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2014年10月

柏ウイスキーフォーラム・・の前の武田史跡。

金木犀って、どうやら二度咲きする?
ことがあるらしいですね。

9月の終わりに香ってきていいな・・
と思っていて、シーズン過ぎたなと思ったら、
また香ってきてうれしい今日この頃。

ネタはいろいろまだ残っていますが、
柏ウイスキーフォーラムの話。

・・・の前に、越谷の武田史跡へ。
そう、わたしもこんなところにあるの、
知らなくてですね。最近知ったばかり。

勝頼さんのお子、実は信勝さんのほかにもいらっしゃって、
そのお一人が尼崎の勝親さんなわけですけども、
もうひとり、越谷に逃げてきたというお子さんがいるんです。

その名は武田千徳丸。千徳丸というお名前からも
分かる通り、元服される前にお亡くなりになっているのです。

越谷に降りたって、金木犀をみつけるなど。
金木犀の枝の隙間から光が差し込む。

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照蓮院に眠っておられます。越谷駅から歩いてすぐ。

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本堂のそばに解説がありました。なになに…
かの有名な二十四将に名を連ねる秋山伯耆守虎繁の孫、
秋山信藤の子である秋山長慶が千徳丸を伴って、
ここ越谷の瓦曽根村に隠棲していたそうです。

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しかし千徳丸は早世、嘆き悲しんだ長慶は
ここ照蓮院の住職となって、その菩提を弔ったとか。
どんな子だったのかなぁ・・・気になる。

そして、1637年(寛永14年)に御湯殿山千徳丸と
刻まれた五輪塔が建てられたのだそうです。

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武田家の滅亡が1582年。1637年は55年後。
ということを考えると、勝手な推測ですが五十遠忌の後、
つくられたのかもしれません。

と考えると、没年の四十九年後になるはずですから、
千徳丸さんはわずか数歳、幼児の頃に
亡くなっていることになります。うううっ…

寛永十四年 故
御湯殿山千徳丸為
●七月十五日

とありますね。拡大。

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背後には、近年建てられた史蹟の碑。

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秋山家累代の墓が千徳丸供養塔を囲みます。
いまだにお守りされているようで、感慨深いです。

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近年の秋山さんのお墓には略歴を記した
碑もあったりして、非常にありがたいですね。

その脇にあった「終始一貫」の碑。
その意図は正確には分かりませんが、ずっと
千徳丸さんの菩提を弔ってきた秋山家の皆さんの
心情を言い表すかのようでした。

さて、武田家充したあとは、柏に向かって、
今度はニッカ充してきますぜ。

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上田真田まつり 2014 2日目(2)

さて、合戦劇。

昨年は第一次上田合戦でしたが、大坂の陣400年の
今年はもちろん大坂の陣。真田丸を中心とした
大坂城攻防戦がテーマになっていましたじょ。

合戦劇の全貌は、Youtubeに上がっているので、
ぜひご覧いただきたいところ。

スタンバイ中の井伊さん。わたしにとっては、
山縣三郎兵衛にしか見えないことは言うまでもない(笑)

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さていよいよ・・・・!!

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怪しすぎる集団(笑)

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小助どののかっこよさの反則ぶり・・・
幸村さんを凌ぐかっこよさ。しびれるわ・・・

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昨年、第一次上田合戦で信幸役だった方だな。
今年は老獪な家康役。家康さんにしてはお髭が・・(笑)

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大坂城内の秀頼謁見の図。
秀頼さんが凛々しい若殿でいい感じだったなぁ。

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あとは、後藤又兵衛基次と長宗我部盛親の両名ね。
お茶々様は、ステレオタイプな感じなんだかなー
という感じはちょっとしましたけど。

真田丸つくっちゃおうぜーの密談中。

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あいだあいだに入る太鼓が楽しそう♪

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兵卒の酒宴に乗り込んでくる幸村さん。
あぁ、焼酎好きですもんね・・・(笑)

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楽しい酔っ払い♪

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酔っ払ってる間に内通の嫌疑が・・・
秀頼坊ちゃまに弁明の図。

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真田丸を目にして、大御所イライラの図(笑)

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徳川軍に投石(カラーボール)で先制攻撃の図。
楽しそう!やれやれー!

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おらおらー!

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そして待ってました、真田鉄砲隊、
真田丸からの一斉射撃。どぱぱぱぱぱぱぱーん!

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真田幸村となって暴れてくるぜ!by 小助

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観客がいっせいにテープを投げるような参加型の
場面もあったりしていいっすね!
これで真田軍を勇気付けるのじゃぁ!

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徳川諸将との一騎打ち!
山縣さーん(だから違うというに)

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二将を相手にする幸村さん!がんばー!

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幸昌(大助)くんも凛々しい殺陣!かっこかわいい!

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徳川軍が撤退していきます!
どうだ、真田のチカラ思い知ったかぁ!
流し目がキマっている小助さん☆

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勝鬨じゃぁ!

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・・・と沸く真田軍に怪しい武者が襲い掛かる!

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徳川方のちょいワルオヤジ・真田信尹おじさん!
わっるいカオしてるなー、超悪役顔(笑)

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信濃一国を以って誘降交渉中。竜王の手口?(笑)

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もちろん、そんなもんには応じません!
紅き烈風が駆け抜ける・・・その風の名は・・・
真田・・幸村!どーーん!と締め!

