« 2014年10月 | トップページ | 2014年12月 »

2014年11月

名古屋城天守閣フォーラム④ - 千田学長 -

さて、千田先生。城好きの中では
高名な先生のおひとりですね。

P1010912

演題は「名古屋城の総合的な魅力をどう深めるのか」
バックはたぶん東南隅櫓からの天守ですね!
まだ本丸御殿着工前のようですね・・・

P1010910

千田先生のご指摘されているポイントは3つ。
どれも城好きには当たり前ですが、多くの城郭整備の議論では
あまりされてこなかったように思いますね。

P1010917

天守台を毀損しないでいかに天守を建てるか?
という方法論なども併せて今後議論していく必要が
あるように思います。

そして、総合的・・・というか天守だけに注目せず、
城の機能から見た全体像を魅力として押し出すこと、
これも重要ですね。なかなかこの指摘、されないんですよ。

個人的な思いとしては、単純に城郭全体の魅力・・
というだけではたぶん伝わらないと思うんですよね。

それこそ今朝ドラ「マッサン」でやっているみたいに
ウイスキーといえばピートの効いたウイスキーじゃないとと
マッサンみたいに頑なに、城は天守だけじゃなくて・・
とぼそぼそ言ったところで、受け入れる素地がないと、
マニアがなんか言ってるだけにしか受け取ってもらえない。

だからこそ、まずこういう影響力のある方が、
人の集まる場で言って頂くことは
大きな価値あることだと思いますね。

P1010919

建物が特に好きなわたしなので、建物だけでいいのか?
といわれて、今までであればなかなか首を縦には
振りづらいところがありましたが・・・

ある程度縄張思想を追いながら城を見ることが
できるようになると、城郭としてあるべき構造
という下地があって、より城郭建築を楽しめるのだ、
ということを感じています。

そのためには本丸角馬出など、防御思想を読み取れる点にも
フォーカスを当てることが必要ですよね。
文化的な点では本丸御殿がその責を担おうとしていますから
天守だけでは伝えられない魅力も含めて考えたいところ。

ただ、もうひとつ重要なこととして、
なぜ人は城といえば天守を指すのか?という点を
掘り下げて考えることとセットにすることがあると思います。

もちろん歴史的に戦後の復興ブームが一役かんでいることは
想像に難くないのですが、それだけではなく、
都市のシンボルになぜ建物が多いのか?といった
人の心理にまで掘り下げた考察がいると思うんですけどね。

というのはさておき、他にも魅力ありまっせ!という
石垣の一例として、加藤清正家臣の小代下総守の刻印。
こういう刻印探しなんかもちょっと背景を知ると
すんごい楽しいんですよね。

P1010921

これもたぶんパッと見ではわからないから、
来城者に判ってもらう工夫が要りますよね・・・・
熊本県人の皆さんには効果テキメンかな?(笑)

P1010925

縄張り。確かに名古屋城って縄張りよろしからず、
で有名ではあったけど、そう書いてあるからではなく、
より本質的に理解すると、徳川系の「誰でも守れる」
クセなく守れるという意味で近世城郭の到達点ですよね。

P1010929

名古屋市史で書いてるとはホントに自虐史観ですが(苦笑)
ちょっと思い直していただきたいものです。

千田先生の馬出解説。攻めるも守るも効率的、と。

P1010934

こうしてみると、馬出を活用してこう守れそう…
といろいろ想像が膨らみますね。山城や平山城だと
どうしても地形に依存する=地形を知らないと
効率的に守れないという点があるように思いますが、
すべてを人工で整えられる平城ならではの利点が
詰まった縄張りのひとつかもしれません。

その意味では中世城郭から始まった江戸城よりも
一から縄張りをした名古屋城のほうが、
ある観点では近世城郭の到達点といえるのかもしれません。
(那古野城はほとんど痕跡はないはず)

そして、他所にもあるよーの例として広島城二の丸。

P1010939

さらに例は世界へ・・・イギリスのメイドゥン・キャッスル。
こういうとこは発想は世界共通なんですなぁ。

P1010941

おお!ほんまや!というかむしろ丸馬出的な感じで、
勝手に武田臭を嗅ぎ取るなど・・・(例の病気)

P1010943

ロンドン塔の馬出。おおお!見事な丸馬出!
(趣旨が違ってきてる)

P1010946

こちらはフランスのカーン城の例。これも馬出か…
言われてみるとなるほどと思うけど、これだけ見せられたら
気づかないかもしれませんよね。

P1010949

本丸馬出の失われた経緯。大正時代に無くなってるんだ…
名古屋離宮だったのが災いした数少ない例かも。

明治30年代。

P1010952

大正天皇の即位礼後。礼の都合上埋めたんだな…

P1010954

今ではつながっているのですけど・・・

P1010955

こんな具合に壕があって、馬出になってたわけです。
ほぅほぅ・・・・

P1010957

そしてそういうコトを体感できるように、
VR(仮想現実)も使ったらいいんじゃないですか?
というご提案も。ベルギーの教会の例。

P1010959

それと日本からは高松城天守の例。これも外観写真が
ようやく出てきただけで設計図面はないですから、
なかなか難しく、VRに頼らざるを得ないですよね…

P1010962

そして、わたしも楽しんできた福岡城のVR
わたしは大雨でその場ではあまり見れませんでしたが、
すごくいい取り組みだと思います。

P1010965

名古屋城では、本丸南門あたりやってみては?
というご提案でした。しかしこの古写真はすごい・・・!!

P1010966

枡形をコの字に取り囲んだ多聞櫓!
強固なつくりですよね・・・

そして、西南隅櫓と天守に連なる多聞櫓の古写真。
多聞櫓自体ではそう珍しいものでもないですが、
あるのとないのとでは、威圧感が断然違いますね!

P1010967

わたしの考え方としては、史料があって復元可能な部分は
建築はもちろん、壕や石垣も復元してほしいとは
思ってはいますが(ただし焦らず着実に)、
過渡的にでもいいので、整備予定図をVRで表現するなど
すれば、今すぐにでも活用できる魅力upの策になりますね。

むしろ先行してVR化することで、お城に詳しくない方にも
具体的にイメージを持ってもらう機会にできそうです。

ということで、お次は文化財の保存修理がご専門の
麓教授のお話です。

blogramに参加してます。
ボタンを押してもらえるとうれしいですぅ。
blogram投票ボタン


| | コメント (0) | トラックバック (0)

名古屋城天守閣フォーラム③ - 安藤教授 -

続いては、安藤教授。農学博士でいらっしゃり、
木質材料学・木質構造学がご専門。
木材の可能性を幅広い視点から考察されておられるそう。

P1010884

どうでもいいですが、サラサラヘアーの真っ白な白髪。
けっこう憧れるのですよ・・・天然パーマである時点で、
わたしは絶対ムリだぁ・・・

閑話休題。

演題は「100年後に伝えるもの」

P1010888

まず最初に安藤さんが強調されたことは・・・
「新築」であるということ。

オリジナルの天守は焼失し、55年間RC天守が聳え、
史料はあるにしても、すぐ戦前のように国宝なるわけでも、
重要文化財になるわけでもない。
100年ほど経ってはじめてその価値が認められるもの。

未来に残す価値が何なのかを徹底的に議論する
必要性を説かれていました。いかに議論を巻き起こし、
そして集中させ、どうまとめ煮詰めていくか。
それには市民の力が必要だと・・・

安藤さんのお話はこちらに沿ってテーマをブレイクダウン。

P1010891

■名古屋城の史実

100年後に評価されることを考えるべきであって、
今のわたしたちが評価するものではないわけですよね。
子々孫々へ何を伝えられるかが問われているわけです。

今わたしたちが悩んで何を残そうとするか、
そういった過程もまた、名古屋城天守の歴史、
名古屋城の歴史、そして名古屋という都市の
1ページとして刻まれていくわけですよ。

焼失したのも、RC天守が建てられたのも大事な歴史。
それをしっかり受け止めて
今のわたしたちが何を伝えるのか・・・
何も江戸城と比較する必要はないわけです。

興味深いのは、歴史的価値という表現の中に
未来が志向されていたことですよね。これまったく以って
わたしも同じ感覚でいます。

歴史というと、過去のコトを想像しがちですけど、
時間軸は未来にだって広がっている。

過去の出来事に感動したり、感心したり、悲しんだり、
楽しませてもらったり。それは意図しないことだったかも
しれないけれど、先人が残した足跡を今享受してます。

でも、同じように今起きてる出来事も後世の人たちに
とっては同じ「歴史」の1ページになるわけで、
そうした人に何を残せるのかを考えるってすごく大事。

だから、徳川盛世録や金城温古録などを残した方の
気概に触れるとたまらなく感動するのです。
で、平成の世の日本人はどうするのか?
・・・・そういうところが問われているんでしょう。

もちろん、400年前の技術を伝えるという
木造建築の技術を100年後の世界に伝える。
文書上のものではなく、目の当たりにできるモノとして
伝えるという点も、後世の残す大きな価値のひとつですね。

■新築建造物の工学的評価

100年、いや少なくとも300年、400年と残していくために、
伝統工法を守るだけではなく、今の知識、今の技術をも
総動員してどう建てていくかを考えるべきというご指摘です。

たとえば、現代工学の知識から構造上の評価を行う
なんてなことも現代だからこそできることですね。

旧天守は確かに333年保ったわけだけど、それはどの程度
創建時に担保されていたか?というと…わかりませんよね。

実際宝永地震で傾き、宝暦大修理で事なきを得ましたが、
起きてからではなく、起きる前にシミュレーションできる
というのも、現代の知識や技術を反映させられる例かも?

