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上田真田まつり 2014 1日目

まだ4月の話が残っていると思うと、軽く絶望感が
あるのですが・・・まぁめげずに書いていきます(笑)

昨年参加してなかなか楽しかった上田真田まつり
今年も参加することにしてみましたよ!

前日入りして翌日朝からミッチリ上田で行動。
前回もお世話になった朝から美味だれ焼き鳥味わえる
えんさんへ。いやー助かるなぁ。

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朝ごはん・・に焼き鳥もりもり。
朝からにんにくバリバリ。ふふっ♪

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お冷のグラスがNIKKAでしたぁ☆

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そして朝ごはんを頂いた後は、ここから近い
武田味噌さんへ。毎回通ってますね・・・(笑)

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今回はちょっと多めの1kg寒仕込。
これでお味噌汁やお酒のおつまみに・・!!

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しかし、最近はあまりお付き合いがない
ということですけど、武田家旧温会に参加してくださったら
おもしろいのになぁなんて思っています。

旧温会の方々とつながりも出来たし、
ちょっとお声掛けしてみようかしらん??

講演会も興味あったけど、時間的に難しいのでパス。
さくさくっと上田城を見て廻ります。二の丸壕。

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壕の残り方がホント素敵だよなぁ。
ちゃんと活用もされてて、壕が活きていますモンね。

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あら、あんなところに武田菱。
電柱広告だされていたんですね☆

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個人的にあんましこういうのしないんだけど、
上田のコレだけは一度やってみたいとは思ってる…
もちろん、昌幸さん一択!

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真田神社にお詣り。お守り返納するの忘れた…

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本丸の鬼門除の切欠。そういえば上田城も本丸が方形。
方形の本丸になんか意味を見出しちゃいそう。

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向かった先は、何度も上田に来ていて
一度も行っていない上田市立博物館。

佩楯に大きく六連銭が配されたあの昌幸さんの
啄木糸威伊予札胴具足が見れてホクホク。
昇梯子の具足といい、よい甲冑もってらっしゃるねぇ。

上田城に関するネタとしては、豊臣金箔瓦グループ
としての上田城の話がおもしろい。

本丸だけでなく、二の丸からも金箔瓦が出土とかだったそう。
昌幸さんが整備して二次上田合戦の戦い抜いた上田城は、
天守こそないけど、城郭建築がひしめく城だったのかもね。

それに金箔瓦って豊臣城郭って、豊臣政権から見て
重要かつ秀吉にとって心理的に近しい・・ような気がするので
昌幸と秀吉の人間関係の距離感の近しさなんかも
見て取れるのかもしれないなーなどと思ったり。

あと、武田二十四将図があればやっぱ注目してしまう性。
江戸後期の歌川芳虎作のがかっこいい。
信玄公中心に縦ではなく横に広がる構図で、
なんだか現代的な感じさえしました。うん。

諸将武勇競という江戸後期の戦国武将人気ランキングも
なかなか興味深いところ。大関は信玄&謙信コンビ。
関脇が毛利元就に北条氏康…真田昌幸は前頭二枚目。

信長は差添、秀吉は行司で別格扱い。
神君はー?と訊くのは野暮ですね(笑)

さて、信之さんの屋敷跡の土塁を横目で見ながら、
上田で有名なお蕎麦屋さん刀屋さんへ。

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量が多い多い・・とは聞いていましたが、
確かに多めではありますね。あんまし腹減ってないと、
食べられないかも・・ということで真田そば☆

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真田の所以であろうなめこが4つしなくて、
四連銭だったのは。。まぁご愛嬌(笑)

しかし、味噌で頂くそばの美味いこと美味いこと。
もちろんそばそのものも美味しいのですが、
味噌と合うなーということが発見でした。

他でも味噌で頂くそばがあればいいのにと思うほど、
かなり気に入っちゃいましたね。ごちそうさまでした!

