信玄公旗立松跡~浅利明神。
さて、この後は三増合戦時の信玄公本陣とも言われる
信玄公旗立松跡。跡というのは大正期に失火で焼失、
今はないからなのです・・・
場所は東名厚木カントリークラブの中。
Googleマップの鳥瞰図でみるとわかりますが、
ゴルフ場造成で山が抉られていてしまっています。
現在山として残っている部分の南端に、
信玄公旗立松跡があります。ゴルフ場を造成した際にも
残してくださったんだというのはありがたい話。
ゴルフ場に行くような感じで入っていって、
ここから登っていきます。700m程度なのですが、
元あった山の傾斜ではなく、非常に急なのでかなり疲れる…
が、幹事のなっちさんに武田のことなら歩みが速い!
と言われてしまうなど・・・えへへ。
いろんなところに矢印が豊富で迷うことは
ほとんどなさそうな印象です。
旗立松跡から合戦場方面の眺め。
陣頭指揮を執るにはいい位置なのかもしれません。
旗立て松の由来。もちろん往時の松があるに
越したことはないのだけど、その場所がわかっていて、
なおかつ、合戦場の眺めがあるだけでも全然いいよね。
碑文はちょっともう読みにくいなぁ・・・うむ。
建立は昭和3年・・・ということは、焼失後、
それほど時をあけずに建てられたんですな。
このあと、浅利明神へも参拝。
最近できた入り口の碑。
少し高台になったところに浅利明神はありました。
こちらにも三増合戦まつりの旗が・・さすがに
武田ばかりだね、と思ったらわずかに北條方も(笑)
浅利明神の霊屋。
ちょうどこの丘の下(先ほどの入り口のあたりでしょうか?)
で北條綱成軍の流れ弾に当たって討死。
信玄公は墓を建て、供養したそうです。
その220年後の1789年(寛政元年)。
墓の脇から骨壷が発見され、これを浅利明神として
尊崇したのが始まりのようです。
こちらの墓石には「寛政元年」とあり、
浅利明神として祀り始めたときにつくられたのでしょう。
なむ・・・手を合わせます。
イマイチ、浅利信種という人物は山梨で
行われる武田のお祭りにもあまり登場しない印象。
もう少し注目されたらいいのにな、と思いますね。
このあと、上の山城にも行ったのですが、
時間も遅いこともあり、あまり巡れませんでしたね。
それでもいくつかの土塁は確認できましたが。
残された写真が少なすぎる…(汗)
企画いただいたなっちさん、参加者の皆さん
ありがとうございました☆
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