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合戦劇の終わった後は、恒例?の餅配り。
子供たちにお持ちを素敵な笑顔で配る小助どの。

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大人たちには、ほぅれとつかみ取り!
わたしも首尾よくきゃーっち!

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今年は帰陣も隊列を整えて・・・お疲れさまでした!

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しかし、小助さんかっこよかったなぁ・・・
ということでもう一枚。よっ、ぶらぼー☆

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さて・・・・今回上田に来て何回食べてるんだ?
というくらいですが、さらに美味だれ焼き鳥を
もぐもぐして帰路につきます・・・

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また、焼き鳥食べに上田寄ろう(笑)
あ、お味噌もね☆

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上田真田まつり 2014 2日目(1)

さて、2日目。昨年は鉄砲隊があまりよく見えなかったので
今年は鉄砲隊をしっかるみるぞと意気込みました!

こんなミニ幟も。そう400年なんだよね。
大坂ではたいそう盛り上がってみるみたいですけど。

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ステージに向かって左手、櫓門前に着陣。

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なにやら現代的なマシンに乗って
登場するお囃子隊。

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お祭りにはおみこしは欠かせませんな!
真田神社の神輿。おっちゃんの絶妙な腰捌き(笑)

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鉄砲隊重視なので、ステージは遠いんだよねぃ。

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それでも、房山獅子なんとか撮れたぜー!

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まもなく櫓門から鉄砲隊が登場!ひゃっはー!

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一堂零!いやいや・・・一同、礼!

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一斉砲撃・・はなてぇぇぇぇ!!
イヤー迫力あるなぁ。この席でよかった!

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そして鉄砲の硝煙香ね!花火と同じなんだけど、
この匂いけっこう好きなんですよね!変?(笑)
あまり画像はよろしくないですが、動画もどぞ!

釣瓶撃ちもしっかり拝見!

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馬上ではないですが、馬上筒の披露も!
やったー!構える姿が刑事さんみたい(笑)

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さて、幸隆さん昌幸さんがステージにお越しになります。

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前日にいろいろお話を伺った真田徹氏。
登り梯子の鎧いいなぁ・・・

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もし自分で甲冑を誂えるなら、
胸には登り梯子をデザインしたいですねぇ。

え?なぜかって?そりゃぁ・・信玄公のお墨付きあって
初めて付けられる印だからですよ。
今の御宗家にお許しいただいたら付けていいかな?(笑)

閑話休題。

今年の幸村さん。ちょっと歌舞伎役者というか、
バルログというかセフィロスというか、
京本政樹的な感じのかっこよさのある方ですね(笑)

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地元からたくさんの応援団の方がこられてたのも
印象的でしたね。応援団みつけて会釈する幸村さん。

小助どの。これまた昨年に続き凛々しい方よの…

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ステージで天を仰ぎ見る幸村さん。
毎年毎年その人独自の演出があるんでしょうな。

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さて、いったん城内に退かれた後に
改めて真田軍の行進開始です!

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十勇士の皆さん方は、昨年から引き続き…かな?

あらためて小助どの。ポニーテールされてたので、
FF6ティナにげんじのよろいを装備させたら
こんな感じかな…などと思っていたのは内緒(笑)

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真田鉄砲隊の面々。やっぱり行列はちょっと
撮りにくいのぅ。

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あ、またこの方・・・前々週には幸隆さんに
なって甲府にいた
と思ったら・・(笑)

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そして、幸村さんが馬に乗って登場!
画になるなぁ・・・!!

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満面の笑みの昌幸さん(真田徹さん)
ええ顔したはるな!超ご満悦。

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奥方様もいい感じですね。昌幸夫人は
昨年通り小日向えりさんでしたが、
幸隆・幸村夫人は公募なんですかね?

幸村夫人。
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昌幸夫人のえりさん。

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幸隆夫人。

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かわいらしいエイエイオーがあったり…

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たけ・・い、いや真田騎馬軍団がいたり…

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というところは昨年同様のようです。
さて、美味だれ焼き鳥をかっ食らって、
合戦劇会場に急行だぁ!

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上田真田まつり 2014 1日目

まだ4月の話が残っていると思うと、軽く絶望感が
あるのですが・・・まぁめげずに書いていきます(笑)

昨年参加してなかなか楽しかった上田真田まつり
今年も参加することにしてみましたよ!

前日入りして翌日朝からミッチリ上田で行動。
前回もお世話になった朝から美味だれ焼き鳥味わえる
えんさんへ。いやー助かるなぁ。

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朝ごはん・・に焼き鳥もりもり。
朝からにんにくバリバリ。ふふっ♪

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お冷のグラスがNIKKAでしたぁ☆

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そして朝ごはんを頂いた後は、ここから近い
武田味噌さんへ。毎回通ってますね・・・(笑)

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今回はちょっと多めの1kg寒仕込。
これでお味噌汁やお酒のおつまみに・・!!

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しかし、最近はあまりお付き合いがない
ということですけど、武田家旧温会に参加してくださったら
おもしろいのになぁなんて思っています。

旧温会の方々とつながりも出来たし、
ちょっとお声掛けしてみようかしらん??

