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名古屋城天守閣フォーラム⑤ - 麓教授 -

四番手は、麓教授。
名古屋工業大学の教授でいらっしゃり、
工学博士とのことですから、建築に造詣が深い方。

P1010975

城郭では、小牧山城、岐阜城、犬山城、彦根城、鳥取城、
金沢城などに関与されているそう。

木造復元を考えると題し、今度は天守そのものへと
ググッと迫っていきます。

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同縮尺の名古屋城大天守と姫路城大天守の比較。
軒側(平側)に相当する方向でもひとまわり名古屋城が
大きく見えますが、妻側の違いは歴然ですよね…

P1010979

先日、姫路城大天守もさらりと見てきましたが、
やはり軒側のほうの美しさに比べ、妻側はちょっとイマイチ。
ほっそりしているわりに破風がでかいし…
ま、わたしの好みなだけですけれども。

名古屋城大天守がつくられていた1612年当時、
慶長度の方広寺大仏殿や大内裏紫宸殿なども同時並行で
建設が進んでいたんですね。

P1010986

秀吉の時代もかなりの建築ラッシュでしたが、
江戸幕府が開府されてもラッシュは続いていたのですね・・・
どうしても城目線で見ちゃうけど、木材需要全体で見れば、
寺院や朝廷の建造物だって、同じですもんね。

しかし、中井さんってば超多忙・・・・
そんななかで家康さんからはよ天守上げろやと督促が(笑)
家康さんとしては、対豊臣を圧倒するために、
すぐにでもほしかったんですね。

そこで、内裏の作事に携わっていた大工のうち
実に2/3に当たる500名を名古屋城大天守に当てる
という割り振り。
家康さん事情はわかるにしても、ブラック上司・・(笑)

というのと、天守の意味を考える上で、
興味深いエピソードだと思いますね。うん。

続いて、宝暦大修理のお話。その当時の妻地割、
平地割そして、各層間取りの図が残っています。

P1010987

これ、よくよく見ると江戸城そっくりなんですよね。
もちろん違うところもたくさんあるんだろうけど、
兄弟天守といいますか。

江戸城も寛永度天守の妻地割、平地割、間取図が
残っていますから、並べて見られるような
展示をする機会があればおもしろいのになぁ。

以前、「巨大城郭 名古屋城」で拝見した、
どこに縄を括り付けてどう引き上げるかという修復の様子を
記録した図面。これはホントに興味深いです。

P1010988

そして天守台の修繕ですら、ちゃんとどう取り外し
どう再構築するかを記録してるんですね。
記録するって大事ですよね・・と思いましたわ。

P1010990

そして解体してみたときの記録。壕側の西北面を
解体してますが地盤には損傷なく大丈夫、
石垣の根石部分は大丈夫…
と細かく細かくチェックしてるんですね。
日本人らしいなぁ。こゆとこ変わらないのかな。

P1010995

でも、積み方としては打込接から切込接に変えてるんですね。
現代人、とかく歴史が好きな人間にとっては、
オリジナルを大事にしなきゃ!って思うわけですが、
当時の人は最新の技術を以ってよりよくしようと考えて
最新の石積方法を取り入れたんでしょうねぇ。

これもまた現代に復元・再建する上で、ある種の示唆を
与えてくれるようにも思いました。

そして、工事のためにどのような作業スペースを
とったかという記録まで。ホントに改めて
記録の残り方がすごいですよね・・・名古屋城。

P1010991

そして天守の修理。傾いたのをただ起こすだけでなく
このタイミングでいろいろ修理や改変がなされていますね。

P1010997

初重のみ銅瓦葺で、二層~五層は本瓦葺だったのを
軽量化の意味も含めてすべて銅瓦葺にしたのは
知っていましたが、こんなにいろいろ改変されていたとは!

天守台石垣に明り取りの窓をつくってるんですねぇ・・・
そして窓子・引上戸ともに黒チャン塗!
江戸城寛永度天守と同じ!ほっほー!
ということは、窓の部分が少し黒かったわけですなぁ。

本瓦葺の修理前と銅瓦葺の修理後の様子の比較。
こりゃぁ、重みが違うわなぁという厚みの違いですね。

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屋根や千鳥破風も、一度金物を取り外し、
新たに仕立てた上で残らず銅板で覆って、
黒チャン塗にしているんですね。

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ということは、宝暦修理後の天守は修理前と同じく
かなり黒っぽい印象の天守だったのか・・!!

少なくとも、名古屋城大天守のRC再建のときは、
銅瓦葺の緑っぽい瓦だったわけですから、
焼失時にはその黒チャンがかなり剥がれていたのでしょう。

三浦先生が名古屋城は最初から銅の緑色をしていて、
あれはいかん・・・とおっしゃっていたのは、
こういうことだったのかもしれないですね・・・

こうしたことをお聴きするだけで、ずいぶんと
名古屋城大天守のイメージが変わってきますよね。

あくまで銅は防火や補強、軽量化のためであって、
あるべきカラーリングとしては黒の瓦と
白漆喰の壁だったのかもしれませんね。想像尽きない。

・・・ということで、麓先生のお話はここまで。
トリは建築といえば・・の三浦先生。

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