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江戸城本丸大広間 -権力の舞台装置-

東京文化財ウィーク2014の一環で江戸城の本丸御殿に
フォーカスを当てた企画展があると聞き、雨の中出陣。

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撮影は禁止でしたが、ゲットできた図面はがきを
参考にできました。

本丸御殿以外にも昌平黌の歴史や
その建築物の図面も多数ありますが、
やはりわたしの関心は、本丸御殿・・・

江戸の町は火事とは無縁ではないとは言いますが、
本丸御殿も例外ではありません。ただの年表だけなのですが、
こんなに焼失・再建を繰り返しているのか、と
わかっただけでも興味深いものでした。

①慶長創建

 … 家康の頃。これ天正~文禄の期間、つまり豊臣政権下の
   家康の江戸城はどんな建物があったか?は
   わからないんでしょうね。

②寛永改築

 … 二条城も寛永期改築入ってますが、江戸城も。
   慶長~元和に家康の江戸城天守が解体される過程で、
   本丸御殿も何らかの変化がありそうですけどね?

③寛永焼失~寛永再建

 … 明暦大火の前に一度焼失している本丸御殿。このときは
   天守は無事だったんでしょうかね。

④明暦焼失~万治再建

 … 明暦大火による焼失。このときは天守も焼失。

⑤天保焼失~弘化再建
 … 凸版印刷の江戸城DVDではこの弘化二年再建の
   本丸御殿をベースとしたCG再建になっていました。

⑥安政焼失~万延再建、文久焼失
 … 幕末に一度再建されていて、最後は本丸御殿がなく
   新政府軍に明け渡されました。本丸御殿どうやって
   解体したのかすごい疑問だったんですが、
   そもそもなかったんですね・・・

⑦西の丸仮御殿
 … 万延年間に再建された本丸御殿が焼失したあと、
   西の丸に仮御殿が造営されたそうですが、
   ここも大政奉還の二ヵ月後に焼失。
   この間は本丸は空っぽなんでしょうね・・・

ということで、仮御殿とはいえ最後に御殿があったのは、
西の丸だったわけですね。結果的に皇城として
押さえられたのが西の丸跡ということとも
関係があるのかもしれませんね。

隣には、大工頭を代々務めた家柄のひとつ、甲良家家系図が。
四代目宗員までは「宗」を通字にしていたのが、
5代目からは棟利と「棟」になっていて、
ちょうど将軍吉宗の時代とわかって
なるほどなるほど・・・と思ってみたり。

そんな甲良家に伝わる図面類は、非常に精巧かつ
多岐にわたっていて立面図も軒側妻側の立面図があるし、
各部分のパーツごとの詳細図なんかもあって、
ホントに(当たり前だが)つくるための
図面なんだな・・という現場感が伝わってくるんです。

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これが懸魚部分の詳細図。全体図にはない、
徳川葵も描かれています。

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平面図も通常とは逆の上を向いた図、つまり天井画の図面も。
格天井の様子などがわかる貴重な図面。
それに、駕籠台という車寄から駕籠に乗るための
橋渡しをする台まで図面があるんだよなぁ。

そして陰陽道に照らしてどうか?を示した本丸方位絵図。
やっぱりこういうとこ、気にしますよね・・とか。

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これだけあれば、本丸御殿の再建も夢ではないな・・・と
思わせる内容でした。天守再建に賛成なわたしですが
本丸御殿も続いてやるべき!との想いを新たにしましたよ。

本丸御殿は、凸版印刷のDVDの解説では将軍の代替わりなどに
増築改築がなされたようなことを言っていたけど、
ここでの解説では基本的に設計は変えずに、
以前のまま再建していた、とのこと。

というのも、規格化してすばやく立て直すことに加え、
建物の構造が礼式などの城内秩序と
密接にかかわっていたため、構造を変えられなかった
という理由。

なんとなく、後者のほうが理由としてうなずけます。
それでも家光なんかは改造したんでしょうけど、
まだ三代目ということもあるし、儀礼の様式が
まだ固まってなかったのかも。

そうそう、儀礼・・・というと今その様子が分かる
大きな論拠となるのが徳川盛世録。

これを記した市岡正一のコメントにちょっとウルッときた。
栄華を極めた江戸が消えゆき、今その事跡を記録する者が
いなくなれば、後世必ずその実態が分からなくに相違ない、
かつて幕府に仕え見聞少なくない自分が編述したかった…と。

同じような気概を名古屋城の全容を記した金城温古録を
生涯かけて記した奥村得義にも同じ思いを感じますね。

その他文献モノだと、幕末にスイス時計の売り込みに
やってきたエメー・アンベールの記した将軍と大名の謁見する
様子を記した画が興味深い。大広間に通されたんだろうな。

ちょうどいろんなところをじっくりじっくり見てると
学芸員さんの説明タイムに偶然遭遇。江戸城の図面に
西が上になっている図が多いのは、富士山を借景にきれいに
江戸城が見えるからだとか・・・・ほぅほぅ。

別の部屋では、本丸御殿の図面の紙の大きさを
体感できるコーナーや今年正月の本丸御殿BS放送の放映など。
見慣れた天守の図面もあったんですが、よくよく見ると
天守台に石狭間を見つけておおぅ…となったりとか。

スペースとしては広くはなかったですが、
かなり満足でした。無料でしたしね。

甲良家文書展とかやって一気に大放出!とか
やってくれないかな・・・一日中見てる自信あります(笑)

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