こちらの後は、対談・真田の部屋。
おしゃべり好きの真田さんがかなりお話されていた
印象ですけど、いろいろ興味深いところがたくさん。

上田真田まつり2014/真田の部屋①山田順子氏×真田徹氏

海野氏から続く系図の話。まぁ真田さんもおっしゃるように
別格な家柄を除けば、出自は曖昧なものものではありますが、
系図ってやっぱり歴史が詰まってるなーと思うわけです。

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そして、幸村(信繁)さんのお子さん方。
かなり知っているつもりでしたが、こんなにいるのかー!
娘さんはあまり知らないかもなー。

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そのほかいろいろ興味深い話題も。

■ことばのお話■

時代考証家の山田順子氏を招いて、ということなので、
どのようにその時代っぽく見せるか?という話から、
幸村さんは関西弁だったんじゃね?みたいな話に・・(笑)

たぶん皆さん訛りはいっぱいあっただろうなーと思いますね。
江戸時代になると、大名家老クラスはともかく、
藩士レベルではなかなか諸国を出歩くことは許されないから、
何かに付け、諸国で人の動きのあった戦国時代のほうが、
いろんなことばが入り乱れていたんだろうな、と想像。

そして、山田氏から能のことばがちょうど戦国時代の標準
とのお話があってなるほどなーっと。こういうので、
他国でも通じることばを勉強するんだね。

これに対して、江戸の伊達藩屋敷で江戸詰藩士の話。
江戸の人と接しないということもあって、
屋敷内では、伊達ことばが飛び交ってたんですねぇ。

■人質のお話■

幸村さんの人質生活は?というところで、
どういうところに人質に行くかという運もあるよね、と。

真田家は武田家に仕官していて、人質に対して
きっちり目のある人材は教育して戦力にしていく、
という信玄公の方針があったのも、運がよかった?
という話にとりあえず、ニヤリとするわな(笑)

・・・というところから、真田さんの信玄公トーク。
真田さん、信玄公がたいそうお好きなようで、
以前の武田御宗家とのトークイベントでも、
信玄公のカリスマについて、言及されてましたよね。

真田さんはともかくとして、多くの武将の話をしてても
信玄公だけは常に敬称付なのが印象的でした。

女将から武田家の方々とお付き合いあるんですか・・
と聞かれ、ない。では、仙台のほうは・・・ない。
もちょっと大事にしましょうよ!とツッコまれてましたが、
たぶん武田家旧温会の皆さん、暖かく迎えてくれるはず!

以前、とある方とお話した際に、旧温会って、
真田関連の方がいらっしゃらないようなこともお伺いしたし。

ただ、元領地のお百姓さんがお米数十キロ
送ってこられるとか?で、まるで年貢ですよね・・には爆笑。

お父上の時代には、松代の真田さんや小山田さん
とのお付き合いもあったそうな・・・って、
またお付き合いが復活するといいなぁなどと思いながら。

徳川恒孝さんとの話はおもしろかったなー。
お互い親しくされていたりとか。また武田の御宗家も
交えながら、お話していただきたいものです。
宗家も徳川さんと親しいみたいですしね!

この後もトークは続き、幸村さんはなんで大坂城に
入城する気になったんだろうとか、
まぁ、真田さんの分析ではありますが、
あるかもしれないなーと聴いていて、なるほどねぇ、と。

■片倉小十郎に阿梅さんを預ける話

敗戦を意識する頃、片倉小十郎を見込んで…という
ことにはなっているものの、事前に密約があったんじゃ?
という真田さんの持論を展開されてて、一次資料はあるの?
というとないわけですが、けっこう興味深く拝聴。

徳川をひっくり返さんと狙う策士政宗、
家康の首さえ取れれば、後は何とでもなる…ということで、
幸村さんに首とってよーとお願い。

もし取れなかったら、じゃー子供は面倒見るぜと。
まぁ、そういうこともありえるかなぁ。うんうん。

実際、相当の子を養ってますからね、伊達家。
明石全登の子の話されてましたが、武田家もお世話に
なっているんですよね。他にいるかな?

上田真田まつり2014/対談 真田の部屋② 海道龍一朗氏×真田徹氏

■上田城築城のカネは誰が出したのか・・・

海道先生を交えた話は、上田城築城のカネは誰が出したのか?
というところからスタート。天正壬午のドサクサで
家康からカネふんだくって、建ててますよねーっと(笑)

家康さんにここにつくっていっすか?ってお伺いを
建ててるんですねー!上杉対策として利害が一致してますし、
なるほどなるほど。仮想敵が上杉から徳川に変わって、
大手門の位置が変わっているのも興味深いですしね。

天正壬午自体、あまり詳しく理解してないのですが、
北条方についていた昌幸さんが徳川に付いたときに、
対上杉防備を目的に・・というのはmake senseですよね。

ロジックは成り立つのですが、あの規模の土木量を
こさえるだけの人員とカネをふんだくれるのは、
さすが・・・としか言えないですね。

真田に対する徳川の恨み辛みの原点は
ここなんじゃないかと(笑)そして、自分がカネ出して、
つくった城にボコボコにやられる自軍・・・
そりゃ、家康さんもおもしろいはずがないですわな!