これは、われわれの世代に課せられたチャレンジですよね。
復元でありながら、実は創造だと。文化財の復元は
ただ戻すだけではなく、こういう点に創造性があるのだと
改めて気づかされました。

今できる最高のものを。それこそ後世の人を
感動させる、価値を認めてもらえるするために、
必要なことだよなぁ・・・うん。

■用途・目標の設定

用途としては、今担っている天守が実現している
展望性や展示空間としての価値、あるいは体験空間の価値を
木造天守でどう実現するか、あるいはしないのか。

ソフトをきちっと考えるということですよね。
コンセプト設計に重きを置き、
コピーを超えた本物を目指すこと。
これこそが重要、というご指摘には諸手を挙げて賛成ですね。

例を挙げるのはどうかとも思いますが、たとえば
甲府城天守の再建運動などはこの辺が決定的に欠けてますし、
江戸城天守だってもっともっと煮詰めて、ベクトルを
あわせていく必要があると思います。そして名古屋城然り。

■RCから木造へ

P1010893

木材は思った以上に強かな材料だと
安藤さんはおっしゃいます。ちゃんと管理すれば…
という条件付でね。

建物として耐用年数300年くらいは保つとはいえ、
維持管理について、プロセス設計とスケジュールや
マイルストーンの策定といったプロマネ的な発想が
建てる前にも重要になってくるでしょうね。

そして、最後に欧州の木造建築活用の事例紹介。
ビルのように見えて、実は木造という。
木造回帰がある意味、世界的な潮流なのかもしれません。

P1010899

P1010903

P1010906

P1010907

10分そこそこのお話ではあったのですが、
非常に興味深い、また天守再建に重要な論点を
開陳されていたと思います。うん。

続いては、城好きには有名人で奈良大学学長でも
いらっしゃる千田先生のご指摘。これも城好きには常識でも、
天守や城郭復元の論議では、抜け落ちがちな点を
バシッとご指摘されていていましたよ。

blogramに参加してます。
ボタンを押してもらえるとうれしいですぅ。
blogram投票ボタン

| | コメント (0) | トラックバック (0)

名古屋城天守閣フォーラム② - 河村市長 -

続いてはパネリストの皆様によるプレゼンです。
トップバッターは河村市長。

P1010878

のっけから・・・東京オリンピックまでに再建するには
来年度早々には決定して手続きに入らないととか・・・

いや、だから東京オリンピックをマイルストーンに
置くのやめようよ・・将来にわたって永く伝えていく宝を
つくろうというんでしょ?そんな焦ってどうするのよ・・・

なんで東京オリンピック?と思ったら、江戸城。
江戸城天守再建が東京オリンピックまでになーんて、
言っちゃうものだから、河村市長の対抗心に火をつけて
しまったようです・・・あっちゃー。

江戸城についても、(2020年前後にできうるとしても)
わたしは東京オリンピックをターゲットに天守再建を
図るべきではないと考えています。ましてや、名古屋城をや。

いかん・・・これはいかん・・・
名古屋城総合事務所の皆様方が市長をどうどうどう・・
としていただけることを期待するしかないですね。

江戸城天守再建されたら、ますます東京の話ばっかり、
それでなくてもテレビは東京の話ばっかり・・で。
なんか大阪人以上に東京コンプレックスない?(苦笑)

江戸城には松の廊下があるんですよ・・・って、
今のところ(やらないとも言ってませんが)本丸御殿を
再建するとは言ってませんよね?とかツッコミどころ満載。
忠臣蔵と江戸城天守関係ないしね・・・(笑)

ということで、次は東京大学の安藤直人教授のお話。
わたしが考える城郭整備のあり方に近いところを
さまざまな例を使って、説得力あるお話を
されていたのが印象的でしたよ。

blogramに参加してます。
ボタンを押してもらえるとうれしいですぅ。
blogram投票ボタン

| | コメント (0) | トラックバック (0)

名古屋城天守閣フォーラム①

さて・・・9月の初めの頃。名古屋城西南隅櫓
見に行く前に名古屋を訪れました。

そのわけは・・・名古屋城天守閣フォーラム。
抽選ではあったのですが、市外県外のわたしにも当選!

141130_1159_001

木造復元を考えるということで、2012年の
シンポジウム
に続いての参加。江戸城に最も興味がある…
のではあるのですが、名古屋城も気になる存在。

極めて精緻かつ膨大な史料群をもつ名古屋城大天守。
天守整備のモデルケースにもなりうると思え、
江戸城に限らず、多くの他城の参考事例になると思いますね。

場所は名古屋城内三の丸跡にある名古屋市公館。

P1010854

いい位置をどどーんと取りますよ(笑)

P1010858

開会宣言は下山浩司所長から。史実に忠実な復元ができる
「唯一の」・・・は言いすぎでしょ(笑)

P1010860

その史料の正確さと圧倒的に膨大な量でズバ抜けているのは
認めますけどね・・・これはすごいもの。

続いて、総合事務所主幹の寺本秀樹氏から
これまでの名古屋城大天守の歩みを簡単におさらいです。

P1010864

やっぱり大天守の内部写真がよかったよね・・・
大天守一階西側の武者走り。西南隅櫓と比較すると、
圧倒的な天井の高さですよね。さすが天守。

P1010867

小さく釘隠しも見えますね。天守にあるのはさもありなん
という感じですが、西南隅櫓にも釘隠しがあったことを考えると
逆に西南隅櫓の格式の高さを感じますよね。
木材は巨大な木曽檜が中心で、無節の材が使われているそう。

こちらは四階の階段。四階でも階段が途中で折れ、
上層部でもかなりの天井高があるさまが想像できます。

P1010869

四階の西側千鳥破風内。しっかりと独立した
空間になっていて、ここに狙撃兵を配備できそうな。

P1010870

最上階五階西側武者走り。ここも釘隠しが見えますし
杉戸や障子戸も見え、さながら御殿の様相。
ここでも将軍や藩主が座することが想定されてそう。

P1010872

いやー、すばらしいですね。なんといっても、
江戸城と違い、古写真がそれも内部の写真が残されている
というのはものすごく大きなポイントだと思います!

その他、昭和の実測図のご紹介も。大天守だけで56枚、
小天守も15枚の図面が残されているそうです。
鯱や千鳥破風といったパーツごとの実測図も豊富。

改めて立面図をみると、千鳥破風の角度が
緩やかなことに気づかされます。
(写真は前シンポジウムで展示されていた拡大図)

P1090142

比較用に現天守。

P1090292

比翼千鳥破風はそうでもないですが、
東側四層の千鳥破風や南側二層の千鳥破風が、
現天守のそれと比べると緩やかですね。

これ、大阪城天守閣の当初意匠と現意匠にも
感じることなんですが、戦前戦後の時期はおおよそ外観復元を
するにしても、勾配が急になる傾向があるのでしょうかね?

やはり、城郭建築の美しさという意味では、
オリジナルの角度のほうが美しいと思いますがね…

現天守に関してはやはり耐震改修が必要みたいですが、
それでも延長できる想定期間は約40年。そして
すでに文化庁からは現天守相当のRC天守は認めないと
お達しが出ているそうで、その意味では江戸城以上に、
木造復元の是非は、名古屋城にとって喫緊の課題でしょう。

名古屋市民にとって、名古屋城大天守がない…
という名古屋城の有様は許せないのではないでしょうか?

ということで、木造再建のお見積もり(2012年度)ですが、
現天守の撤去費、天守台石垣修復工事費含めて、
国産無節材のみを用いると約400億円、
国産材(節あり含)で約320億円。
外材の場合で約270億円という試算が出ているようです。

一方、現天守の修復・耐震補強工事ですけど、
こちらが約29億円というお見積もり。

もちろん絶対額なら、修復工事のほうが安いわけですけど
たとえば1年あたりの額で考えると、

RC天守耐震補強   約7250万円/年
節あり材木造再建   約8000万円/年

ということで、若干木造天守が高め。しかし木造天守は
仮に400年としての計算なので、木造天守は400年どころか、
500年でも600年でも保つだろうということを考えると、
木造天守のほうが割安という見方もできます。

また、RCの補強は40年。40年経過以降をどうするか?
という問題もあります。また40年経過後同じ修繕をして、
永らえられるのか?という点にも、不安があるのでは
という気がしますね。

いずれにしても、両者とも長期的な修繕費を織り込んで、
超長期スパンで費用計算をする必要がありますよね。

さて、このあとはパネルディスカッションということで、
パネリストの皆様から10分程度のプレゼン。

blogramに参加してます。
ボタンを押してもらえるとうれしいですぅ。
blogram投票ボタン

| | コメント (0) | トラックバック (0)

THE NIKKA 40年。

時には清水の舞台から飛び降りる決意をするほど
贅沢をしたいときもある・・・

不肖わたくしめ、あのザ・ニッカ40年を購入して
しまいました。

P1040333

いつぞや、ニッカの山下元主席ブレンダーが
お金貯めておいて下さいねとおっしゃっていたのはこれか…と。

正直、竹鶴21年ポートウッドフィニッシュや
ノンチルフィルタードでは80年記念の大役にはちょっと…
と思っていましたが、まさかここまでとは・・・

このウイスキーをつくれて幸せでした、ということばが
記されている冊子が付属されていますが、
それは幸せだろうと・・・最高の仕事でしょう。

そしてそのニッカの集大成を手に入れてみたい・・・
幸か不幸か仕事しまくって、お金だけはある。
たまにはやらずに後悔するのではなく、
後悔するなら、やって後悔しよう・・・と。

自分の中で「大きな買い物をした」という実感が
ほしかったので、敢えてキャッシュで購入。
50万円という重みよ・・・

そして、持ち帰ってきました。専用箱入。

P1040319

側面。

P1040321

正面にびりびり・・とできるところがあるのですが、
長く保存するわけなので、もちろんNG。
てっぺんからテープを切って開封しましたぜ。

P1040323

ぱかーっ!

