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2015年1月

信玄公旗立松跡~浅利明神。

さて、この後は三増合戦時の信玄公本陣とも言われる
信玄公旗立松跡。跡というのは大正期に失火で焼失、
今はないからなのです・・・

場所は東名厚木カントリークラブの中。

Googleマップの鳥瞰図でみるとわかりますが、
ゴルフ場造成で山が抉られていてしまっています。

現在山として残っている部分の南端に、
信玄公旗立松跡があります。ゴルフ場を造成した際にも
残してくださったんだというのはありがたい話。

ゴルフ場に行くような感じで入っていって、
ここから登っていきます。700m程度なのですが、
元あった山の傾斜ではなく、非常に急なのでかなり疲れる…

P1030132

が、幹事のなっちさんに武田のことなら歩みが速い!
と言われてしまうなど・・・えへへ。

いろんなところに矢印が豊富で迷うことは
ほとんどなさそうな印象です。

P1030133

旗立松跡から合戦場方面の眺め。
陣頭指揮を執るにはいい位置なのかもしれません。

P1030136

旗立て松の由来。もちろん往時の松があるに
越したことはないのだけど、その場所がわかっていて、
なおかつ、合戦場の眺めがあるだけでも全然いいよね。

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碑文はちょっともう読みにくいなぁ・・・うむ。

P1030140

建立は昭和3年・・・ということは、焼失後、
それほど時をあけずに建てられたんですな。

P1030141

このあと、浅利明神へも参拝。
最近できた入り口の碑。

P1030145

少し高台になったところに浅利明神はありました。

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こちらにも三増合戦まつりの旗が・・さすがに
武田ばかりだね、と思ったらわずかに北條方も(笑)

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浅利明神の霊屋。

P1030148

ちょうどこの丘の下(先ほどの入り口のあたりでしょうか?)
で北條綱成軍の流れ弾に当たって討死。
信玄公は墓を建て、供養したそうです。

その220年後の1789年(寛政元年)。

墓の脇から骨壷が発見され、これを浅利明神として
尊崇したのが始まりのようです。

こちらの墓石には「寛政元年」とあり、
浅利明神として祀り始めたときにつくられたのでしょう。

P1030154

なむ・・・手を合わせます。

イマイチ、浅利信種という人物は山梨で
行われる武田のお祭りにもあまり登場しない印象。
もう少し注目されたらいいのにな、と思いますね。

このあと、上の山城にも行ったのですが、
時間も遅いこともあり、あまり巡れませんでしたね。

P1030167

それでもいくつかの土塁は確認できましたが。

P1030172

残された写真が少なすぎる…(汗)

企画いただいたなっちさん、参加者の皆さん
ありがとうございました☆

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三増合戦まつり2014。

さて、わたし的にはこれがお目当て・・・の
三増合戦まつりです。こじんまりとした町のお祭り、
という感じですが、逆にそれがいいですね。

武田菱と三ツ鱗がたくさん☆

P1030017

ステージ。孫子旗と三ツ鱗旗。武田と北條が
バランスよく並んでいて、どっちかに
偏ることがないのがこの地ならでは、ですかね。

P1030018

そういや、北條家って象徴的な旗がないよな…
上杉だったら龍の旗、みたいな。

どういうわけかパラグライダーが降りてきたり(笑)

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威勢のいい太鼓の後には、いよいよ合戦演劇。

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そんな中こっそり裏方を覗いてみると、
出番前の信玄公。

P1030026

信玄公旗本の証、ムカデ衆の旗☆

P1030027

そろそろ皆様、出陣準備ですかな?

P1030028

合戦前の信玄公。デパートでお客様を
お迎えする手の添え方で、しかも家臣たちを
少し離れたところから慎ましげで見守っておられ・・
思わずくすくす笑いました(笑)

P1030030

馬場美濃どのの奮戦。一騎打ち。

P1030040

やー!

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氏康どの。ちょっと地味っちゃ地味・・
ま、甲冑着てられないからしょうがないかもね。

P1030042

やけに西洋甲冑っぽくて違和感があった氏照どの。
なんでや・・・・氏邦どのはそーでもないのだけどねぇ。

P1030050

さて、甲州軍団登場のターン。

P1030054

そして、信玄公!かっこいいなぁ☆

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足軽のお髭のすばらしさもすごいですが・・・(笑)

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いざ・・・

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出陣じゃーぁ!

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個人的に好きだった工藤昌秀どのを諭す信玄公のシーン。
まだこの時は内藤姓を継いでいなくて、工藤姓・・・
というところを再現しているところにニヤリとします。

P1030070

進軍を指示する信玄公。

P1030073

御旗楯無も御照覧あれ☆

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早速飛び掛ったのは、武藤喜兵衛どの。
若き頃の真田昌幸さんすな。

P1030080

やったか!

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敵将、討ち取ったり!

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でも、「一番槍」って言えずに噛んでたけど(笑)
このあと甲相両軍入り乱れての乱戦に突入!

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そこへ山縣三郎兵衛尉どのが加わります!

P1030096

黄門さまよろしくもういいでしょう!
と撤収指示を出す信玄公。

P1030101

殿を任されるのは浅利式部どの。
このあたりはフィクションみたいですね。

P1030103

これを追うは、北條きっての名将・北條綱成が
立ちはだかります・・・綱成どのの甲冑かっこいいわ。

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綱成どのの容赦ない発砲命令。うてぇぇ!!

P1030111

こうして、浅利どのの奮戦で甲州に帰着した
武田軍なのでした・・・
締めは甲相両軍合わせて、おー!

P1030124

終わった後に信玄公ともちょっとお話できて
ほくほく。演舞の前には武田神社や火葬塚に行かれるそう。
そして自前の信玄公甲冑・・すごいですね!

P1030128

さて、あともう少し近くの史跡を回りますよ。

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津久井城。

さて、昨年の10月。三増合戦まつりに行こうぜ!
ということになって、せっかくなんでゆかりの津久井城にも!
ということで、なっちさん(@natchdes)幹事で
あきさん(@dankiti140)、儀一さん(@gokenin_gi001)
のんさん(@non1168)【津久井城のみ】、
豪士さん(@Gohshi77 )で行ってまいりました。

P1020814

近くの管理事務所にいろいろ展示がありましたので、
少しお勉強してからから攻城。非常にいい模型ですな☆

P1020815

東西に伸びた尾根上に城が築かれ、
真下の麓にも屋敷がありそうな曲輪がいくつも。

実際にここまできれいに刈られていたら
すごい見栄えするんだろうけど・・・

P1020818

屋敷跡方面から。

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背後は断崖絶壁・・・

P1020823

そのほか弓や刀なども展示されて、実物の重さで
持ってみれるのがいいっすね。刀はやはりそれなりの重さ。

さて、城のほうに向かいます。
水牢の沢という濠跡。水牢に使われたのは、
江戸時代のようですが、戦国往時は濠だったのでしょう。

P1020829

御屋敷跡。津久井城主内藤氏の居館跡。
今ではきれいに覆いでかぶせられていますが・・・

P1020831

発掘時はこんな様子だったみたい。
少しでも想像力を掻き立てる保存だったらなぁ、と。

P1020832

それでも平地がしっかり残っていて、
居館を建てやすいような地形に往時を彷彿と
させる印象は十分にあります。

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どーんと落ち込んだ竪堀とザクっと切った切岸。

P1020839

さて尾根上の詰めの城に向かいます。

P1020843

登る・・・

P1020845

まだ登る・・・

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いやいや、最近ストレスによる食べすぎが目立って
肥ったなぁ・・と思うのですがこういうときに
テキメンに効いてきますよね(爆)

