。

一番よく資料の残ってる弘化年間の本丸御殿で
44,137m2(11,373坪/京間)。一方、西の丸御殿は
21,681m2ですからほぼ半分なのですね。
というか、44,137m2って・・!!

内訳は表・中奥が18,193m2(4,688坪)、
大奥が24,506m2(6,318坪)。
ちょっと計算合わないね?というのもあるんですが、
まぁ、それはいいとして、大奥のほうが広いんですね。

ただ、大奥は最低1,000人はいたそうですから、
まぁ広くもなかったのかもしれません。

ちなみに・・ということで比較されたのが、
フランス・ヴェルサイユ宮殿。
こちらが約63,000m2だそうですから、
江戸城は本丸御殿+西の丸御殿で65,000m2超、
さらに二の丸御殿もありますから、はるかに上回る規模。

次に櫓。三重櫓が多い江戸城ですが、
台所前三重櫓、蓮池巽三重櫓、巽奥三重櫓(松倉櫓)、
富士見櫓・・・など最大で8基。

一方、徳川大坂城は最大11基だそうなので、
数では負けちゃいますかね(汗)
まぁ、それでも地方の天守クラスの構造物が
ゴロゴロしてるのは圧巻でしょうなぁ。

ただ、二重櫓では最大24基もありどうでしょう…
いい勝負でしょうか。(大坂城の二重櫓何基か憶えてない)

櫓も40前後ということですが、俗に江戸城三十六見附、
というくらいですからだいたいこんなものなんでしょうな。
大手門では、鉄砲三十挺に弓十張、槍五十本、持筒2挺
という装備でこのような配備が各枡形門にあったのでしょう。

③江戸城築城の歴史

江戸氏、上杉氏(太田氏)、北條氏と歴史はありますが、
軽くおさらいする程度で、ここでのメインは、
徳川氏による江戸城の築城の歴史。

大きく分けて、

第一期:家康の江戸入府から幕府創設まで
第二期:幕府創設から明暦大火まで
第三期:明暦大火以後

にわけられます。

まぁ、家康が江戸に入ったときには荒廃して、
ヒドイ有様・・というのは脚色もあるんじゃないのってのは
さもありなんという感じですけど…

でも、入府してすぐ、飲料水の確保に溜池を押さえ、
道三濠や小名木川開削で水運を開くことを
最初にやったんですよね。

これはかなり長期的スパンで江戸を育てようとした
家康の判断と覚悟を感じざるをえない…

千鳥ヶ淵、牛ヶ淵、溜池この三つが濠として
使われているものの、濠といわないのは飲料水確保の拠点
として使われていたことも関係あるのかもしれません。

いずれにしても、250万石超とはいえ、一大名のチカラでは
江戸城の基礎を築くのが精一杯というところでしょう。
違う見方をすれば、天下を狙う家康が雌伏するためには、
あからさまに大きな城をつくるわけにはいかなかったという
視点もあると思いますね。天守もつくってないですし。

家康が征夷大将軍になってようやく天下普請の時代になると
日比谷入江の埋め立てや二の丸・北の丸整備など、
超大規模な土木工事が進んでいきます・・・
家康入府から50年、ほぼここで江戸城が完成します。

そこに江戸城を襲ったのが明暦大火。
これを期に江戸城は大きく変貌していきます・・・
要は詰め込みすぎなんですよね。

実は明暦大火前にもやばいんじゃないの?という
話はあったようなのですが、現実のこととなってしまった
ということのようです。

外濠の外へとどんどん「江戸」が拡張していくのが
この頃の動き。市街地や御三家の屋敷が外濠外へと移転し、
城内から寺がのきなみ移転、埋立地の拡大などなど。
江戸で移転していないお寺は浅草寺などごくわずかだとか。

④今につながる江戸城

そして明治維新を迎え、江戸は東京と名前を変え、
近代都市へと生まれ変わっていきます。

つい最近まで謎でしたが、こちらで学んだ通り、
明治天皇が来た頃には本丸御殿はなく、
西の丸御殿に入ったんですね(すぐ焼失しますが)。

ただ、このときに西の丸に入ったことがあって、
ずっと明治以降の歴代天皇陛下の宮殿は、
西の丸に廃されることになったようです。

そして、江戸の4割を占めた大名屋敷も無用とされて
すべて取り壊されていきますが、けっこう戦前までは、
江戸城の縄張りは残っていたんですよね。

しかし、戦災瓦礫の処理で東京駅そばの中濠が埋まり、
真田濠が埋まり・・・と縄張りも一部が姿を消していきます。
真田濠はお金もないもんだから、上智大学に
おたくのお金で埋めてくれない?ということで、
都有地を借りることになってるんだそうですね。

埋まらなかった濠もその上に首都高ができて、
高速ができて・・・買収をせずともつかえる土地ですからね。

しかし、黒田さんは「江戸城なくして現代日本の繁栄なし」
とおっしゃいます。ほほぅ、なるほど。

東西日本の合体

明暦大火以後の市街地拡大で、江戸川区あたりを
住める町にしていき、江戸川までが武蔵国となって、
交通が飛躍的に伸びていきます。

加えて、利根川の付け替えで犬吠埼に注ぐようにし、
東北からの物資の集積力を格段に上げて、
関東と東北のつながりがガッチリつながるんですね。
これ・・・京や大坂が権力の中心地なら起きなかったこと。

菱垣廻船や樽廻船などの海上輸送ルートができたのも
江戸が一大消費地になったことによってでき、
日本各地をつなぐことになったというのはおもしろい視点。

文化的にも参勤交代があったことで、地方の文化と
江戸を結ぶラインができ、日本としての一体感ができたのは?
というご指摘もありました。

産業化以前のインフラ整備

水運路の整備がされていたり、広大な大名屋敷を
近代産業を興すために空き地として使えた・・・・
そんなところに近代技術が入ってきて、急速に発展したと。
江戸城という素地があったからこそ、伸びることができた、
というと江戸城の価値もまた違って見えますよね。

歴史って連続しているんだなぁということ、
政治史からでは見えない連続性がよりハッキリしましたね。

黒田さんは家康の関東入った際、なぜ鎌倉や小田原でないか?
ということに対し、非常によい港が江戸にあったから、
とお答えになります。ただ当時は一支城に
過ぎなかった江戸城。

長期的な立地の優位性はあるものの、ものすごい土木量で
開発をしていかないといけないわけですから、
それでも、江戸を選んだ・・という
家康の見通しはすごいですね。

ということで、知ってるはず・・の江戸城バナシですが、
非常に楽しめましたね。江戸城が今に活きている。

歴史の連続性を知るとワクワクすると同時に、
歴史を知ることは、未来にもつながるんだよなってことを
改めて認識するセミナーでした。

わたしたちはどんな江戸、東京を未来に
伝えていけるのでしょう?

黒田さん、興味深いお話をありがとうございました。

■おまけ■

のんさんに荻窪にいいカキ氷があるから、
行こうよーといわれて・・・女性に誘われて
断るわけないですよね(笑)

ということで、日光(笑)の氷のカキ氷を
真冬に食べてまいりました・・

P1060059

わたしのチョイスは和三盆と黄な粉のカキ氷。
上品な甘さでうまうま…そしてふわっとした独特の食感。
冬に食べてもアタマにキーンとしない不思議。

P1060057

たまには冬に氷もいいかなぁ・・・と思った次第。
(あとでお腹はゆるかったですがw)

ということで、氷もお付き合いさせていただき、
ありがとうございましたー!<のんさん

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