P1040324

出てきました。てけててっててー!
これでもまだ専用紙ケースにつつまれています。

P1040326

それを取ると・・・豪壮な木箱が現れます。

P1040335

ここを開けると・・!! でた!これがザ・ニッカ40年!

P1040329

取り出してみます。なんという濃い素敵な色・・・

P1040332

ということでここでおしまい。わたしが開けるのは、
40歳を迎えてからにします。それまでの辛抱・・

なんですが、さすがにBlog書くのにこれじゃぁねぇ
ということで、ニッカブレンダーズバーで、
頂いてまいりました。ハーフショットで15,000円。
これでもかなり良心的なほうかな・・・

P1040337

ニッカらしい甘い木香もするんですが、
すぐにひょっとしたらミズナラか・・
いやミズナラだ・・ミズナラミズナラ!
と経験したことのないニッカのミズナラが出てきました。

1945年の余市カスクはミズナラだとは思っていたのですが、
どうやら1969年の宮城峡カスクもミズナラという話。

いずれにしても、そんな大量ではないとは思うんですが、
実量以上にミズナラの存在感があるんですよ。

そしてミズナラの周りにに黒糖、チョコ、
シナモン、濃縮されたバニラ、プラム、
そして新樽由来のビターな鉛筆感・木造建築の甘さ。

わたしが好きな幸せな香りが圧倒的なボリュームで、
怒濤のように押し寄せる・・・これはすごい。

ハーフショットなので、あっという間ですけど
それでも1時間ほどかけてゆっくりゆっくり。
これをフルショットで開ける日が楽しみですね・・・

このウイスキー、この世に出るのに最低でも
40年かかっているわけですよね。
わたしも40年かけてじっくりじっくり頂きたいと思います。
一生、ウイスキーを飲めるからだでいる誓いを立てて。

blogramに参加してます。
ボタンを押してもらえるとうれしいですぅ。
blogram投票ボタン

| | コメント (2) | トラックバック (0)

名古屋城西南隅櫓。

さて、急いで新幹線に飛び乗って向かうは名古屋城。
大坂城と名古屋城を梯子するとはなかなかない経験(笑)

そう一日限定で公開される西南隅櫓を見るために…

P1040117

以前の姿を見るとかなりくたびれていましたから、
修理されてシャキッとした姿を見れてうれしいですねぇ。
2007年撮影。

westsouthyagura

ちょうと最上階がいい感じで窓が開いていて、
千鳥破風が鼻、唐破風がお髭みたいなゆるキャラに
見えてきたりもしましたよ(笑)

P1040120

入母屋破風や千鳥破風に白漆喰で点々と
付いているのが目に付きます。これは名古屋離宮時代に
濃尾地震で倒壊再建した際に補強された・・と聴きました。

しかし、東南隅櫓・西北隅櫓にも同様の構造があるようで、
創建当初からあって、変色して気づかないだけみたいですね。
(るーちんさん(@rootin902)撮影。感謝!)

東南隅櫓。

B2cvxfxccaexv0

西北隅櫓。

B2cvxggcuaaqhsx

そしてこの櫓、駿府城坤櫓の参考にもされているんですよね。

ちなみに瓦は皇室の菊花紋。江戸城富士見櫓と同じく、
倒壊した際(こちらは濃尾地震)に当時
名古屋離宮であったため、皇室の菊花紋に
置き換えられたのでしょうね。

それにしても、南面は千鳥破風に唐破風と
意匠が凝っています・・・が、内部構造を見ると
このデザインになるほどと思うんですよ。

こちらも大坂城同様、内側はのっぺりんこ。
右側に見える窓は後で意味がわかります。

P1040123

さて、一階。大坂城一番櫓と同じくこちらも天守構造。
東南隅櫓は憶えてないのですが、西北隅櫓
天守構造をしていましたね。

P1040125

一番櫓のときにみたいに雨は振ってなかったので、
そうも香りは立っていませんでしたが、少し漢方というか
シナモンというか、渋みのあるような木の香りでした。

P1040127

ポイントは障子が窓に用意されている点。
これはちょっと異質な感じですね。
しかし、こういう部屋割り再建櫓なら、
お泊りしたいよなぁ・・・部屋の仕切りもばっちりよね。

P1040129

窓のあるほうは比較的明るめ。

P1040240

ただ、一番櫓ほどの高さはなく・・むしろ、
比較して感じる一番櫓の高さを思い出していました。

南方の窓から見る本丸空壕。この角度から
見ることはそうそうないでしょう・・!!

P1040133

P1040136

これは補修のときの追加だな。けっこう傷んでたのか。

P1040235

二階への階段。櫓の隅に階段があり、かつ
櫓から入ってすぐのとこ、という点がちょっと
これまた異質な感じを受けたんですよね。

P1040141

二階上がってすぐ。かなり窓が閉まっていて、
薄暗い感じでした。が、それが画的には好い感じ・・・

P1040142

二階もあまり高くはないですね。

P1040219

斜めに嵌った材は、補修のときに据え付けられたのかも。

P1040223

石落とし。徳川系の櫓はいかにも・・目立つ感じの
石落としが多いですけど、ここもそんな感じ。

P1040145

P1040150

西側にももう一基。

P1040225

恒例の(?)瓦アップ。きれいになったねぇ。

P1040148

西側武者走り。西側にも石落としがあります。

P1040154

ただ、北側を見ると・・・行き止まり。
一応、ロの字型になっている二階なんですけど、
一階→二階の階段がちょうど一階の北東カドに
あるから、その部分には廊下つくれないわけですよ。

P1040157

その隣はすぐ三階への階段の横・・・ということは?

P1040159

そう、二階に上がったらすぐ隣に三階への階段。
なんでこんなに近いのか・・・・?

P1040164

三階に上がってすぐの北側の窓から見える天守。
入り口から見て不自然に開いてた窓です。

P1040168

これはベストショットですねぇ!こりゃええもん撮れた。

櫓内からみる漆喰の補強。これは東南隅櫓の例と
似たような使い方ですよね。

P1040171

もいっちょ。時間が経つと黒ずんでくるんだろな。

P1040172

間近でみるとより特徴的な姿が分かります。
黒い瓦に白い漆喰。姫路城の屋根目地漆喰とはまた
違った白をアクセントに使う方法。

P1040179

なんかめっちゃ撮りたくなって、無駄にボカしたり。

P1040181

瓦と瓦の間に見える銅板。これも天守に銅板葺をつかっている
名古屋城らしいと思ったポイント。

P1040184

「平成」の銘のある瓦。かなり取り替えられたんでしょう。

P1040175

内部にも驚くものがいっぱい。最上階だけ釘隠し。
こ、これは・・・御殿風ですね!

P1040173

しかも三階にも天井が備えられています。

P1040191

内部構造・・・階段上がってコの字型になってる部屋。
なんだかRPGのラスボスがいるような(笑)

P1040217

パノラマ的に正面から撮るとこんな感じ。

P1040213

P1040215

P1040216

そう・・・ここは藩主が座すことを想定されている櫓。
だから東側には通路がなくコの字型なのね。

畳を敷ける構造ではあるものの、杉戸などを設置できる
・・ような構造にはなってないのが、
あれ?という感じもしなくはないんですけどね。
常に居るわけではないから、省かれたのかな。

P1040269

小さな台のように見えるのは藩主の座所。
座って窓から眺められる高さにしてるんですってよ。

P1040266

この上に畳(と座布団とか?)を敷いてこの上に藩主が座った
そうですが、これ移動はどうすんでしょね?

天井部分もちょっと気持ち高めかな?

P1040200

外観の唐破風があるのも、櫓から入って階段が近いのも
藩主がお成りになる櫓ということでその特徴が
説明できるかなと思いますね。なるほど!

といっても、普段は本丸は藩主ですらも入ることはなく、
将軍家を迎える開かずの空間だったわけですけど。

長居して居座っているとボランティアガイドの方がたくさん!
勉強にこられているのかな。てことは今後も公開あり?

P1040273

そしてふと一人の方が足元を指された先を見ると・・!!
これは何か敷いてあった痕ですかね!

P1040276

もひとつ情報。一階に多聞櫓と接続していた扉がある…
ということで帰り際に見てみるとほら!ここだ!
こちらは北側の扉。

P1040250

外から見るとこんな感じ。

P1040280

東側にももうひとつ。

P1040251

外側。

P1040282

いやーしかし、こんなひとつの櫓で長居するのは
なかなかないですね!またそれに値するくらいの見所の
多い櫓でしたよ!ごちそうさま☆

P1040288

ということで、結局本丸御殿には今回も入らず・・・
今年相当名古屋に来てるんだけどな?