■甲冑のお話

甲冑のお話になったときには、信綱さんが黒備え
という説があるんだーと聴いてほぅほぅと。
信繁さんの甲冑もホントは黒だし、昌幸さんの甲冑も
どちらかというと、黒基調だもんなぁ。
真田ってホントは黒派・・・なのかなぁ。

佩楯に大きな六連銭があしらわれている昌幸さんの
甲冑の兜に似た金の小さな前立に全身黒の当世具足。
なかなかいい甲冑ですよね、アレ。

■幸村さんの母上のお話

つまるところ、昌幸さんの奥さんのお話。
甲府の人か、駿河の人か、京都の人か・・・
といろんな説があるんですねぇ。

京都説だと、三条夫人の伝で探してきたんじゃ・・
ということですが、海道先生は義信事件後、
信玄公が信長さんと組もうとした頃に、
駿河の人物経由で接触しているそうで、
その頃に昌幸さん、ご結婚されている説。

京都は義信事件があるから、信玄公にとっては
鬼門だったんじゃないかと・・うーむ。

■信繁と幸村

今回なるほどなーと一番思ったのは、
「幸村」名の根拠がこういうところにあるのか!という話。

海道先生のご質問で幸村と名乗ったのかどうか?
という問いかけに、仙台真田家の研究家の小西先生が
解説をしてくださいました。

仙台藩の資料、仙台真田家、二代目片倉守信が
藩に提出した資料、どれをとっても「幸村」名。
「信繁」名がゼロなんだそうですね。

そして、滋野通記という松代藩の資料に、
信之のことばとして、こういう記録があるんだそうです。

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同じ箇所に「信繁」名が古典厩信繁に由来することも
書いてあるのですが、文章の流れとしては、
九度山に入ったときか、大坂入城か、
いずれにしても、改名したという点に重きが。

さらに写しではあるものの、「幸村」名の書も
あるのだそうですね。写しでしかないのは確かなんですが…

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1762年の写しで江戸時代に原本は紛失したとのこと。
これが本物だとだいぶん説得力が違うんですがね…

勘助(菅助)の書状も、写ししか見つからなかったときは、
存在は知られていても、その信憑性は疑問視されてて。

確定的に幸村と名乗った!とはいえないにしても、
「幸村」名が後年の創作によるもの・・というのは、
少なくとも違うんでないか?という気はしました。

ただ、同時期に「信繁」名の書状もあるわけで、
信州への手紙には「信繁」と書かないとわからないから?
ということみたいですね。ふーむ。

個人的には、武田と真田のふたりの信繁をつなぐ
エピソードを大事にしたいから、「信繁」って
呼びたい気はするんですけどね。

最後、海道先生の大河希望・・・には大共感。
大河で昌幸さん見たい!川中島が初陣で関が原で締める漢。
こんな武将いないっすよね!真田丸どうなるかなぁ。

この後、美味だれからあげに森香るハイボールをぐびぐび
いった後、日が暮れて向かった先は
一日限りの真田BAR・・・・!!

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ウォッカ×上田産りんごジュースの幸隆さん。
いいねー、これよかった!

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表裏比興は褒めことばと言い切る昌幸さんは、
上田の地酒モヒート。

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蒼き信濃の獅子・・はブルーキュラソーに
シードルの組み合わせ。

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長篠で散った信綱さんと昌輝さんは、
白ワインとカシスリキュール。

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ずっといらしてたフォロワーさんと話してましたねー。
最近歴史もウイスキーもなんにしても、
イベントごとには申し合わせしてなくても、
必ず誰か知っている人がいて、話が弾む機会が多くて、
うれしいもんですよ、うん。

ということで、上田真田まつり2日目に続く・・・!!

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