講演会も興味あったけど、時間的に難しいのでパス。
さくさくっと上田城を見て廻ります。二の丸壕。

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壕の残り方がホント素敵だよなぁ。
ちゃんと活用もされてて、壕が活きていますモンね。

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あら、あんなところに武田菱。
電柱広告だされていたんですね☆

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個人的にあんましこういうのしないんだけど、
上田のコレだけは一度やってみたいとは思ってる…
もちろん、昌幸さん一択!

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真田神社にお詣り。お守り返納するの忘れた…

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本丸の鬼門除の切欠。そういえば上田城も本丸が方形。
方形の本丸になんか意味を見出しちゃいそう。

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向かった先は、何度も上田に来ていて
一度も行っていない上田市立博物館。

佩楯に大きく六連銭が配されたあの昌幸さんの
啄木糸威伊予札胴具足が見れてホクホク。
昇梯子の具足といい、よい甲冑もってらっしゃるねぇ。

上田城に関するネタとしては、豊臣金箔瓦グループ
としての上田城の話がおもしろい。

本丸だけでなく、二の丸からも金箔瓦が出土とかだったそう。
昌幸さんが整備して二次上田合戦の戦い抜いた上田城は、
天守こそないけど、城郭建築がひしめく城だったのかもね。

それに金箔瓦って豊臣城郭って、豊臣政権から見て
重要かつ秀吉にとって心理的に近しい・・ような気がするので
昌幸と秀吉の人間関係の距離感の近しさなんかも
見て取れるのかもしれないなーなどと思ったり。

あと、武田二十四将図があればやっぱ注目してしまう性。
江戸後期の歌川芳虎作のがかっこいい。
信玄公中心に縦ではなく横に広がる構図で、
なんだか現代的な感じさえしました。うん。

諸将武勇競という江戸後期の戦国武将人気ランキングも
なかなか興味深いところ。大関は信玄&謙信コンビ。
関脇が毛利元就に北条氏康…真田昌幸は前頭二枚目。

信長は差添、秀吉は行司で別格扱い。
神君はー?と訊くのは野暮ですね(笑)

さて、信之さんの屋敷跡の土塁を横目で見ながら、
上田で有名なお蕎麦屋さん刀屋さんへ。

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量が多い多い・・とは聞いていましたが、
確かに多めではありますね。あんまし腹減ってないと、
食べられないかも・・ということで真田そば☆

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真田の所以であろうなめこが4つしなくて、
四連銭だったのは。。まぁご愛嬌(笑)

しかし、味噌で頂くそばの美味いこと美味いこと。
もちろんそばそのものも美味しいのですが、
味噌と合うなーということが発見でした。

他でも味噌で頂くそばがあればいいのにと思うほど、
かなり気に入っちゃいましたね。ごちそうさまでした!

こちらの後は、対談・真田の部屋。
おしゃべり好きの真田さんがかなりお話されていた
印象ですけど、いろいろ興味深いところがたくさん。

上田真田まつり2014/真田の部屋①山田順子氏×真田徹氏

海野氏から続く系図の話。まぁ真田さんもおっしゃるように
別格な家柄を除けば、出自は曖昧なものものではありますが、
系図ってやっぱり歴史が詰まってるなーと思うわけです。

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そして、幸村(信繁)さんのお子さん方。
かなり知っているつもりでしたが、こんなにいるのかー!
娘さんはあまり知らないかもなー。

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そのほかいろいろ興味深い話題も。

■ことばのお話■

時代考証家の山田順子氏を招いて、ということなので、
どのようにその時代っぽく見せるか?という話から、
幸村さんは関西弁だったんじゃね?みたいな話に・・(笑)

たぶん皆さん訛りはいっぱいあっただろうなーと思いますね。
江戸時代になると、大名家老クラスはともかく、
藩士レベルではなかなか諸国を出歩くことは許されないから、
何かに付け、諸国で人の動きのあった戦国時代のほうが、
いろんなことばが入り乱れていたんだろうな、と想像。

そして、山田氏から能のことばがちょうど戦国時代の標準
とのお話があってなるほどなーっと。こういうので、
他国でも通じることばを勉強するんだね。

これに対して、江戸の伊達藩屋敷で江戸詰藩士の話。
江戸の人と接しないということもあって、
屋敷内では、伊達ことばが飛び交ってたんですねぇ。

■人質のお話■

幸村さんの人質生活は?というところで、
どういうところに人質に行くかという運もあるよね、と。

真田家は武田家に仕官していて、人質に対して
きっちり目のある人材は教育して戦力にしていく、
という信玄公の方針があったのも、運がよかった?
という話にとりあえず、ニヤリとするわな(笑)

・・・というところから、真田さんの信玄公トーク。
真田さん、信玄公がたいそうお好きなようで、
以前の武田御宗家とのトークイベントでも、
信玄公のカリスマについて、言及されてましたよね。

真田さんはともかくとして、多くの武将の話をしてても
信玄公だけは常に敬称付なのが印象的でした。

女将から武田家の方々とお付き合いあるんですか・・
と聞かれ、ない。では、仙台のほうは・・・ない。
もちょっと大事にしましょうよ!とツッコまれてましたが、
たぶん武田家旧温会の皆さん、暖かく迎えてくれるはず!