まず右に進んで飯縄曲輪へ。

P1020849

単純すぎる虎口であれ?とは思いますが、
高低差はいい感じでありました。

P1020851

飯縄曲輪の縄張り図見ると、それなりに
複雑な構造をしているので、あの階段はまったく後世に
つくられたものなのでしょう。

城数寄に降り注ぐ光。

P1020856

さらに進んでいきます。ずんずん。

P1020865

あ・・・竪堀ふさぐ感じの伐採林・・(爆)

P1020866

宝ヶ池。三つある津久井城の水源のひとつで、
白く濁っていることから城兵が刀を研いだとも言われるそう。

P1020873

ここから鷹射場への道にいい土橋と堀切がありましてね♪

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縄張り図でみるとこんな感じ(右上)

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堀切もズドーンと落ちてますねぇ。ふひひひ。

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美女二名による特別版土橋のポーズ(笑)

P1020886

鷹射場。これも後世付いた名前かなぁ。
見晴らしは抜群ですな。

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そして飯縄曲輪の裏に当たるところの大杉。
2013年8月まで健在だった大杉は、落雷にて焼失・・・

P1020894

健在だった頃の大杉。

P1020899

燃え上がる大杉・・・大きな山火事に
ならずに済んだのはせめてもの救いか・・・・

P1020900

下の曲輪が見えてますが、焼け落ちた大杉でしょうか?
大きな樹が横たわっています。

P1020897

さて虎口跡っぽいところから、焼け落ちた
大杉のある腰曲輪へ。

P1020902

先ほどの図だと大杉の上側にある曲輪。

P1020824

コレ竪堀っぽく撮ってるけど・・・そうかぁ?(笑)
まー、山城遺構が撮影者泣かせなのはどこも同じ。

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下から見上げる大杉の幹。

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コレが焼け落ちた部分かね?

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さて今度は、太鼓曲輪と本城曲輪のほうへ。
という道すがら、石積きたぁ!やっぱり関東にも
石造りの部分あるよねーと改めて。

P1020916

ここが虎口にあたるのかな?太鼓曲輪。

P1020921

その先の堀切と引橋跡がすごかったなぁ。

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角度はそう急ではないですけども、堀切感は
よく感じられていい遺構と思いました。

P1020933

堀切の落ち込み感。

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振り返って土橋。いや、往時はなかったから
土橋とはいえないのか。

P1020941

堀切を過ぎると本城曲輪に近づいていきます。

P1020947

比較的城としての構造がわかりやすい案内図。

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今回は行きませんでしたが、離れにも家臣屋敷や
馬場といった遺構がありそうです。

P1020958

本城曲輪。逆L字型の土塁がよく残されています。

P1020959

縄張り図で観てもよくわかりますな。

P1020822

土塁上には、筑井古城記の碑。

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城主内藤氏の家臣で江戸時代には名主に
なっていた島崎氏の後裔が建立。

その碑前から本城曲輪内。それなりの屋敷は
建っていそうな雰囲気。

P1020971

本城曲輪は帯曲輪がくるくる巡らされているので
そちらにもちょっと・・・

P1020977

煉瓦造りのトイレがあるので、トイレ曲輪とか
厠曲輪とかみんなで呼んでましたね、HAHAHA。

近くにあったトロッコ用のモノレール。
これに沿っていけば帰れる・・(転げ落ちるぞ)

P1020980

帰る途中、いい竪堀があったんだけどなぁ。
どこだっけか?

P1030002

手前の石にフォーカス当てて遠近感。
最近、こういう感じで竪堀撮るのが好きでしてねぇ。

P1030003

さて、戻ってまいりやした。あの山が津久井城詰めの城。
このあと、三増合戦祭り会場へ・・・Go☆

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2014夏の札幌 … スノーロイヤルを堪能☆

さて、翌日。この日は打って変わって、
ゆーるく札幌をうろうろする日。

余市を出て小樽三角市場。
味処たけださん。なんでここを選んだかは、
よくブログを見ていただいているかは自明ですね☆

P1010792

残念ながら(笑)武田菱はありませんでしたが、
武田ってだけで選んじゃいますよね。

いくらにうに。ベタ過ぎるチョイス。
でも、美味しいんだもの~

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そして、札幌。雪印パーラーさんです。

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お目当てはコレ。スノーロイヤル。
1968年に昭和天皇・香淳皇后のために特別に
つくられたアイスクリームなんですね。

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取り寄せもできるんですが、現地で食べたくてですね。

スノーロイヤルきました☆
濃い!濃い!これは美味い・・・!!

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これにバニラ香が豊かな余市の原酒を垂らしたら
ほんとにものすごいんじゃないだろうか…

来週、また北海道に行きますが冬はアイス食べたら
一発でお腹がやられるので、また夏ですねぇ。

そして札幌中心街をぶらぶら。時計台。
がっかりとか言われるけど、けっこう好きになりました。

P1010805

向かった先は、千歳鶴のミュージアム。
日本清酒さんは余市のワインもやってられます。

P1010809

仕込水をいただけます。間違いなく美味しいよね。

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麻生太郎元首相の「國酒」の字。
歴代首相のなかで圧倒的な文字の上手さです。

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朝丘雪路さん。きれいなんですね・・・
わたしと同じ誕生日の有名人の一人。

P1010815

残念ながら工場は事前予約が要るみたいで
見学できず。しょぼーん。

ラッピングが素敵だったので、こちらの日本酒げと。
帰るまでの間でほとんど飲んじゃいましたがね(笑)

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そして、早めの夕飯。スパイスボックスさんに
行こうとしたら、閉まってた・・・閉店みたい(泣)

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うろうろしていたら、近くにスープカレーのお店。
Yellowさん。

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クリーミーなカレースープにモツが合う合う。
大好きな舞茸も加えてかなり満足なスープカレーに!
人参も甘みが強くておいしいしね・・・

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無くなったスープカレーのお店あれば、
新たに見つかる美味い店アリ。今度はここにしよう。

1996年か・・ということは、わたしが初めて
北海道に来たときから営業してられたんだなぁ。

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さて、早めに空港に移動。揚げたてのポテチとビール☆
(飲んで食べてばっかりやないか・・・)

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空港温泉にも。以前は万葉の湯グループでしたが
今は単独経営のようです。

P1010846

そして風呂上りにジアスさん。網走のお店にも
機会があれば行きたいよなぁ・・・・

P1010847

そしてギリギリまで飲むぞ!