P1040281

正門から退出。

P1040289

義直さんに菊のお召し物。

P1040290

外から見ると、石垣の上に違和感のある空間が。
もともとは多聞櫓でがっちりと囲んでいたところを
江戸城の蓮池門を移築したからこうなってんだよね・・・

P1040292

櫓門としても銅板葺をつかっている門は江戸城や二条城で
名古屋城にはちょっと合わない感じもするよね。
戦火で焼失してるんだから、蓮池門ではなく元の多聞枡形を
復元してほしかった・・のは城好きのボヤキ。

さてぶらぶら・・・と地下鉄市役所駅まで。
おっと・・・第一・二城ねこ発見。

P1040294

なんとなく画的にきれいだなーと思った一枚。
石垣の交差するさま、土塁と葉の緑。
そして雨上がりの、なんともいえない空気感。

P1040300

逃げなかった第三城ねこ。

P1040302

二の丸大手枡形・二の門。不自然に高麗門だけ
残ってるんだな・・・

P1040304

枡形自体はばっちりちりちり。

P1040305

P1040306

P1040307

そして、市役所駅。高麗門っぽい入り口がナイス。

P1040311

市役所駅にある名古屋城図。本丸馬出なんかも
再現できるとホントはいいんだけどなぁ。

P1040316

名古屋駅に着いたら、最近いつもここで一杯やってる…
世界の山ちゃんの立ち飲み。ここ好き。

P1040317

・・・ということで、また名古屋来まーす!
(これの前の名古屋訪問、まだブログにしてない・・汗)

blogramに参加してます。
ボタンを押してもらえるとうれしいですぅ。
blogram投票ボタン

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大坂城一番櫓。

さて、翌日。大坂城に行くついでに、
NHK大阪放送局へ・・あった、マッサンポスター!

P1040001

エリーの笑顔にほこほこしながら、大手門に向かいます。
あ、あれ・・・高麗門が?

P1040003

ひょえー・・せっかくの大手門枡形がぁぁぁぁ・・・

P1040004

まぁ、しゃーないわなぁ・・というところで、
本日の隊長みかん閣下(@hutakigusa)と遭遇。

市多聞跡は近づくことさえ無理・・・

P1040005

ここであっぴん。(@gnippa)さんと初対面。
さっそく、じょ・・・というのは自己規制。

ほどなくすばるさん(@subaru208)と
のるんさん(@norun2014)もお越しになって、
いざ一番櫓にGoGo!

P1040008

裏側はのぺらーっとしてますよね(笑)
ホントはまだ10時前だったんですが、のるんさんの
押しの一手で目の前まで並べましたよ♪

わくわくわくわく・・・・

P1040009

一番櫓一番乗りじゃー!さっそく石狭間はお迎え!

P1040011

天井の高いこと・・・大坂城の櫓ではそうとう高いよね!
そして天守造りな武者走りを配した構造。

P1040014

んでね・・・雨の日の現存櫓のお楽しみ。
ものすごい木の香りの甘いこと甘いこと・・・・
その場で材に凭れ掛かってすーはーすーはーする勢い・・
でしたが、妙齢の女子を前にして
そんなはしたないことを・・・メッ。

ま、でも金沢城石川櫓でハッとしたときのように、
好みのウイスキーを頂いているような錯覚をするくらい
好みな香りに包まれた空間でした。

一番櫓の狭間からの眺め・・・ずきゅーん!

P1040015

もいっちょ♪

P1040018

内側にも漆喰を塗った仕様。

P1040020

床板も滑りにくくする工夫だとかなんだとか。
そもそもこの時代はこういう仕上げにもんじゃないかと?

P1040022

武者走りを撮る。こういうところで一晩を過ごしたい…
(真っ暗だけどいいの)

P1040034

一番櫓の解説。WWII直後の一番櫓が痛々しい・・・

P1040023

よくここから復活できたよね。うん。

P1040026

大正年間の一番櫓と二番櫓。
二番櫓再建できないかなぁ・・・

P1040025

瓦がチラホラ。取り替えられたもの・・・というより
これから取り替えられる瓦かな?

P1040040

宝篋印塔の一部っぽい石が・・・これ、大坂城の石垣の
栗石に使われていたというやつか・・・!!

P1040043

二階への階段。階高なだけに二段に折れてるのね・・
みたいみたいみたい・・・・!!

P1040047

という声もむなしく退散します。
いやー、足元は悪かったけど、この香りをいただけたのは
雨の日ならではでしたなーくしししし。

ということで、大手枡形へ戻って多聞と千貫櫓にも。
某フォロワーさんとここで狭間から枡形を眺めながら
酒を飲むBAR『枡形』があったらなぁ・・と(笑)

P1040055

しかし、この眺めではとてもや枡形を堪能はできない…
せっかくの大手枡形公開なのに・・ざむねむ。

P1040059

一度観ているので、流し気味に観ましたが、
それでもこれだけ大きな枡形櫓門はやっぱりしびれますね。

P1040063

多聞櫓を出たら千貫櫓との接続部分の塀から、
またまた狭間から狙い撃ちー☆

P1040065

こんな塀ですね。あ、かわいい傘のみかん女史が
写っておりますです(笑)

P1040067

石狭間。遺構としては江戸城、大坂城、岡山城に。
石をくり貫いた部分をつくるだけで、
外からすんごく見にくくなるんだよね、ホント。

P1040069

さて、千貫櫓。この部分の謎はいまだ謎…
せっかくだからものの上げ下ろししたいです…
ていうか、二階に上らせてぇ。

P1040072

階段を虎視眈々…(イケマセン)

P1040074

やはり狙い口としては千貫櫓のほうがいい感じ。
横矢の利かせ方が断然すばらしい。

P1040075

千貫櫓や大手枡形に大坂城鉄砲隊を配備して、
いっせいに大手口に連射するようなパフォーマンス
あったらおもしろいのになぁ・・・ダメ?

取り替えた材を絶賛放置中なわけですが・・・

P1040077

どうもこの懸魚も取り替えた材らしい。
とりあえず張っといたら箔が付くやろ的な?(笑)

P1040081

なんかこういう櫓の窓から屋根の一部だけが出てる
みたいな構図が好き。撮っても撮ってもまた撮っちゃう。

P1040087

滴水瓦から文字通り滴り落ちる雨水。ぽとぽと。

P1040091

さて、みかん隊長の先導の下、
もと大阪市立博物館のレストランへ☆

とちゅう桜門から本丸に向かってったわけですが、
こ、こ、これは・・・漆喰塗りたて?それとも?
少なくとも下部分は剥がれとるがな・・・

P1040094

もと大阪市立博物館。この建物に入るのは、
閉館間近で最後に入れる・・というとき以来だったかな?

P1040097

皆さんみんな城石(じょうせき)カレー!
確かにお肉やジャガイモや大坂城の石垣の石みたいに
ごろごろとでっかい!わほ!

P1040096

公開予定の豊臣期大坂城石垣の図。
石垣の位置より、愛すべき豊臣期大坂城天守をガン見。

P1040098

そして徳川大坂城の図。こちらはどっちかというと
天守よりも大手門、桜門ともに多聞櫓ガッチリですげー!
とか、三重櫓並びまくりの本丸すげーとかそっち。

P1040099

本丸きたので、金蔵にも行っとこう。
唯一残る幕府の金蔵、そして2回も破られている金蔵(笑)

P1040101

イメージ的には金蔵というか牢屋なんだよね。

P1040102

ぜひこの千両箱を模した貯金箱を作っていただきたい。
わたしはともかく・・・徳川好きのみかんさんが
買ってくださるはずだから(笑)

P1040105

ま、一応天守もぱしゃり。
銅瓦葺・・・白漆喰(的なコンクリ)・・ぶつぶつ。

P1040107

ということで、極楽橋方面から退城。
おみやげ物売ってた侍ミュージアム撮るの忘れてた。

でも、もと大阪市立博物館で買ったクリアファイルは
気に入ったぜ・・・なんとなくデフォルメ化されて
わたし個人的に気になる点を削ぎ落としてくれててね。

141116_2025_001

大阪城公園で出会ったこの天守も違った角度の
同じテイストのイラストでした。素敵。

P1040109

ということで、大阪駅で皆さんとお別れ。
まったねー!ということで一路、名古屋城に向かうのでした。

blogramに参加してます。
ボタンを押してもらえるとうれしいですぅ。
blogram投票ボタン


| | コメント (0) | トラックバック (0)

姫路城大天守のお姿だけちらり・・・+くろねこの巻。

さて、竹鶴家の食卓で美味しい後は一路姫路へ!
もうこの時間だと中には入れはしないのですが、
一部で白すぎ城と名高い(?)天守の様子を見ておこうと。

おーっ!しろーい!

P1030961

ちょいと角度を付けて・・・いいねいいね!
(声に出すと断然アブナイひと)

P1030965

これがまた少し暗くなってブルーモーメントになると
陰翳がついてさらに美しい姿に・・・!!