以前、とある方とお話した際に、旧温会って、
真田関連の方がいらっしゃらないようなこともお伺いしたし。

ただ、元領地のお百姓さんがお米数十キロ
送ってこられるとか?で、まるで年貢ですよね・・には爆笑。

お父上の時代には、松代の真田さんや小山田さん
とのお付き合いもあったそうな・・・って、
またお付き合いが復活するといいなぁなどと思いながら。

徳川恒孝さんとの話はおもしろかったなー。
お互い親しくされていたりとか。また武田の御宗家も
交えながら、お話していただきたいものです。
宗家も徳川さんと親しいみたいですしね!

この後もトークは続き、幸村さんはなんで大坂城に
入城する気になったんだろうとか、
まぁ、真田さんの分析ではありますが、
あるかもしれないなーと聴いていて、なるほどねぇ、と。

■片倉小十郎に阿梅さんを預ける話

敗戦を意識する頃、片倉小十郎を見込んで…という
ことにはなっているものの、事前に密約があったんじゃ?
という真田さんの持論を展開されてて、一次資料はあるの?
というとないわけですが、けっこう興味深く拝聴。

徳川をひっくり返さんと狙う策士政宗、
家康の首さえ取れれば、後は何とでもなる…ということで、
幸村さんに首とってよーとお願い。

もし取れなかったら、じゃー子供は面倒見るぜと。
まぁ、そういうこともありえるかなぁ。うんうん。

実際、相当の子を養ってますからね、伊達家。
明石全登の子の話されてましたが、武田家もお世話に
なっているんですよね。他にいるかな?

上田真田まつり2014/対談 真田の部屋② 海道龍一朗氏×真田徹氏

■上田城築城のカネは誰が出したのか・・・

海道先生を交えた話は、上田城築城のカネは誰が出したのか?
というところからスタート。天正壬午のドサクサで
家康からカネふんだくって、建ててますよねーっと(笑)

家康さんにここにつくっていっすか?ってお伺いを
建ててるんですねー!上杉対策として利害が一致してますし、
なるほどなるほど。仮想敵が上杉から徳川に変わって、
大手門の位置が変わっているのも興味深いですしね。

天正壬午自体、あまり詳しく理解してないのですが、
北条方についていた昌幸さんが徳川に付いたときに、
対上杉防備を目的に・・というのはmake senseですよね。

ロジックは成り立つのですが、あの規模の土木量を
こさえるだけの人員とカネをふんだくれるのは、
さすが・・・としか言えないですね。

真田に対する徳川の恨み辛みの原点は
ここなんじゃないかと(笑)そして、自分がカネ出して、
つくった城にボコボコにやられる自軍・・・
そりゃ、家康さんもおもしろいはずがないですわな!

■甲冑のお話

甲冑のお話になったときには、信綱さんが黒備え
という説があるんだーと聴いてほぅほぅと。
信繁さんの甲冑もホントは黒だし、昌幸さんの甲冑も
どちらかというと、黒基調だもんなぁ。
真田ってホントは黒派・・・なのかなぁ。

佩楯に大きな六連銭があしらわれている昌幸さんの
甲冑の兜に似た金の小さな前立に全身黒の当世具足。
なかなかいい甲冑ですよね、アレ。

■幸村さんの母上のお話

つまるところ、昌幸さんの奥さんのお話。
甲府の人か、駿河の人か、京都の人か・・・
といろんな説があるんですねぇ。

京都説だと、三条夫人の伝で探してきたんじゃ・・
ということですが、海道先生は義信事件後、
信玄公が信長さんと組もうとした頃に、
駿河の人物経由で接触しているそうで、
その頃に昌幸さん、ご結婚されている説。

京都は義信事件があるから、信玄公にとっては
鬼門だったんじゃないかと・・うーむ。

■信繁と幸村

今回なるほどなーと一番思ったのは、
「幸村」名の根拠がこういうところにあるのか!という話。

海道先生のご質問で幸村と名乗ったのかどうか?
という問いかけに、仙台真田家の研究家の小西先生が
解説をしてくださいました。

仙台藩の資料、仙台真田家、二代目片倉守信が
藩に提出した資料、どれをとっても「幸村」名。
「信繁」名がゼロなんだそうですね。

そして、滋野通記という松代藩の資料に、
信之のことばとして、こういう記録があるんだそうです。

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同じ箇所に「信繁」名が古典厩信繁に由来することも
書いてあるのですが、文章の流れとしては、
九度山に入ったときか、大坂入城か、
いずれにしても、改名したという点に重きが。

さらに写しではあるものの、「幸村」名の書も
あるのだそうですね。写しでしかないのは確かなんですが…

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1762年の写しで江戸時代に原本は紛失したとのこと。
これが本物だとだいぶん説得力が違うんですがね…

勘助(菅助)の書状も、写ししか見つからなかったときは、
存在は知られていても、その信憑性は疑問視されてて。

確定的に幸村と名乗った!とはいえないにしても、
「幸村」名が後年の創作によるもの・・というのは、
少なくとも違うんでないか?という気はしました。

ただ、同時期に「信繁」名の書状もあるわけで、
信州への手紙には「信繁」と書かないとわからないから?
ということみたいですね。ふーむ。

個人的には、武田と真田のふたりの信繁をつなぐ
エピソードを大事にしたいから、「信繁」って
呼びたい気はするんですけどね。

最後、海道先生の大河希望・・・には大共感。
大河で昌幸さん見たい!川中島が初陣で関が原で締める漢。
こんな武将いないっすよね!真田丸どうなるかなぁ。

この後、美味だれからあげに森香るハイボールをぐびぐび
いった後、日が暮れて向かった先は
一日限りの真田BAR・・・・!!