P1010849

しぶとくアップルワインハイボール。
アップルワインもハイボールありなんだねぇ。

P1010850

ということで、夏の余市と札幌のたびはおしまい。
と書いてる翌週からまた厳冬の北海道に
行くわけですけどね・・・(笑)

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2014夏の余市(4) … 余市を学ぶ 会津藩士の足跡とニッカ

さて、午後は会津藩関連。

■餘市教学所跡

まず最初に向かったのは、餘市教学所跡。

P1010623

設立時の1871年には日進館、二年後には黒川郷学所
名称を変え、開村記念碑のあたりに移転した
そう。

これ以外に、浜中村にも1873年に郷学所がつくられ、
餘市教学所と改称されたようで、おそらくこの碑の位置は、
日進館そのものではなさそうです。

主要道路に面しているとはいえ、
なかなかしっかり見ておかないと見落としちゃいそう。

余市福原漁場を出て国道229号線(雷電国道)を西へ。
ヌッチ川の手前の左手に見えてきます。
田中内科医院さんが目印かな。

Niko

近くにニコー食品とかあって笑いますが(笑)

松平家が教本の不足を案じて、会津時代の教本を
取り寄せて、その教材で子供たちが学んでいたわけですね。

1871年~73年当時、松平家当主は容大ではありますが、
1869年生まれであって、「松平家」として
その求めに応じることができたのは、
あの容保公しかないでしょう。

そんな余市の会津武士の合言葉は、訳あって僻遠の
北海道に来てはいるが、常に会津侍の矜持を忘れるな、
だったそうです。らしいですね・・・

とかなんとか考えていると、なーんもないところでも
じーんと来ちゃうわけですよね。
八重の桜からのニワカファンではありますけども。

続いては、萱野権兵衛殉節碑と開村記念碑。
日進館、そしてその後の改称された教学所のあった近く。

■開村記念碑

1871年の旧会津藩士一団の余市入植から
50年後の1921年1月、除幕式が行われました。

P1010632

そばには福島県知事の来町記念植樹。
そう、容保公の次男松平健雄氏の次男である
松平勇雄知事が余市に来られたんですね。

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碑文はほとんど読めない・・・

P1010635

気づいたらはるかさんが近くで資料を
ゲットしてくださっていたので、碑文の内容がわかりました。
(漢字は現代の漢字に改め、一部文章を切りました)

明治初年廷議北海道ヲ兵部省ノ所管トナシ大イニ拓地
経営ノ拡張ヲ謀ラレ同二年九月旧会津藩士二百
余戸ヲ同省ニ隷シ尋テ開拓使三年(四年の誤)ノ春之ヲ
余市郡ニ移シ帰農墾闢ニ従事セシメラル
黒川山田ニ部落即是ナリ

当時草創ノ際行通四塞巨木蔭森熊吼狐兎ノ窮陬ニ属シ
榛莽蓊鬱満目荒涼タル境土タリ 共存自治ノ精神ト
奉公不撓ノ至誠ニアラスンハ焉ソ克ク守成ノ効課ヲ
収ムルコトアランヤ宣ベナリ

故黒田長官ノ我部落ニ「志業永伝」ノ四字ヲ寄セラル
豈ニ又タ故トナシトセンヤ

今茲ニ大正九年実ニ開村五十年ノ佳辰ニ相値フ
有志皆謀リ聊カ当時ノ梗概ヲ録シ以テ不朽ニ伝フト云爾

維時大正九年首秋 松田壽三郎謹識

そんな難しい文章ではないですが、おおよそ伝えたい内容は
読み取ることができますね。黒田清隆の救いの手が
余市に配された旧会津藩士とって大きな恩
だったことがわかります。

この黒田清隆から寄せられた「志業永伝」の字は、
会津藩士の墓にも掲げられたそうですが、
1949年に心無い者の手により墓石が持ち去られた後、
長く墓石のない状態が続いていたそうな。

1986年にようやく現在の墓石が再建された
(ただし志業永伝の文字はない)ということなのだそう。
志業永伝の拓本は辛うじて現存するとのこと。

道理で墓石が新しいはずだ・・・

P1010414_2

小樽、そして余市の開拓に向かった会津藩士一同は、
北海道の開拓に向かえば、旧藩主容保の助命と会津藩再興に
叶うという知らせに応じた会津藩士250名。
彼らは自らの意思で北に向かうことを選んだのでした。

その中には、白虎士中二番隊の半隊頭だった
佐藤駒之進も。通説では戸ノ口原の戦いで討死した…
ということなのだが、この北海道に向かう一団に
ひそかに混じっていたそうです。

白虎隊の最期があまりに壮絶だったこと、
後年名声が高まるにつれいたたまれなくなったこともあり、
白虎隊のことはほとんど話さず、黒川村二番村村長として
またリンゴ農園の経営者としてひっそり暮らしたそう。

余市蒸留所前の町営駐車場あたりが彼のリンゴ農園で
余市入植後は相次いで子息が他界するも、ご子孫は
少し離れた登町で農業を営んでおられるとか。

・・・閑話休題。

一団が小樽に着いたのは、斗南藩が成立する少し前の、
明治2年9月21日(新暦1869年11月4日)。

受け容れ担当の兵部省と新たに設置された
北海道開拓使で所管で揉めてしまい、会津藩士一団は
無為の時間を過ごすことになったようです。

揉める原因の一端は派閥と縄張り争い。
どうも兵部省が長州閥、開拓使が佐賀閥ということみたい。

碑文の中で、開拓使に従ったところから余市移住まで
時間が開いているのはそういう事情があったわけですね。

旧藩主を救うため、会津藩再興のためと願った藩士たち
そりゃ無為に過ごすのが耐えられるはずもなく…

しかも、兵部省が廃されることになると、
一転、兵部省の役人は会津藩士を開拓使に押し付け
早々に引き上げようとし、開拓使の役人もこれを
撥ね付けると、じゃあ斗南藩へ・・・

いやいや、食うか食わずかの斗南藩に
そんな養うアテはありません。完全に宙に浮いた
会津藩士団、一団の隊長宗川熊四郎が
開拓使長官・黒田清隆に嘆願。

直ちに黒田は鰊漁で栄えていた余市の開拓を薦め
会津藩士もこれを受け入れて、余市に向かいました。
黒田清隆への恩情の念が強いのは、この配慮によるもの。

黒田は薩摩出身で憎き仇敵ではありますが、
この恩情に余市の会津藩士たちは
深く感謝していたのでしょう。

黒田は公式的には樺太への移住させることとし、
余市への移住はその仮のものとの名目だったようですが、
移住にかかる費用を官費から出しているわけであり、
カモフラージュさせる目的だったのかもしれません。

実際、住居は南部の材を函館まで持ってこさせて
加工した上で、余市で組み立てているわけで、
ものすごい厚遇されているわけですよね。

とはいえ、なかなか開発はうまくいかず、
余市を離れる会津藩士がひとり、またひとり…と
出てきたリンゴ栽培の成功がくるわけです。

■殉節碑

向かいにあるのは、殉節碑。この真裏が、
余市日進館だったようです。

P1010627

こちらは碑文をが読めました。
こちらも漢字は新字体に改めておきます。

従三位勲二等功五級子爵松平保男篆書

幕末会津藩守護京都忝 天皇親任被幕府倚頼
明治戊辰事与志違四方圍據孤城死守既而開城
先是藩相田中土佐神保内蔵助臨戦自刃於是
藩相萱野権兵衛代一藩君臣従容殉節嗚呼忠哉
今茲余市旧会津藩士等建碑属余撰文因概記居焉