P1030982

正面の姿もいいぜよ!あまりテッカテカにせず、
程よいくらいの照明なのもうれしいところ。

P1030988

そんな大天守は3月27日にグランドオープン。
初日は混みますかね・・・4月は忙しいので、
行くとしたら3月のグランドオープンか、
GW以降になっちゃうかなぁ。

P1030990

こうしてみると、ホントオレオと生クリームの
ケーキみたいですね(笑)

さて、この後は前々から気になっていた
黒猫さんだけの猫カフェにちょっと入ってみるなど…

P1030992

黒が好きってのもあって、黒猫だけというのに
ちょっと興味がありましてね。どきどきしながら…
のわりに御猫様方は気だるい様子です。

P1030993

喧嘩の様子を生暖かく眺めたり・・・(笑)

P1030995

特にもふもふはしなかったのですが、
観ているだけで飽きないなー面白いなーと。
コーヒーでも飲みながら、ねこの生態観察の巻。

P1030999

ということで、翌日は50年ぶり?とも言われる
大坂城一番櫓に向けて出陣ですよー!

blogramに参加してます。
ボタンを押してもらえるとうれしいですぅ。
blogram投票ボタン

| | コメント (0) | トラックバック (0)

竹鶴家の食卓を直撃☆

ということで、リーガロイヤル京都。

開業45周年に合わせて、竹鶴リタが愛した食卓と題し
リタさんの愛したお食事をいただいてきました。

141116_2051_002

メニュー一覧。

141116_2051_001

前菜。オイルサーディンが美味かった!
・・のゆで卵の意匠にびっくり☆

P1030944

チキンスープ。どことなくスコッチブロスっぽいか?
ちょっと量は少なめでしたが優しいお味で癒されますね!
リタさんつくってそうな感じ。

P1030945

ちょうど今マッサンがパンを焼いていますが(笑)
ここのパンが美味しくてですね。しかもお代わり自由!
3回もお変わりしちゃいましたぜ。

P1030946

メインのリタ風シェバーズパイ。ビーフシチューを
グラタン風にチーズをかぶせて仕上げた感じ。
中にお肉がごろごろ・・やー美味しい!

P1030947

デザートはプディングケーキ。6ペンス銀貨と指貫の
エピソードで名前は知っていましたが、実物見るのは初めて。

P1030950

いわゆるプリン(Pudding)とは別物で、
すごい濃厚でねっとりした甘さのあるケーキですね。

これで3,000円は安いですね。うん。
まぁ、わたしは鶴2杯飲みながらだったので、
けっこうなお金しましたけどね(笑)

リタさん、ごちそうさまでした!
11/30までなので、関西にお住まいの方は是非に☆

さて、このあとは姫路にしゅつじーん!

blogramに参加してます。
ボタンを押してもらえるとうれしいですぅ。
blogram投票ボタン

| | コメント (0) | トラックバック (0)

彦根城・・・のかたっすかしorz

さて、先々週末の話をば。
ネタはいっぱい溜まってるんですけど、
どうしてもサクッと書ける話題から書いちゃいがち…

ということで最初に降り立ったのは彦根城。
彦根城フェスでやっているという模型展が気になって…

P1030850

何も朝食べずに出てきたので、近江牛コロッケでもむしゃり。

P1030853

二の丸佐和口多聞櫓。ええ枡形じゃのー。

P1030855

左手は現存で・・・

P1030859

右手がコンクリート造りの再建。開国記念館。

P1030858

んで、その開国記念館のこれを見に来たわけですが…

P1030860

とりあえずひこにゃん、超おくつろぎ。

P1030861

彦根に来ても赤備えってたらこれ撮るやろ(爆)

P1030863

井伊家臣団に山縣隊が加わった経緯とか
詳しく知りたくなりますねー。

さてさて、いよいよ例の模型観に行ったんですがね・・・
えーっとえーっと。うん、表現するのやめよう♪

でも、手前の部屋にあった彦根城全図の模型はなかなか
よくできていて見ごたえがありました♪
(今まで見てなかったんかい)

P1030866

近世的な二の丸と中世的な本丸が調和した
縄張りですよね~

P1030867

佐和口多聞の枡形の本来の姿もバッチリ~

P1030870

不勉強にしてわからないのだけど、藩士の屋敷跡には
しっかりと名前が書いてあるんですよね。
これ、山縣昌景隊旗下の兵卒の名前を知っていたら、
わぁぁぁぁぁ・・・・!!!となるのかもしれないよなぁ。

P1030871

模型が不発に終わったので、もすこし彦根城を
うろちょろすることに。腰巻石垣、最近けっこう好きなのよ。

P1030874

結局、佐和口二重櫓は入る時間なくスルー…

P1030875

タイミング悪く、彦根城博物館は休館(爆)

P1030878

ということで、彦根山登りますか。
石垣ええのー!

P1030881

天秤櫓下の空壕。石垣で覆われてはいますが、
中世城郭な雰囲気をよく感じ取れます。

P1030884

天秤櫓。色の違う石垣は後から補修された?

P1030888

東西で積み方が違うのも、後年崩れた際の補修の跡。

西側。

P1030889

東側。

P1030891

西側の二重櫓部分の裏。なんだか多聞櫓が
連結した隅に重層櫓があるのって、いいなって思うんです。

P1030893

天秤櫓内。高松城にも類例のある二層壁。
敵兵に迎える箇所は30cmほど厚くつくられています!

P1030894

窓から覗くと・・・敵兵を狙い撃ちにできる絶景(笑)

P1030897

右手が江戸、左手が京を向いて・・とあるけど、
長浜城大手門の移築とすると、移築時に
たまたまそうなっただけ?な気もしなくもない・・・・

P1030898

現存櫓ならでは絶景は見上げても。
このアングル好きだなー!

P1030903

好みの苔むした石垣を横目にさらに進む…

P1030905

太鼓門櫓からみる天守。角度つけたほうがきれいよね!

P1030910

逆方向から太鼓門櫓。

P1030912

天守を接近して・・・下見板と突上戸に注目☆

P1030914

が、天守はスルー・・・スマヌ。
今まであんまり見てないな?という気がする
西の丸三重櫓へ。

P1030921

直下がこんなズシャーと切られた大堀切☆
こういうとこも中世的ですよねぇ。

P1030922

P1030915

橋の右手にも堀切が続いていきます。

P1030916

その先竪堀が続いているのかな?

P1030917

橋を渡った馬出から。

P1030923

さて、内部も見せてもらえるそうなので遠慮なく。
やはり多聞櫓のカドに重層櫓・・・
ひょっこり頭が出るだけの二重櫓もいいけど、
スッと聳えている三重櫓はやはり壮観だね。

P1030924

こちらも敵兵に向く側が厚い壁になっておりますな。

P1030925

櫓一階からみる堀切と馬出・・・水鉄砲とかで
狙い撃ちしてみたい・・(届くのか?)

P1030927

P1030928

櫓って明かりを灯さないと窓からの光くらいしか
明かりがない・・・からこそ、
いい陰翳の写真が撮れたりするよね。

P1030932

柱まで塗りこめられている…ぬりぬり。
P1030934

二階からみるとかなり高い。そもそも石垣の高さが
けっこうあるもんね。

P1030935

三階はさすがにかなり小さい。けどこのくらいちょうど
シングルルームにはよいスペースですぞ・・・(こら)

P1030939

しかしあまり見る時間もなくなってきたので撤収!
また久しぶりにちゃんと見たいよ、彦根城!

P1030940

天守もまったねー!

P1030941

天秤櫓もどもでした。こうしてみると
後姿もよいなぁ。

P1030942

ということで、慌てて近江を出て上洛するのでした…

blogramに参加してます。
ボタンを押してもらえるとうれしいですぅ。
blogram投票ボタン

| | コメント (0) | トラックバック (0)

外交史料館「マッサン展」

江戸城本丸御殿にニヨニヨしながら見た後は、
外務省外交史料館にて、マッサン展。

P1030809

琥珀色の夢と青いバラの物語・・って、
青いバラって何を指しているのか分からないニブチン。

P1030810

フラッシュ撮影さえしなければ、
撮影OKなのもうれしいところですね!きゃほー!

しかもお手製のパンフ(しかもかなりページ数ある)まで!
スタッフの方々の苦労が伝わってきます。

141116_2049_001

もともとは幕末以来の外交史に関する資料の展示を
するところなので、通常展示はマッサンには
関係はないのですが、それでもスコットランドとの関係に
フォーカスを当てた展示もいろいろありましたよ。

日英修好通商条約の英国全権がスコットランド出身の
エルギン卿だとかね・・これは条約調印書。
日本側は花押を書いているところが興味深いですな。

P1030812

これ、実は火事の際に焼失を免れるため水をかけてしまい
このページのここまでしか開かないそうで、
写真での展示になっているそうです。

あとエルギン卿ときいたら、グレンエルギンを思い出して
なんとなくスコットランド?と思うのが
ウイスキー好きでしょうな(笑)

それからトーマス・グラバー。長崎のグラバー邸で有名ですが
薩長に手を貸したことが明治になって評価されて、
日本の勲章を受勲しているんですね・・・
このグラバーもスコットランド人。

山縣有朋が推薦者になっているんですが、文中で今では
普通「薩長」というところを「長薩」と書いていて、
ぷぷぷっと思ったのは言うまでもありません(笑)

絶対温度で知られるケルビン卿もスコットランド人。
多くの若い人材を日本に派遣したそうです。

政孝さんも学んだグラスゴー大学から招聘された
ヘンリー・ダイアーもスコットランド人で、
日本における西洋式技術教育の確立に大きく寄与。

P1030814

そのダイアーに学んだ渡邊嘉一は英国にわたり、
(1884年だから政孝さんより大先輩!)
英国で当時の建築の最高峰といわれたフォース鉄道橋の
完成に大きく寄与したのだそうです。

続いては昭和天皇の皇太子時代の渡欧の記録。
記念絵葉書が出たそうな・・・

P1030829

P1030815

凛々しい皇太子殿下。当時二十歳。

P1030826

訪問されたのは1921年。政孝さんは前年の1920年に
帰国していますので、裕仁親王殿下を出迎えることはなく。
エジンバラにもおいでになったそうなので、
もしまだ政孝さんがいらっしゃれば、お迎えに上がったかも?

逆に英国からも皇太子をお迎えしているみたいですね。
非常にこの頃まではよい関係であることが分かりますね。

P1030828

さーて、ここからが政孝さん登場!
外務省ならではの資料・・旅券発給記録から
竹鶴政孝その人を捜し当てたのです!