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ウォッカ×上田産りんごジュースの幸隆さん。
いいねー、これよかった!

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表裏比興は褒めことばと言い切る昌幸さんは、
上田の地酒モヒート。

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蒼き信濃の獅子・・はブルーキュラソーに
シードルの組み合わせ。

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長篠で散った信綱さんと昌輝さんは、
白ワインとカシスリキュール。

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ずっといらしてたフォロワーさんと話してましたねー。
最近歴史もウイスキーもなんにしても、
イベントごとには申し合わせしてなくても、
必ず誰か知っている人がいて、話が弾む機会が多くて、
うれしいもんですよ、うん。

ということで、上田真田まつり2日目に続く・・・!!

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講演会:政宗歴史塾 - 瑞鳳殿発掘から40年(2)

さて、休憩を挟んで副葬品の解説。

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縦に棒状になっているのは脇差。
刃の部分は朽ちてしまい、鞘の一部のみが見えてます。
となりは甲冑の胴。鎧櫃はあったようですが、
朽ちてなくなってしまったようですね。
なんでも湿度92%の環境だったとか・・・(汗)

筋兜の解説も。鉄板を張り合わせてつくってるから
筋ができるのであって、中がツルンとしているのは、
筋兜ではないんですね。ほぅほぅ。

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円月形の前立てもあったのでしょうが、
木でできた軽いものなので、
こちらも朽ちてしまったのでしょう。

鉄でできていたら・・・とすると、
枝に引っかかったら、落馬しちゃいますよね、と。
実戦に使えないと意味がない・・・!!
壊れるからこそ、実戦で使えるわけですな。

ちなみに、弦月の前立は当主のみと決まっていて、
家臣は八日月と決められているのだそうです。

兜について、ちょっとしたエピソード。
仙台青葉祭り、泰宗氏も毎年政宗公役で
参加されているわけですが、今年馬廻の方が
兜の緒を締めさせてくださいと言われたことがあったとか。

てっきり衣装の専門家かな?と思ってお任せしたところ、
ぎゅーっとメッチャきつく締められたそうで…
聞くとなんでも相馬からお越しになった馬廻の方。

相馬と戦争しまくった政宗公ですが、
こんなところで仕返しされるとは・・と(笑)

パレードする間、メッチャ痛かったそうで・・・!!
終わった後、ドーナツ型のコブが出ていたそうです(汗)
やっぱりあのパレード相当、大変みたい。

わたしも甲府で武田二十四将騎馬行列やったので
多少はわかりますが、慣れないとホント大変。

続いては、仙台五枚胴具足。

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五枚胴というのは、五枚の鉄板でつながっている
ということでこう呼ばれているそう。
風呂敷一枚に収められ、コンパクトにしまえるとか。

それでいて、鉄砲の弾からしっかり身を守ってくれる。
装飾の意味で漆を吹き付けますが、実戦向けにも
意味があって、防いだ弾を横に弾く効果があるそうです。

必ず鉄砲で試し撃ちをして貫通しなければ合格、
という検査を通ったものだけが、甲冑になるんですよね。
ということで、凹みが必ずあるわけです。

こちらの甲冑は1586年に人取橋合戦で政宗公本人が
着用したと記録があるそうですが、残念ながら保存状態が
極めてよくないため、現物の鑑定ではわからなかったそう。

人取橋合戦というと、屈指の苦戦を強いられた合戦。
傷がたくさんあってもおかしくはないですが、
敢えてこれを瑞鳳殿に収めるというのは、
なにか政宗公本人にとっても思い入れがあったんでしょうか。

あと、番が後ろから前に架かっているのにも意味があって、
乱戦になったときに、後ろから掴まれないように
ということなんだとか。なるほど・・・

これらの甲冑は、かの有名な明珍家がつくっていたようで
伊達家仕様の甲冑の図面が残っているそうです。
ものすごい軍事機密!今では、明珍火箸ということで
お名前が残っていますよね。

人を殺める道具を作ってきた歴史に向かい合い、
鎮魂の意味もこめて、火箸を作り続けてられるそうです。

漆塗りの蒔絵箱。これだけみると、
ものすごいいい状態で発見されたように思えますが…

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X線を当てて内部をみると、セルロースが溶け出し
スポンジ状になっていて非常に脆い状態。

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これ、漆の皮膜がいまだにがっちりと形をとどめ
バラバラになるのを防いでいたんですね。
漆皮膜がすごい頑丈なんだなという実証例ですね。

その他、硯や筆入れなど筆まめな政宗公らしい副葬品も。
硯には墨を摺った痕、水滴には水が残っていたそう。
亡くなる直前まで手紙を書いていたそうなので、
その最後に筆を執ったときのものなのでしょうかね・・!!