昭和十二年五月十五日
陸軍大将従二位勲一等功二級柴五郎撰
小樽高等商業学校講師 松井源吾謹書

一昨年、八重の桜を見ていたわけでこのあたりの
くだりはよくわかっているわけですが、
開村記念碑から16年後の1937年に建てられています。

1937年、そのとき政孝さんは日果林檎汁の製造販売に
追われていたことでしょう。間違いなく政孝さんは
余市に居られたはずなのです。ひょっとすると、
除幕式にもお越しになっていたかもしれませんね。

とすると、間違いなく会津藩のたどった歴史を
ご存知だったはず・・どんな思いで会津藩の歴史を
感じておられたのでしょうね。

■よいち水産博物館

続いて向かったのは、「よいち水産博物館」。
もちろん、水産に興味・・ではなく、
会津藩士の資料も多数収められているとの話から。

ものすごくたくさん興味深い資料があって、
まだまだ全然文字資料は読み込めていないのですが、
貴重で興味深い資料がたくさん。

政孝さんが来る前の余市の様子。湿地帯だった
というのがすごいよくわかりますよね。

P1010676

猪俣安造を中心にできた余市興業社が1920年に
埋め立てをしたそうですね。

(ニッカコーナー)

ニッカコーナーは興味深いトコロばかり☆
大日本果汁時代の広告。ニッカも角壜と呼んでいる
というのがなんだかおもしろいですね。

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研究所(現・リタハウス)前の集合写真。

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事務所前の集合写真。

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いずれも真ん中にどっしり悠然と構える
政孝さんが写っていますよ。

天然水族館に掲げられた「ニッカウ井スキー」の文字。

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リタさんが亡くなられた翌年、
スーパーニッカが発売になった1962年に
余市を襲った洪水。埋立地ということもあって、
水には弱かったのでしょうかね。

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工場でのラジオ体操風景。

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女子野球チームの表敬訪問や大会臨席。
そんなチームあったんや・・・

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番屋を移築した昔のニッカ会館!いいなこれ!

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こんな感じでいろいろな貴重な写真が・・・
見飽きないです!!!

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(会津コーナー)

会津コーナーにも興味深い資料がたくさん!
その最たるものが「御受書」。

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黒田清隆から余市への入植を打診され、
それに血判を捺して応じたもの。残されているのは
副本で製本は黒田に提出されたのでしょうが、
現存はしていないようです。

そして、会津日進館で使われていた旧会津藩時代の教本。
余市で暮らす会津藩士への旧藩主の贈り物・・・

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学んだ藩士の家から寄贈されたもののよう。
よく残ってたなぁ。貴重な史料。

爈邊夜話。余市開拓団の歴史を記した史料。

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昭和40年代まで残っていた会津藩士邸宅。
竹鶴邸と同じ山田町内にあったそうで、
このような伝統的な母屋が並ぶところにあった
和洋折衷の竹鶴邸は、さぞ目立ったことでしょう。

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先ほど、戸ノ口原で討死したと思われていたが
余市で生きながらえていた・・という佐藤駒之進肖像。

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甲冑。会津藩士のものでしょうか。
いつの頃の甲冑なんでしょうね・・・
まさか、高遠以来武田家臣の頃だったりして(妄想)

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そして、リンゴの話。赤羽源八が実らせたリンゴは
「緋の衣」と名づけられます。これがそのラベル現物。

P1010728

容保公が孝明帝から授かり陣羽織に仕立てた紅い衣、
そして、鶴ヶ城での降伏に涙した泣血氈。
その会津の陰陽ふたつを込めたリンゴです。

そして、赤羽源八は高遠以来の家柄
つまり、武田家や仁科盛信にまつわる歴史にも通じる
家柄なんですよね。武田と会津、そして余市…
なんて、わたし得なエピソードなんでしょう!!

・・・とテンションあげあげ(古)のまま、
次の目的地へ!

■吉田観光農園

以前から緋の衣の原木が残され、まだ実っている…
と聞いていて、ぜひとも訪れたかったところです。

よいち観光温泉が併設されているのですが、
生憎ご主人はお仕事で農園におられるとのことで、
農園に入らせてもらって、ご主人探し。

しかし、農園は広い広い!

あっちへ・・・

P1010752

こっちへ・・・

P1010749

あ、ぶどう美味そう(こら)

P1010751

そして、ご主人をみつけた!あちらのほうに・・・
ということでお仕事が一段落するまで、
わたしたちで探してみることに。

よし、これだ!緋の衣だぁぁぁぁ!

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中は空洞になっていますが、ちゃーんと生きてます☆

P1010756

他には色づいているリンゴもありましたが、
緋の衣はまだ青かったです。

P1010761

この樹、会津人に手をさしのべた黒田清隆の子孫や、
萱野権兵衛の子孫の方も観にいらしたことがあるんですって。

さらにさらに。

緋の衣、今や会津の銘柄としてかの地でも
栽培されているのですが、その苗木が
余市に戻ってきているのだとか。

P1010773

若い樹だなーと思ったらそういうことなのか!
次世代の緋の衣ですなぁ。当時から今も
成っているのは先ほどの1本だけとのことですからね。
また、余市でも緋の衣がメジャーになるといいなぁ。

あ、このリンゴいけ・・(こらこら)

P1010778

こんなね・・おいしそうだなぁとか目を取られてるから
肝心なこと訊いてないじゃないか!

政孝さんのニッカリンゴジュースは緋の衣だったのか!
どこを見てもそうって書いてないんですが、
状況証拠的にそう・・なんですが、ちゃんと裏取りを
したかったのに!自分のバカ!バカ!バカ!!

はぁ…ま、もう日も落ちてきます。
そろそろ会津藩めぐりも終わりにしなくてはなりませぬ。

ここでなんとはるかさんとこでBBQを。
なんとありがたいことか!!!ほんとにありがとです!

はるかさんとこのわんこにめっちゃなつかれました(笑)

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そして、お肉(ラムも美味☆)美味しかった点…ほくほく。
どうやってこのご恩をお返ししてよいのやら。

このあとは(また)小樽に出向いてBARタイム。
いつもリタさんばっかりで…行きたかったHATTAさんへ。

P1010789

北の大地ってボトル知ってます?わたし初見でした。
15年の割にはかなりアルコールのトゲトゲしいので、
ちょっと人を選ぶ感。悪いシェリーではないと思います。
少し加水するとよい具合になりましたかね。

P1010791

さて・・・北の大地で会津づくし(といいつつニッカ色あり)
の2日目が終了。3日目はまったりまいりますぜ。

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2014夏の余市(3) … 余市を学ぶ ピクニック海岸&竹鶴シャンツェ

さて、下ヨイチ運上家から歩くこと数分。
近くの海岸に向かいます。ほんの目と鼻の先。

Seaside

浜中モイレ海水浴場という砂浜なのですが、
政孝さんとリタさんがピクニックに訪れた・・という海岸。
もうれっきとした史跡ですよね☆

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ちょうど入り江のようになっていて、
波も穏やかでした。海の水もきれい・・・!!