P1030831

渡航した年の1918年に渡航した記録380冊以上の
中から191冊目に名前を発見!すごい作業だ・・・!!
前日まで本物が展示されていたそうですが、
紙食い虫が出たそうで、一時避難(泣)

グラスゴー大学の夏期講座受講許可証。
記載された住所がカーカンテロフのリタさん宅で、
どうやら申請したのは1919年春らしい。

P1030841

ということは、すでに政孝さんはこの頃すでに
カウン家に厄介になっていたことになりますな。ほぅ。

リタさんの国籍変更の謎を解き明かす
英国総領事から外務大臣に当てた記録。
在倫敦矢田七太郎総領事より内田康哉外務大臣宛
公信通三送第95号『廣島縣人竹鶴政孝結婚証書送付ノ件』

P1030832

こちらも残念ながら紙食い虫のせいでコピーなのですが、
今の国籍法とは違い、来日してませんがこの証書を以って、
リタさんは英国国籍を失い、法律上も日本人に
なっていたんですね。

つまり、日本人男性と外国人女性が結婚すると、
手続きなく自動的に日本人になっていたのが当時。
初来日のリタさんのパスポートも英国日本領事館が
発給していたそうで、政孝さんのパスポートに
添付されていたとか。

P1030846

外務省の帰化外国人の記録を調べても、リタさんが
出てこない・・・・というので国籍の切り替わりについて
調べたらそういうことか!とわかったんだそう。

そして1925年の最初の里帰り。このとき、同時に
旅券申請しているが、先にリタさんが英国に入って、
後から政孝さんが追いかけるカタチ。

P1030833

というのも・・・政孝さんがリタさんにプレゼントした
洋書の政孝さんの記述から。マッサンと呼ばれていたとは
言われていますが、記録として残っている数少ない物的証拠。

P1030842

このときの発給記録もちゃーんとあります。
戸籍上は竹鶴ゼシーリタという名前のようですね。

P1030845

そして二度目の帰郷。このときには養子の房子、
鳥井信治郎の長男吉太郎を伴って渡英しています。
彼は間違いなく、壽屋の二代目を背負うべきだった人物。

P1030836

P1030837

帰国後33歳の若さで1940年に亡くなりますが、
彼が生きてそのまま2代目社長になっていれば、
サントリーとニッカの歴史も大きく変わっていたはず・・・!!

残念ながらこのときのパスポートは
いまだ発見されていないそう。

これより少しさかのぼること5年。東京日本和洋酒新聞に
政孝さんが寄稿した原稿が残っていました。
間違いなく壽屋の人間として…の竹鶴政孝です。

P1030835

おまけで札幌オリンピックのときの笠谷選手と政孝翁。
笠谷選手は余市郡仁木町生まれでニッカの所属。

P1030847

ちょっとぐったりした様子の政孝翁。
1972年ですから最晩年。少しお疲れですかね?
脇にある飲み物はニッカの水割りかな・・・!?

P1030848

まだまだ今も資料を捜索中で、来年5月まで
やってるそうですから、またふらっと行くと
史料が増えてるかも・・・と期待☆

blogramに参加してます。
ボタンを押してもらえるとうれしいですぅ。
blogram投票ボタン


| | コメント (0) | トラックバック (0)

江戸城本丸大広間 -権力の舞台装置-

東京文化財ウィーク2014の一環で江戸城の本丸御殿に
フォーカスを当てた企画展があると聞き、雨の中出陣。

141116_2030_003

撮影は禁止でしたが、ゲットできた図面はがきを
参考にできました。

本丸御殿以外にも昌平黌の歴史や
その建築物の図面も多数ありますが、
やはりわたしの関心は、本丸御殿・・・

江戸の町は火事とは無縁ではないとは言いますが、
本丸御殿も例外ではありません。ただの年表だけなのですが、
こんなに焼失・再建を繰り返しているのか、と
わかっただけでも興味深いものでした。

①慶長創建

 … 家康の頃。これ天正~文禄の期間、つまり豊臣政権下の
   家康の江戸城はどんな建物があったか?は
   わからないんでしょうね。

②寛永改築

 … 二条城も寛永期改築入ってますが、江戸城も。
   慶長~元和に家康の江戸城天守が解体される過程で、
   本丸御殿も何らかの変化がありそうですけどね?

③寛永焼失~寛永再建

 … 明暦大火の前に一度焼失している本丸御殿。このときは
   天守は無事だったんでしょうかね。

④明暦焼失~万治再建

 … 明暦大火による焼失。このときは天守も焼失。

⑤天保焼失~弘化再建
 … 凸版印刷の江戸城DVDではこの弘化二年再建の
   本丸御殿をベースとしたCG再建になっていました。

⑥安政焼失~万延再建、文久焼失
 … 幕末に一度再建されていて、最後は本丸御殿がなく
   新政府軍に明け渡されました。本丸御殿どうやって
   解体したのかすごい疑問だったんですが、
   そもそもなかったんですね・・・

⑦西の丸仮御殿
 … 万延年間に再建された本丸御殿が焼失したあと、
   西の丸に仮御殿が造営されたそうですが、
   ここも大政奉還の二ヵ月後に焼失。
   この間は本丸は空っぽなんでしょうね・・・

ということで、仮御殿とはいえ最後に御殿があったのは、
西の丸だったわけですね。結果的に皇城として
押さえられたのが西の丸跡ということとも
関係があるのかもしれませんね。

隣には、大工頭を代々務めた家柄のひとつ、甲良家家系図が。
四代目宗員までは「宗」を通字にしていたのが、
5代目からは棟利と「棟」になっていて、
ちょうど将軍吉宗の時代とわかって
なるほどなるほど・・・と思ってみたり。

そんな甲良家に伝わる図面類は、非常に精巧かつ
多岐にわたっていて立面図も軒側妻側の立面図があるし、
各部分のパーツごとの詳細図なんかもあって、
ホントに(当たり前だが)つくるための
図面なんだな・・という現場感が伝わってくるんです。

141116_2032_001

141116_2032_0013

これが懸魚部分の詳細図。全体図にはない、
徳川葵も描かれています。

141116_2032_0012

平面図も通常とは逆の上を向いた図、つまり天井画の図面も。
格天井の様子などがわかる貴重な図面。
それに、駕籠台という車寄から駕籠に乗るための
橋渡しをする台まで図面があるんだよなぁ。

そして陰陽道に照らしてどうか?を示した本丸方位絵図。
やっぱりこういうとこ、気にしますよね・・とか。

141116_2032_0011

これだけあれば、本丸御殿の再建も夢ではないな・・・と
思わせる内容でした。天守再建に賛成なわたしですが
本丸御殿も続いてやるべき!との想いを新たにしましたよ。

本丸御殿は、凸版印刷のDVDの解説では将軍の代替わりなどに
増築改築がなされたようなことを言っていたけど、
ここでの解説では基本的に設計は変えずに、
以前のまま再建していた、とのこと。

というのも、規格化してすばやく立て直すことに加え、
建物の構造が礼式などの城内秩序と
密接にかかわっていたため、構造を変えられなかった
という理由。

なんとなく、後者のほうが理由としてうなずけます。
それでも家光なんかは改造したんでしょうけど、
まだ三代目ということもあるし、儀礼の様式が
まだ固まってなかったのかも。

そうそう、儀礼・・・というと今その様子が分かる
大きな論拠となるのが徳川盛世録。

これを記した市岡正一のコメントにちょっとウルッときた。
栄華を極めた江戸が消えゆき、今その事跡を記録する者が
いなくなれば、後世必ずその実態が分からなくに相違ない、
かつて幕府に仕え見聞少なくない自分が編述したかった…と。

同じような気概を名古屋城の全容を記した金城温古録を
生涯かけて記した奥村得義にも同じ思いを感じますね。

その他文献モノだと、幕末にスイス時計の売り込みに
やってきたエメー・アンベールの記した将軍と大名の謁見する
様子を記した画が興味深い。大広間に通されたんだろうな。

ちょうどいろんなところをじっくりじっくり見てると
学芸員さんの説明タイムに偶然遭遇。江戸城の図面に
西が上になっている図が多いのは、富士山を借景にきれいに
江戸城が見えるからだとか・・・・ほぅほぅ。

別の部屋では、本丸御殿の図面の紙の大きさを
体感できるコーナーや今年正月の本丸御殿BS放送の放映など。
見慣れた天守の図面もあったんですが、よくよく見ると
天守台に石狭間を見つけておおぅ…となったりとか。

スペースとしては広くはなかったですが、
かなり満足でした。無料でしたしね。

甲良家文書展とかやって一気に大放出!とか
やってくれないかな・・・一日中見てる自信あります(笑)

blogramに参加してます。
ボタンを押してもらえるとうれしいですぅ。
blogram投票ボタン

| | コメント (0) | トラックバック (0)

江戸城外濠めぐり・・・再び。

まだまだ暑い8月の後半。お城好きの皆さんと
舟を借り切っての外濠めぐり。

2012年にも行っているんですが、このときは
ひとりで行ったので石垣だけをたくさんじっくり・・
とはいけませんでしたからね。

見知った方々に加え、城フェスVol3前に
初めてお会いした西股総生先生や城メグリストこと、
萩原さちこさんもお迎えして、超VIPな集まりに☆

ということで、早速日本橋の船着場からスタート!

