柏ウイスキーフォーラム・・の前の武田史跡。
金木犀って、どうやら二度咲きする?
ことがあるらしいですね。
9月の終わりに香ってきていいな・・
と思っていて、シーズン過ぎたなと思ったら、
また香ってきてうれしい今日この頃。
ネタはいろいろまだ残っていますが、
柏ウイスキーフォーラムの話。
・・・の前に、越谷の武田史跡へ。
そう、わたしもこんなところにあるの、
知らなくてですね。最近知ったばかり。
勝頼さんのお子、実は信勝さんのほかにもいらっしゃって、
そのお一人が尼崎の勝親さんなわけですけども、
もうひとり、越谷に逃げてきたというお子さんがいるんです。
その名は武田千徳丸。千徳丸というお名前からも
分かる通り、元服される前にお亡くなりになっているのです。
越谷に降りたって、金木犀をみつけるなど。
金木犀の枝の隙間から光が差し込む。
照蓮院に眠っておられます。越谷駅から歩いてすぐ。
本堂のそばに解説がありました。なになに…
かの有名な二十四将に名を連ねる秋山伯耆守虎繁の孫、
秋山信藤の子である秋山長慶が千徳丸を伴って、
ここ越谷の瓦曽根村に隠棲していたそうです。
しかし千徳丸は早世、嘆き悲しんだ長慶は
ここ照蓮院の住職となって、その菩提を弔ったとか。
どんな子だったのかなぁ・・・気になる。
そして、1637年(寛永14年)に御湯殿山千徳丸と
刻まれた五輪塔が建てられたのだそうです。
武田家の滅亡が1582年。1637年は55年後。
ということを考えると、勝手な推測ですが五十遠忌の後、
つくられたのかもしれません。
と考えると、没年の四十九年後になるはずですから、
千徳丸さんはわずか数歳、幼児の頃に
亡くなっていることになります。うううっ…
寛永十四年 故
御湯殿山千徳丸為
●七月十五日
とありますね。拡大。
背後には、近年建てられた史蹟の碑。
秋山家累代の墓が千徳丸供養塔を囲みます。
いまだにお守りされているようで、感慨深いです。
近年の秋山さんのお墓には略歴を記した
碑もあったりして、非常にありがたいですね。
その脇にあった「終始一貫」の碑。
その意図は正確には分かりませんが、ずっと
千徳丸さんの菩提を弔ってきた秋山家の皆さんの
心情を言い表すかのようでした。
さて、武田家充したあとは、柏に向かって、
今度はニッカ充してきますぜ。
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