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ここらあたりで『マッサン』のロケとかないかな・・・
さすがに夏は日差しがきつそうですが、
春先なんかはぽかぽかして気持ちよさそうです。

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そんな中、足跡に夢中のはるか氏(笑)

P1010594

続いて向かったのは、竹鶴シャンツェ。
1941年、飛行機の操縦士を育成する意味も含めて、
ジャンプ競技を志す若者のために、
旧制余市中(現・余市高校)校長からお願いされ、
政孝さんが中心になって建設されたもの。

P1010607

政孝さん本人も柔道の達人ですし、
会社を興してからも野球やったり、狩りやったり
からだを動かすのもお好きだったようですから、
スポーツにも理解があったんでしょうね。

に・・・してもですよ?
1941年ってよく考えてくださいよ。

そう、nikko81の親父の生まれ年・・関係ないわボケ(笑)
第一号ニッカウヰスキーの出荷が始まった翌年です。

そもそもウイスキーを出荷するまで苦しかったわけで、
ウイスキーは海軍監督下で買い上げてもらえて
ようやく事業が軌道に乗ったばかりですよね。
資金を工面するのも大変だっただろうに、と思います。

逆に考えると、シャンツェを建設できるくらい、
潤ったというようにも考えられるかも。

今のシャンツェは創建当時のものではなく、
鉄骨製に作り変えられ、場所も少し移動しているんですが、
(旧シャンツェも保存はされている)
このシャンツェのおかげで、わたしがむせび泣いて喜んだ
あの船木・原田・斎藤・岡部の金メダルに結びつくわけだ…

ちょうど向かったときには選手たちが練習の真っ只中。
夏でも練習できるんだと思ってしばらく見せて頂きましたが、
真下からみるとすげぇ高さ・・アレはムリや・・
飛距離伸ばすなんてどころか、飛ぶだけでもムリ!

スタート位置には、本番同様ゴンドラに乗って
いかないといけないくらいの高さですし・・・

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がこんがこん・・

P1010611

この後、余市神社にもお参り。
お祭りの時には、蒸留所にもお神輿が来るんだよね。

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よくみると、建物は鉄筋鉄骨ではありますが、
屋根が出雲大社のようで、古い神社の雰囲気があります。

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おっひーるーに、蒸留所に近い「たけや」さん。

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性懲りもなく、体重増加活動・・・(笑)

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午後からは、会津藩の足跡中心に見て回ります☆

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2014夏の余市(2) … 余市を学ぶ 旧下ヨイチ運上家

さて、翌日。とあるきっかけで仲良くさせて
頂いている余市ご出身のバグパイパー・はるかさん
(@whiskycat33)に地元である余市のまちを
案内いただきました。ほんとにお世話になりっぱなし…!!

のっけから(歴史ヲタ的には)すごいところを・・・

P1010525

といいますのも、昔はここに時計屋さんがあったそうで、
余市蒸留所内の創建時の事務所、入って左手にある
大きな時計、ここの時計屋さんから政孝さんに
贈られたものだそうなんです。

そして、そのときの時計屋さんの主・・・
が・・なんとはるかさんのおじい様だそうで!
身内と政孝さんとのエピソードを語れるなんて☆

よくお隣さんにリタさんがお越しだったそうで、
その際に政孝さんは時計屋さんでだべってたそうです(笑)
ひゃあぁぁぁぁ・・・ですわ!

で、向かった先は「旧下ヨイチ運上家」。
江戸時代の余市の一端を知ることができます。

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運上家・・とある通り、運上金を納める代わりに
対アイヌ交易で利益をなした商人の家柄。
1853年に改築した古図面に従って復元されたようです。

下見板にニヤニヤ・・・(笑)

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このあたりの石垣は当時のものかなぁ?どだろ。

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きれいな切石積。

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建物も(再建とはいえ)立派です。
釘を使わない工夫とか見てて、おおってなりますわ。

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こういう写真をきれいに撮れたらいいんだけどな。
むむぅ。

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お屋敷内。それこそ『マッサン』に出てくる
森野熊虎のお屋敷みたい。木の香りがすばらしい…ふふふ。

P1010546

そうそう屋根は石葺でしたね。本瓦は凍み割れするし重いし、
ということが関係しているんでしょうか。

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鍋モンとかできるとええだろうねぇ・・・

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実はその昔、わたしの実家も古い家の時代があり、
小学生の1年のときに取り壊したのですが、
そこにもこういう昔ながらの炊事場があって、
その様子をちょっと思い出したりなんかしました。

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武者幟。こちらは賤ヶ岳七本槍を描いたもの。
松前藩の流れで伝わったものだそう。

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こちらは源義経。津軽海峡を渡って・・・
という伝説もあるので、蝦夷地ではなじみのある
人物だったのかもしれませんね。

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遠山金四郎景晋が訪れた様子。息子のほうが有名で、
遠山景元、遠山の金さんのモデルです。

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二階は寝部屋・・・ですが、つくりが櫓というか、
なんというか・・城っぽく鑑賞しました(笑)

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材が横にやたら通っているのは、
雪の重みに耐えるためでしょうか、それとも・・??

石葺屋根。この景色を見ると、
あぁ潮風に耐えるためでもあるのかなぁなんても。

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あ!唐傘!お化けでしか見たことなかった!(笑)

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いいねー!骨の構造が美しい。

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酒部屋じゃぁ・・・!!さけもってこーい!

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あ、このグラス?ワイン用かな・・・ハイカラやね!
ここに、鴨居ウヰスキーを注いでつかーさい(爆)

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さてさて、お次は近くの海岸。
これがね、れっきとした史跡なのです・・・

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2014夏の余市(1) … 竹鶴政孝翁を偲ぶ

真冬の今に真夏のお話・・・少しでも暖かくなればと・・
という言い訳をかましながら、朝ドラ「マッサン」が
始まる直前の余市を振り返ってみます。

向かったのは8月の末。29日~31日。
なぜここか・・・というと、8/29の政孝さんの命日に
余市のお墓に参りたかったからなのです。

新千歳に着くなり、いきなりのソフト。
白い恋人ソフト・・・これは外せません☆

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政孝さん!来ましたよー!

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時間的に微妙だったので、小樽でバスに乗り換え。

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余市蒸留所☆と大々的に!
今までこんなことなかったもんなー(笑)

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余市に着いたら、あたりはマッサンのぼりだらけ!
かなりの人出と聞いていますが、始まる前から
その活気が感じられましたよ。

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ここ最近、真冬にばっかり行っていたので、
ぜんぜんお目にかかれませんでしたが、
駅前のウイスキーボトルをもってくる熊さんです。

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初めて気づいたんですが、ちゃんとボトルに
「ニッカ」と書いてあるんですな!ほー!

到着はお昼。余市観光の定番中の定番、
柿崎商店に参ります。ちょっと久しぶりかも?

