2014年棒道オフ(3) 谷戸城
さて、翌朝。急遽ご出陣あそばされたえりさん
(@eri_neve_cae)をお迎えして、谷戸城へとGo!
縄張図。どの城でもこれくらいしっかりあると
いいんですけどねぇ。
大手横壕。しっかりどどーんとあって最初から
迫力あって非常によろしい。
反対側はちょっとイマイチな残り具合。むーん。
とりあえず「ミズナラ」って書いてあったら
ドキッとするウイスキー好き。
さて、城内に入って行きませう。
ど、土塁・・低っ!
さすがにこれはカンタンに登れちゃいますな。
自然と土塁の上歩きモードに(笑)
この低さ加減…いやはやどうしたものか。
ここから下って空壕底をてくてくいきます。
縄張図でいうとこのあたり。
壕底っていってもまぁ浅いものです。
埋まっちゃったのか、それとも元からなのか?
こちらのほうが高低差わかりやすいかな?
こうしてみると、実用性考えると、
埋まったんだろうなぁと思いますよね。流石に。
を、アチラに竪壕の予感。
ということで、北竪壕。
ココですね。
斜面を進むと新たな竪壕。南竪壕。
このまま南帯曲輪へと進みます。
今では通路状に細い道があるだけのように
見えるのですが・・・
少し掘ってみると、土質の差が歴然、と西股先生。
元は土塁があって、元々の南帯曲輪の地面の上に
土が被さってしまったようですね…ほぅ。
竪壕もあるのですが、非常に見づらい・・・
その先にももうひとつ。左に直角に折れています。
見上げると、三の曲輪下土塁。
直下には搦手口に向かう竪壕。これはきれいに
整備されていますが、やっぱり浅めではありますね。
この部分。Y字になって見えますよね?
ちょうど腰の位置くらいの深さ。
Y字の根元に向かう壕がずどんと道路に落ちています。
意外と登るときにはそれなりの深さが
あるように見えますね。
いずれにしても浅い竪壕でも、しっかり手入れが
されていると見ごたえあるもんですねぇ。
さて、ぐるりと回って・・・
四の曲輪に出ました。
ここで登場するのが喰違虎口。いやいやいや…
あんさん、これ喰い違っとらんやんけ!
どっちかの土塁、もちょっと飛び出そうよ…ねぇねぇ!(笑)
縄張図上でも微妙な喰違。
入ったところは内郭の帯曲輪。
お、この先の土塁高いぞ?おお?
その先が事前にお伺いしていた不可解な薬研壕…
というところでした。土塁も高くて見ごたえはありますが、
外側の土塁が高く内郭部を見下ろせてしまうという…??
一行の中には先ほどの微妙な喰違虎口と連動して、
食違虎口がしょぼいんじゃね?
と突撃してきたら壕に落ちる…説まで出る始末(笑)
ただ深さはかなりのものでV字型にグイッと
抉れていますね。
この壕がニの曲輪・三の曲輪をぐるりと
取り巻いています。見所ですね!
壕底に降りて外郭側の土塁を見上げると…
高いこと高いこと!
これだけ見せられて、どっちが内郭でしょーか!
という引っ掛け問題つくれそう(笑)
これ、搦手みたいにきれいにしたら
もっと見栄えよくなるだろうねぇ・・・
一の曲輪へ。あまりここも技巧的な虎口ではないね。
流石に一の曲輪の土塁はしっかりしてます。
土塁上から。
反対側の虎口も平虎口の様子。
なんだか足さばきがかわいい人がいますね(笑)
印象的だったのは、西股先生のコメントで
「天正壬午の時期に鉄砲戦を想定して
土塁下から鉄砲を撃つスタイルだったのでは」
ということですね。匍匐して鉄砲を構えるスタイル。
そうすると、土塁の低さも理解できる気がしますね。
なるほどぉ…北條軍の陣城的に使われた遺構
ということになるのでしょうかね。
ということで、谷戸城攻城完。
次は本日のメインディッシュ、獅子吼城ですぞー!
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