喫煙具や日時計なども。ハッキリ持ち主がわかっている
というものでは、日本最古になるそうです。

鉛筆もあったなー。シャーペンのような先に芯を
入れるような構造だったそうですね。鉛筆といえば、
家康も愛用品が残っていますが、おそらく家康から見せられて
自分でもつくらせたのだろう、とのことでした。

西洋からの伝来した金のブローチは、いろんな
時代背景や政治的な示唆があっておもしろい。
カトリック信者が身に付けていたブローチだそうで、
これが瑞鳳殿から発見されるというおもしろさですね。

幕府に見つかると非常に危険な品だったはずであり、
泰宗氏の推測としては、支倉常長からの献上品では?
ということをおっしゃっていましたね。

すべての副葬品を取り出した様子。
ぴっちりと石室の石と石の目が詰まってます。
完全密封された空間。

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石材加工技術がすごいのはもちろんのこと、
石材に臍を組んでいたということだそうで、
今これをやれといわれてもできないみたいですね・・・

再埋葬の様子。泰宗氏はここに立ち会われたのですね。

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内側に新しい石組みを備え、鎧櫃も新調して
丁寧に副葬品が納められていますね。
政宗公、安らかに・・・・

非常に楽しく、興味深い講演でした。
伊達泰宗氏のお話を聴く機会がもっとあればと思った次第。
ありがとうございました!

さて、せっかくなので続いて瑞鳳殿にお参りにも。
なんと講演参加者は無料!

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手水場跡の石垣。明治維新後の廃仏毀釈の折り、
伊達家は祭祀を神式に切り替えた・・ということで、
昔はここに手水場があったんだな。

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すっかり七夕仕様な瑞鳳殿涅槃門。

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拝殿内も。

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夕陽を浴びて光り輝く瑞鳳殿本殿。
瑞鳳殿のお話を聴いた直後だからなおさら、
いろいろ感慨深く、手を合わせました。

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もちろん、二代三代公にもご挨拶です。

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そして、牛タンいただいて・・・定番すな。

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新幹線内では、伊達おかきと伊達で晩酌。
ふふふふ・・・!!(駅では伊達ハイボールも飲んでる)

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ということで、興味深い伊達な旅でありました。
今年でこれで仙台2回目。まだもう一回くらい
行きそうな予感・・・行きすぎ(笑)

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講演会:政宗歴史塾 - 瑞鳳殿発掘から40年(1)

さて、今回の仙台訪問はこちらが目的。
瑞鳳殿の発掘のお話が聴けるとは非常に貴重。
ということで、ぴゅーんと向かったわけですよ!

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発掘調査され、また遺骨にも調査が入っているのは
非常に貴重な例ですよね。

戦災で焼けたからではあるのですが…
しかも、焼夷弾を落とすだけではなくて、
前日に空からガソリンをばら撒いた憎きアメリカ!
仙台城の大手門も焼けたんですよね・・・・

ちょうどこの日は、政宗公の誕生日ということで、
講演にはふさわしい日でしたね。

ということで、伊達泰宗氏の講演です。
初代伊達朝宗から数えて伊達家34代、
政宗公から数えて18代目に当たられます。

お声を聴いてハッとしたのは、非常に明瞭で、
それでいて品のよさを感じるお話しぶり。
瑞鳳殿の講師としては初めてのことだそうですが、
お話が上手な方だなという印象でした。流石!

えーっとかあーっとか、プレゼンに慣れていない人が
やっちゃいがちなことがまったくなく、
そして言い切るところは「・・なんです。」と。

お誕生日・・・ということから、そこから。
男子の誕生日はあまり祝った記録がないそうですが、
女子の誕生日は祝われたそうですね。

日比谷公園に政宗公終焉の地の碑がある話や
4代以降の歴代藩主のお墓の話など。
伊達家墓所は、野草園のテレビ塔のそばにあるそう。
ぜひ4代公以降のお墓にもお参りくださいとのことです。

泰宗氏は、東京のお生まれですが、
今仙台に住民票を移されたのだそうですね。

震災の後、瑞鳳殿はもちろんのこと、
政宗公以前の伊達家の墓のある伊達郡のお墓にも
向かわれたそうですが、放射線量が高く、
なかなか行けなかったそうですね・・・

800年続く伊達家の歴史を背負って、墓を守っていくのは
伊達家当主の責務である、その気概で移されたのでしょうね。

■瑞鳳殿再建の経緯

泰宗氏が幼少のころの瑞鳳殿はそれはそれは、
悲しい寂しいものだったそうです。
白木の墓標が一本だけ・・・・

このままではいけない・・・と瑞鳳殿再建の機運があった際、
最初は小さなお堂を造ろうということだったそう。

しかし再建期成会が立ち上がってから、全国はもとより、
海外からも協力させてほしいと寄付金が続々と。
徐々に、大きさは元の姿にしよう、
いやいや装飾もつけるか・・・となっていったとか。

それでも当初から変わらなかったのは耐火構造、
すなわち、RC構造にするということでした。

当時はRCこそが完全なものであるという、
信仰に近いものがあったことに加えて、
瑞鳳殿が焼けてしまったという経験を肌身に感じた
方々が建設委員会に多く名を連ねておいでだったとか。

二度と瑞鳳殿は焼けてはいけない・・・その一心。
今だったら、木造で造ろうという話だったでしょうね、
と泰宗さんもおっしゃっていました。

この経緯については、名古屋城天守に通じる気がしました。
二度と焼けてはいけない、焼けない天守を造ろう…
ふと、夢童さんの講演の内容が頭に浮かびました。

瑞鳳殿がどのくらい保つのかはわかりません。
天守と違って高層建築ではないのですし、
意外と保つのかもしれませんが、いずれ天守などと同じ
難題に直面する日が来るのでしょう。