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いくらいくらいくらぁぁぁぁ!うしゃしゃしゃ!

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蒸留所正門。見れば見るほど西洋の城に
見えてきますね・・一旦通り過ぎますね。

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この日の気温は最高23度、最低19度。
ものすごいいい気候だったと記憶しています。
政孝さんの命日の頃って、こんないい気候なんだと。
彼岸過ぎると、かなり涼しくなるようです。

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リタロードを歩いて余市橋から。ここすごく好き。
Whisky Fesitivalの記事でも書きましたが、
ここから吹く風の潮の香りが大好きでしてね。

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美園の丘は端を過ぎた交差点を左折。
角にセブンイレブンがあるのですが、さすがお膝元。
180mlシリーズの充実度よ。

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すでに沿道では秋桜の姿が。やはり北海道は夏から
秋、冬へのスピードが断然違うようですね。

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蜂さん、お食事中。

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ここが政孝さんとリタさんが眠る美園の丘入り口。

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冬はこんなになります・・・今頃もそうでしょうな。

P1240666

竹鶴さん夫妻のお墓に行く前に寄り道するとですね・・・
会津藩士の末裔の皆様のお墓が。一般の方々ですので、
直に掲載するのははばかられますが、「舊會津藩」の文字に
会津武士としての誇りを感じてしまいます。

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こちらは最近になって古い墓石に新しい台座。
ここにも旧会津藩士の文字が。

P1010415

そのほか、武田花菱や武田割菱を家紋に持つ方も
かなりの数居られることに身震いがしました。
皆様、高遠以来なのか・・・!!

あとは黒河内家という姓にもハッと。八重の桜に
黒河内伝兵衛が出てきてましたからね・・・
連なる家柄の方でしょうか。

さらには松平家・・・の墓もありました。
会津松平家の松平家かは定かでありませんが、
紋を見る限り、会津葵ではなかったです・・・

そして、合葬された会津藩士の墓。
しっかり手を合わせます・・・合掌。

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リンゴを実らせてくださいまして有難うございました。
ウイスキーづくりが始まるまで陰で支えた存在、
だったでしょうね。

脇には、会津土津神社の御下賜神水。
会津とつながってるんだなぁ・・・

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そして・・・一段と高い丘の上に、
竹鶴夫妻の墓はあります。リタさんが亡くなられた際に、
自らも入れるよう、連名にした話は有名です。合掌。

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社員さんがお参りになったのでしょうか、
すでにきれいな花が供えられていました。
(竹鶴はわたしのお供え物。持ち帰りますた)

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裏の銘。IN LOVING MEMORY OF…

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わたしもはじめやられましたが、余市の蒸留所を
見下ろせる丘の上に眠る・・・とあるので、
あれが蒸留所だ!と思うのですが、余市町図書館。
余市蒸留所をイメージはしているみたいです☆

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帰る道すがら、季節はずれの紫陽花発見。

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戻ってくると、このおおきなNIKKAのロゴが。
このロゴ好きだー!

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そして、正門をくぐって蒸留所へ☆
ひゃっほーい♪

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ポットスチル。稼動していなくても、
見るだけでうれしいもんです。

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1号ポットスチル底板。これほしいー!
という人も居るんじゃなかろうか(ここにも)

P1010444

いつのまにこんな説明板・・・!!

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このマッサンかわいい。

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完全に萌えキャラやないですか(笑)

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いつの間にこんなもんも・・・!!

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工場設立当初の事務所。いつか入らせてもらえないかな…

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これそのままの中身なのかなぁ・・・
だとしたらもったいないよね・・・

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NIKKA印のフォークリフト!
(NIKKAとあれば大抵テンション上がる)

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なんか植樹してはったよ。

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Rita & Masatakaってレディファースト。

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このリタさん初見かも。結婚直後の帽子を被った
リタさんよりも昔の写真かな。あどけない感じがするね。

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この日は蒸留所内レストラン「樽」はお休み。
鶴翔会の控え室・・余市従業員のOB会とかかなぁ。
政孝さんを偲び、命日に毎年されているんでしょうね。

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NIKKA印のベビーカー(NIKKAとあればなんでも撮っちゃう)

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15時からは軽くガイドさんの案内を聴く前に軽く一杯。
竹鶴21年ノンチル。

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一番の発見はガイドのおねーさんが身に付けて
おられた旧・鶴ボトルのアクセサリー。
先輩方から代々受け継がれてきた貴重なモノだとか。

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試飲会場で見つけたポスター。
いいなぁ、ありがとう北海道、おかげさまで80周年。

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日も暮れてきました。なんとなく埋まった壕に
見える・・と城ヲタ臭を出しつつ。

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ロゴにも影が出ていい感じ。

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余市の夏の日没。

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この後、また余市橋をわたって余市川温泉で
ひとっ風呂浴びて、ごはんも。

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からあげとザンギの違いをさっと説明できない
非道民・・・

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食べて出てくると、いい感じの夕陽。
三日月のお月さんも。

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とことこ歩く先は余市駅。これから小樽へ。

P1010516

そう・・余市にきたら小樽のBAR。
毎度お世話になってるニッカバー・リタさん。
もうなくなっちゃった15年と20年のカスクをば。

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P1010521

そうそう、THE NIKKA 12年を最初に頂いたのも
こちらでしたね。サンプル品。

P1010522

そして帰る時間が近づいたときに、とあるニッカの方が
来店されて興味深いものを・・・
そう、BLACK NIKKAの復刻版。もちろんほしいですね!

P1010523

さて、1日目はこうして終了。
次の日は余市のバグパイプガールと会津藩の足跡めぐり。

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Whisky Festival Tokyo 2014 - ブースめぐり。

さて、ブースめぐり・・・ですが、
あんまり記録が残ってないというね・・・

サントリーブースでは、響ミズナラ構成原酒が
無料で出ていたのが、オトク感が強かったかなぁ。

山崎25年熟成なんかもあったようですが、
わたしはみなかった・・・

サントリーさんとこだと、Wの白州をゲット
できたのはよかったですね。

P1050449

白州の香味のうち、柑橘感が中心。
レモンの心地よい酸味とクリーム感があいまって、
レモンケーキのような印象。クッキー的な穀物の甘さも。
抜けには、ピールの苦味もあっていい白州です。

これならもっと買っておきたかったですが、
現地では試飲なしだったので1本のみ。しゃーないか。

キリンでは、シングルモルトとシングルグレーン。
こういうラベルも売り出すようになったのね・・・

P1040428

シングルモルト18年(富士山麓18年ではない)を
ちょっと思い出しましたが、18年は難しいにしても、
またちょっとキリンのラインアップも楽しみになりますね。

マルス。あぁ・・・シェリーとアメリカンオーク
ブレンドしちゃったのね・・アメリカンオークのカスクが
いいのに・・また出してくださるよね?