P1010006

今回乗った「江戸東京号」は江戸東京再発見
コンソーシアムさん所有で、日本では数が少ない
という、電気ボートにて。小回りが利き静かなので、
石垣見学にはもってこいのお舟。

常盤橋御門・・・ですが、あまり撮れなかったなぁ。
まだまだ絶賛再建工事中。

P1010011

このナンバリングしてあるのは、コンピュータに登録して
位置情報を全部記録しておいて、ひとつひとつ外して
あとで元通りに構築していくんですね。

他の城郭でもそうしているようですが、石垣の職人さんが
肌感覚で・・というわけにはもういかないのでしょうね。

あちらは、明治になっての橋部分ですが、
川に架かる石橋としては日本最古のものだそうで、
1877年、ちょうど西南戦争の頃に架けられた橋。

P1010017

もちろん、あの石は江戸城の石垣の石なんです☆
組み上げたのは肥後の石工さんだそう。
ここの石組みも美しいそうですね・・・・

ま、でも江戸城の石垣のほうに興味津々。
あの隅石、矢穴の跡のようなそうでないような?

P1010012

石垣を熱心に観察される西股先生(笑)

P1010020

やっぱりこのくらいの時期の石垣が好きだよなぁ。
なかなか刻印はカメラに収められなかったけど。

P1010021

これは刻印つき。刻印だけじゃなくて、ハツリ飾りも
確認できて・・・ここのまでやるんだなぁと。

P1010027

一瞬、コンクリで固めてあるようなところでも
ちょっと石垣が残ってるだけでもうれしくなる!。

P1010003

けっこう石垣が残ってあるところと、
全面コンクリでバーンと塗りつぶしてあるところ
両方あるんですけど、これわざと残したのか?

・・・・ということで、調べられたそうなんですが、
特に石垣を残すようにという指示はなかったそう。
そこでこの整備を担当した会社、ひいては担当者の方が
一部壊してしまうのが忍びないと思ったのでは?
という推測をガイドさんはされておられましたね。

石垣残せや・・・と思うとともに、少しでも
残したほうがいいと思ってくださった方がおられたら、
感謝ですよね。今こうして見れるんだから。

こちらは神田鎌倉町と呼ばれたあたりの鎌倉河岸。
性格には荷揚場といわれ、武家関係の建築資材の荷揚げを
ここでやっていたということです。あとで上からも見学。

P1010034

上から。

P1010278

脇の石垣がそのままでないのは残念でしたが。

P1010279

神田橋御門跡。このあたりは神田橋から
見えなくもないんだけど、やはり陰で観にくいんですよね。
やはりこれくらいハッキリ見えるのは、舟ならでは。

P1010040

近くには常盤橋御門の石垣がチラホラ。
ここでもまだ足りず、公園を一時的に保管場所にしているとな。
ある種これも今だけの貴重なショット?

P1010045

この辺からたくさん石垣見えてくるんですが・・・・
ブッレブレで上げられる写真ないす・・・
錦橋~雉子橋あたりのよく石垣が残ってるところ。

これくらいかなぁ・・まともなのは。

P1010047

一ツ橋~雉子橋あたり、鉄橋の下にいい感じの
石垣が残ってるんですよね。このあたりが好き☆

P1010059

P1010061

P1010064

P1010065

P1010069

すごく残り方がきれいですよね。
ここの現場担当の方は石垣好きだったのかな・・・?

このあたりからは刻印タイム。どれだけ見つけられるか、
どれだけ撮れるかさながらゲームの様相(笑)

P1010083

P1010084

P1010085

P1010091

ここから雉子橋までの間、石垣下の化粧晩のパネルを
石垣的なデザインにしているんですよね。
こんなところにも人の想いが感じられるわけですね。

P1010094

アップ。なんかうれしいデザインですよね。

P1010100

そして、隅石を残してくれているあたりにも
配慮を感じるわけですよ。

P1010101

・・・さてここから先は石垣はありませんが、
江戸城の濠ではありますので、想像で補いながら、
どんどん進んでまいりましょう。

の前に大事なスポット。雉子橋は内濠と外濠が再接近し、
つながっていたポイントでもあって、向かって右側、
コンクリートの部分が内濠につながっていたそう!

P1010104

地上から再撮。欄干も当時のものだそうですよ?
埋まっているように見えて暗渠になって交流はあるみたい。

P1010246

さて、舟は堀留橋に差し掛かります。
もともとはこのようにつながっていたところを
江戸時代に長らく埋めていたところを
明治になって再掘削したんですね。

P1010106

その次に出てくるのが新川橋。
そう、新しく川になった部分に架かる橋。

P1010107

その先は、水道橋~飯田橋間の神田川に接続しています。
ちょうどこのあたりが小石川見附。

P1010109

てっちゃん垂涎らしい甲武鉄道時代の煉瓦積。
いえ、洋館も好きなので煉瓦にも萌えますよ?(笑)

P1010113

ちょうどこのあたりでごみの集積場があるそうで、
舟でトラック何倍分にもなるごみを運搬しているそうですが、
江戸時代にもこのあたりから汚物運搬していたそう。
こんなとこも、江戸~東京と変わらないものがあるんです。

さて、眼前には水道橋。といっても今の人を渡す
水道橋と江戸時代の水を渡した水道橋は位置が違うそうで。

P1010115

少し進むと分水路。上流での氾濫を抑えるために
ここで流れを二手に分け、一方を暗渠に通しています…
がこのあたりに水道橋があったそうですね。

P1010120

眼前では、御茶ノ水駅のバリアフリー化に向けて
工事が進んでいますが、往時は御茶ノ水渓谷と呼ばれ、
風光明媚なところだったそうな。

P1010118

江戸の人たちはこのような眺めを見て、
赤壁をイメージしていたそうですよ。
そう、あの赤壁合戦の!

P1010124

ということで、小赤壁とも呼ばれていたそうです。
(完全に風光明媚というより、連環の計とか想像・・笑)

ここを掘ったのは伊達政宗公ですよね。
だから仙台濠。俺だったら北側から攻められますぞ、
といって政宗公がここに掘らせてくれといったんだっけ。

というなかで「鉄」的な要素が出てくると、
うきゃぁぁぁとなる一同。何度ガイドさんに鉄ですよね?
といわれていたことか・・・(笑)

P1010132

鉄的要素を撮る人を撮る。

P1010135

ゴミ舟を撮る人を撮る。おつかれさまー♪

P1010139

おっちゃん手振ってくれた!

P1010141

・・・とそのとき、丸の内線が!
舟の上、やあのやあのと大騒ぎでした(笑)
あれ?今日江戸城の外濠の会では・・

P1010142

御茶ノ水駅の完全バリアフリー化の桟橋。
これも今だけの珍しいもの。ほほっ。

P1010147

建物がなく、資材を搬入できないことで、
川から搬入するウルトラC!

2020年に向けて御茶ノ水駅は大きく変わるそうで、
ホームを撮影しておくなら、今のうち!だそうですよ!

鋼ラーメン橋に総武線が走ってるところで
またもや歓声(笑)超真剣に撮ってる城メグさん!

P1010160

万世橋駅跡。今はマーチエキュート神田万世橋
以前は交通博物館だったとこですね。
なんとここも東京駅や大阪市中央公会堂と同じく、
辰野金吾の設計なんですね!辰野さんの洋館好き!

P1010168

さきほどの分水路はこの辺で終わりを迎えます。

P1010167

柳森神社。このあたりよく来ていたのに、
ぜんぜん由来知りませんでしたね・・・

P1010170

江戸名所・・なんですって、三森神社のひとつ、
杉森神社、烏森神社(新橋の!)。
別名玉輿神社というそうで、そわそわする一同(笑)

P1010173

カラスの行水中?いや風呂上りかな(笑)

さて左衛門橋を過ぎた頃から、屋形船がたくさん。

P1010174

き、き、金魚舟・・・あれ、夜に点灯してるらしい。
意外とこわいんじゃないかなぁ・・ははは。

P1010175

しかし、いいなぁ屋形船。一度乗ってみたいです。
このあたりは浅草橋御門もあたりですが、
江戸時代から舟遊びのスポットだったそうですね。

P1010176

ここから大海原・・・ではなく、隅田川。
やはり、揺れるんですねぇ。

左手には、竪川。運河のひとつ。
信号付いてるんだね。

P1010190

小名木川。家康の関東移封後最初の事業ですね。
行徳からの塩の道だったそう。

P1010199

現代に浮世絵師がいたら、ここで書くだろう・・・
とガイドさんがおっしゃる絶景。清洲橋越しに見る
スカイツリー!よくみえまっせ!

P1010213

さて、ここから日本橋川に戻りますよ。
湊橋。ここが湊というのは江戸湊の入り口に当たるんですね。
ここから先はもう海だったということです。

P1010216

レリーフがオサレっすなぁ。

左を向くと亀島川。往時はここが十字路に
なっていたんですな。

P1010218

鎧橋あたりまでくると、また煉瓦造りが
みえてきますねー!

P1010222

わずかながら石垣もあって、テンション↑

P1010223

江戸橋ジャンクション。ここもなぜか撮影する方多数。
城好きは土木好き・・・がここでも表出!

P1010229

左手には楓川(もみじがわ)があったそうで、
戦後に埋め立てられてしまっている。

この円いビルが楓川の川筋に沿って1930年に
建てられた三菱倉庫江戸橋倉庫ビル

P1010231

このアーチ上の部分、船着場として使われていたそう。
近代的になっても水運の街・江戸を感じることのできる
姿はまだまだ明治から昭和初期にはあったんですね。

P1010233

さって。日本橋に戻ってきましたよ。

P1010239

このあとちょっとだけ西股先生と城メグさんと別れ、
雉子橋のあたりや平川門などをぐるぐる。

先ほどの暗渠になってるという雉子橋跡。

P1010244

古地図を観ながら、枡形はこうあったのかなどと
サイガさんに解説していただきながら眺めてみる。

P1010247

そして平川門。

P1010252

外から見るとなかなか気付かない石狭間。
一見、狭間がないじゃーんと思いきや実はという(笑)

P1010251

神田橋御門を地上から。思った以上に常盤橋御門の石垣。
こんなにたくさんおいてあったのかー!