2001年の改修の際に構造面も手が入っているなら、
かなり先まで保つことでしょう。

彩色や彫刻に関しては、戦前に国宝指定されていて、
かなり詳しく資料が残っていたことで、
相当レベルの外観復元ができたんですね。

さらに大崎八幡宮や同時代史料として日光東照宮も
参考にしながら、1979年に再建されました。
このときの彩色は古色仕上げということで経年劣化を
加味した色合いだったそうですね。

これも焼ける前の彩色が頭に残っている皆さんの
意向が強く働いたんでしょうね。今の瑞鳳殿は、
焼失当時の瑞鳳殿をイメージした意匠変更を進めたから、
あのように鮮やかな色彩なんですね。

わたしは今の瑞鳳殿のほうがいいなと思いますね。
政宗公らしいというか(笑)

■瑞鳳殿の発掘調査の成果■

瑞鳳殿のある経ヶ峰は、広瀬川がクネッと曲がったような、
龍の懐に抱かれるようなところ。

なぜ政宗公がこの地を選んだか?については、
文献等の史料がなくて確定的なことはわからないのですが、
泰宗氏は、次のように考えておられました。

つまり、龍のように流れた川でつくられる
半島状の場所に祖先の墓をつくると、
その国を守る神になる、という意味があるそうです。

最晩年に経ヶ峰を訪れた政宗公がこの地をわが墓所とせよ、
と命じた話はありますが、このことを知っていたのかも…と。
仙台を守る神になる気持ちだったのかもと。

風水の知識から候補に定め、実際に経ヶ峰に訪れてみて、
気に入ってここに定めたのかもしれませんね。
眼下に広瀬川と城下町がみえ、背後に仙台城を控えた
経ヶ峰、そこから太平洋を見据えて・・・
などと想像が膨らみますね!

そして、焼失前後の瑞鳳殿の違いのお話。
昨年、こちらの企画で写真と現物を見ながら、
わたしも楽しませていただきましたね。

焼失前は拝殿に床下があったり、本殿と拝殿をつなぐ
渡り廊下があったり・・・焼失前は儀式は拝殿で執り行い、
本殿には限られた人しか行けなかったことでしょう。

ある意味、今であるからこそ本殿に近づいて、
手を合わせることができることは、有難いこと
とおっしゃっていたのは、ホントにそうですよね。

本堂内の尊像は今は実物大ですが、往時は1/2。
この尊像は位牌の代わりということのようですね。

わたしも気づいた昔の写真の竹雀紋の違いにも
言及されていましたが、今の瑞鳳殿のほうが正式。

そして、発掘調査時のお話。発掘調査員の方が
一段ずつ床面の石をはずしていきます・・・
地面が出てきて、次に玉石。その奥には粘土層。
さらに中くらいの玉石、粘土層、細かな玉石・・・・

約1m彫ったところに、墓の蓋石が出てきたそう。
中央よりやや左に蓋石。調査員の方々は
当然中央にあるはずと思っていて出てこず、
まさか自分の足元にあるとは・・・と驚かれた様子。

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いろいろ考察された結果ですが、瑞鳳殿の
建っている位置に少し謎を解く鍵があるようです。

どうやら崖に近い位置にあって、政宗公がここに、
と指定した位置を中心に瑞鳳殿を建てると、
ものすごく不安定になりそうだというのです。

したがって、石室の位置はそのままで、かつ建物の安定性を
確保するために、建物を右にずらしたのではないか?
という推測をされていました。ほうほう。

事実、11代伊達斉義の時代に崖が崩れたことがあるそうで、
修復工事がなされたそうですね。これ以上崩れないよう
わたしが守っていくんだということで、
伊達斉義の墓は経ヶ峰に建てられているのだそうですよ。

そして石室には蒔絵の木箱のほか、甲冑や太刀などが続々・・・

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今であれば、テントを張って蓋石が開いたときに、
空気が急激に変わらないようにするのでしょうが・・・・

このとき泰宗氏は15歳。遺族のひとりとして、
現場に立ち会ったのだそうです。
石棺が閉じられた1638年から338年の時を経て、
蓋石が少しずつ少しずつずらされていきます。

中からなにやら光に反射するものが現れました。
蒔絵で飾られた木箱でした。

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そして、338年ぶりに政宗公が外の世界に
姿を現したのでした。

■政宗公の遺骨と対峙して■

びっくりしたのは、遺骨のお写真を見せて頂いたこと。
これはなかなかない・・・がもちろんお写真は撮りません。

石室内の真ん中には石灰が放射状に広がっていたそう。
記録によると、政宗公は円形の棺桶に安坐し、
その周りに防腐剤として石灰を配し、
籠の先端を切り離し、籠ごと収めたのだそうです。

籠の担ぎ棒が頭骨に当たりそうな箇所にあったそう・・・
ですが、幸いなことに無事だったそうです。

当時15歳の泰宗氏、政宗公の頭骨を目の前にして、
いつか必ず仙台に戻ります、公のそばで
お守り申し上げると手を合わせて、誓ったそうです。
そして、伊達家にそして、歴史にかかわるお仕事を
仙台でされていることが何よりの喜びだと。