P1040437

何気に美味かったロセス1991。

P1040431

そして、ニッカ。整理券をもらった余市10年カスクは
マイウイスキーのお下がりのようです。
木の皮、ナッツ、煮詰めた柑橘、アーモンドチョコ…
ということでやっぱり美味い。

P1040435

何度かマイウイスキーづくりのボトルを飲んできてますが、
これは・・・というダメなのは当たったことがなく。
ぜひわたしが参加した回のマイウイスキーも
美味しくできていてほしいものです・・・

そして、締めはハイランドパークバイセンテナリー1977。
自分でも一本持ってますが、1977ビンテージとしては
好みの一本なんですよね。

P1040438

このときは、濃密な蜂蜜感に加えて草の青さを
感じましたね。自分で持ってるボトルでは
あまり感じなかったんですけど・・

Whisky Festival、いいんですけどやっぱり1日ってのが
つらいなぁという感じ。できればブース飲み中心の1日と
セミナー中心の1日で2日間はほしいところです。

Whisky LIVEがあんな感じなので期待が高まる
イベントではあるのですけどね。

ちょっとおもしろかったのは、ニッカブースで、
朝ドラ「マッサン」の感想をお聴きしたとき。

ちょうど浪人しているあたりだったのですけど、
皆さん観てられるみたいで、の中でも、
「マッサンどですか?」に「ありゃアホですね(・∀・)」
と言ってのけた方もいて(笑)

もちろん作り手としての創業者をリスペクトした上で
だろうけどこういういいユルい感じに
ニヤリとしたわたしでした。

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Whisky Festival Tokyo 2014 - ニッカ佐久間チーフセミナー+THE NIKKA 40年。

さて、年も明けて一週間以上経ちました。
あけましておめでとうございます。
今年もご贔屓によろしくお願いします!

当blogとしては1月締め・・・ということもあって、
今年の抱負的なものは11周年を迎える2月まで
とっておくことにしてですね・・・

Whiskyネタ第2弾。Whisky Festivalです。
土屋さんの発声でスタート。

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いつものバグパイパーさんも。
後ろの照明が武田菱(違)

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発声が終わったら、速攻でカスク10年の
整理券をもらい・・・

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佐久間さんのセミナーに向かうわけですが・・・

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だいたいこういうセミナーのときって、
酔っ払いまくって、記憶をたどるのが難しくなるので(笑)
カスクの整理券を頂く際に、佐久間さんのお姿をみかけ
最初に訊きたいことを訊いておきました。

■THE NIKKA 40年とミズナラ樽の話

・・・というのは、THE NIKKA 40年の話。

というのは、あまりにもわたしにはミズナラの印象が強く、
やっぱりミズナラなのか、どういう設計思想なのか・・・
という点がどうしても気になったわけです。

やはり記載のある1945年蒸留余市、1969年蒸留宮城峡は
ミズナラで間違いないみたいでした。

1969年というとホワイトオーク樽が入り始めてきた頃で
まだまだミズナラ樽が主流だったそう。そう、戦争によって、
アメリカンオーク樽がパッタリと途絶えてしまい、
戦前のある時期から日本のオークすなわち、
ミズナラ樽に変わっていたのですよね。

ただ、水漏れしやすく加工はしにくく、扱いづらいうえに
また熟成の香味も短い熟成だとイマイチ・・・と
思われていたふしがあり、サントリーさんもしばらくは
おおっぴらには使わなかったんですよね。

そして、ミズナラをことさら主張することがない
ニッカも使ってはいたものの、そこをアピールはせず、
昭和50年代までにほぼミズナラ樽は終息。

逆に言えば、1975年以前の40年以上クラスの
超・超熟原酒にはミズナラ樽が多数残ることになります。

とはいえ、わたしが受けた感じとしては、
サントリーと違って、ニッカはあのミズナラ感は
ウイスキーの香味をミズナラ感でベタ塗りするので、
あまり全面的には使いたくないという雰囲気を感じました。
もちろん、直接そうはおっしゃいませんがね・・・

あくまで余市新樽やヘビーピート原酒のような、
少し加えて味わいに幅を持たせるための原酒として、
使っていこうという意思を感じますね。

一旦止めたのも「主流」の樽としてはやはり
ホワイトオークだろうという判断があったものと思われます。

ということは、逆に言えば1960年代に仕込まれて、
10年そこそこで出荷された1970年代くらいは、
ミズナラ熟成の原酒が通常ラインナップに
使われていたんだろうなぁ、ということでもあります。

以前、日田洋酒博物館でオールドのG&Gを飲んで、
もちろん経年変化という意味での違うはあるのでしょうけど、
酒質が違うなぁと思ったことを思い出しました。

P1200711

ミズナラ?という観点でもう一度飲んでみると、
また発見があるかもしれませんな。

とはいえ、10年ほど前からミズナラ樽を毎年数十樽くらい
仕込み始めているそうですね。ミズナラだと10年くらいでは
ちょっと物足りないと思うので、隠し味に使えるのは
かなり先になりそうな予感。

でも、やむなく使う時代から個性の一つとして
育てる時代に変わってきてますからね。
ニッカにもミズナラ感がプラスされる日が楽しみです。

■竹鶴政孝のウイスキーセミナー

ということで、続いてセミナーです。

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またもや「凛として」を頂いてしまいました(笑)

今回の目玉はこれでしょうね。
カフェモルトとカフェグレーン古酒。

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今再びの佐久間さん。

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一行で片付くオトコ・竹鶴政孝。
こう言えるのはかっこいいですよねぇ。

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エンブレムの話。ニッカさんはよくこの話をして
兜が山中鹿之助なんですよーとおっしゃいますが、
サントリーウイスキーのエンブレムはなんじゃろね?
と思ったり、思わなかったり。

P1040361

政孝さんのスコットランドでの実習。
マッサンではロンモートと表現されていた、
ロングモーンもありますね。

P1040363

ただ、ロングモーンは1週間だけであって、実際は
ヘーゼルバーンのほうが長いんですよね。
ネトルトン博士から法外(?)な授業料を提示されて
諦めた後にロングモーンを訪ねて実習。

このあたりは「エルギン日記」という記録があるそう。
竹鶴ノートとは別にこれを直で読んでみたいですね・・・・

そのほか、グレーン造りを学んだとされる
ボーネス工場での実習についても、
公開はされてないそうですが史料が残っているそう。
読みにくいんだそうですが、これも興味ありますね。

そして、帰国して摂津酒造でウイスキーをつくれない
とか鳥井時代は軽く飛ばして(笑)自立したところから。

P1040364

りんごのシードルとかジュースとか、
マッサンに合わせて、復刻版でないかなぁ(笑)

ニッカの商標は有名な「大日本」の「日」と
「果汁」の「果」をとって「ニッカ」としたわけですが、
もうひとつの理由もあったようです。

当時(昭和初期)横書きする際には右横書き、
つまり、右から左に書くスタイルが主流。

そんな中で、左横書き(左から右)も生まれ始めていて、
混在していたんだそうです。そんな場合でも
間違って読まれない(カッニは非常に読みづらい)ことも
「ニッカ」になった理由のひとつなんだそう。

そして、宮城峡。基本的にはつくりわけでは
如何ともしがたい異なったタイプの原酒がほしかったこと、
そしてウイスキー自体の需要も伸びていて、
生産力自体を伸ばす必要性もあって建設されました。