P1010256

往時の常盤橋御門。石垣しっかりあるから、
建てられないこともないよなぁ。

P1010264

とことこ歩いてると、公園を閉鎖して石垣の石を
置いている箇所がここだったと判明。すごい石の数ですよ!

P1010270

P1010271

このあと荷揚場を見たり、工事中の常盤橋御門を
隙間からちょっと見てみたりとか。

P1010283

一部、上から見下ろせるところもあったり。

P1010289

最後、東京駅近くの江戸城石垣の復元箇所も
偶然出会ったりして。こんなとこあったんだぁ・・・

P1010292

ということで、ここから飲み会にGo!
まぁ・・・・飲み会の内容は例によって覚えてませんが(汗)
城メグさんが「ウイスキーと言えばnikkoさん」と
うれしいことをおっしゃってくださっていたのは
よーく覚えてますよ(笑)

幹事のなっちさんはじめ、参加された皆さん
ありがとうございました!

やはりガイドさんが付いていたり、皆さんと行くと
いろんなところに目が行ったりするもんですよね。

blogramに参加してます。
ボタンを押してもらえるとうれしいですぅ。
blogram投票ボタン


| | コメント (2) | トラックバック (0)

柏ウイスキーフォーラム2014

さて、ウイスキーフォーラム
会場は今年からは結婚式場に変更。
マリアチャペルマリベール柏です。

P1003875

駅から送迎バスもあったようなんですけど、
時間もあることですし、えっちらおっちら歩いていきます。

おおー!柏城が見えてきたぞ(違)

P1020450

ちょうどカクテルコンペをやり始めたあたりで
着陣しました。ふふふ。

P1020457

作品の数々。カクテルは見た目の華やかさも
魅力のひとつなんだろうなぁ。

P1020469

さて、開会までには時間があるぞ・・・
というときにちょっとキツかったですねぇ。

コンビニはないし、水もウイスキーフォーラム本番から。
1Fのカフェは満席だし・・・のどが渇いても、
潤せるところがまったくなかったのが大変でしたね。

まぁそれだけクリアハイボールが美味しかった、
ということでもあるわけですがね・・・

さていよいよ開幕。飲むぞー。

P1020506

例年通り、イメージガールの方がお越しでした。
今年は岡愛恵さんとおっしゃいます。

P1020511

昨年の堀口ひかるさんは、twitterやってられたけど
岡さんはFacebookだけみたい。

フードはやはり、竹鶴づくし。
アサリの竹鶴蒸しに帆立貝の蒸し物~竹鶴の香り、
柏産地鶏と葱仕様の油淋鶏竹鶴風味、
銀カレイ西京焼竹鶴の香り・・・
そして、昨年もあった竹鶴醤油のお寿司。

P1020507

みんなフードに殺到するので、あまり食べられませんでしたが
まぁ、ハズレなく美味しいですわな。もう少しゆったり
できるといいんですがねぃ・・

会場で流されているビデオに、佐藤元マスターブレンダー発見!

P1020516

今回のいいところとしては、この限定グラスね。
1個は付いてくるのですが、500円で追加購入可能。

P1020601

これ、脚こそないのですけどいいカタチをしてて、
ウイスキーイベントのときの持ち歩きだとか、
スキットルに入れて旅にもっと行く際に
このグラスもあると、旅先でも香りをしっかり感じて
ウイスキーをいただけそうな気がしました☆

なぜか置いてあったオールドボトル。
飲ませてくれるわけではない・・・

P1020525

飲めるウイスキー自体は、余市12年、宮城峡12年、
ザニッカ12年、カフェモルト、ハイボール・・・
ということで、目だってすごいものはないんですけど。

とはいえ、柏工場イベントでは飲めないので、
柏でニッカ限定のお祭りということで、
気軽に参加できるイベントとして楽しむ分にはいいですね。

あ・・・!! とこんなところでも武田菱病の発作を
出しながら・・・(笑)

P1020526

無料のセミナーに参加してみます。
有料のティスティング30席ということもあって、
なかなか買えないのですよね。そんないざ!柏!
って駆けつけられないですし・・・

P1020527

本日の講師は本田雅之アンバサダー。
最近まで仙台ニッカサービスの社長をされていたそう。

P1020565

■政孝さんのエピソード■

余市に入社されたのは、昭和50年(1975年)。
かろうじて、政孝さんご存命の頃を知っておられるのね。
新入社員の頃に政孝さんが来られた際のパーティに参加とか!

歌を歌った本田さんに、手招きする政孝さん。
お前は何を勉強してきたか?をお聞きになったそう。
カイゼル髭でまぁ、怖かったそうです。だよなぁ。

でも、ニッカでも政孝さんと話したことのあるという、
数少ない方のようです。すげーすげー。

今話題の朝の連続テレビ小説「マッサン」でも、
政孝さん役の玉山さんに技術指導もされているそうで。
ブレンドの仕方やティスティングの方法など。

政孝さんのティスティングポーズをすると、
小指がぴょこぴょこ上がっちゃうらしくって。
そのシーンは放送はされていないようですね(笑)

この香りの感じ方ですけど、寒いスコットランドでは
手のぬくもりで暖めて香りを感じていたのではないか、
それを政孝さんが学んで、日本でもその方法を通していたのでは、
という話でした。どこまでもスコッチを師と仰ぐ、
竹鶴政孝という人の人となりを感じるエピソードです。

そういえば、実在の政孝夫婦との違いというと
身長差があるようですね。政孝さんとリタさんの写真、
座っている写真が多いそうなんです。

リタさんのほうが背が高いそうで、
それをカモフラージュするため・・・だったみたい。
こういうところでも負けずキライなのかな?<政孝さん
あとは、山高帽でごまかすとかね(笑)

政春さんとエリーさんは政春さんのほうが
高いですよね。まぁ、これはしゃーないでしょう。

そのほか、ゴルフもシングルの腕前だったリタさん、
到底かないっこない政孝さんは、ずっとゴルフを
しなかったんだそうですね。ふふふふ。

■政孝さんの経歴■

まぁ、このあたりはニッカラヴァーなら、
みな知っている話ではあるのですけど、
やっぱり、きっちりと壽屋の話、鳥井信治郎さんの話も
ちゃんと言及されるのはいいことだよね。

長男の吉太郎さんの話もされていたし、
日本のウイスキーの父として、
竹鶴・鳥井両氏を上げられてたましたからね。

芝川・加賀両氏と政孝さんをリタさんがつないだ
という話もいいよねー。

これがニッカ創業の大きな原動力となって、
ニッカVSサントリーの拮抗関係があってこその
ジャパニーズウイスキー史と考えると、
日本のウイスキーの母といっても過言ではない、
のかもしれませんね。うんうん。

■ウイスキーが北であるべき理由■

政孝さんがスコットランドにできるだけ近い環境で
つくるべきだとこだわったのは有名な話ですけど、
化学的な観点からも納得の行く理由があるようですね。

ひとつは吟醸香。フルーティな香りの元となる
成分みたいですが、北のほうにあるからこそ、
残りやすい・・・のだそうですよ。

P1020594

もうひとつがタンニン。お茶の成分としても
有名ですが、これを出しすぎない日本茶の淹れ方を
引き合いに出され、やはりタンニンを出しすぎない環境、
というのが大事なんじゃないか?とおっしゃってました。

P1020595

そして、余市で感じる磯の香り。
よく蒸留所そばの余市川にかかる余市橋から
磯の香りを感じるのが好きなのですけど、
この香りって、余市の原酒にも強く現れるものが
あってですね・・・という理由。

P1020596

実際に海藻やプランクトンから出るDMDS、
という成分が原酒の熟成途中に吸引することで、
原酒に香りが付くんですね。同じ磯の香りでも、
原酒を飲んだときに感じる磯の雰囲気と、
余市川で感じる香りって似ているんです。

宮城峡。緯度が高く落葉樹・針葉樹が多いわけですが、
ここも森林の香りの元になる成分が関係している
ってわけなんですね。ふむふむ。

P1020598

そして、この森の話ですが、柏工場の選定にも
関係しているそうです。麻布工場から移転させるに当たり、
柏の工業団地を紹介されたそうですが、こりゃダメじゃと。

そこで駅の西に森が残ってます、ここはどないですか?
と紹介されて、ここはいい!と(またもや)即決されたとか。
ここもまた、政孝さんが選んだ土地なんだなぁ。

ここでも宮城峡よろしく、木を伐ってはならんとの方針で、
つくられたのだそうですね。

P1020600

ウイスキーこそそう珍しいものを飲めるわけではないですが、
ニッカファンのお祭りと考えれば、なかなか楽しめます。

柏工場ではウイスキーはいただけないので、こちらのほうも
長く続いてほしいなぁと思うのでありました。

チケットもうちょっと簡単に買えるようには
なってほしいけどね・・東京の西の端に住んでるものには
購入はハードル高いっす(汗)

blogramに参加してます。
ボタンを押してもらえるとうれしいですぅ。
blogram投票ボタン

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年10月 | トップページ | 2014年12月 »