かつて、お父上がご存命であった東京でお住まいの頃。
正月にはご機嫌伺いとして、重臣のご子孫方が、
お見えになるのだそうです。

そして「若様、お勉強の時間です」と呼ばれて、
そのご子孫方から延々と政宗公の、伊達家のお話を
マンツーマンで正座をして向かい合って聴くのだそうです。

そういう話をたくさんお聴きになったことがあって、
政宗公の頭骨を目にして、政宗公のそばで
仕事をしたいとお誓いされたのでしょう。

閑話休題。政宗公の大腿骨の長さから、
身長がわかるんですってね。159.4cmと今からすると
低いですが、まぁこんなもんでしょう。

上腕骨は筋肉が付着する部分が非常に太く発達。
前半生、戦国武将として活躍した様子が彷彿とされます。

また左足の踝(くるぶし)の腓骨辺りには骨折痕。
伊達治家記録にある20代に米沢城下で骨折した記録と
符合するそうですね。なるほど・・・

こういう自然科学と歴史学の両方からアプローチは
瑞鳳殿の調査の特徴でもあるそうですね。なるほどっ!

政宗公の頭骨の大きさ・・・おでこが出ていて、
前頭葉が出ていて、後頭部が出ている長頭型。
前頭葉の大きさは頭のよさの証拠かな?

後頭部が長いのは、室町以前の日本人の特徴だそうですが
逆に頭骨からわかる鼻筋の高さは、現代日本人よりも高く
正面からのお顔は現代的だったのでしょうね。
歯がないところから、歯槽膿漏だったこともわかるんだそう…

正面からみると、眼窩(眼球の入る頭骨の穴)がとても大きく
政宗公は目が大きい方だったことがわかるそう。
ということは、二重瞼だった可能性が高いわけで・・・・
若い頃は、さぞかし男前だったのでしょうな。

そして、瑞巌寺の伊達政宗像との比較。
遺骨から推察できる顔と矛盾ないことがわかりますね。
科学的に推察された政宗公のお姿も披露。

藤原氏の血を引く政宗公・・なのか、
貴族顔に分類されるようですね。

■政宗公の死因■

胃と食道をつなぐ噴門という部位に腫瘍ができ、
食べにくく、食後吐き気を催し、
腹水が溜まって晩年は苦しい思いをしたそうですね。

水を抜く(どうやって?)こともしていたとか、
苦しくて水が飲めず、ストローのようなもので
水を吸っていたなども記録にあるそうな。

晩年の姿は太っているように見えますが、
太っているより、こうした腹水が溜まっている様子を
描いたのかもしれませんね。

さて、ここいらで休憩。第二部に参ります。

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白石城。

さて、講演会当日。ちょっと時間があるので、
南に下って、先日中に入れなかった白石城天守へ。

というか、白石に行くつもりにしていたので、
宿を白石に取ったんですよね。
北斗星うらやましい・・・とか言いながら、
仙台から白石行きの電車に乗ります。

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んで、翌朝。早速「真田丸」にひっかけた幟。
真田丸に白石が出てくるとはちょっと思えないのですが、
まぁ、こういうアピールのすごさには感心。

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ま、でも阿梅姫のお姿がかわいらしくてよかったなぁ。

この日ちょうどお披露目だったBASARAとのコラボ、
幸村×小十郎バスがいました。ほっほっ。

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政宗×小十郎バージョンも!

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移築された門をなんとか戻してほしいと
思ってしまう二の丸大手二の門跡。

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そして、てーんっしゅ!青空で気持ちいい!
というか、暑い・・・・

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白石城天守、小ぶりですけど、鶴ヶ城などのように
天守台前面に天守が乗らないんですよね。
意匠的に変化があって、けっこう好きなパターン。

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天守内では宇宙戦艦ヤマトの展示をしていましたが
ほとんど目にもくれず木材ばかりみてるわたし・・・・

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武者走りが伸びる姿もいいですよね。再建、成って20年
くらいだと思うけど、木の色や香りははまだ若々しいっすな。

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広島城二の丸なんかはかなり色が濃くなっているんだけども。
何の違いでしょうか。木の種類か気候か、あるいは…

人が少なかったので、けっこう長い間ぼーっと、
白石の城下を見てました。城下は暑かったですが、
天守最上階は風が通って、涼しい空間。

P1410641

現存じゃなくて再建なのだから、こういう場を
貸切にしてくれたらいいのになーって思うわけです。
ここで宴会とかできたら、すごいしあわせなんだけどな!

何気に天守・櫓の階段も好きなポイント。
外観でもそうですが、いろんな角度で材が絡み合うように
建っている姿って、好きなんですよね。

P1410647

さて、いつもだいたい時間切れでいけない
歴史探訪ミュージアムにも。白石城全体と本丸模型に
にやにや・・・よくできている模型ですね。

写真NGでしたが、もしOKなら30分は張り付いて、
いろんな角度から写真撮るのですがね・・(笑)

おみやげ物コーナーで、伊達がおいてある!
いいぞ、いいぞ、白石城!

P1410649

宮城峡蒸留所でもそうでしたが、幟がいいのよね…!!

P1410651

さて、さくっと当信寺にも寄って阿梅さんと
守信さんにも挨拶してきましょう。

P1410654

阿梅さん、守信さん来年は忙しくなりますね。
人が増えるのはいいけど、お二方の眠りを妨げるような
ことにならないことを祈るばかりです。

さて、このあとは大急ぎで仙台に戻って、
瑞鳳殿を目指します!

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