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関東三国志…なはずが武田ばかり…(笑)

さて、さかのぼること昨年11月。
鉢形城でおもしろい展示があるということで、
いそいそと行ってまいりました。

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タイトルは「関東三国志」ということで、
北條、上杉、そして武田に関する展示だったのですが、
まぁ・・・武田ばっかし見るよね(笑)

鉢形城の一角にある歴史館。ここも曲輪なのかな?
ちょうど通路が壕のようになってるしね。

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大きくわたしにとっての見所は

・信玄公所用と伝わる筋兜、梵字の軍配、花菱紋の鞍
・山梨県立博物館蔵の信玄公像
・楯無鎧写
・小幡信貞の赤備甲冑

の4点。

❖信玄公所用と伝わる筋兜、梵字の軍配、花菱紋の鞍❖

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いずれも恵林寺・信玄公宝物館蔵ということで、
以前も拝見したことはあります。

ただ、柳澤吉保関連の文化財として県指定文化財に
最近(2007年)に指定されたというのは知りませんでした。

どうも確実に遡れる記録として、柳澤吉保が
今は廃寺となっている甲府・永慶寺に寄進したそうで、
その子・柳澤吉里が大和郡山に移封される際、
恵林寺に改めて寄進したことがわかってるそうです。

ちなみにこの永慶寺、武田神社から信玄公火葬塚へ
向かう途中にあったそうで、柳澤吉保が開基。
甲府で廃寺になった後、移封先の郡山で
再建されているようです。

他の信玄公所用と伝わる兜と同じく、明珍の流れですし
どこかのタイミングで武田家から柳沢家に
下賜されたかあるいは・・・吉保が集めてきたか。

武川衆であった柳澤家ですが、吉保の祖父にあたる
柳澤兵部丞信俊は、同じく武川衆の青木家から
柳沢家の断絶を惜しむ勝頼からの命で、
柳沢家を継いでいるようです。

信玄公から偏諱を受けて「信」俊としたり、
三方ヶ原の戦いに参戦し、山県昌景隊で活躍したり
長篠でも勝頼本隊を守る働きに功があったとか。
(以上、Wikipedia柳沢信俊の項参照)

ということで、勝頼時代にはかなり成果を
上げていたようで、信玄公ゆかりの甲冑や軍配を
下賜されていても、まぁおかしくはないでしょうね。

柳澤信俊から安忠、そして吉保と三代にわたっての
動きをもっと知りたくなりましたね。
吉保が信玄公を特に慕うようになった経緯とかも。

あと、信玄時代は割菱花菱併用とあるんだけども、
その根拠は書いておらず。ソースが欲しいところっすな…

個人的には、割菱も信玄公時代は使われていたと
考えてはいるんですよね。だからこそ江戸時代に
割菱のほうがポピュラーになったのでは、と。
が、どこかにその根拠があるかは知らないのですよねぇ。

梵字の軍配も、なんとなく信玄公のシンボルのひとつに
なっている気もして、とても好きな一品だから
そゆ観点からももっと詳しく経緯が知りたいところです。

恵林寺寺伝に信玄公所用とあるそうなので、
すでに寄進の際にはそう考えられていたんでしょうけど。

❖山梨県立博物館蔵・信玄公像❖

次に信玄公像について。

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あと甲冑姿の信玄公像。壮年期を描いたもので、
武田逍遥軒信綱(信廉)が描き、勝頼が成慶院に奉納…
ということらしく、こちらはその写し(原本無)。

だけど・・・最近になって信玄公の新像?と
いわれる九品仏浄真寺蔵の伝吉良頼康そっくりなんですわ。

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こちらが特に本来成慶院にあった逍遙軒信綱
の描いた信玄像の忠実な模本であるという意見もあるそう。

だけど、両者でちょっと信玄公の表情が違うよね。
山梨県立博物館のほうがニヤッとしてふっくらとした感じ。
九品仏浄真寺のほうは、丸顔なのは同じですけど、
ちょっと目つきが厳しい感じですな。

高野山持明院蔵の晴信公画像は、顔は丸いけど
ちょっと面長で卵型でどうなんだろうな…という気も。

Takeda_harunobu

❖楯無鎧写❖

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こちらの楯無鎧ですが、寛政の改革で有名な
松平定信が1795年に明珍宗政・宗妙に模造を命じ、
白河小峰城下の鹿嶋神社に納められたもの。
ということで、白河市指定文化財。

ちなみに明珍宗政・宗妙は菅田天神社の国宝楯無鎧の
修繕も行っているらしいですね。だからでしょう、
ものすごく精巧にできていて、ビックリ。

しかし、定信がどのような意図を持って模造させたか
については鉢形城にあった図録には書かれず。
松平定信というと倹約のイメージしかないのだけど、
なぜ造らせたんだろか…すごい気になりますね。

いつもは白河市歴史民俗資料館にあるそうなので
白河行けば手がかりがつかめるかもしれませんね!
松平定信にも武田とのつながりエピソードがあったりして…
わくわくわく(笑)

松平定信というと、宇下人言を記しており、
このネーミングにはお世話になっているので、
ここもnikko得なのかなーんて思ったり(笑)

❖小幡信貞の赤備甲冑❖

上州の小幡信貞の甲冑。甲陽軍鑑で知られる
小幡景憲の系統とは別系統らしい。
武田家は同姓で由来の違う家柄が多くて難しいですね。

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勝頼時代に赤備を許されたそうで、
こちらの甲冑は乗馬に向いたつくりになっているそう。
やはり、騎馬軍団の一端を担っていたんでしょうね。

ということで、上杉と北條はほとんど記憶に
残っていないというね・・あははは。

白河市歴史民俗資料館と九品仏浄真寺に
行きたくなりましたねぇ・・九品仏浄真寺って、
像の公開してるんでしょうかね?

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