P1040366

今では日本最北No.1/No.2の蒸留所ではありますが、
道東でもウイスキー蒸留所ができる見込みなんですね・・・

P1040368

ニッカとは違うけど、これはこれで楽しみな話。
それこそ今マッサンでやっているような、
工場の立ち上げの苦しみがあるのでしょうね・・・
蒸留開始したら見に行きたいなぁ。

・・・閑話休題。

寒い北にこだわったのは、製麦・醗酵・熟成のいずれにも
涼しいことが求められるから、なんですよね。
今では製麦は輸入するからいいですが、
醗酵も関係するんですね。酵母がダメになると。

そして、熟成では香味、特に華やかなエステル成分が
気温が高いことで揮発しやすいってことなんですね。

これ、逆にインドのウイスキーや台湾のウイスキーと
比較してどう気温が高いことを克服しているか?
というのと合わせて理解したいですよね。

以前、台湾に見に行ったときには、熟成に関しては
温度管理をしながら熟成しているということが
わかっているのですが、醗酵がどうしているかは
ちょっと訊き出せなかったんですよね・・

それでも熟成は早めだからな・・・台湾。
KAVALANは2008年操業開始だから、2020年くらいには
10年超えの原酒もできてくるわけですが、
それがどうできるかですね・・・また脱線(笑)

余市の地形。海に面し、余市川に近い位置。
この余市川にかかる余市橋に立って、
海からの香りを感じるのが好き。

P1040373

ホントにね、余市のピーティ&ソルティを
思い出させるような香りなんですよね。

そして、地形図をみると東西と南は山。
北からの潮風が籠もるような感じになるんでしょうか。

Yoichi_chikei

余市に入社した佐久間さんの体験談なんかも紹介。
ピンチヒッターで石炭の釜焚きもされたことがあるそうで
やはりかなりの肉体労働ではあるそうなのですが、
焚けばいいというものではなく、ゆっくり焚け、
パイプの温度を確認して温くなってきたら、火が強すぎると。

麦汁は透明感のある飴色でないといけないだとかも
含めて政孝さんの教えなんだそうですね・・・
こういう肌感覚というのが大切なんでしょうねぇ。

一方で宮城峡。ホント森の中の蒸留所ですよね。
白州も森の中なんですが、白州と比べクリーンさや
若葉のような感じよりは、フルーティな印象が強いです。

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余市は酒質も強いし、熟成環境から受ける影響も強いし、
強い影響要因同士がバチバチ絡み合う感じですが、
宮城峡はやっぱり白州より、原料や樽由来の影響が強く、
熟成環境の影響は弱めなのなぁ・・と思ったり。

さて政孝さんは、最初は骨太のウイスキーを造ることを
目指していましたが、それは手順としてはまずそれ・・・

理想の姿は、タイプの違うモルト原酒と
しっかり香味の残るグレーンウイスキーでブレンドする
ブレンテッドをつくること、だったわけですよね。

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政孝さんの考え方の大きな特徴として、
ここで挙げられている品質本位とパイオニア精神が、
モルトだけでなく、しっかりグレーンにも向けられている
という点を見逃せないのではないかと思っています。

P1040380

というのも、サントリーとの比較しちゃうんですけど、
ウイスキー好きな人は、サントリーはサングレイン知多で
つくっていることや、いくつかタイプの作りわけを
していることは知っていると思います。

最近では、知多ブランドを押し出していこうとする
動きもある
わけですが、創業は1972年なんです。

そして翌年の1973年に白州蒸留所が開設されますが、
あまり知多蒸留所の解説には触れられることはないんですね。
それはまぁ、必ずしも悪いことではないんですが、
創業者である竹鶴政孝が、自分の手で複数のモルト原酒と
グレーンの生産をするところまでこぎつけたという点。

たぶんそのスタンスは竹鶴ノートを執筆していたときから
ブレない理想だったんでしょうね・・・

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竹鶴ノート執筆が1920年、宮城峡稼動が1969年。
政孝さんが記した理想を50年もかけて、本人の手で
実現したというのは感慨深いものがありますね・・・

P1040386

ご自身でも幸運だったと振り返ってられますが、
やはり、これは政孝さんがグレーンをかなり重視していた
証左だろうなぁと思うわけです。

実際、こういうことも言ってられますしね。

P1040415

そう考えると、ブラックニッカ1級(現・ブラックニッカ
スペシャル)やノースランド丸瓶というのは
エポックメイキングな商品、なのかもしれませんよね。

P1040403

そして、最近の挑戦としてはカフェモルト。
1980年代からはじめていますが、原料(グレーンVSモルト)
3倍にもなるそうで・・・今ではニッカの顔のひとつ、
にもなっている気がしますけど、政孝さんは
どうおっしゃるでしょね?

P1040423

そして、品質第一主義・・なのは朝ドラ「マッサン」でも
たびたび描かれているところ。

P1040383

1940年の初出荷も、どんなに経営が苦しくても、
熟成途中で出荷されなかったというところは、
やはり白札に対する政孝さんの想いもあるのかなぁと。

そして、コレも有名な話、説得されて説得されて
3級ウイスキーを泣く泣く投入した話。

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そして、ブレンドの話。これ佐久間さんになってから
特に言及されることが多いかなと思うんですが、
ブレンダー同士のコミュニケーションをしっかり
するための香味の表現の統一ですね。

P1040394

だいたい1ヶ月でサンプル取得、1ヶ月でティスティング、
1ヶ月で処方を決めていくんだそうです。サンプル取得の際に
熟成途中のもの同士を混ぜたり、長期熟成のものをまとめて
残したり・・・なんてこともするみたいです。

ティスティングは一日に100~150が限界とのことですが
毎回ブレンダー同士意見を交換、香りのイメージを合わせる…
ブレンドの技術を伝えるってこういうことなんですねぇ。
素人は好き勝手評しますけども(笑)

最後に、THE NIKKA 12年を試飲。
解説を聞きながら、頂くのは初になりますね。

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80周年だから、THE NIKKAで決まりでしょ!
と即決だったそうですね(笑)コンセプトはピュアモルトで
培ったブレンドの延長にあるブレンテッド。

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グレーンの比率が低い、モルトの比率が高い・・・
とは聞いていました、ブレンテッドの定番としてではなく、
すでにピュアモルトでバランスを取っているところに、
グレーンを加えてみると、どうなるだろう?ということ。

比率としては、6割モルトで4割グレーンだそうですね。
キーモルトはバーボンリメイドとシェリー。

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味わいとしては、ビターめで樽熟感もあるので、
普段飲みにしたいところではありますが、
ここ最近は自分としてはスーパーニッカやフロムザバレルが
普段飲みウイスキーとしては、盛り上がってますので、
まぁ折を見てちょくちょく仕入れますかねぇ。

P1040413

ということで、ウイスキー試飲タイムに移りますぜ。
カフェグレーンとカフェモルトの古酒、
持って帰ってきたらよかったかなぁ・・・美味かったけど。

いずれも平均20年overの貴重な原酒だったからなぁ。
グレーンのドーンとした押しの強い甘みもいいけど、
クッキー的でふわっとしたカフェモルトの甘みが好きだなぁ。

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